タイル

2022年7月 1日 (金)

旧乾邸のディテール(4)

中世風な回廊から一歩なかへ入るとモダンデザインに包まれていて面くらった。ひょっとして戦後の改装かと見まごうようなモダンさであった。

緑色の壁面は釉薬掛け布目ボーダータイル貼りで、ちょうどよい色むらが全体をタペストリーのように仕上げている。乾邸の特徴のひとつはこの見事なタイル遣いにあるだろう。そのタイル壁の装飾らしい装飾はなく、ここだけ見ればモダンスタイルの建物だと思ってしまう。

床はシンプルな大理石の模様貼りで、これもコルビュジェを思わせるほどのモダンデザインだ。とくに中央の小判型の模様の入れ方がいかにも大胆で、マチスをフォービズムを思わせる。

照明器具は古いのか新しいのか分からないが、ガラス玉で覆った特注の小型シャンデリアで、その光が白い天井に映って美しい。こういうところもモダンだと思った。

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2022.05.19、神戸市東灘区住吉

 

 

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2022年6月29日 (水)

旧乾邸のディテール(2)

回廊風の玄関ポーチがとてもよい。回廊の先端が飛び出していて車寄せになっているところが合理的だ。その部分だけ交差ボールトになっていて素晴らしい。三次元曲面を細長いタイルが覆っている。網代模様になっていて涼しげだ。

曲面なのでまっすぐ貼れないはずだが、破綻なく仕上げているところがすごい。タイルは角が丸いのは少しずつ角度を変えて貼ってもそのことを目立たなくするためだろう。細やかな心遣いである。

なぜ玄関が北向きなのか。それは眺望のよい南側を主要諸室に割り当てたからだろう。合理的な判断と言えるだろう。回廊はパーティ時に来訪者が溜まることができるように広くしている。その回廊と車寄せを合体させたところがおもしろい。

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2022.05.19、神戸市東灘区住吉

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2022年5月10日 (火)

堀口捨巳の常滑陶芸研究所を見た(2)

バルコニーにもモザイクタイルが貼りまわしているので紫色の光に満ちている。その光が室内にも反射して透明度の高い風のなかにいるような気持ちになる。

さて、なぜモザイクタイル貼りなのか。考えられる理由のもうひとつは国宝の秋草文壺に触発された可能性だ。ちなみに秋草文壺は常滑焼と言われていたようだが、今では渥美焼とされている。平安期の古い壺で胴回りや肩にススキやそのほかの秋草がヘラ描きされた珍しいものだ。出土状況から骨壺と推定されている。

前出本の解説に、工業化された常滑焼に工芸の創造力をよみがえらせるために平安時代の秋草文壺の精神に立ち返ろうとしたとある。秋草文は着物の裾模様にあしらわれることがある。だからモザイクを使った裾模様を採用したのかも知れない。

ただしこの説明だとなぜ紫なのかは分からない。堀口は茶室研究の大家だから、なにかしらの茶道的教養が関係しているのかも知れない。もうそうなると私にはさっぱりわからないだろう。

わたしはこの二つ目の可能性はないと思う。そんな小難しいことを堀口はしないだろう。わたしはただ単に海をイメージしているのだと思う。利休も珍重した常滑焼の水差しは、海底に沈んで貝殻に覆われたような趣がある。

展示室はトップライトから光が舞い落ちる設計となっている。今回、残念ながら展示室に入れなかったのではっきりとは言えないが、それは海をイメージしたものだろう。暗い海底に眠る古陶に海面から差し込んだ光がゆらめく。そうした深い瞑想的な建築なのではないか。カラコンモザイクの紫を選んだのはそれが海の色だからだろう。

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2022.04.23、常滑市立陶芸研究所

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2022年5月 9日 (月)

堀口捨巳の常滑陶芸研究所を見た(1)

堀口捨巳をはじめて見た。1961年竣工なので彼が66才のときの作品である。大きな庇が気持ちがよい。いくつか気づいたことがあるのでメモしておく。

建物を見て最初に驚いたのはモザイクタイル貼りだったこと。モダニズム建築はコンクリート打ち放しが多いので驚いた。なぜタイル貼りなのだろう。とりあえず考えられる理由はふたつある。

第一に陶芸研究所を市に寄贈した伊奈長三郎へのリスペクトだろうということ。

陶の森で入手した「堀口捨巳展」(とこなめ陶の森、2016)によれば、使われたのは伊奈製陶製のカラコンモザイクタイルだという。カラコンモザイクは色土を焼いたもので釉薬がけではない。だから釉薬タイルのように光らず落ち着いたパターンを床や壁に描くことができる。ちなみにカラコンはカラーコンディション(色調整)の略だと上記本にあった。発売は1953年だそうだ。

