庭園巡礼

2023年9月 5日 (火)

雷雨の修学院離宮を参観した(5)

西側に大きな土手を築いて水を溜めている。金閣寺庭園と同じ手法だ。ただし浴龍池のまわりに石組みがほとんどなかった。石組みを使って神仙郷を再現するのが当時の造園方法だったはずだ。それがないので読みにくい。

もっとも似ているのは平等院庭園だ。平等院と同じように修学院離宮の池の縁は石組みを用いず州浜として仕上げている。ここも平等院と同じ浄土式庭園なのかもしれない。

本来、土手の上に大きな樹木を植えなかっただろう。そうすれば空と空を映す水面とが一続きになる。それがもっともよく見えるのは島の上に設けられた「御腰掛」ではなかったか。夕焼け空が水面に映り、世界は上下とも深紅に染まる。修学院離宮庭園は夕陽に阿弥陀如来の来迎を見る日想観の庭なのかもしれない。これが今のところの結論である。

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2023.08.24、京都市、修学院離宮庭園

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2023年9月 4日 (月)

雷雨の修学院離宮を参観した(4)

窮邃亭の屋根にある切子頭(がしら)の宝珠を以前から見たかった。立方体の角を落とした形で切頂六面体ともいうそうだ。これは一体なにを示しているのだろう。扁額がシンプルな陰陽図だったことから、この切子頭も陰陽図なのだと思う。

切子頭の展開図に十二支を当てはめてみた。写真で見ると菊のご紋章のある面が斜めを向くように置かれている。窮邃亭は東西南北から45度傾いて配置されているので、菊のある面はそれぞれ
子(北)、卯(東)、午(南)、酉(西)を正しく向く。切子頭の宝珠は、ここが陰陽定まった聖域であることを示すための呪術であろう。

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2023.08.24、京都市

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2023年9月 3日 (日)

雷雨の修学院離宮を参観した(3)

窮邃亭(きゅうすいてい)は島の頂上にある。小高いので全体が見渡せる。窮邃亭は四方が開け放しにできる開放的な作りだった。ここは茶室ではなく茶屋(休憩所)だ。この風通しのよい茶屋でお弁当を広げるのだろう。修学院離宮庭園は大勢を招いて催す大茶会の会場というよりも、わずかな親しいものたちだけでピクニックを楽しむような私的な庭園に見える。

後水尾天皇のお書きになった扁額が残っていた。八角形をふたつ並べて、その交わったところに結び目を描いている。これは陰陽図だろう。八角形をふたつ並べてできた12ヶ所の角に十二支を引きあてる。陽気側である左側に6つ、陰気側である右側に6つだ。そう考えれば、ふたつの八角形に配置された窮邃の文字はそれぞれ陽気と陰気を示すはずだ。

窮はきまわる、邃は奥深いという意味だ。窮は空高く極まった天を指し、邃は大地の奥深まった地を示すのだと思う。もちろん天は最大の陽気であり、地は最大の陰気である。陽気側に陰気である邃を、陰気側に陽気である窮を置く。窮は陽気側へ、邃は陰気側へ戻ろうとするので陰陽は真ん中で入り混じる。陰陽和合の呪術であろう。

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2023.08.24、京都市、修学院離宮庭園

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2023年8月27日 (日)

雷雨の修学院離宮を参観した(2)

隣雲亭の開け放した軒先が見たかった。雷雨のなかにいると名前のとおり雲の隣りのように感じる。軒桁はまっすぐな丸太で柱も丸太だった。古びた丸太であるゆえに、肩肘張らない自然で優しい回廊となっていた。

雨に煙る浴龍池が見下ろせた。まさに龍が水浴びをしているように見える。隣雲亭から池までの斜面に大きな樹木はなく大刈込としているので景色がよく見える。この庭園は今まで見た庭園とはまったく似ていない。見通しを大事にする英国風景式庭園が近いと思う。

一二三(ひふみ)石のオリジナルも見た。赤と黒なのがおもしろい。赤は鞍馬石だという。これはチャートだろう。赤と黒は五行説でいうところの陽気と陰気を示す。

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2023.08.24、京都市、修学院離宮、隣雲亭

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2023年8月26日 (土)

雷雨の修学院離宮を参観した(1)

中離宮の門を出たとき大風が吹き、次に森の木立の騒ぐ音が聞こえてから大粒いの雨が降り始めた。上離宮の隣雲亭までの400メートルほどの登り道を逃げるようにして進んだ。風が強くて傘が役に立たない。15分ほどのあいだにズブ濡れになった。隣雲亭で一息ついていると眼前で稲妻が踊っていた。雷雨の修学院離宮という得難い体験をしておもしろかった。

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2023.08.24、京都市、修学院離宮、隣雲亭

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2023年5月 2日 (火)

永保寺庭園は月の庭だった(8)

こう考えてくると、やはり観音堂のご本尊は木気なのではないか。金気の岩から出てきたので金気の観音だと思ったが、梵音巌は補陀岩であり、補陀落山は観音浄土であるから金気と限らなくてもよいだろう。磐座の信仰は五行説が日本へ入る前からのものだろうから磐座イコール金気と短絡はできないのだろう。

