たぬきのまちさがし

2025年5月20日 (火)

北前船拠点の三国湊(14)瀧谷寺観音堂の彫りもの

正面ランマの蟇股のなかは牛とふたりの童子だろうか。観音堂なので木気であろうに、なぜ土気なのか。左右の木鼻はキリンだと思うが、ユーモアあふれる表情と短い手足がかわいい。1633年の改修とあるので、そのときの彫り物か。

蟇股の下はシャクヤクやボタンのような大輪の花だ。花は火気で土気を生む。牛は土気だから上下で呼応しているのだろう。2も火気を表す。分かりにくいのだが、牛とふたりの童子と大輪の花は火気を盛んにするという意味があるのかもしれない。

観音堂の本尊は秘仏・如意輪観音だそうだ。如意輪観音は観音のなかでもとくに子安に霊験がある。出産は火気の働きだから、正面ランマは安産がテーマなのかもしれない。牛飼いがこどもなのも、子役を意識したからだろう。

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2025.05.01、福井県坂井市三国湊

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2025年5月19日 (月)

北前船拠点の三国湊(13)瀧谷寺の石庭2

観音堂は本堂の東側にあり渡り廊でつながっている。観音堂も室町時代の建築で本堂と相前後して建てられたらしい。つまりこの寺は開創からほどなく薬師ー観音のセットを祀ったわけだ。金気である薬師は西側に、木気である観音は東にあって陰陽が調っている。

ふたつめの庭園は観音堂の目前にある。なかなか豪壮な石庭なので、およそ戦国武将の作庭かと思っていたが、昭和時代の中根金作の作品だそうだ。彼の庭は妙心寺退蔵院で見たことがある。とてもモダンな作庭で彼の名はこころに残っていた。

直径2メートルほどの大石をタテ一列に並べている。石のあいだは鮮やかなコケが敷かれ、背景には土塀と大きな杉の木がある。転がされた大石のようすが自然で、よい具合に配置されていて美しい。それにしてもこれはいったいなんだろう。

大石は9個あり、加えて直径1メートルほどの石が付け加えられている(左から5番目)。これは9+1=10を示すのだろう。9は金気を示す数字で、それはここが薬師の降り立つ金気の霊場であることを示す。ただし観音は木気なので金気に負けてしまう。そこで小ぶりな石をひとつ加えて10としたのだ。

一方、杉の大木は3本だ。3は木気の数字で観音と呼応する。しかも10の示す土用が働いて木気がいやがうえにも高まるのだ。ここには風水による数字のマジックがかけられている。

近代庭園は重森三玲が知られるが、重森は風水にこだわっているように見えない。近代の作庭家はみな風水には冷淡なのかと思っていたが、そうでもないらしい。おかげで瀧谷寺では金気の霊地でありながら、観音堂とも共生している。

観音は船乗りの信仰が篤いから、それに応えた作庭なのかもしれない。そう思うと三国湊へ入港する大型廻船の列のようにも見える。

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2025.05.01、福井県坂井市三国湊

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2025年5月18日 (日)

北前船拠点の三国湊(13)瀧谷寺の石庭

「たきだんじ」と読む。谷を「だん」「たん」と読むのは沖縄に多いが北陸にもあるそうだ。真言密教の寺院である。

もとは三国湊のすぐ北にある東尋坊のかたわらにあったようだ。瀧のある谷はそちら側にあるのかもしれない。寺は開創からほどなく現在の三国湊を見下ろす丘に移転した。室町時代初期の開創で代々越前国主の崇敬を得た。つまり三国湊はそのころに整備されたと考えてよかろう。

瀧谷寺にはふたつの庭園があった。ひとつは本堂裏の巨石を中心とした庭だ。本堂裏に書院があり、そこから眺めることができる。 巨岩からはいまも水が湧き出していた。この岩が本尊・薬師如来の垂迹した磐座(いわくら)なのだろう。風水でいえば薬師は金気であり水を生む、つまり庭園のかたちそのものが本尊を表している。

江戸時代中期の本堂、書院と同時の作庭と考えられているようだ。それまでは自然な泉のままだったのだろうか。それもまたよいかもしれない。静かですがすがしいお庭である。

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2025.05.01、福井県坂井市三国湊

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2025年5月16日 (金)

北前船拠点の三国湊(12)青いシャクダニ石

旧岸名家で、この青い石は笏谷石(しゃくだにいし)だと教えてもらった。三国湊にそそぎこむ九頭竜川をさかのぼると石切り場があるそうだ。ここでは土間の敷石や屋根の棟石だけでなく、カマドまで石だった。石製のカマドをわたしは初めて見た。なかなか端正で美しい。笏谷石の青緑色は風水上は木気に属して縁起がよい。その色や風合いが愛されたのだろう。三国湊のいたるところで見かけた。

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2025.05.01、福井県坂井市三国湊

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2025年5月14日 (水)

北前船拠点の三国湊(10)赤い瓦と石の棟瓦

石州瓦かと思ったが、これが越前赤瓦なのだろう。石州のような釉薬瓦ではなさそうだ。塩焼き瓦の一種ではないか。なかなか味わい深い表情を見せている。棟瓦が石なのは風が強いからだろう。コンクリート製のものもあった(写真)。石製のものを瓦と呼んでよいのか分からないが、三国湊に近い丸岡城では石瓦が使われているそうだ。一度見てみたい。

