たぬきのまちさがし
2021年11月24日 (水)
2021年10月16日 (土)
まっすぐな梁は城造りが由来か(2)
戦国時代の飛騨は木材の既製品を技術指導込みで供給していたことを前回考えた。続きをメモしておく。
飛騨で木材の規格化が進んだのは全国で都市化が進んだためだろう。経済発展と木材の大量供給が背景にある。これは飛騨の隣国・木曽でも同様だったろう。三大美林と称される木曽ヒノキも戦国時代に流通を拡大させたのではないか。
木材の輸送は水運である。飛騨からは飛騨川を、木曽からは木曽川を下った。ふたつの川は美濃でひとつになり、羽島で長良川と合流し桑名で揖斐川と合流する。この河川沿いの武将たちが戦国時代に優勢なのは、木材を中心とした物流を抑えていたからだろう。経済力を背景に相場を操り旧来の支配階級を駆逐したのが戦国時代だったと思う。
2021年10月15日 (金)
まっすぐな梁は城造りが由来か
飛騨の工(たくみ)について少し考えたのでメモしておく。
1.小屋組みの貫
まず、小屋組(屋根の骨組み)の貫について。
伝建地区の旧村田邸(村半、明治期)には小屋組に貫はなかった。小屋組に貫が入るのは関西では江戸時代後半とされている。村半には貫の入る前の時代の様式が残っているのだろう。
一方、桃山期の高山御蔵には貫が入っていた。これは高山城の遺構なのだから、高山城天守閣の小屋組みには貫が入っていたのかもしれない。
2.まっすぐな梁
ふたつめは、まっすぐな梁について。
村半も御蔵も梁はまっすぐだった。そして姫路城の梁もまっすぐなのだ。おそらく高山城や姫路城のような桃山期の城造りの現場では、まっすぐで太い梁が使えるようになったのだろう。
そうした木材の一大供給源が飛騨であった。「まっすぐ」というのは規格材、ようするに既製品であることを示しす。つまり発注時に長さと太さと本数を指定するとき、形はまっすぐであることが前提となる。まっすぐな材は桃山期に飛騨材が既製品として流通していたことを示すのだろう。
元来、木挽きも大工もひとりで行った。鎌倉時代の重源は東大寺再建のための材を探して山口県まで杣(そま)入りした。杣入りとは山で用材を探すことだ。材は製材されたうえで奈良へ運ばれた。伐採>搬出>製材>運搬>現場という流れのすべてを重源が行ったということになる。ところが桃山期には伐採>搬出>製材>運搬までを産地側が担っている。城下町造りによる木材の大量消費が流通形態を変化させたのだろう。
3.日本建築の継承者
ここからは私の仮説である。
建築工程が製材と建築に分かれたとき、重源の保有していたような建築技術は産地と都市のそれぞれに分かれて受け継がれたろう。産地側で建築技術を受け継いだのが飛騨の工だったわけだ。
もちろん飛騨以外の産地にも工はいたろうが、地方ではそれほど都市と産地の分離は進んでいなかったのではないか。飛騨と同様の産地として分離したのは奈良県の吉野などがそうだったかも知れない。
飛騨には重源以来の日本建築の伝統が残ったわけだ。それを飛騨の工と称したのではないか。城造りの際に飛騨の工は木材供給だけではなく技術指導も行ったのではないか。江戸期になって城造りは禁止され飛騨の工は幕府直轄となった。高山陣屋は飛騨の工の取り締まりの拠点として整備された。幕府は木材供給の独占だけではなく、城造り技術の独占をもくろんだように見える。
大きな材を吊ったり建てたりする高い技術を飛騨の工はもっていた。古くから伝えられた日本建築の技能の継承者として飛騨の工は尊敬されていたのだろう。
長くなったので続きは次回に。
2021.08.18、岐阜県高山市、若者等活動事務所「村半」
2021.08.19、岐阜県高山市、高山陣屋御蔵(旧高山城遺構)
2021.07.23、兵庫県、姫路城天守閣
2021年9月23日 (木)
2021年6月 4日 (金)
商店街の将来について
今朝考えたことをメモしておく。
1.小売店の衰退
・銭湯や理髪店など地域の近代建築が失われていく現状がある。その理由として老朽化、耐震性、相続税など言われているが、もっとも大きいのは後継者がいないことだろう。それは書店屋や電器店であっても同じでシャッター商店街現象の主たる原因である。
・後継者がいないのは、オーナーが自身の身内しか後継者として認めないからだ。これは資産を回収できなくなるという不安が大きな理由だろう。
・資産を担保しながら業態を別人に委託できる制度があれば少しはマシになるだろう。そうした試み、たとえば商店街の株式会社化などの取り組みは始まっている。ただしオーナーが複数人あれば全員同意は難しくなるだろうし、そこまでして業態を維持するメリットがないことも事実だ。ただし個々の商品や小売業そのもののニーズが無くなったわけではない。新しい業態で生き残ることは可能だろう。
・商店街地域の地価の高さがシャッター商店街現象の遠因としてある。
2.業態の変化
・大量生産も大量消費も無いのに小売店の業態だけが半世紀前のままの状態では機能しない。
