建築研究

2024年4月15日 (月)

椅子展(3)アイリーン・グレイは自由だ

彼女の作品が3つ出ていた。いずれも動く家具だ。

・寝椅子のトランサット・チェア ヘッドレストが動く
・自邸E‐1027用のサイドテーブル 円形ガラスのテーブルが上下する
・ロアティーノ フロアランプ 首が回ってライトの向きを変更できる

動きを楽しむという点ではマルセル・ブロイヤーと同じだ。彼女の場合、フロアランプのS字支柱のように可動部がデザインの契機となっているのがおもしろい。

自邸であるE‐1027は白い直方体の部分を切り離したり、ずらしたりする携帯操作で窓やコーナーを作りだしている。動くわけではないが、まるで動くかのように見える。技術的に可能ならば、きっと彼女は動く建築を作ったろう。環境変化に応じてメタモルフォゼ(形態変化)する建築。そんな自由さが彼女の作品にはある。

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2024.04.10、なんば高島屋「椅子とめぐる20世紀のデザイン展」

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2024年4月12日 (金)

椅子展(2)マルセル・ブロイヤーがおもしろ過ぎる

20世紀のデザインの主流のなかでブロイヤーだけ孤立しているのがよく分かった。それはブロイヤーのせいではなく展覧会の考える20世紀のほうの問題だと思う。それはさておき、彼のワシリーチェアがいきなり出てくる。世界で初めて作られた鉄パイプ製の椅子だ。直後から名だたる建築家やデザイナ―たちがこぞって彼のまねをし始める。こうして鉄パイプ椅子全盛の時代が唐突に幕をあげた。

この展覧会のおもしろさ、というより織田コレクションのおもしろさは、ブロイヤーの自転車寝椅子が出ていることだ。これがたいへんおもしろい。

木陰にこの寝椅子を置いて昼寝をするのだろう。日差しが動けば日陰を追って寝椅子を動かすことができる。おそらく、まんなかの車輪を手で回して寝椅子を動かすのだ。前後にしか動かないというが、体重のかけかた次第で、少しは進路を曲げることもできるだろう。だからといって、この寝椅子を機能的だとは言えないと思う。この自転車寝椅子には機能性では語れないおもしろさある。

彼は自転車が好きだったそうだ。そこにヒントを得て軽量で量産可能なワシリーチェアをデザインしたというわけだ。その結果、20世紀のデザインは機能美と大量生産性を備えたものへと脱皮した、というのが20世紀デザインの筋書きである。けれど、それでは自転車寝椅子を説明できない。むしろ彼は純粋に自転車が好きで、それをデザインに取り込みたかっただけではないのか。機能性や工業生産性よりも、動くデザインの楽しさこそ真髄だったのではないか。20世紀のデザインは思っている以上に「楽しい」のである。

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2024.04.10、なんば高島屋「椅子とめぐる20世紀のデザイン展」

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2024年4月11日 (木)

椅子展(1)ガウディのイスの裏を見よ

なんば高島屋で開催中の「椅子とめぐる20世紀のデザイン展」を観てきた。10世紀末から現代までのデザインを俯瞰できる展覧会で勉強になった。

わたしは最初のほうのガウディやホフマン先生のイスがおもしろかった。なかでもガウディのカーザ・カルベットのアームチェアーがとてもかわいい。あまりにかわいいので、しゃがみこんで裏も確かめておいた。撮影可だったのでここにあげておく。

この展覧会は北海道東川町に寄贈された織田コレクションのイス1350点のなかから100点ほどを選んで構成している。織田憲嗣氏(1947‐)は高島屋デザイン部出身のデザイナーで現在は東川町在住。東川町は木工の町だそうだ。

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2024.04.10、椅子とめぐる20世紀のデザイン展にて

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2024年4月 6日 (土)

