たぬきのまちさがし

2017年7月12日 (水)

【猪名川町めぐり】6.旧平賀邸と旧平安家住宅

 市内にあったものをここへ移した。元は大正7年だそうで、移築も丁寧な仕事で当初の面影をよく残している。なかのステンドグラスとかとてもいい。

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2017.05.25、兵庫県川西市、川西郷土館「旧平賀邸」

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同上

 郷土館になっている精錬家平安家住宅も良かった。今回はゆっくりできなかったので再訪したい。

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2017.05.25、川西郷土館「旧平安邸」座敷


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2017年7月 7日 (金)

【猪名川町めぐり】5.平安精錬所跡の鉱滓捨て場

 精錬所跡の前の斜面一面に鉱滓が積もっていた。地形が変わるほど長年にわたって捨てられ続けたようだ。これもまた立派な産業遺跡だろう。こうしたものがあれば、そこに精錬所があった証拠になる。精錬所というよりタタラ場と言ったほうがよいか。
 その近辺には鉱脈があるのは間違いないし、水運との関連で時代もある程度は想像できるだろう。鉱物資源があったということは、その地域が歴史のなかで特異な地位を獲得していたことになる。地域史再編の糸口になるだろう。

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2017.05.25、兵庫県川西市

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2017年7月 5日 (水)

【西京めぐり】5.浄住寺から地蔵院へ

 浄住寺には不思議な物語があった。

 昔、お釈迦様が亡くなったとき、お釈迦様の歯が盗まれた。それを取り戻したのが韋駄天(いだてん)だったそうだ。その歯は海を渡って日本に至り、嵯峨天皇がこの寺に納めた。それは寿塔のなかの穴倉のなかにあり、その上に大石が置かれているという。その後、地元の葉室一族が鎌倉時代に西大寺の叡尊を招いて再興し、さらに江戸時代になって鐵牛禅師によって再興された。

 このお話しをうかがったときは分からなかったが、そのあと隣接する地蔵院へ行って葉室の意味に気づいた。

 地蔵院は室町時代の幕府管領細川頼之の建てた寺で、一休禅師が幼少期を過ごした寺としても知られているそうだ。竹の寺の異名のとおりうっそうとした竹林のなかにあり、ここもまた別世界が広がっている。

 頼之公の墓が興味深かった。生前、立派な墓は立てず石を置くだけにせよと言い残したそうで、大きな石がどんと置いてある。ある種の自然葬をイメージしたものだろうが、これを見たときに葉室(=歯室)もこういうものなのだろうと気づいた。

 石の際から生えた木が大樹となり石をからめとった姿は迫力があった。墓なのに生命力にあふれている。歯室を葉室と読み替えたのは植物の生命力にあやかったからだろう。この地域はこうした特殊な埋葬法が残っており、それは再生儀礼でもあったのではないか。

 墓に石を置くことは古代から行われてきた。その石に地蔵を刻むようになり、葬送地には石地蔵があふれることになる。地蔵信仰は仏教以前の葬送儀礼を引き継いでいるように見える。頼之公の墓に木が生えたのは偶然であったろうが、それでもそのようすからは置かれた石には再生の祈りが籠められていることを感じる。


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2017.05.28、京都市西京区地蔵院

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2017年7月 4日 (火)

【西京めぐり】4.浄住寺の花の扁額

 ここは禅寺で体験座禅をやってみた。坊さまが大きな板棒をもって見回りをしている。向こうのほうで誰かが叩かれてバシッいう音がなった。ははっ落ち着きのないやつはダメだと心のなかで笑っていたら次は自分だった。叩かれても痛くないと聞いていたがあれは嘘だ。ビリっと痛かったぞ。わたしは座禅が嫌いになった。

 本堂の扁額の額縁が彩色された菊花でとてもきれいだった。珍しいと思って写真に撮った。お堂は好きだ。

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2017.05.28、京都市西京区浄住寺

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2017年6月12日 (月)

【西京めぐり】 3.山口家住宅長屋門

 「GOうえすとっ!」の後、上桂あたりをぶらついていて偶然行き当った。これほどすばらしい茅葺きが住んでいる近くにあったとは知らなかった。早速スケッチしてみた。これで20分くらい。

 文化遺産オンライン(参照)によれば江戸時代後期のものらしい。山口家は代々庄屋の家筋だった。だから長屋門がある。長屋門は家の格式を示している。

 わたしは長屋門を見ると武家を連想してしまう。もともと長屋門は馬屋だったと考えているからだ。このあたりは平安時代以来、桂川水運と老い坂の峠越え陸運との交易中継点として栄えた。つまり武家の本拠のひとつであったわけだ。山口家もそうした古い武家の系譜に連なる家筋なのかも知れない。

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2017.05.28/ワトソン紙ハガキサイズ、グラフィックペン0.3、固形透明水彩/

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2017年6月10日 (土)

