たぬきのまちさがし

2026年7月30日 (木)

岡山旅行11-吟風閣(1708頃)

岡山市の北部、足守藩の大名庭園「近水園(おみずえん)」に吟風閣(ぎんぷうかく)があった。池を見下ろす広いバルコニーがある。月見台なのだろう。気持ち良さげなバルコニーだ。

座敷の床まわりがシンプルで美しい。床脇の大小ふたつの地袋を重ねたようなデザインがかっこよい。シンプルで美しくて気持ち良さげでかっこよい。こういう建築を作りたい。

Img_4090 Img_4087_20260730051001 Img_4085_20260730051001 Img_4086_20260730051001
2026.07.16、岡山市足守

| | コメント (0)

2026年7月29日 (水)

岡山旅行10-備中国分寺五重塔

各層の屋根の大きさが上と下とであまり変わらないのでボリューム感がある。田園風景のなかに立つロケットのような趣きがある。1層目に十二支の木彫があってかわいらしい。

1184年再建で塩飽大工の作という。塩飽大工とは塩飽諸島に本拠があり、岡山県や香川県に作品が多いそうだ。全然知らなかった。前に見た広島県の大崎上島の5階建て旅館群などもその流れなのかもしれない。

Img_3936 Img_3944 Img_3943 Img_3926
2026.07.15、岡山県総社市

| | コメント (0)

2026年7月27日 (月)

岡山旅行09- 江崎古墳

こうもり塚と同じ6世紀後半の前方後円墳。こうもり塚と同じように貝殻石灰岩の家形石棺があり、その奥の壁が朱く塗られている。なかはひんやりとして冷たい。

石棺内から金環1対、ガラス小玉110個、石棺外からは獣形鏡、鉄刀、鉄鏃、馬具などが出土したという。出土物はこうもり塚や王墓山とほぼ同じだ。仏教の伝来した6世紀、吉備はまだ古墳時代の残照のなかにあったということだろう。

Img_4061_20260727055001 Img_4062 Img_4054
2026.07.16、岡山県総社市

| | コメント (0)

2026年7月26日 (日)

岡山旅行08-こうもり塚古墳

羨道(えんどう)に入ると気温がぐっと下がり涼しい。足元には水たまりが広がっていた。玄室正面に大きな平たい岩を立て、朱く塗られた跡が見える。風水上、赤は太陽色で最大の陽気を示す。陰気を退ける魔除けの意味があるのだろう。

6世紀後半の前方後円墳とある。すぐ近くの巨大前方後円墳・造山古墳が5世紀前半なので、それから100年以上も後のものだ。王墓山古墳は年代が書かれていなかったが、貝殻石灰岩製の石棺がここと同型なので、同じころなのだろう。

Img_39522Img_3949 Img_3951
2026.07.15、岡山県総社市

| | コメント (0)

2026年7月25日 (土)

岡山旅行07-王墓山古墳の貝殻石灰岩

貝殻石灰岩だと説明があり「なにそれ?」と目を近づけてみると、細かい貝殻がぎっしり詰まっていた。びっくりである。石材は岡山県井原市の浪形石だそうだ。石灰岩なので加工しやすいのだろう。こうもり塚古墳、江崎古墳の石棺も同じ浪形石だそうだ。

石室は明治期に石材として切り出されてもうない。そのときに発掘もしたようで、金銅製馬具、鉄製武具、装身具のほか四仏四獣鏡も出たという。東京国立博物館に移したと説明板に書かれているが、奈良国立博物館のデータベースにあった。こどもたちのために、こうした出土品は地元で見られるようにしてほしい。わたしも見たいし。

Img_4036_20260725071001Img_40392Img_4040
2026.07.16、岡山県倉敷市

| | コメント (0)

2026年7月24日 (金)

岡山旅行06-千足(せんぞく)古墳

横穴式石室の天井に穴を開けて中が見学できる。小さな岩を斜めに積み上げて朱に塗っている。奥に風呂桶のような石障(石のベッド)があり、その板石に直弧文が描かれている。これって九州の装飾古墳だよね。それがなぜ岡山県にあるのか。

巨大前方後円墳・造山古墳の陪塚(ばいちょう)と言われている。陪塚とは大型古墳に従属する小古墳をいう。現地では家来の墓と説明されていた。したがって造山古墳と同じ5世紀前半とされている。でも、造山古墳は前方後円墳なので石室は巨石造りで家形石棺が入っているだろう。千足古墳とは種類が違い過ぎないか。

石材は香川県産と分かっている。装飾古墳は5~7世紀に行われており、山陽地方では岡山県にふたつ、四国地方では香川県に7つ見つかっているという。千足古墳の被葬者は香川県から渡ってきた支族なのだろう。

ちなみに直弧文は旋帯文を串刺しにした模様にも見える。盾築遺跡の旋帯文石と同じ金気(疫病)を剋して木気(生命)を援ける呪術ではなかろうか。それにしても古墳に直弧文があるのは珍しい。装飾古墳では普通にあるのだろうか? 

