武田的ディテール

2022年4月26日 (火)

日本のタイル100年(1)武田のテラコッタを見よ

イナックスライブミュージアムの展覧会「日本のタイル100年」を観てきた。ミュージアムの磯崎さんありがとうございました。撮影可だったので気付いたことをメモしておく。

最初に目に入ったのはこのでっかいテラコッタ。京都府立図書館(1909)の装飾と説明があって驚いた。武田五一デザインのテラコッタ装飾が常設展示にあるのは見ていたが、そのほかにも収蔵なさっていたとは知らなかった。武田マニアとしてはとてもうれしい。舐めるように見ていると磯崎さんが寄ってきて「さすが、まっさきに武田五一ですね」と言われた。

キャプションに久田吉之助工場製とあった。久田のことは20年ほど前にタイル復元家の太田さんから教えられた。久田はライト設計の帝国ホテルの外壁テラコッタを開発したが、その後ホテル側とけんか別れして受注は別工場が請けたという。

武田と久田との出会いは古い。武田は京都の伝統工芸の近代化のために京都高等工芸学校へ1903年に赴任した。伝統工芸の近代化のテーマには織りや染めのほかに陶芸も含まれる。輸入にたよっていたタイルやテラコッタの国産化を武田は目指した。

武田の設計した岐阜の名和昆虫館は1907年に竣工し、ここで久田は国産最初と言われるテラコッタを製作した。武田と久田とによる陶芸の近代化のための試みはそのころ始まったと考えてよいだろう。続いて府立図書館ではさらに大型のテラコッタを製作した。そのテラコッタを建物全体に貼りまわしたのが帝国ホテル(1923)だった。

ライトと久田を引き合わせたのは帝国ホテル重役の大倉喜八郎だったとされている。ライトは黄色いテラコッタでホテル全面を覆うことを提案していた。大倉は京都の長楽館(1909、村井別邸)が黄色いことを知っていたので、そこからたどって長楽館の外壁タイルを製作した久田のもとへ依頼が舞い込んだという。

長楽館の外壁タイルはテラコッタだったろうか。テラコッタとは一般的に立体的な装飾焼き物をいう。今度行ったら確かめてみるが、長楽館の外壁は名和昆虫館と同じ釉薬がけのタイルだったと思う。

久田まわりのネット情報では「黄色いレンガ」という言い方がされてるが、そうした用語をわたしは聞いたことがない。黄色いレンガと言うと化粧レンガの一種のように聞こえるが、久田が作ったのはレンガではなくテラコッタだ。「黄色」は昆虫館や府立図書館ですでに実現させている。難しかったのは土練り、成形と乾燥だったのでないかとわたしは思う。

久田と武田とはコンビを組んでいたし、武田はライトとも友人だった。わたしはライトと久田を引き合わせたのは武田だったろうと思っている。1918年、武田が突如として名古屋高等工業学校へ転任させられたのも陶芸の近代化のための一環だったのではないか。武田が目指していたのは「京都」の工芸近代化ではなく「日本」の工芸近代化だったと考え始めている。
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2022.04.23、イナックスライブミュージアム

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2022年3月19日 (土)

武田五一の部材が展示されていた

京都府立図書館の玄関ホールに旧図書館の部材が展示されていた。扉、階段手摺、天井飾りなど見どころ多し。圧巻は天上飾りで、欠けているため断面が見えて勉強になる。おそらくいくつかのパーツを現場で組み立て、継ぎ目をコテ仕事で隠しているのだと思う。次に行ったときにもっとよく見ておく。

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2022.03.18、京都府立図書館

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2022年3月18日 (金)

武田五一の街路灯が無くなっていた

噴水の両側にあった街路灯が無くなっていた。どこかに保存してあるのならいいのだが。これは小林さんが見つけたもので、わたしもできるだけ言い触らしてきたが及ばなかった。残念である。

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2022.03.16、京都市東本願寺前、工事中
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2021.04.22、電灯部分は失われておりポールだけ残っていた

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2021年12月31日 (金)

武田的ディテール(52)岡崎公園の大鳥居問題

この鳥居は幾何学的で作られている。鳥居の内側が正方形になっていることは以前から気づいていた。そこで全体がどうなっているのか写真をもとに検討してみた。

方眼にあてはめてみれば鳥居の内側は4:4の正方形であることが分かる。それを敷衍すれば高さは5、巾は約8の方眼にうまく納まる。実は5:8は大鳥居の一般的の比率であるようだ。有名な安芸の宮島の海上大鳥居も5:8の比率なのだ。

