建築研究

2024年2月21日 (水)

諏訪立川流研究(16)善光寺経蔵(1759)

経蔵は三門のあとに再建された。三門と同じ善光寺大工・宇右衛門の作品だそうだ。屋根とお堂のプロポーションが美しい。ヒワダの屋根が伸びやかで軽やかなのもよい。扉の影から巨大な輪蔵が顔をのぞかせるのもおもしろい。

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2023.08.30、長野市

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2024年2月17日 (土)

諏訪立川流研究(15)善光寺本堂(1707)

思っていたより大きかった。ゆるやかに羽を広げた大型飛行艇のようでかっこいい。木彫は山門と同じように枠内に収まっている。作事は三代甲良宗賀(豊前)で建仁寺流だそうだ。典型的な桃山様式と言えるだろう。考えてみれば諏訪大社下社の木彫は大隅流も立川流も枠から飛び出すような作風は共通していた。1780年代に劇的な変化があったということではないか。

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2023.08.30、長野市

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2024年2月 9日 (金)

諏訪立川流研究(14)善光寺山門(1750)

仁王門は1847年の善光寺地震で焼失したが再建された。復元された仁王門は立川流だったのだろう。だから明治の大火(1891)後の再建(1918)も立川流だったわけだ。

山門は1750年の建築で大隅流であろう。中央の3間が通り抜けられる。天井の高い回廊で気持ちがよい。四半敷きの床もかっこいい。彫刻は高い場所にあってよく見えないが、枠のなかにきっちり納まっている。1780年諏訪下社は、大隅流も立川流も奔放に枠からはみ出していた。それ以前だとこういう納まりなのだろうか?

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2023.08.30、長野市

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2024年2月 6日 (火)

諏訪立川流研究(13)善光寺仁王門(1918)

2024年になっていまも立川流のことを調べている。昨夏の立川流見学メモの続きを書いておきたい。

仁王門は1752年に建設されたが1847年の善光寺地震で焼失、大正7年に再建されたとある。軒下にハト除けの金網があるので彫刻がよく見えない。柱上の獅子頭は輪郭がふわふわしていて立川流に見える。1752年だと焼けた仁王門は大隅流だったはずだが、そこはかまわないのだろう。

仁王は高村光雲、米原雲海の作。大正7年当時、光雲は東京美術学校教授、雲海は光雲の高弟だった。光雲は伝統技法保持者として帝室技芸員でもあった。そのため焼失した仁王像の復元を依頼されたのかも知れない。まだよく分からないが立川流と東京美術学校の関係に注意しておきたい。

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2023.08.30、長野市善光寺

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2024年1月12日 (金)

興福寺中金堂の謎(4)

奈良時代の屋根勾配はけっこう緩かったそうだ。その意味では中金堂の復元はこれでよいことになる。同じような復元として薬師寺金堂があるので今度確かめにいきたい。

中金堂復元でもうひとつ気になるのは軒下の木組みのところ。東金堂や東塔、南円堂など境内の古い建物はみな軒下に3本の水平ラインが入っている。しかし中金堂では2本しかないので印象がだいぶ違う。これもなんらかの考証の結果なのだろうか。3は木気を表す。木気は誕生と成長を司る気だ。藤原氏の栄華を願うために相応しい数字ではないかと思うのだが。

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中金堂
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東金堂
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東塔
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南円堂
2023.11.28、奈良市興福寺

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2023年12月 2日 (土)

興福寺中金堂の謎(3)

中金堂のまわりを巡る回廊が居心地がよい。柱も長押も槍鉋(やりがんな)の跡が残っていておもしろい。手で刻んだ痕跡は暖かい表情を作る。

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2023.11.28、奈良市

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2023年12月 1日 (金)

興福寺中金堂の謎(2)

なぜか屋根の勾配が緩い。隣接する東金堂(室町時代再建)や南圓堂(江戸時代再建)と比べるとその緩さが際立つ。

奈良時代の寄棟屋根といえば唐招提寺金堂がある。基本的に唐招提寺をベースにして設計したように見えるが、屋根勾配は唐招提寺よりも緩い。わたしはこの緩さにどうもなじめない。

勾配が緩いので屋根トップの金色の鴟尾(しび)の間隔が狭くなる。この狭さは東大寺大仏殿に似ている。けれどもあれは再建時に大仏殿の巾を3分の2に縮めたからああなっているのであって、本来の間隔はもっと広いはずだ。

鴟尾の大きさは出土物から決めたのかも知れない。もしそうならば、この勾配だと視覚的に違和感がある。こうした違和感は多分にセンスの問題なので学術的な正しさとは基本的に無関係だ。

しかし建築は技術とセンスのかけ合わせだ。学術的な正しさだけでは建築にならない。伝統技能とセンスを兼ね備えた棟梁衆の意見がもっと反映されておれば、こうはならなかったろう。

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2023.11.28、奈良市

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2023年11月29日 (水)

興福寺中金堂の謎(1)

授業前に時間があったので興福寺へ寄った。新築された中金堂に初めて入った。雑感をメモしておく。

地垂木が丸い。垂木とは軒下に並ぶ細い棒状のものをいう。先にあるのがヒエン垂木、奥にあるのが地垂木だ。先が黄色く塗られているので断面が丸いことがよく分かる。奈良時代の遺構では地垂木が丸いものが多い。中金堂は奈良時代のものの復元なので、とりあえず地垂木は丸くしたわけだ。

なぜ丸いのかは分からない。なぜ平安期以降は四角くなるのかも分からない。わたしは祀る仏が金気であることを表しているように思う。中金堂のご本尊は釈迦如来だったのなら地垂木は丸くなくてもよいのかも知れない。

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2023.11.28、奈良市

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2023年11月26日 (日)

神戸モダン建築祭の下見をした(9)

清水栄二のKIITO旧館にもタイルがある。ご覧のようなヴィクトリアン・フロアタイルだ。国産だと思うが色粘土製ではなく釉薬掛けかもしれない。きょう行ったら、しゃがみこんで確かめてみる。

本日、神戸モダン建築祭で新港まわりのガイドツアーをする。楽しみである。

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2023.11.17、神戸市中央区

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2023年11月25日 (土)

神戸モダン建築祭の下見をした(8)

置塩章が設計したKIITO新館の布目タイルがよい。黒っぽく見えるのは濃い緑の布目タイルだ。それが飾り貼りになっていてうわーっと思う自分がいる。絶対にしゃがみこむやつだ。

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2023.11.17、神戸市中央区

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