Img_39842 Img_3984 Img_3986
2026.07.15、岡山市

| | コメント (0)

2026年7月23日 (木)

岡山旅行06- 3世紀末のご神体

盾築遺跡の収蔵庫にご神体が祀られていた。ご神体の表面にはサーキット場のような渦巻き模様が掘られているので「旋帯文石」と呼ばれている。旋帯文石はふたつあって、もうひとつは盾築城移籍の地下にあった3世紀末の墓室から砕かれた状態で見つかった。したがって、このご神体も3世紀末のものと考えられている。

旋帯文石はこのふたつしか見つかっていない。盾築城遺跡は足守川をはさんで吉備津神社と向かいあっている。どちらも古墳群のある丘陵なので探せばもっと見つかるだろう。これは石(金気)を割る(剋す)ことで木気(生命)を援ける五行説的な呪術だろう。古墳は一族のものを埋葬していくのだから割れていない石は予備だったのだろう。

もとは盾築神社という社があったようだ。いまはこの収蔵庫と小さな祠が遺っている。地図によれば祠は薬師堂のようだ。石は金気だから薬師堂のご神体としてはふさわしい。金気には病をいやす力がある。ここでは先祖崇拝のほかに病気平癒が祈られたのだろう。そして明治の神仏分離のさいに廃止されたのだと思う。それにしても、千年以上信仰の対象として護られてきたことに驚く。

Img_40312 Img_40302Img_4029_20260723051901Img_4021_20260723054701
2026.07.16、岡山県倉敷市

| | コメント (0)

2026年7月21日 (火)

岡山旅行05-長床

吉備津神社の近くに長いお堂があった。屋根の構造が複雑でかっこよい。梁の上に昇り梁を重ねるように見えたが、よく見ると軒を支える跳ね木だった。修験道出身の中山通幽師の開いた福田海本部(1908)の祭祀場となっている。風の神を祀り暦祭を開くという。

形式的には諏訪大社上社前宮の十間廊に似ている。十間廊では春に御頭祭(おんとうさい)を開き75頭分の鹿の頭を供えた。いまは廃絶しているが、諏訪に伝わる古い祭祀のようだ。金気を剋し春を呼ぶ修法と思われる。長床もそうした古い祭祀の面影を伝えるような気がするが、本当のところは分からない。

・ 諏訪立川流研究(6)前宮十間廊 諏訪立川流研究 
  http://www.tukitanu.net/2023/10/post-f8253c.html

Img_3912 Img_3914 Img_39102
2026.07.15、岡山市

| | コメント (0)

2026年7月20日 (月)

岡山旅行04-たてつき遺跡の祭祀場跡

丘の上に石を立てた祭祀場の跡があった。見渡したところ人の背の高さを超える10個ほどの石があるが、周囲の木立のなかにも倒れたものが見えるので、おそらく全部で数十個の石が立っていたのだろう。もちろん丘の下からわざわざ持ってきたものだ。

沖縄県のグスクと似ている。グスクは今でも祖霊を祀る場所で、こんな感じの広場で精霊送りに似た祭祀を行っているのを見たことがある。ここも最近までそうした祭祀を行っていたのだろう。濃厚な民間信仰の雰囲気が漂っている。とても興味深い。

この祭場は2世紀末の巨大墳墓の上にある。双方中円墳とよばれる不思議なかたちだ。古墳の始まるころのもので、円墳の左右に桟橋のような土盛りが付属している。この古墳とその上の祭場とが同時期かどうかは分からないが、この場所は2世紀末から祖霊神を祀ってきたのだろう。

石室はなく竪穴式の墓室がふたつ発掘さた。木棺は腐って残っておらず、鉄剣一振り、勾玉、管玉、ガラス製小玉などの副葬品が見つかった。未盗掘だったのだ。穴の長さが9メートルもあるので船形木棺だったのかも知れない。船はもちろん海のむこうの祖霊の国へ渡るためのものだ。かつて吉備平野はほとんど海で、この丘から海が望めたという。祖霊ははるかなる海の国からこの丘へ帰ってくる。

石はそれぞれの支族専用のものなのだろう。双方中円墳が南東と北西に張り出しがあるのなら、お盆と旧正月に祭礼を行ったのかもしれない。2世紀末からわれわれ日本人は、同じような祈りを毎年続けているのだろう。

Img_4015_20260720051601 Img_4021  Img_40052
2026.07.16、岡山県倉敷市、盾築遺跡(史跡)

| | コメント (0)

2026年7月19日 (日)

岡山旅行03- 古墳群

回廊から中山中腹へ通じるアジサイの道があった。昇ってみたところ円墳があった。横穴式石室の入り口が見えている。中腹の散策路を巡るとそこここに巨石が転がる。おそらく石室の一部が露呈しているのだ。吉備津神社の後背地は一大古墳群であった。

Img_3876 Img_3879 Img_3882  Img_3886_20260719060301Img_3885
2026.07.16、岡山県岡山市

| | コメント (0)

より以前の記事一覧