おもしろいのは5:8が黄金比であることだ。黄金比は1,1,2,3,5,8,13…というフィボナッチ数の隣り合うふたつを近似値として使うことが多い。武田が2:3の比率を多用するのはそのためだと本人が言っていた。だから大鳥居の伝統的な比率が5:8の黄金比であることにも武田は気づいていたろうと私は思う。

この鳥居がそっけないとそしる向きもあるが、そっけなさは武田的ディテールの本領なので問題ない。問題はこの鳥居が大きすぎたことにある。武田の誤算はそこにあった。あまりにも大きすぎるため地上から見上げたときに5:8の比率に見えないのだ。おそらく1.5キロほど離れた青蓮院門前あたりからならばきれいな比率で見えることだろう。今度確かめてみよう。

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2021年12月 3日 (金)

武田的ディテール(51)下足入れの年代推定

以前も紹介したが、この下足入れは竣工当時のものかどうかは分からない。とりあえず戦前のものというのは分かる。なぜなら天板の下にモール(くり型)があるからだ。とてもシンプルでモダンな下足入れだが、モールがあるのだからいまだ様式主義の下で作られたことが分かる。戦後のものであれば、ここへわざわざモールを入れないだろう。

だからと言って竣工当時のものには見えない。なぜなら大正3年にしてはあっさりし過ぎているからだ。大正3年なら横長のフタになんらかの細工をすると思う。武田ならフタの下に指がかり用の三角形の刻みを入れたりするだろう。

したがって、この下足箱は竣工からしばらくたった昭和初期のものに見える。しかしながら武田っぽさにあふれている。武田っぽさの一番目はフタを横長にしたことだ。普通なら一足ずつフタを付けるだろう。横長にすることですっきりとしたデザインとなっている。

二つ目は下部の傘立てだ。ここへ傘立てを設けるという発想自体がおもしろい。傘立てと下足箱がこれほどきれいにまとまったデザインは他に見たことがない。

三つ目は傘立ての鉄部のデザインである。上部の横棒を2本添えにしたことがデザインに細やかな優しさを添えている。さらに真ん中の支柱がさりげなく下足箱を支えているのも秀逸だ。構造とデザインの自然な融合は武田っぽさの最たるものであろう。

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 2021.10.27、同志社女子大ジェームス館

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2021年12月 1日 (水)

武田的ディテール(50)オシャレは足もとから

これはテレビでも紹介したが、旧京都市陳列所の門柱の足元がとてもよい。門柱の角が四角くへこんでいる。門柱と礎石との接続部の切り込みがシンプルで美しい。なかなかこうはできない。門柱を見るときにはぜひ足元を確かめてほしい。

この部分は建築家の遊ぶ場所でおもしろい。参考にヴォーリズの同志社と武田グループによる淀屋橋をあげておく。

ヴォーリズの致遠館は解体されたが、この部分は保存されたので今でも見ることができる。丸く切り込みを入れているが、これではノミが入らないだろうに。難なくこなした京都の石工をほめるべきである。淀屋橋は武田流のシンプルさが微笑ましいが、電線管のカバーが足元をほぼ隠しているのはたいへんよくない。

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2021.11.19、京都市岡崎公園、京都市京セラ美術館
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2021年11月30日 (火)

武田的ディテール(49)旧京都市陳列館の門柱はなぜTの字なのか

京都市美術館のリニューアル工事にまぎれて無くなりはしないかと不安だったが、ちゃんと残ってよかった。これは武田五一の設計した京都市陳列所の門柱だ。門柱までデザインするのか、と思う向きもあろうが、見てのとおりの武田的ディテールである。

門柱の断面は正方形ではない。ということに最近気づいた。普通は四角い断面の石材から刻みだすので、断面が正方形でないというのは異例だ。なぜそうなっているのかといえばデザインに合わせたからだ。

ご覧のように正面の幅が側面の幅よりも広い。正面から見たときにTの字のように頭の部分が両側に突き出ている。その分だけ正面側が横に長いのだ。これは図面に寸法が入っていなければ石工さんも間違うだろう(たぶん石工は白川の内田鶴之助さんだろうけど)。こうやって写真だけ見ていても断面が正方形ではないとは気づかないだろう。

寸法を書き入れているということは柱頭の前部分の庇を削ってペタッとしたデザインにしたということだ。そのやりかたはセセッション的であって武田以外でも、たとえば同級生の片岡安なんぞもよくやる。でもだからと言って武田が手グセでこれを作っただけだとは思えない。武田は偏執的に謎の答えを用意しているからだ。