【猪名川町めぐり】 4.多田銀銅山の古い露頭掘り跡

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 露頭掘りの跡を初めて見た。なかなか迫力がある。この採掘跡は古いことは分かっているが、どこまで古いのかは分かっていない。わたしは秀吉のころではないかと思う。

 多田の銅山は奈良の大仏建設のために奉納されたという伝説がある。わたしはそういうこともあったろうと思う。思い返せば丹波高原は鉱物資源の宝庫であるし、丹波勢は神話時代からの一大勢力だ。よく考えれば丹波の「丹」が鉱物だ。丹波=丹庭は鉱山を指すのかも知れない。

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 こちらが新しい坑道で中が見学できる。この坑道は削岩機を使ったものなので新しい。露頭掘り跡はこのすぐ上にある。

 坑道の岩肌に鉱脈が筋となって見える。鉱脈とは岩のあいだに挟まった薄い紙のようなものだ。地上の露出した部分から掘り始め、深くなると山腹から横穴と竪穴をつないで鉱脈までショートカットして掘り続ける。そのことがよく分かった。

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2017.05.25、兵庫県猪名川町多田銀銅山青木間歩

 青木間歩の横の川は底の岩が平に削られていた。これは高瀬船を通すための大掛かりな整備だろう。これだけ大掛かりでありながら誰も気づいていないのは、地域調査が甘いとしか言いようがない。

 採掘された鉱石は小規模ならばその場で精錬されたろうが、規模が大きくなると精錬所まで船で降ろすしかない。これはそのための遺跡であって、そのスケールの大きさから秀吉を思わずにはいられない。

 わたしは今まで多田源氏がなぜ川西にいるのかよく分かっていなかった。これは多田銀銅山の猪名川舟運の利権を握った水賊なのだ。戦国時代の丹波勢の強さは鉱物資源の運搬を担っていたことによるのだろう。

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2017年6月 9日 (金)

【西京めぐり】 2.浄住寺庭園の石を見ていた

 見学勉強会「GOうえすとっ!」で訪れた浄住寺ではお庭も見せてくれた。赤い腹のイモリがたくさんいる。水がきれいな証拠だ。モリアオガエルの卵を住職が教えてくれた。もう小さなオタマが孵ったそうだ。

 このような池泉式は禅寺では珍しいそうだ。方丈が伊達家の寄進なので、それと同時だとも言われている。庭の寓意はよく分からないと言う。池のなかの島石を釈迦の歯だと言った方があるそうだ。それはこの寺の中心が釈迦の歯を納めた寿塔だからだ。そう言われてみれば歯のようにも見える。

 わたしは斜面に並ぶ石列に気が付いたのでスケッチしてみた。池から山へ点々と続いていく。この先は山号ともなった衣笠山だ。

 石は龍脈を表すのだろう。衣笠山に発した龍脈が池のほとりの四角い台のような石に至る。これは座禅石だとも言われるが、わたしは船に見える。気はそこから歯の島へ渡るのだろう。つまり寿塔に祀られる釈迦の歯は衣笠山に降りた神に直結しているという寓意ではないかと思った。

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2017.05.28/クロッキー帳、2Bシャーペン0.5/京都市西京区浄住寺

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2017年6月 8日 (木)

【西京めぐり】 1.お地蔵さま

 京都市西京区の見学勉強会「GO うえすとっ!」に参加してきた。近所でありながら行ったことのない場所に連れていってもらって楽しかった。これは浄住寺境内のお地蔵さま。工事中に出てきたものが持ち込まれて次第に増えていくのだそうだ。きれいにお祀りしてあって、ぎゅうぎゅう詰めでも楽しそうだ。

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2017.05.28/ワトソン紙ハガキサイズ、グラフィックペン0.3、固形透明水彩/京都市西京区浄住寺境内

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2017年5月29日 (月)

【猪名川町めぐり】 3.平安精錬所跡

 精錬所の遺跡はもうひとつあった。なぜかレンガの構造物がバラバラになっている。これは真吹炉と呼ばれるものらしい。江戸時代以来の伝統的な精錬法で、ふいごが送風機に機械化されている。

 こうした小規模な精錬所が多田銀銅山周辺に点在したのだろう。鉱山は住友のような大規模なものを想像しがちだが、こうした家内工業的な精練は昭和初期まで広く行われたと考えてよい。

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2017.05.25、兵庫県川西市「川西市郷土館」

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2017年5月26日 (金)

【猪名川町めぐり】 2.レンガの刻印

 堀家精錬所跡からは溶鉱炉跡も出土し、それは岸和田レンガの×マークが付いていたと説明版にあった。展示されていた出土レンガ壁の一部には岸レンのマークのほか大阪窯業のもあった。

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(左)岸和田レンガ会社の×マーク(右)大阪窯業の〇にYマーク

Img_9721 展示されていたカラミレンガと鍋型カラミ

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