さて、永保寺を訪ねたのは、京都の西芳寺(苔寺)庭園の元形を観たかったからだ。西芳寺庭園は水害を受けたようで元の姿が想像できない。文献上には観音堂があり、そこへ渡る橋がかかっていたとあるそうだ。永保寺庭園とそっくりである。

無窓を西芳寺に招いた藤原親秀は松尾大社宮司の家柄だった。西芳寺と松尾大社の中間に月読神社がある。月読神社は松尾大社の摂社である。やはり松尾にも月待をこととする巫女集団があったのだろう。西芳寺庭園も永保寺庭園と同じ月の庭だったのではないか。

足利義政は西芳寺庭園に感動した。そして母親に見せるためにそっくり同じ庭を高倉御所に作った。一草一木もゆるがせにせず、まったく同じにしたというから尋常でない。その庭の観音堂を移築したのが銀閣だとする説がある。銀閣寺庭園はご承知のように月の庭として知られている。移築が事実であれば、銀閣寺庭園が月の庭であるのは西芳寺庭園譲りだったわけだ。

子安祈願には女体保護も含まれる。また、水面に反射した月光には水気が宿り、それを浴びることで不老を得ることも見てきた。義政は月光反射の機構を使って母親の不老を願ったのであろう。案外、義政こそ夢窓作庭の最大の理解者だったのかもしれない。

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2023.04.28、岐阜県多治見市、永保寺庭園

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2023年4月30日 (日)

永保寺庭園は月の庭だった(7)

ランマが水なら扉の飾り格子は月かもしれない。観音堂の別名・水月場にちなんだのだろう。飾り格子は真円なので、それが月なら満月だ。満月の月光が水に反射して観音堂の天井を照らす。だから観音堂の天井は板張りなのだろう。

これは臥竜山荘(愛媛県)の不老庵と同じ月光反射装置なのではないか。不老庵は肱川に迫り出した崖造りの茶室だ。仲秋の名月のころ町の人は河原に集まって「いもたき」をするという。サトイモを大鍋で煮るようだ。丸くて白いサトイモは金気の象徴なのだろう。それを食すことで金気を克し木気を援ける呪術と思われる。

肱川は渓谷なので月のでは遅い。いもたきしているとようやく山端から満月が昇り渓谷は月光に包まれる。不老庵は肱川に反射した月光で天井を照らす工夫がされている。天井はかまぼこ型となってる。これは凹型反射板の形だ。天井を照らした月光をは床の間へ集める仕組みである。おそらく月見の夜の床の間には木気を象徴するようなものが依り代として置かれたことであろう。

水面に反射した光は水気を帯びると考えられたのではないか。水気を帯びた光で木気を照らすことで木気を盛んにするという意味だろう。木気を盛んにして不老を得るというのが不老庵の意味だと考えられる。それと同じことが永保寺観音堂でも行われていたと推測できる。

元来、長瀬山には月待信仰をこととする巫女集団があったのだろう。梵音巌は彼女らが祀る子安神の磐座だったのだ。夢窓はその信仰をベースとして永保寺庭園を作庭した。作庭を通して子安信仰を禅宗風にとらえ直したわけだ。ここでは夢窓によって聖地の上書きが行われたのであろう。

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2023.04.28、岐阜県多治見市、永保寺庭園「観音堂(水月場)」
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2023年4月29日 (土)

永保寺庭園は月の庭だった(6)

手前が亀島で奥が鶴島と言われている。まったいらな鶴亀島は珍しい。文化遺産オンラインで「石組や護岸などの作庭細部の技法には見るべきものはない」とけなされる所以である。わたしは石組みが無いことを非難するのは当たらないと思う。まったいらなのは島の上に祠があったからであろう。

さて、橋上から亀島がまじかに見える。水中に亀の手足があるのが見える。鶴島には脇に三角石が浮かんでいる。三角形は火気を象徴する。鶴島は朱雀、亀島は玄武でもある。朱雀は火気、玄武は水気だ。したがって火気たる鶴島が鶴島であることを示すために三角石を備えることが多い。

かようにふたつの島が鶴島亀島であることは間違いない。鶴島亀島は蓬莱島の左右に置く。左右に置くことで蓬莱島の陰陽が正しく調整されていることをしますのだ。ここの場合、ふたつの島にはさまれた梵音巌が蓬莱島なのだろう。

おかしいのは鶴島亀島の位置が逆であることだ。通常なら陽気の領域である東側に鶴島、陰気の領域である西側に亀島を置く。陰陽正しく配置することで蓬莱島の気を調えるのである。狛犬の陰陽配置と同じことだ。ところがここでは陽気である東側に亀島、陰気である西側に鶴島がある。なぜか。

結論から言えば、陰陽をわざと逆にするのは陰陽混合を強調するときだ。陽気側の陰気は陰気側へ戻ろうとする。同様に陰気側の陽気も陽気側へ戻ろうとする。東西のものが引き合うように出会い中央で渦を巻いて混じりあう。陰陽混合は子宝を祈願するときに使われる呪術である。