わたしもずっとこの謎を考えてきた。最初にこれを見つけたときからTの字だと気づいていたから20年以上考えてきたわけだ。で、先日久しぶりにこいつに会いに行って謎が解けた。これは陳列所(TINRETUSHO)の「T」ではないか。陳列所を英語で書けばShow Roomだが、これは英語ではなくヘボン式ローマ字の頭文字なのである。

弟子「先生、なぜTの字なんですか?」
武田「分からないかね、君。これはTINRETUSHOのTだよ」
弟子「なるほど! これは1本とられましたな」
一同「ははははは」

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2021.11.19、京都市岡崎公園、京都市京セラ美術館

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2021年11月29日 (月)

武田的ディテール(48)フォーチュンガーデンの丸タイル[続報]

既報のとおり丸型モザイクタイルなのだが、チョコレート色の縁取りラインはどうやって入れているのか確かめてきた。やっぱり1枚ずつ半分にカットしてつなぎ合わせている。これはモザイクタイルの場合よく使う手である。四角い普通のモザイクタイルの半分カットをわたしは旧明倫小学校の玄関で見たことがある。

旧明倫小学校のモザイクタイル http://www.tukitanu.net/2020/08/post-30e0da.html

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2021.11.19、京都市、フォーチュンガーデン(旧島津製作所本店)

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2021年11月28日 (日)

武田的ディテール(47)島津の謎の塔[真実編]

島津の斜め塔屋について進展があったのでメモしておきたい。

先日「モダン建築の京都展」を見てきたが、そのなかに旧島津製作所本店の竣工当時の説明書が展示されていた。そこに最上部の塔屋は「展望台」であり望遠鏡を備えると書かれていた。また、その下の部屋は休憩室だったそうだ。やはり屋上は一般に開放することを目的としていたわけである。

ほかに当時の写真をスライドショーにして見せていた。初めて見る写真ばかりで何度も繰り返し見た。そのなかに展望台の写真があり望遠鏡も写っていた。なんとそれは大型の天体望遠鏡だったのである。展望台とは星空を見るための展望台だったのだ。

ひょっとして天体望遠鏡を島津は販売していたのではないか。そう同行の山崎さんに話したところネットで調べてくださった。香川県の天体望遠鏡博物館のサイトにある講演録に当時島津製作所が天体望遠鏡を販売していたことが紹介されていた。ドイツのエミールブッシュ社製天体望遠鏡や国産の村上式天体望遠鏡を扱っていたそうである。スライドショーの写真に写っていたのはそのどちらかであろう。

それらの望遠鏡は1メートルほどの筒の手前から覗く構造である。したがって使用するには2メートルほどの余地が必要となる。島津の屋上塔屋が斜めなのは望遠鏡を扱うためのスペースを確保するのが目的だったのである。そして塔屋は望遠鏡の格納庫だったわけだ。

屋根がドーム型なのは天空を意識したデザインなのであろう。そしてわざわざ柱をラッパ型にしたのは宇宙から連想される未来的なイメージを表現したと考えられる。

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2021.06.23、京都市、フォーチュンガーデン(旧島津製作所本店)

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2021年11月 5日 (金)

武田的ディテール(46)島津の謎の塔[解決編]

前村さんから島津の古い写真を見せていただいた。そのおかげで謎が解けたのでご紹介しておく。前村さんありがとう。

言わずもがなだが、これはあくまで推理であって裏付けがあるわけではない。誰かが証明してくださるとうれしいが、ほとんどの場合真相は分からないだろう。武田は証拠を残さないからだ(同時代を生きていたはずの教え子たちも武田の意図を理解していないことが多い)。

古写真で分かったことはふたつある。当初、塔の西側に階段があったことととバルコニーに手すりがめぐらされていたことだ。このことから分かるのはここが一般人の上がることのできる展望台だったということだ。そうであれば塔を45度振った理由はひとつ。そのほうがバルコニーが広く使えるからだろう。

メモ図を見てほしい。

普通ならば上図のように塔をまっすぐ配置する。わたしもそれ以外は考えつかないだろう。しかしこうするとバルコニー部分は細い縁側のようなものであまり広くない。ところが塔を斜めに置けば四方に三角形の余地ができて小さなテーブルくらいなら置くことができるようになる。

ここは五山の送り火を観る格好の場所となる。

左右の大文字を望むことのできるのはバルコニーの東北と西北の隅だが、三角形の余地を作っておけば、そこに人が溜まることができる。

涼やかな風に吹かれながら次第に大の文字型に炎が広がるさまを眺めるのはさぞ気持ちがよかったであろう。もともとここは送り火を眺めるための展望台として構想されたのだと私は思う。
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2021.11.05スケッチ

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