・経営として成立しなくても、なんらかの副収入があれば店を開けておくこともできた。それもいつまでも続けるわけにはいかないだろう。収入を度外視した経営はオーナーや地域住民の愛着が原動力となっている。それは地域の資産である。
・新業態として注目したいのは道の駅や朝市、フィッシャーマンズワーフのような生産者の直売である。消費者が直接産地に赴く業態で、これは1970年代からの取り組みの実績がある。フリーマーケットも同じジャンルかも知れない。そこでしか買えないものを生産者が直接エンドユーザーに販売する形態といえよう。
3.高度成長期は良かったのか
・ものを並べればなんでも売れた時代。お客様は神様と呼ばれた時代。公害を撒き散らかしながら馬車馬のように突進していた時代。大量生産大量消費に反発しながらも、心のどこかで猥雑でパワフルだった世相を懐かしむ思いが残る。それは高度成長期を否定しきれていないからだろう。
・わたしは時代のありかたを否定する必要はないと思っている。公害と収益を同時に受け取った時代だったわけで、今となっては良いも悪いもない。ただしそこになんらかの愛着が残るとすれば、それは地域の資産である。
4.大量消費の生き残り
・アウトレットモールやショッピングモールも業態としては高度成長期モデルから出ていない。もし違いがあるとすれば不動産も含めた流通部門での収益が見込めるくらいだろう。それさえも高度成長期モデルの一部だったと考えることもできる。
・コストコのような会員制モールは産地直送という部分が新しいが競合には弱いだろう。ネット通販もやはり大量消費を前提とした商品が並んでいる限り競合には弱く長続きしないだろう。
・やはり「そこでしか買えないもの」を揃えた小売店が集って市場をなすフリーマーケット風の商店街モデルが一番良いのではないか。そこで生まれた活力が古い建物を活かすならとてもうれしい。
2021年5月13日 (木)
常滑時間旅行16最終回、煤煙のまち
わたしは旅に出るとき、行先のことを事前に調べない。歩きながら手掛かりを見つけ、そこから町の歴史を推理するのが楽しいからだ。それをわたしは時間旅行と称している。
常滑はレンガ煙突が丘陵地に林立するという相当特異な姿をしている。なぜこのような姿になったのか。それは登り窯から倒焔式角窯へという技術革新がこの町で行われたからだった。J・ジェイコブスのいうように技術革新と輸入代替とが都市経済の証しだとすれば、たしかに昭和40年代までの常滑は都市であったといえる。
今回の旅で風景の復元が完成したのはこの門柱を見たときだ。ご覧のように黒ずんでいる。わたしは最初、空襲の名残りかと思った。でもすぐに思い直した。これは石炭燃料による煤煙だと。そう考えれば常滑に多く残る工場群がなぜ黒いのかも分かる。煤で汚れるので最初から黒くしているのだ。この町は技術革新による経済成長を享受するとともに煤煙による環境悪化をも受容していたのである。
洗濯物も外へ干せないような煤の降るまちで鼻の奥まで真っ黒にしながらこの町の住人は生きてきた。この町が操業を止めたのはおそらく大気汚染に対する法規制によるのだろう。ある程度大きな工場は生産拠点を海外に移したろうが、そうでない中小の工場は窯の火を消した。道が狭いため建築基準法によって建て替えのできない工場群がそのまま残ったのだ。これがこの町の特異な風景の生まれた理由だろう。
いまではどこへ行っても空気はきれいだ。そのかわり、かつてのようなエネルギッシュな技術革新はどこにもない。きれいな空気と引き換えに私たちが都市を失ってしまったのではないか。活気のある町を取り戻そうと考えるためには昭和40年代のまま時を止めた常滑の町の風景こそ貴重な手掛かりになるように思う。
2021.04.21、愛知県常滑市
2021年5月12日 (水)
2021年5月11日 (火)
2021年5月10日 (月)
2021年5月 9日 (日)
より以前の記事一覧
- 常滑時間旅行11、常滑の町を歩いた 2021.05.08
- 常滑時間旅行10、テラコッタパークで武田五一と出会った 2021.05.07
- 常滑時間旅行09、メソポタミヤの粘土釘を見た 2021.05.06
- 常滑時間旅行08、ヴィクトリアン・フロアタイルの新品を見た 2021.05.05
- 常滑時間旅行07、倒焔式角窯のディテール(2) 2021.05.04
- 常滑時間旅行06、倒焔式角窯のディテール(1) 2021.05.03
- 常滑時間旅行05、巨大な倒焔式角窯 2021.05.02
- 常滑時間旅行04、登り窯60基の風景を想像する 2021.05.01
- 常滑時間旅行03、手作り土管の木型を見た 2021.04.30
- 常滑時間旅行02、ローラー式土管製造機 2021.04.29
- 萩旅行10、スカルン鉱床 2021.04.28
- 萩旅行09、ドリーネとウバーレ 2021.04.27
- 萩旅行08、秋芳洞にびっくりした 2021.04.25
- 萩旅行07、ハトバのある水路 2021.04.24
- 萩旅行06、旧湯川家屋敷のハトバ 2021.04.23