もともと日本で最初に本格的なモザイクタイルを作ったのは伊奈製陶だったとされる。モザイクタイルはスクラッチタイルと並んで伊奈製陶を代表する製品だった。だから伊奈長三郎を陰ながら顕彰するなら伊奈の製品を使うのがよろしい。

伊奈長三郎は帝国ホテルのスクラッチタイルやテラコッタの製作を担当したのちに伊奈製陶を設立した。地元愛知県の組合理事長や常滑市長を歴任し、地元産業の発展に尽力している。常滑陶芸研究所は引退する伊奈が後進の教育のために市に寄贈したものだと研究所入り口の説明にあった。この時代の名士は伊賀の川崎家といい半田の中埜家といい、成した財を地元へ還元なさるのがえらい。

長くなったので続きは明日。
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2022.04.23、常滑市立陶芸研究所

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2022年5月 7日 (土)

タイルの100年(6)泰山タイルの裏を見よ

泰山(たいざん)タイルの裏が展示されていてさすがイナックスライブミュージアムだと思った。

みなさんはタイル産業の業態をご存知だろうか。常滑でも多治見でもタイルの産地を歩けばガス窯1基で稼働している小さな独立工房がたくさんある。

それらは茶器をメインとしながら副業としてタイルを焼いてきた。タイルメーカーは自社で作るばかりでなく受注状況に合わせてそうした独立工房に下請けさせるのが常だった。だから同じタイルでも違う窯で焼いたものが混じるのだ。

また受注したタイルが多岐にわたる場合、メーカーが問屋機能を発揮することもある。複数メーカーのタイルを取り揃えて納入することもあるのだ。だから納入されたタイルの一部が泰山タイルだとしても、全部がそうだとは言い切れない。

タイルメーカーの特定はさほどに難しいものがある。軽々と泰山と決めつけては当時活躍していた他メーカーをないがしろにすることにもなりかねない。その点、タイル裏の刻印を確かめることができれば決め手になる。さすがである。

展示は盛りだくさんで一度では見切れない。しかも3館巡回展のため途中で展示替えがあるようだ。何度でも足を運びたいものだ。タイルのお好きなかたにおすすめの展覧会である。

「タイルの100年」 2022/4/9ー8/30
巡回展示 イナックスライブミュージアム、多治見モザイクタイルミュージアム、江戸たてもの園
https://livingculture.lixil.com/topics/ilm/clayworks/exhibition/japanesetile/

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2022.04.23、愛知県常滑市、イナックスライブミュージアム

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2022年5月 6日 (金)

タイルの100年(5)つばき窯のテラコッタを見よ

岩下尚史の「芸者論」を読んだばかりだったので、新橋演舞場の部品が出ていて驚いた。あとで聞くともっと大きな部品もテラコッタ館にあるらしい。今度行ったら確かめてみる。

「芸者論」によれば最初伊東忠太に設計依頼したそうだ。伊東は新橋花街の常連だったようだ。もし伊東が設計すれば野太い和風神殿のような姿になったろう。それもおもしろいが結局伊東は受けず菅原栄蔵に話を振ったという。

菅原のライト風の演舞場を見てみたかった。その建物は1982年に建て替えられたのでイナックスはそのころから資料を集めていたのだろう。よくぞ残してくださったと感謝しかない。

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2022.04.23、愛知県常滑市、イナックスライブミュージアム

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2022年5月 4日 (水)

ミス大阪のモザイクタイルを見た

まいまい京都の心斎橋ツアーでキャバレー「ミス大阪」を見ていたら、支配人のかたが中へ入れてくださった。予定外のサプライズにみんな大喜び。支配人さまありがとうございました。写真を撮って宣伝してねと言われたので写真をアップしておく。

メイン階段のモザイクがよかった。岩肌のモザイクタイルに見えるが石製にも見える。海をイメージさせる見事な壁画で点在する金色モザイクがきらめく泡に見えた。

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2022.04.30、大阪市中央区「ミス大阪」

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2022年4月30日 (土)

日本のタイル100年(4)つばき窯の和風タイルを見よ

かねてから名古屋市役所2階ホールの窯変タイルはただものではないと思っていた。それを作ったのが山茶(つばき)窯の小森忍だったという。作例とともにタイル裏のツバキ刻印も展示していたのはさすがイナックスライブミュージアムである。タイルは裏を見るまで誰の作品か分からないからだ。

