たぬきのまちさがし

2021年9月23日 (木)

飛騨高山は伊勢大神をお祀りする

 街の角々に伊勢神宮がおまつりされている。大きな石に載っているのが特徴だ。伊勢神宮のミニチュアが精巧にできていて見ごたえがある。それと大石とのコントラストが迫力があって美しい。こういう形式は西日本では見たことがない。飛騨高山だけの形式なのか、中部地方では普通にあるものなのか分からない。

高山城の鎮守が伊勢の大神を祀る杉箇谷神明社なのでその分祀なのだろう。ただし元は違うものをお祀りしていたように感じる。社殿部分がほぼ同じで一斉に作ったように見えるからだ。明治の神仏分離でこうなったのではないだろうか。

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破風上の突起は「むちかけ」だ。再現度が高い。
2021.08.18、岐阜県高山市

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2021年6月 4日 (金)

商店街の将来について

今朝考えたことをメモしておく。

1.小売店の衰退

・銭湯や理髪店など地域の近代建築が失われていく現状がある。その理由として老朽化、耐震性、相続税など言われているが、もっとも大きいのは後継者がいないことだろう。それは書店屋や電器店であっても同じでシャッター商店街現象の主たる原因である。

・後継者がいないのは、オーナーが自身の身内しか後継者として認めないからだ。これは資産を回収できなくなるという不安が大きな理由だろう。

・資産を担保しながら業態を別人に委託できる制度があれば少しはマシになるだろう。そうした試み、たとえば商店街の株式会社化などの取り組みは始まっている。ただしオーナーが複数人あれば全員同意は難しくなるだろうし、そこまでして業態を維持するメリットがないことも事実だ。ただし個々の商品や小売業そのもののニーズが無くなったわけではない。新しい業態で生き残ることは可能だろう。

・商店街地域の地価の高さがシャッター商店街現象の遠因としてある。

2.業態の変化

・大量生産も大量消費も無いのに小売店の業態だけが半世紀前のままの状態では機能しない。

・経営として成立しなくても、なんらかの副収入があれば店を開けておくこともできた。それもいつまでも続けるわけにはいかないだろう。収入を度外視した経営はオーナーや地域住民の愛着が原動力となっている。それは地域の資産である。

・新業態として注目したいのは道の駅や朝市、フィッシャーマンズワーフのような生産者の直売である。消費者が直接産地に赴く業態で、これは1970年代からの取り組みの実績がある。フリーマーケットも同じジャンルかも知れない。そこでしか買えないものを生産者が直接エンドユーザーに販売する形態といえよう。

3.高度成長期は良かったのか

・ものを並べればなんでも売れた時代。お客様は神様と呼ばれた時代。公害を撒き散らかしながら馬車馬のように突進していた時代。大量生産大量消費に反発しながらも、心のどこかで猥雑でパワフルだった世相を懐かしむ思いが残る。それは高度成長期を否定しきれていないからだろう。

・わたしは時代のありかたを否定する必要はないと思っている。公害と収益を同時に受け取った時代だったわけで、今となっては良いも悪いもない。ただしそこになんらかの愛着が残るとすれば、それは地域の資産である。

4.大量消費の生き残り

・アウトレットモールやショッピングモールも業態としては高度成長期モデルから出ていない。もし違いがあるとすれば不動産も含めた流通部門での収益が見込めるくらいだろう。それさえも高度成長期モデルの一部だったと考えることもできる。

・コストコのような会員制モールは産地直送という部分が新しいが競合には弱いだろう。ネット通販もやはり大量消費を前提とした商品が並んでいる限り競合には弱く長続きしないだろう。

・やはり「そこでしか買えないもの」を揃えた小売店が集って市場をなすフリーマーケット風の商店街モデルが一番良いのではないか。そこで生まれた活力が古い建物を活かすならとてもうれしい。

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2021年5月13日 (木)

常滑時間旅行16最終回、煤煙のまち

わたしは旅に出るとき、行先のことを事前に調べない。歩きながら手掛かりを見つけ、そこから町の歴史を推理するのが楽しいからだ。それをわたしは時間旅行と称している。

常滑はレンガ煙突が丘陵地に林立するという相当特異な姿をしている。なぜこのような姿になったのか。それは登り窯から倒焔式角窯へという技術革新がこの町で行われたからだった。J・ジェイコブスのいうように技術革新と輸入代替とが都市経済の証しだとすれば、たしかに昭和40年代までの常滑は都市であったといえる。

今回の旅で風景の復元が完成したのはこの門柱を見たときだ。ご覧のように黒ずんでいる。わたしは最初、空襲の名残りかと思った。でもすぐに思い直した。これは石炭燃料による煤煙だと。そう考えれば常滑に多く残る工場群がなぜ黒いのかも分かる。煤で汚れるので最初から黒くしているのだ。この町は技術革新による経済成長を享受するとともに煤煙による環境悪化をも受容していたのである。

洗濯物も外へ干せないような煤の降るまちで鼻の奥まで真っ黒にしながらこの町の住人は生きてきた。この町が操業を止めたのはおそらく大気汚染に対する法規制によるのだろう。ある程度大きな工場は生産拠点を海外に移したろうが、そうでない中小の工場は窯の火を消した。道が狭いため建築基準法によって建て替えのできない工場群がそのまま残ったのだ。これがこの町の特異な風景の生まれた理由だろう。

いまではどこへ行っても空気はきれいだ。そのかわり、かつてのようなエネルギッシュな技術革新はどこにもない。きれいな空気と引き換えに私たちが都市を失ってしまったのではないか。活気のある町を取り戻そうと考えるためには昭和40年代のまま時を止めた常滑の町の風景こそ貴重な手掛かりになるように思う。

