ちぐはぐな日常

2016年9月16日 (金)

立ち飲み屋

 初めての立ち飲み屋へ入った。細長い店でカウンターの端から壁まで1.2メートルしかない。しかも壁際に45センチ角の小テーブルが点々とあり、そのため通路スペースがほぼ無い。外からうかがうと満席に見えたが、めざとい店員に見つかってどうぞと言われた。
「奥に席がありますから」
「奥?」
 画材屋で買ったばかりの大きなボール紙を抱えてすみませんすみませんと拝み手で人を押しのける。人口密度が高すぎる。それからみんなこっちを見るのをやめてほしい。
 カウンターにひとり分と思しきスペースを発見し荷物を下す。普通、立ち飲み屋では荷物を降ろさないものだが、ここでは降ろさないとカウンターに立てないし、後ろを行く人のじゃまになる。そもそも立ち飲み屋のカウンターのひとり分の巾は45センチで、身体をタテにして使う。身体をカウンターと平行にするのではなく直角にするのだ。ただしそれもここではできない。直角にすると後ろを人が通れなくなる。ここでは思い切り身体をカウンターに押し付けて酒を呑むことになる。
 清酒が飲みたかった。
「日本酒を、冷やで」
 店内が騒がしく店員と言葉が交わしにくい。
「冷酒(れいしゅ)ですか」
「冷や酒で」
「冷酒ですね」
 言葉が交わしにくいだけでなく微妙に通じにくい。
「じゃあそれで」
「何にします?」
「だからそれで」
 意味がよく分からない。酒を呑むのになぜこんな問答をせねばならないのか。怪訝な顔をしていると店員が続けた。
「清酒は3種類ありますので、お選びください」
「ああ」
「そこの棚にあります」
 店員が持っていたボールペンで指さしたのはここからの2メートルくらい離れた棚だ。棚の上に一升瓶が3本並んでいる。老眼なのでよく見えない。目をじっと凝らしてようやく見えた。「獺祭」「月桂冠」「英勲」の3本だ。棚の奥に液晶テレビがかかっており大相撲中継をが始まった。店内の騒がしさに輪がかかる。
「じゃあ月桂冠で」
「すみません、月桂冠は冷酒できないんです」
「うっ」
 さっき3種と言ったじゃないか。なんだかどうでもよくなってきた。それにしても獺祭は高いだろうな。獺祭なんて飲んだことないよ。飲みたいけどここはがまんだ。慣れない店で慣れない酒は飲まないほうが良い。
「英勲で」
 注文が通りただちに冷酒が突き出された。酒係りの店員は無言だ。升のなかにガラスコップが載っており表面張力で酒が盛り上がっている。いくら店員が不愛想でも酒を差し出されると顔がほころぶ。
「ありがとう」
 思わずお礼を言ってしまった。しっかり受け取ってまず盛り上がった部分を吸い取る。当然コップの上にかがみこまねばならない。そうすると、カウンター前の仕切り棚にひたいをぶつけそうになった。やっぱり狭いのだ。それでもそっと飲むと英勲独特の甘い香りがのどを滑り落ちていく。うまい。

 英勲の香りに包まれながら、ようやく周囲を観察し始めた。後ろには私に続いてOLふたり組が入ってきた。生ビールに刺身3種盛り、揚げカレイ、おでん盛り合わせ、しめサバ、唐揚げ、カキフライ。揚げ物多いな。隣はわたしと入れ代わりにおやじが勘定をして出ていった。表から店員の声がする。
「おふたりですか。奥に席がありますよ」
 奥に席ってここじゃないか。ひとり出ていって二人入れるのかよ。と思ったらふたり入れた。どうなっているんだろう。学生風の男女でさっそく注文を始める。みんな慣れてるな。生ビールと酎ハイ、マグロ刺身、牛筋煮込み、唐揚げ、エビフライ、コロッケ。後半揚げ物オンパレードだ。ダイエット中の自分には食べられないものばかりだ。まあ勝手に揚げ物喰ってりゃいい。私は私の酒を飲む。
 自分に対して無関心な騒がしさはひとりになるのに都合がよい。自分だけのバリアを張ってその中でひとり酒を呑む。これが立ち呑み屋の楽しみだ。ところがそれがこの店ではできないと分かった。なぜなら、壁際の客へカウンター越しに料理を渡すからだ。
「はい、後ろのお客さん、唐揚げ」
 唐揚げの皿が目のすぐ横を通る。バリアが破れるだけではなく、揚げ物の匂いが酒の香りを乱す。
「はい、後ろのお客さん、揚げカレイ」
 揚げカレーの皿が通り過ぎる。カラッと揚げられた魚の香ばしい香りが鼻をつく。カレイのから揚げは好物だ。いいなぁ。
「はい、カキフライ」
 絶え間なく目のすぐ脇を料理が過ぎる。しかもほとんどが揚げ物だ。不思議なもので、それも何度か繰り返されると気にならなくなってきた。ある種の感覚遮断が行われるのだろう。それなりにバリアが形成されるわけだ。でも落ち着かないことに変わりない。あまり長くはいられないな。そう思ったところでコップが空になった。これは潮時だな。顔を上げると棚に並ぶ一升瓶が目に入った。
「すみません、獺祭ください」
 