- 常滑時間旅行、明治20年の登り窯を見た 2021.04.21
- 萩旅行05、小さなコンクリート灯台 2021.04.19
- 萩旅行04、通りすがりに鉄筋コンクリート造の橋を見つけた 2021.04.16
- 萩旅行03、左瓦を見つけた 2021.04.15
- 萩旅行02、菊屋家住宅の赤い壁 2021.04.14
- 萩旅行01、萩の反射炉を見てきた 2021.03.20
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- 風景の継承者 2020.03.03
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- 【祖山信仰と陰陽論2】比叡山も陰陽になっている 2020.02.05
- 【祖山信仰と陰陽論1】二上山は陰陽になっている 2020.02.04
- 古代の井堰と神社の関係を考える(2) 2019.11.12
- 古代の井堰と神社の関係を考える 2019.11.10
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- からとの清水とはなにか(3) 2019.10.03
- からとの清水とはなにか(2) 2019.10.01
- からとの清水とはなにか 2019.09.30
- からとの清水がすばらしかった 2019.09.29
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- 尾道雑感(6)油圧式昇降機を見つけた 2019.04.16
- 尾道雑感(5)中央街アーケード 2019.04.13
- 尾道雑感(4)レール鉄骨の陸橋 2019.04.11
- 尾道雑感(3)ノラ猫コミュニティについて 2019.04.10
- 尾道雑感(2)山側も意外と新しい 2019.04.09
- 尾道雑感(1)旧街道沿いは大正期か 2019.04.08
- 社宅のまちづくり 2018.06.02
- 【猪名川町めぐり】6.旧平賀邸と旧平安家住宅 2017.07.12
- 【猪名川町めぐり】5.平安精錬所跡の鉱滓捨て場 2017.07.07
- 【西京めぐり】5.浄住寺から地蔵院へ 2017.07.05
- 【西京めぐり】4.浄住寺の花の扁額 2017.07.04
- 【西京めぐり】 3.山口家住宅長屋門 2017.06.12
- 【猪名川町めぐり】 4.多田銀銅山の古い露頭掘り跡 2017.06.10
- 【西京めぐり】 2.浄住寺庭園の石を見ていた 2017.06.09
- 【西京めぐり】 1.お地蔵さま 2017.06.08
- 【猪名川町めぐり】 3.平安精錬所跡 2017.05.29
- 【猪名川町めぐり】 2.レンガの刻印 2017.05.26
- 【猪名川町めぐり】 1.多田銀銅山に来ている 2017.05.25
- 1杯200円のラーメンのある町(建築探偵の考えていること) 2016.10.16
- 【伊予旅行】16.内子の旭館 2016.10.12
- 【伊予旅行】15.内子の出格子窓 2016.10.11
- 【伊予旅行】14.臥龍山荘(4) 2016.10.09
- 【伊予旅行】13.臥龍山荘(3) 2016.09.11
- 【伊予旅行】12.臥龍山荘(2) 2016.09.10
- 【伊予旅行】11.臥龍山荘(1) 2016.09.09
- 【伊予旅行】10.洋館の飾り格子 2016.09.07
- 【伊予旅行】9.軒下の持ち送り 2016.09.07
- 【伊予旅行】8.大洲の出格子窓 2016.09.06
- 【伊予旅行】7.大洲の黄色い壁 2016.09.05
- 【伊予旅行】6.大洲の左官仕事を見てきた 2016.09.04
- 【伊予旅行】5.おおず煉瓦館の刻印レンガ 2016.09.03
- 【伊予旅行】4.おおず煉瓦館のフランス積み 2016.09.02
- 【伊予旅行】3.砥部焼の印判について 2016.09.01
- 【伊予旅行】2.窯元の土管煙突を観察した 2016.08.31
- 【伊予旅行】1.砥部焼きの登り窯を見せてもらった 2016.08.30
- 道後温泉の2階 2016.08.29
- スプロールの町を行く 2016.03.01
- 吊り店 2015.04.11
- 自主的里山アーツ「ヒツジさん」 2015.04.06
- 出座何酒店ごちそうさま 2015.04.02
- 東京散歩(9)国会議事堂見学(1) 2015.03.07
- 東京散歩(8)地下鉄と地名のイメージ 2015.03.06
- 東京散歩(7)上野から根津へ 2015.03.02
- 東京散歩(6)再び上野の森の聖域へ 2015.03.01
- 東京散歩(5)国際こども図書館(旧帝国図書館) 2015.02.27
- 東京散歩(4)奏楽堂とか 2015.02.26
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