大崎上島の建築(2)古民家のかたち

平屋建ての古民家はいずれも軸組み(骨組みのこと)がシンプルでとてもきれいだった。こうした木組みが作れるようになりたい。旧長谷川邸、小笠原邸、大望月邸を見たがいずれも軸組みは同じだった。特徴は次のとおり。

1.土間と土蔵は繋がっている。おそらくミカンの熟成蔵なのだろう。
2.土間の上は梁を三段重ねにしている。
3.旧長谷川邸は大黒柱が蔵側にあった(これはイレギュラーな事例かもしれない)。
4.座敷側に式台玄関のあった。
5.梁は柱の上に載る折り置き組みである。
6.梁と直交する長い材が梁どうしを繋いでいる。
7.建物の中央部分の柱を挿し鴨居で緊結している。

建物の重心が高いのは固有振動を伸ばすためかもしれない。地震動に対して全体がゆるやかに変形しながら柱の上の桁や梁が壊れない仕組みとなっている。船の構造と似ているようにも思う。

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Img_0079旧長谷川邸の小屋裏
Img_0088大望月邸の三段重ね梁
Img_0140小笠原邸の外観、折り置き組みであることが分かる

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2024年4月 5日 (金)

大崎上島の建築(1)木造5階建てを見てきた

この島には5階建ての旅館の建ち並ぶ風景があったが、ここへきて次々と解体されている。島内の有志で風景を守ろうとする機運があり再生活用が模索している。構造復旧について要請あり文化財修復構造技術支援機構のメンバー7名で現場を訪れた。再生の始まる前の尾道と同じような状況で、空き地が増えつつあるが魅力的な建物がいくつも残っていた。ぜひ応援したい。

< 木江(きのえ)の5階建て >
外観のみ見学。大正6年竣工。造船業長尾家が施主の接待所を兼ねた料理店として建築した。大正6年は造船の全盛期で全島の工員数は1500名だったという。古写真によれば、当初は道路側の2~4階が縁側だった。当初4階建てとして工事を始めたが、風害があり4は縁起が悪いからと5階建てに変更したという。建築時はすぐ海に面していた。正面に3つの破風を見せるのは、3が陽気の木気を示すからだろう。4階の階高が高く三重の入母屋屋根とあいまって軽やかで端正な美しさがある。

建築的な特徴は次のとおり
・4層の主屋の前後に巾3尺の濡れ縁を取り付け、大屋根上の望楼を備える。
・4階まで料理を運ぶためのリフトが備え付けられていたという。
・4階の階高が高いので大座敷だろう。
・わずかな変形があるが、よくメンテナンスされており健全な状態が保たれている。
・各層で庇を回しているため外壁への雨がかりが少なく建物の状態がよい。
・大屋根の梁を柱が直接受ける折り置き組みとなっている。周辺古民家もほぼ折り置き組みだったので島内の建築様式なのだろう。

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2024.04.02、広島県大崎上島木江

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2024年4月 1日 (月)

現役最古の駅舎・亀崎駅を見てきた

愛知県の知多半島の半田市にある明治19年の亀崎駅を見てきた。昨年明治21年の牟礼駅を見たので、その参考とするためである。

結論を言えば牟礼駅とよく似ていた。ふたつとも同じひな型を元に建てられたのだろう。明治19年の時点で標準設計ができあがっており、それを元にしてそれぞれの地域で駅舎が作られていた可能性が高い。

(焼失説)
ウイッキによれば「鉄道局年報、明治27年度版」に明治28年(1895)3月に駅舎・官舎の焼失記事があり仮建物で駅業したという。翌年の年報に駅舎・官舎の再建記事がある。そのため現在の駅舎は再建後のものだとする説がある。ただし当時の扶桑新聞に「亀崎停車場官舎の焼失」の見出しで「官舎より発火し(中略)全戸焼失」とあり駅舎については触れられていない。

官舎がどこにあったのか分からないので断言はできないが、駅舎は燃え残ったのではないかと思う。多少類焼したところを修理して使い続けたと考えれば、ふたつの記事は矛盾なく読めるだろう。よく調べれば火災修理の痕跡があるだろう。それが見つかれば明治19年竣工でよい。