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2016年5月22日 (日)

つきのたぬきの「ちぐはぐな日常」

 宴会の後、千鳥足で阪急梅田駅にたどりついのはまだ11時半だった。これなら帰れると思っていた。ホームには快速急行が停まっていたし、その後に河原町行きの各停もあった。案外空いていたので座ることができた。今から思うと酔っていたのだから座るべきではなかった。でも前日までの調査の連続で疲れていたのだ。だからこそ座るべきではなかった。座ったとたんに寝てしまった。

 ふと目を覚ますと見知らぬ駅に停車していた。とっさに乗り過ごしたと思って飛び降りた。ここはどこだろう。ひょっとして乗り過ごしたのではなく、まだ茨木市あたりなのではないか。それならもう一度列車に乗らなくちゃ。まわりを見渡すが駅名表示が見当たらない。焦りながらキョロキョロしているうちにドアが閉まり快速急行は行ってしまった。向かい側のホームに駅名板が見えた。そこは高槻市だった。

 電光掲示板がパタパタと変わり、桂どまりの各停が来ることを告げている。その後には河原町行きの各停もあった。時計は12時をまわったところで、この時点でもちゃんと帰れると思っていた。列車の到着までしばらく時間があったので手近なベンチに腰を下ろした。そのとたんに眠ってしまった。

「お客さん、最終が出ましたよ、お客さん、起きてください」
「……へっ?」

 寝ぼけ眼をこすって見上げると駅員がわたしの肩を叩いている。

「もう電車はありませんよ」

 駅員の肩ごしに終電が遠ざかっていくのが見えた。すぐには状況が理解できなかった。どうやらうたたねをしているうちに終電を逃したようだ。なぜ終電が出る前に起こしてくれないのかと身勝手な憤怒を覚えながらフラフラと立ち上がり駅を出た。そのときJRはまだ走っていることを思い出した。阪急高槻市駅からJR高槻駅まで歩いて10分ほどだ。なんだちゃんと帰れるじゃないか。このときもまだ帰れると思っていた。

 JRはベンチが少ない。酔っ払いが寝過ごすのを予防するためベンチを撤去しているのかも知れない。ほどなく京都行きの終電がホームに滑り込んでくる。これに乗れば長岡京まで3駅だ。楽勝じゃん。やれやれこれでやっと帰れるよ。ほっとしながら座席に座った。そのとたん寝てしまった。

 目が覚めると見知らぬ駅に止まっている。ドアが開いたところで暗いホームが見え、冷たい風が流れ込んできた。駅舎の端が見えている。1950年代風の鉄筋コンクリート2階建ての駅舎だ。これって向日町駅ではないのか。

(しまった!寝過ごしたか)

 あわててホームに降りるのとドアが閉まるのと同時だった。モーター音をうならせて終電が駅を出ていった。誰もいないホームの電光掲示板の表示が「電車はありません」に一斉に変った。見上げた駅名板には大山崎とあった。そこは長岡京駅のひとつ手前だったのだ。

(しまった!ひとつ手前で降りちゃったよ!)

 なにくわぬ顔で駅の外へ出るとタクシー乗り場には1台の車もない。後ろで駅のシャッターがガラガラと閉まった。もしそこにベンチがあればまた寝ていただろう。座るとだめだ。まあここまで来れば歩いてでも帰れるし。そう強がってみたものの夜風が冷たかった。でもしばらくするとタクシーがやってきた。よかったぁ。

(ああ今日は疲れたな。なんで2度も終電を逃すかな。酔って帰るとき座るとだめだな。今度から気をつけよう)

 タクシーに乗り込んで行き先を告げる。

「一文橋までお願いします」
「分かりました。一文橋ですね」

 タクシーが急発進する。その一揺れでわたしは眠りに落ちた。

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2015年1月 7日 (水)

手数料を3度支払う

 年末にとある講習会のネット申し込みをした。年が明けても返信メールが来ないので問い合わせてみた。

「お調べいたしますので少々お待ち願えますか」

 講習元は東京虎ノ門にある国交省の外郭団体だ。電話に出た女性は折り目正しい。こうしたクレームには慣れているのだろう。電話のむこうは広いオフィスのようで飛び交う声が聞こえる。問い合わせ専門のオペレータールームかも知れない。いずれにしても年明け早々からご苦労なことだ。さほど待たせることもなく回答がきた。

「お申込みいただきましたが、残念ながらご記入漏れがあったため受理されずにいたようです。改めて申込書をご郵送いただけますか?」

 ネット申し込みだと受講料の振込手数料が不要だったのだが郵送だと手数料がかかる。でも仕方がない。

「申込書に同封いただく書類がございます」

 今から申し込んでも間に合うならありがたいことだ。今日の午後は授業があるのでさっさと郵送してしまおう。

「まず建築士免許証の写し。次に運転免許証か健康保険証などご本人の確認のできるものの写しです」

 これはちょっと変ではないか。建築士限定の講習会だから建築士免許証を見せるのは分かる。でもなぜその他に本人確認の書類が必要なのか。建築士免許証は国の発行したものだから、それで本人確認になるのではないのか。まあ時間もないので素直に従う。

