日本のタイル100年(1)武田のテラコッタを見よ
イナックスライブミュージアムの展覧会「日本のタイル100年」を観てきた。ミュージアムの磯崎さんありがとうございました。撮影可だったので気付いたことをメモしておく。
最初に目に入ったのはこのでっかいテラコッタ。京都府立図書館(1909)の装飾と説明があって驚いた。武田五一デザインのテラコッタ装飾が常設展示にあるのは見ていたが、そのほかにも収蔵なさっていたとは知らなかった。武田マニアとしてはとてもうれしい。舐めるように見ていると磯崎さんが寄ってきて「さすが、まっさきに武田五一ですね」と言われた。
キャプションに久田吉之助工場製とあった。久田のことは20年ほど前にタイル復元家の太田さんから教えられた。久田はライト設計の帝国ホテルの外壁テラコッタを開発したが、その後ホテル側とけんか別れして受注は別工場が請けたという。
武田と久田との出会いは古い。武田は京都の伝統工芸の近代化のために京都高等工芸学校へ1903年に赴任した。伝統工芸の近代化のテーマには織りや染めのほかに陶芸も含まれる。輸入にたよっていたタイルやテラコッタの国産化を武田は目指した。
武田の設計した岐阜の名和昆虫館は1907年に竣工し、ここで久田は国産最初と言われるテラコッタを製作した。武田と久田とによる陶芸の近代化のための試みはそのころ始まったと考えてよいだろう。続いて府立図書館ではさらに大型のテラコッタを製作した。そのテラコッタを建物全体に貼りまわしたのが帝国ホテル(1923)だった。
ライトと久田を引き合わせたのは帝国ホテル重役の大倉喜八郎だったとされている。ライトは黄色いテラコッタでホテル全面を覆うことを提案していた。大倉は京都の長楽館(1909、村井別邸)が黄色いことを知っていたので、そこからたどって長楽館の外壁タイルを製作した久田のもとへ依頼が舞い込んだという。
長楽館の外壁タイルはテラコッタだったろうか。テラコッタとは一般的に立体的な装飾焼き物をいう。今度行ったら確かめてみるが、長楽館の外壁は名和昆虫館と同じ釉薬がけのタイルだったと思う。
久田まわりのネット情報では「黄色いレンガ」という言い方がされてるが、そうした用語をわたしは聞いたことがない。黄色いレンガと言うと化粧レンガの一種のように聞こえるが、久田が作ったのはレンガではなくテラコッタだ。「黄色」は昆虫館や府立図書館ですでに実現させている。難しかったのは土練り、成形と乾燥だったのでないかとわたしは思う。
久田と武田とはコンビを組んでいたし、武田はライトとも友人だった。わたしはライトと久田を引き合わせたのは武田だったろうと思っている。1918年、武田が突如として名古屋高等工業学校へ転任させられたのも陶芸の近代化のための一環だったのではないか。武田が目指していたのは「京都」の工芸近代化ではなく「日本」の工芸近代化だったと考え始めている。
2022.04.23、イナックスライブミュージアム
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