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2021.04.21、愛知県常滑市

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2021年5月12日 (水)

常滑時間旅行15、とうとう土管坂にやってきた

以前から見たかった土管坂にやってきた。切り通しなのだろう。思った以上に擁壁が高いし道幅も狭い。この坂を通ると常滑焼に囲まれて不思議な思いがする。とくに右側の焼酎ビンの口が目に見えてこわい。かなりおもしろい場所だった。

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2021.04.21、愛知県常滑市

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2021年5月11日 (火)

常滑時間旅行14、まるで道端ミュージアムだ

昭和初期ころ生産されたタイルのうち半分くらいは出荷検査ではねられると聞いたことがある。さらに現場へ納入しても半分くらいは受け入れ検査ではねられるとも聞いた。同じことが常滑の工業製品でも起こっていたのかも知れない。あとで見る土管坂のような廃棄物利用がいたるところで行われて興味深い。

焼酎ビンは石垣代わりに使いやすいようで坂の随所に見られた。土管をタテに使うのもある。四角い電纜(でんらん)管は塀になっていた。歩いているだけでどんなものが作られていたのかが分かってしまうのがおもしろい。

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焼酎ビンの擁壁

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土管の擁壁
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電らん管の塀

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2021年5月10日 (月)

常滑時間旅行13、坂の町の小さな窯たち

丘陵地の尾根筋に小さな角窯が点在している。1枚目は上屋もないし煙突も短くなっているが保存状態はよい。窯のかたわらに焼酎ビンの部品の石膏型が積んであった。焼酎ビンは筒状の部分はローラー式土管製造機で作るけれども、注ぎ口の部分は手作りだったらしい。こうした小規模な角窯は手作りの各種小部品を作っていたのだろう。

その向いにも木々になかば埋もれながら角窯が残っていた。尾根筋には上屋がいくつもあるので、おそらく中に中規模クラスの角窯が残っているのだろう。この町は操業の停止した昭和40年のころの姿のまま時の止まったように残っている。

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2021.04.20、愛知県常滑市

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2021年5月 9日 (日)

常滑時間旅行12、町には巨大な倒焔式角窯が残っていた

坂の上に大型の角窯が残っていた。ライブミュージアムの角窯と同規模だろう。常滑は坂の町なので登り窯から角窯へ転換するとき大型のものは丘陵地から平地へ移った。1920年代に倒焔式という技術革新によって常滑の風景は劇的に変わったわけだ。

移転の目的は平地を求めただけではなく、トラックによる搬出入の手間も考えたうえだ。だからこのような大型の角窯が坂の上にあるのは珍しい。なぜここに大型角窯があるのか。搬出入はどこからしたのか。そもそも何を作っていたのか。けっこう謎深い。

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2021.04.20、愛知県常滑市

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2021年5月 8日 (土)

常滑時間旅行11、常滑の町を歩いた

常滑の町には角窯がたくさん残っていた。ミュージアムで角窯を見たあとなのでそれがよく分かった。大小さまざまあって、おそらく作っているものが違うのだろう。これは比較的小型の角窯で上屋はすでに失われてレンガ本体が露出している。

ライブミュージアムと同じような鉄骨補強が残っている。ミュージアムの磯村さんによるとこの補強は最初からあるそうだ。窯は高熱により膨張と収縮を繰り返すが、それを上部のワイヤーを締めたり緩めたりすることで調節したらしい。温度が上がるにしたがって膨らんでいく角窯を細かく制御していたとは驚きだ。

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2021.04.20、愛知県常滑市

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2021年5月 7日 (金)

常滑時間旅行10、テラコッタパークで武田五一と出会った

このミュージアムでもっともうれしいのは、いわゆる「野放し」であることだ。「野放し」とは公開された洋館などをヲタクが自由に見てまわることのできる状態をさす。観覧時になにかと注意されることの多いわたしにとってありがたいことこの上ない。

テラコッタパークも監視されずに表から裏まで舐めまわすように見ることができた。至福である。大型テラコッタをどうやって建物にひっつけているのかよくわかった。ひっかけているのである。

鉄筋をテラコッタに差し込んでモルタルで穴を埋めて固着し、その鉄筋を鉄骨下地に溶接している。テラコッタへの挿し筋はときとして先端がカギ状になっていて脱落を防止している。おそらく石貼りの工法と同じなのだろう。

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朝日生命館、1930

京都府立図書館が外壁を残して解体されたとき、壁面のテラコッタはイナックスが引き取ったことを思い出したので探したところちゃんと展示されていた。アーチ窓のキーストーン部分だ。邪険に扱われることの多かった武田がこうして大切されているのを見るのはとても気持ちがよい。ちなみにこれは日本で最初の国産テラコッタだと言われている。たぶんそうだと思う。武田と常滑の関係は深いのである。

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京都府立図書館、1909
2021.04.20、愛知県常滑市、イナックスライブミュージアム

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2021年5月 6日 (木)

常滑時間旅行09、メソポタミヤの粘土釘を見た

世界のタイルミュージアムでもっとも驚いたのがこれ。写真の左側は断面の接写で右側に部屋の奥の壁が映っている。円錐形のタイルで頭に釉薬で色がついている。口紅かクレヨンのような感じのものでこれを土壁に挿し込んで奥の壁のような模様を作る。こんなものがあったとは知らなかった。なかなかおもしろい。部屋の壁は湾曲しているので幾何学模様を作るのは難しかろう。

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2021.04.20、愛知県常滑市、イナックスライブミュージアム

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