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2025.05.01、福井県坂井市三国湊

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2025年5月13日 (火)

北前船拠点の三国湊(9)木の庇

かぐら造りの町家は見かけは京町家と同じだが、よく見るといくつかの違いがある。雪深く風の強い気候に合わせて進化したのだろう。

ひとつは庇に瓦を使わないこと。銅板張りが多い。庇の上に取り付けられている長い棒は雪止めだ。銅板のほうが雪が落ちやすいのかもしれない。もしくは、瓦葺きだと雪に押されて瓦がずれるのか、あるいは、瓦葺きだと瓦の下へ雪解け水がしみ込んで庇下地の木材を腐らせるのかもしれない。

おもしろいのは湾曲した庇が多いこと。道路側へ向けて丸く垂れ下がっている。これこそ雪を落とすための工夫だろう。丸い庇を初めて見たが、なかなか愛嬌があって楽しい。

1軒だけ木板葺きの庇があった。厚みが5センチほどある板を二重にしている。これが古い形なのだろう。庇先のラインは両端で少し跳ね上がっている。きりっとしたデザインでかっこいい。

湾曲した庇といい、跳ね上がった木製庇といい、まるで船のようだ。三国湊は日本海航路の最大の港湾都市だ。造船技術が建築に影響を与えたのではなかろうか。

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2025.05.01、福井県坂井市三国湊

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2025年5月12日 (月)

北前船拠点の三国湊(8)かぐら造りの民家

旧道沿いの町家が片流れだ。こんなかたちの民家があるとは知らなかった。三国湊特有のかたちだそうだ。なぜこんな半分だけの町家ができたのだろうか。

「かぐら造り」という。一般的に2階に増築することを「おかぐら建て」といっている。だから「かぐら造り」は道路側の屋根を取り除いて、その上に2階を積み増したという意味だろう。屋根を両方へ流れるようにすると、もとからあった屋根との納まりがつかないので、やむなく片流れとしたというところか。

元の形と思われる民家も通りにあった。これは福井県宮津や滋賀県堅田でも見たことのあるかたちだ。能登の枠造りもこの形式の発展形だろう。この民家の道路側の屋根を解体して2階を積み増したわけだ。

機能的には2階はたいして広くないのでさほど意味があるとは思えない。道路側からの外観を町家風に見せたかったというのが動機ではないか。無理やりすぎると思う。それともなにか他に理由があったのだろうか。

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2025.05.01、福井県坂井市三国湊

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2025年5月11日 (日)

北前船拠点の三国湊(7)森田銀行の木工細工

木工細工がなかなかすばらしい。階段や手すりの木彫と壁面や床の寄木細工それぞれ見ごたえがある。寄木細工は色目の違いがよく分かって美しい。古い寄木細工はくすんで色が分からないことが多い。ここでは修理時に手を加えたのであろうか。

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2025.05.01、福井県坂井市三国湊

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2025年5月 9日 (金)

北前船拠点の三国湊(6)森田銀行の六角形モザイクタイル

床仕上げが人造石研ぎ出し仕上げだった。竣工時からこうなのだろうか。最初見たときは現場打ちの人造石研ぎ出しだと思った。その場合、真鍮製の目地棒を入れる。でも茶色いので、もしや銅製かと思ったら茶色い目地材を詰めていた。

これはいったいどういうことなのか。

工場生産の人造石研ぎ出しの板をテラゾーブロックという。これはテラゾーブロックの床材で、それを敷き詰めてから目地を埋めたのか。しかし1920年にテラゾーブロックがあったのだろうか。それとも木製の仮の目地棒を入れて現場で研ぎだしたあとで、木製目地棒を抜いて目地材を詰めたのか。そんなことをするだろうか。謎深い。

おもしろいのは目地の交差部分に白い六角形モザイクタイルを埋め込んでいること。星座のように見えてなかなかきれいだ。タイルの抜けたところを見ると、タイルの厚みは5~6ミリほどである。これは国産初期のモザイクタイルであろう。

国産の六角形モザイクタイルは伊那製陶が開発した。旧岐阜県庁(1924)が最初期の使用例として知られている。森田銀行は1920年竣工だからそれより古い。これはいったいどういうことだろうか。この床は竣工当時のものではなく後でやりかえたのか。もしくはタイルは国産ではなく輸入品なのか。それとも1920年にすでに国産六角形モザイクタイルが存在していたのか。これも謎である。

やはり報告書を読むべきだろうが、読んでも分からないのではないか、という気もする。読んでも分からな方場合、だれに聞けばよいのだろう。

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2025.05.01、福井県坂井市三国湊

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2025年5月 8日 (木)

北前船拠点の三国湊(5)森田銀行の長大カウンター

竣工時のカウンターが残っている。当時のカウンターが残っているのは珍しい。シンプルな美しさがある。これがものすごく長い。説明書きによれば長さ7メートルのケヤキを二つ割りにして角でつなげたという。よく見るとコーナー部分の継ぎ目で木目が反転しているのが分かる。

7メートルのケヤキをタテにひき割ることなどできるのだろうか。ものすごい木工技術である。なぜここまでする必要があったか。ケヤキは堅い木なので、堅気の商売を息長く続けるという予祝だろうか。実際は10年で福井銀行に吸収合併されたのだが。

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2025.05.01、福井県坂井市三国湊

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