(昭和4年の増改築)
ウイッキには増改築の記載もある。「武豊線物語」によれば昭和4年に駅舎を増改築したという。

(牟礼駅との比較)
牟礼駅と比較してみる。当時の駅舎は半分が駅務、貨物取扱、半分が待合なので、平面計画的には違いはない。構造的には3間×8間ほどの母屋の3方に庇がまわっている。柱は布石の上に直接建て、柱どうしをつなぐ地覆(じふく)があった。これは伝統的な工法であり牟礼駅と同じだ。

屋根は軒桁にトラスを架けて、その上から鼻母屋で押さえている。おそらく金物で締めつけているのだろう。金物で締めているとすれば耐震木構造となる。明治24年に濃尾震災があったので、火災修理の際にこうしたのかも知れない。もしくは昭和4年の増改築の際の改造かもしれない。

ちなみに牟礼駅は柱の上にトラスを直接乗せる折り置き組みという工法だった。これは信越線沿線のやりかたなのかもしれない。標準設計は間取りだけで、上部構造は各地の工法にゆだねていたと思う。

牟礼駅と違うのは、待合の入り口が妻側にあること。駅前広場が妻側にあるからこうなるのだが、駅舎と広場の並列するタイプは当時の駅舎であまり見たことがない。広場を広げるために曳家をしたようにも見える。これは古地図を見れば分かるだろう。

ほかには本体に直角に下屋が突き出ていること。これも標準設計ではない。

現在の待合は庇部分を取り込んで広くなっている。もとの壁面は柱だけになって方杖で補強している。このあたりは昭和4年の増改築なのだろう。直角に突き出た下屋もそのときの増築だと思う。さらにプラットフォーム側の庇の柱も方杖補強されているが、これも昭和4年の補強に見える。基本的には原型をよくとどめている。

※ もうひとつの現役最古の駅舎(牟礼駅)http://www.tukitanu.net/2024/02/post-477a2c.html

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2023.03.29、愛知県半田市

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2024年3月26日 (火)

湯川記念館(1952)

わたしが説明できない建物はそう多くない。でもこの建物はまったく分からない。分離派時代のほの冥(くら)い情念の欠片もない。楽友会館と同じ作者とは思えない。とりあえず立面が黄金比であることだけは分かった。ペレの影響があるということだが、どこがペレなのか? 説明できる人は手を挙げてください。

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2024.03.20、京都市左京区

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2024年3月 8日 (金)

長野県で板倉を見た

そういえばまだ紹介していなかった。昨年、長野県へ旅行へ行ったときに板倉を見た。本物を見るのは初めてかも知れない。なかなか頑丈そうで見た目もおもしろい。廃材を利用して造られている。柱の上中下の3ヶ所でホゾ差ししているのは、その部分の板だけ貫になっているのだろうか。

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2023.08.30、長野県山ノ内町渋温泉

 

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2024年2月21日 (水)

諏訪立川流研究(16)善光寺経蔵(1759)

経蔵は三門のあとに再建された。三門と同じ善光寺大工・宇右衛門の作品だそうだ。屋根とお堂のプロポーションが美しい。ヒワダの屋根が伸びやかで軽やかなのもよい。扉の影から巨大な輪蔵が顔をのぞかせるのもおもしろい。

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2023.08.30、長野市

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2024年2月17日 (土)

諏訪立川流研究(15)善光寺本堂(1707)

思っていたより大きかった。ゆるやかに羽を広げた大型飛行艇のようでかっこいい。木彫は山門と同じように枠内に収まっている。作事は三代甲良宗賀(豊前)で建仁寺流だそうだ。典型的な桃山様式と言えるだろう。考えてみれば諏訪大社下社の木彫は大隅流も立川流も枠から飛び出すような作風は共通していた。1780年代に劇的な変化があったということではないか。

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2023.08.30、長野市

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