説明書きによれば小森は一風変わった経歴の持ち主だ。

1911年に京都市陶磁器試験場の技師となり、中国古陶磁器の研究をする。1917年満州にわたり満鉄中央試験場窯業課主任となり中国古陶磁器の研究を進める。1921年独立して大連に小森陶磁器研究所を開設。1928年に愛知県瀬戸に研究所を移して山茶窯を名乗った。

さて、武田五一はかねてから京都市陶磁器研究所に協力していた。年譜によれば京都陶磁器組合主催の奨励会の審査委員を1910年、1911年と続けてつとめている。武田は小森を知っていたわけだ。武田が大連の都市計画を作ったのは1916年で小森の渡航の1年前に当たる。これも偶然ではなかろう。武田は小森とともに新しい和風タイルをつくろうとしていたのではないか。

京都市陶磁器試験場は1919年に国立へ移管されるが、1928年に新築された試験場建物を設計したのは当然ながら武田である。その年に小森は瀬戸へ移り新しい窯を立ち上げた。

小森が出るまでは国産タイルの開発に意を注いでいた武田だが、小森登場以降は洋風をまねるだけではなく和風タイルの開発へと研究が転換したのだろう。つばき窯の窯変タイルはその転回点の記念碑的存在であるといえよう。

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2022.04.23、愛知県常滑市、イナックスライブミュージアム

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2022年4月28日 (木)

日本のタイル100年(3)ラグランモザイクタイルを見よ

ラグランモザイクという名前を初めて知った。1960年代から作っているらしい。わたしが設計実務についた1980年代後半ではあまり使われていなかった。見覚えのあるタイルだが今まであまり注意していなかった。まだ実例がたくさん残っているだろうから、気をつけて写真を集めてみる。

キャプションにある万博とは70年大阪万博のことで、そのころ関西は建築ラッシュに沸いた。東京ではいち早く64年の東京オリンピックが都市開発の契機となっている。ラグランモザイクは高度成長を背景としたヒット作だったのだろう。ちなみにラグランとはラグラン袖の弓状の縫い付け形状と似ていることによる命名だろう。いかにも繊維業全盛のころのめーみんぐである。

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2022.04.23、愛知県常滑市、イナックスライブミュージアム

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2022年4月27日 (水)

日本のタイル100年(2)初期国産モザイクタイルを見よ

最初に国産モザイクの本格的な生産に踏み切ったのは伊奈製陶(現イナックス)だった。これがその現物だろうと言われている。矢橋賢吉設計の旧岐阜県庁床モザイク(1924)である。

先日六角モザイクを三重県の旧上野市役所で見たと報告したところ、小径さんから旧岐阜県庁にあったことを教えられた。展示されているのは旧岐阜県庁が正面を残して解体されたときにはがしてきたもののようだ。

おもしろいのはタイルの切断面が見えることだ。旧上野市役所のものよりブ厚い。説明書きにあるようにこれは陶器なのだろう。いまのモザイクタイルは磁器だ。陶器は磁器より焼成温度が低いので多少割れやすい。だから厚くすることで強度を増したのだと思う。実際100年経ってもなんともない。いかに伊奈製陶の技術が優秀だったのかが分かる。

さて、武田五一が名古屋高等工業学校へ転任したのは1918年だった。同年、武田は臨時議院建築局の技師となる。建築局は大蔵省内に設置された国会議事堂の設計チームだ。チーフ格の工営部長に就いたのは武田の3年先輩の矢橋賢吉だった。岐阜県庁の設計者である。

1918年に国会議事堂の設計コンペの公募が発表された。翌年コンペ結果が発表され、1等当選案をもとに矢橋チームが設計にとりかかった。岐阜県庁は国会議事堂設計のための試験ケースを兼ねたと言われている。

武田は以前より矢橋に協力して議事堂設計にかかわってきた。武田設計の旧山口県庁(1916)も岐阜県庁同様、試験ケースと言われている。試されたのはデザインだけではない。

議事堂は国産建材でつくることが義務付けられたから、議事堂建築に合わせて建材の国産化がすすめられた。伊奈製陶のモザイクタイルもその一環であったろうとわたしは思う。

おそらく久田吉之助のテラコッタ開発も当初から議事堂建築を視野に入れたものだったろう。1918年になって武田が名古屋へ赴任するのも常滑や多治見を中心としてタイルの国産化を進めることが目的だったのではないだろうか。

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2022.04.23、愛知県常滑市、イナックスライブミュージアム

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