陰陽混合の事例をいくつか挙げておく。

1 京都鞍馬の由岐神社の狛犬
狛犬が左右逆である。由紀神社は木気の聖地であることは以前に述べた。ここが子安の霊地であることは公式HPにある。

由紀神社拝殿の謎(4) http://www.tukitanu.net/2019/06/post-5adff9.html

2 出雲大社八足門のウサギ
門の上のウサギが左右逆である。ここが縁結びの霊地であることは知られている。

不思議の国の出雲03、出雲大社のウサギ http://tanuki.la.coocan.jp/strangeworld/2008-15.html

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2023.04.28、岐阜県多治見市、永保寺庭園「亀島」と「鶴島」
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亀島
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鶴島

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2023年4月28日 (金)

永保寺庭園は月の庭だった(5)

ウイッキに夢窓が聖観音と出会う話が紹介されている。「虎渓山略縁起一人案内」(1806)にあるという。

夢窓国師は友人の御家人・土岐頼貞の父親の33回忌を行うために多治見を土岐を訪れていた。隠棲生活を送るための場所を頼貞の領内で探していた。長瀬山の近くで道に迷い白馬に乗った女人と出会った。道を尋ねたところ答えない。そこで夢窓は和歌を詠んだ。

空蝉(うつせみ)のもぬけのからか事問えど山路をだにも教えざりけり
(ものを尋ねてもセミのぬけがらのように山道さえも教えてくれない)

空蝉は現(うつつ)の身とをかけている。すると黙っていた女人が返歌した。

教ゆとも誠の道はよもゆかじ我をみてだに迷うその身は
(我が誰であるかさえ見分けのつかないようなら本当の道を教えても迷うであろう。 )

そして女人は忽然と消え近くの補陀岩に1寸8分の小さな仏像がかかっていた。夢窓はそれを本尊として補陀岩の横に観音堂を建てた。

この縁起がいつ作られたものか分からないが、いくつか重要な情報が含まれているので永保寺ができた当初のものである可能性は高いと思う。

重要な情報とは次のとおり。

1 聖観音の本地としてのククリ姫
白馬に乗った女人とはだれか。これは聖観音を本地とする神であろう。白山の女神・ククリ姫は聖観音を本地とするから白馬に乗った女人とはククリ姫のことであろう。土岐や多治見など美濃一帯は白山信仰がさかんだ。観音堂が白山信仰を背景としていることを示す説話と考えられる。

2 補陀岩という名称
補陀岩とはいまの梵音巌であろうが、なぜ補陀岩というのか。補陀は補陀落山の略称だ。補陀落山は観音が治める聖地である。観音が出てきた岩だから補陀岩というわけだ。おそらく長瀬山全体が岩山で、そこは観音の治める聖地だったのだろう。

3 胎内仏
現在のご本尊には胎内仏が納められている。それが夢窓が岩で得た仏像なのだろう。永保寺公式HPによれば胎内に仏があることから孕み観音と呼ばれ子宝・安産に利益があるという。結婚祈願も子安信仰の重要な一部である。

1寸8分という寸法は京都六角堂のご本尊と同じである。1は水気を8は木気を象徴する。したがって18は水生木の相生の関係を示す。六角堂の供える仏花として始まった華道・未生流も水の上に植物を立てるものだから水生木を表すのだろう。そして六角堂の如意輪観音には縁結びの利益が備わっている。18という数字はやはり子安に結びついていると考えてよいだろう。

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2023.04.28、岐阜県多治見市、永保寺庭園「梵音巌」と「観音堂」

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2023年4月27日 (木)

永保寺庭園は月の庭だった(4)

檜皮葺きの優しいお姿のお堂である。前面に回廊があるのは、そこから月を眺めるためであろう。観音堂には「水月場(すいげつじょう)」という名がある。やはり「月」が関係している。しかもご丁寧にも「水」が添えられている。

軒先が見たことがないほど反り返っている。総じて禅宗様は軒が反るが円覚寺舎利殿もかほど反らないだろう。なぜこれほど反っているのか。謎である。

ご本尊が聖観音である。説明版にあるように岩窟状の厨子に納められている。岩窟状の厨子とはたいそう珍しい形式である。これは聖観音が梵音巌から生まれたことを示すのだろう。

回廊に面した建具の飾り格子が美しくて見とれる。波型のランマは湯屋に使われることが多い。波型は「水」を表すのだろうと思っている。扉の斜め格子に円形を重ねた格子は他所で見たことがない。

五行説に従えば円は金気を示す。ご本尊が金気であることを示すのかもしれない。観音は木気であることが多いのだが、ここでは金気の大岩から生まれたので聖観音も金気なのかも知れない。

朝のお勤めの時間だったようで若いお坊様が扉を開けてくださった。ひとしきりお経を唱える間、ご本尊を拝することができたのは幸運だった。ありがたし。

夢窓国師と聖観音の関係を示すエピソードが残っている。そのご紹介は次回に。

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2023.04.23、岐阜県多治見市、永保寺庭園「観音堂」

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