「受講料の振込明細の写しは申込書に貼ってください。あと建築士登録証明証も同封してください。」

 建築士登録証明書。これは聞いたことが無かった。建築士会連合会が発行しているという。そもそも登録したから免許証が交付されているのだ。その上なぜそれを証明する書類が必要なのか。もちろん登録後に無効となった免許証もあるだろう。でもそれは台帳照合すればすぐ分かることだ。照合は受講者ではなく講習元の仕事なのではないか。そう思ったが言っても仕方がないので連合会に電話した。

 連合会は芝の建築会館にある。こちらも朝から忙しそうだ。電話の向こうからざわつく音が聞こえる。今度も電話に出た女性はよどみなく説明してくれた。

「証明書を発行するには申込書をご郵送いただく必要があります」

 また申込書か。しかも郵送となると証明書が届くまで時間がかかるだろう。この書類だけ後で送るしかあるまい。

「申込書に添付いただく書類がございますので申し上げます」

 また添付書類だ。やっかい極まりない。でも今は時間がないし書類をコピーするだけならすぐ済むさ。

「まず建築士免許証の写し、次にご本人が確認できる運転免許証などの写しです。」

 まったく同じじゃないか! 建築士免許証があるのだから運転免許はいらないんじゃないのか。でももう何も思うまい。

「最後に手数料400円を定額小為替にして同封してください」

 手数料! 手数料がかかるのか! 申込みに手数がかかるのはこっちではないのか! そう思ったが、連合会のような行政系の外郭団体は手数料収入がないと立ち行かないのだろう。それが分かっているので不服は言うまい。それより定額小為替(ていがくこがわせ)というものを初めて聞いた。郵便局へ行けばなんとかなるか。とりあえず受講料を振り込まねばなるまい。わたしは申込書を書き上げると受講料を握って家を出た。

 それまでコンビニで振り込みができると思っていた。どうもおかしいと気づいたのはATMの前に立ったときだ。画面には「引出し」と「預入れ」のふたつの項目しかないのだ。なによりまずカードを入れねばATMが動かない。一体どうすれば良いのか。わたしは現金を握りしめたまま呆然とした。

ーああそうか、現金をいったん自分の口座に入れてそれからカードで講習元へ振り込めば良いのか

 後で分かることだが、この方法では入金できない。それでもそのときわたしは我ながら頭がいいと思った。なぜそんな間違いをしたのか。急いでいたからかも知れないが、もし急いでいなくても同じことをやったように思う。ようするに申込みとか入金という社会的な基本動作がちゃんとできないのだ。入金を選ぶと画面が変わった。

「この時間帯の手数料は108円です」

 ああここも手数料だ。自分の口座に入金するのになぜ手数料が必要なのだ。しかも機械操作は利用者側の手間ではないのか。でも銀行も手数料がなければ成り立たないのだろう。

 預入はすんなりできたが、あいかわらず画面は「引出し」と「預入れ」しかない。当たり前だ。コンビニATMはある種の口座からしか振込できないのだ。ここまできて私はようやく自分が間違っていたことに気づいた。コンビニからではどうやっても送金はできない。銀行のATMに行くしか方法は無かいのだ。ああ!手数料108円を無駄に支払ってしまったじゃないか。

 銀行のATMは学校の近くにあった。意外と空いていたのですぐに送金できた。最初からこうしておけばよかったわけだ。

「この時間帯の手数料は324円です」

 さっきより高いよ! でもまあこれで間に合うなら文句は言うまい。コンビニでATM明細のコピーを取り、それを申込書に貼ってポストに入れた。やれやれこれでひとつできあがりだ。後は登録証明書の申込書を送れば今年の初仕事は完了となる。そのためには定額小為替とやらを作らねばならない。

 郵便局は暖房が暑すぎた。でもすぐに済ませたいのでマフラーも解かずにカウンターの前に突っ立っていた。順番はひとり待ちだし係りは二人いたからすぐ済むと思ったのだ。でも結局15分待つことになった。ようやく順番がまわってきたときよほど怖い顔をしていたのだろう。若い郵便局員が声を震わせながら応対した。

「た、たいへん長らく、お、お待たせしました」
「定額小為替、400円だ」
「そ、それでしたら、この申込書にご記入ください」

 また申込書か! 眉間にしわを寄せながら差し出された書類に住所氏名電話番号を記入する。わたしは住所も氏名も長いので書くのに時間がかかる。しかも老眼で手許がよく見えない。暑さで頭がくらくらする。それでもじっとがまんして書き上げた。

「で、では、ご、ご本人の確認できるもののご提示をお願いします」

 また本人確認か! 金を払うのになぜ本人確認が必要なのか! いまいましく思いながら免許証を取り出そうとする。焦っているのでなかなかカードケースから出てこない。ようやく取り出せて提示する。

「あ、ありがとうございます」

 局員はペコペコ頭を下げながら申し訳なさそうに言葉を継いだ。

「そ、それでは手数料を100円頂戴いたします」

 

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