(5)天沼俊一の見方
「建築と社会」1933年3月号に天沼による傍花閣の解説があった。それによると1階の台は仁王様を置く台で、陶磁器製の仁王像を寺が見せてくれたそうだ。
天沼はこの場所に置くにしては小さすぎると疑念を抱くが、小さいので仁王門みたいにならなくてちょうどよいとほめている。仁王は置いたかもしれないが、それは傍花閣のできた後のことではないか。そもそも浄土真宗に仁王像は不要ではないか。
驚いたのは2階天井の扇だるきの中心に羅盤(らばん)があることだ。羅盤とは方位磁石のことで、風水の基本アイテムとして修験道などで使われる。天沼は「すこぶる美観」とほめるが、この異様さに付いていないのだろうか。なぜ、浄土真宗の庭園に羅盤が必要なのか。渉成園の建物は秀吉の伏見城遺構と言われているので、伏見時代からこうだったのかもしれない。というか、そうとしか考えられない。
さらに、左右の階段に敦盛熊谷の絵がかかっているそうだ。なぜ、阿弥陀堂の門に敦盛熊谷の絵を掛けねばならぬのか。天沼はその理由を追及していない。とくに気にしないのだろうか。
敦盛熊谷とは平家物語の一の谷の合戦で、追い詰めた平家の貴公子・平敦盛を熊谷直実が泣いて切る場面だ。熊谷はこれを悔いて法然上人の弟子となる。のちに浄土真宗を開いた親鸞聖人とは同時期の弟子だった。だからといって、阿弥陀堂の門に熊谷敦盛の絵をかける理由にはならない。
わたしの花台説では、羅盤と敦盛熊谷を説明できない。なんとなく次案も出かかっているのだが、とりあえず保留ということで。
「建築と社会」第16輯第3号(1933年3月1日)P.30/文章写真とも天沼俊一氏



























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