観音堂は本堂の東側にあり渡り廊でつながっている。観音堂も室町時代の建築で本堂と相前後して建てられたらしい。つまりこの寺は開創からほどなく薬師ー観音のセットを祀ったわけだ。金気である薬師は西側に、木気である観音は東にあって陰陽が調っている。
ふたつめの庭園は観音堂の目前にある。なかなか豪壮な石庭なので、およそ戦国武将の作庭かと思っていたが、昭和時代の中根金作の作品だそうだ。彼の庭は妙心寺退蔵院で見たことがある。とてもモダンな作庭で彼の名はこころに残っていた。
直径2メートルほどの大石をタテ一列に並べている。石のあいだは鮮やかなコケが敷かれ、背景には土塀と大きな杉の木がある。転がされた大石のようすが自然で、よい具合に配置されていて美しい。それにしてもこれはいったいなんだろう。
大石は9個あり、加えて直径1メートルほどの石が付け加えられている(左から5番目)。これは9+1=10を示すのだろう。9は金気を示す数字で、それはここが薬師の降り立つ金気の霊場であることを示す。ただし観音は木気なので金気に負けてしまう。そこで小ぶりな石をひとつ加えて10としたのだ。
一方、杉の大木は3本だ。3は木気の数字で観音と呼応する。しかも10の示す土用が働いて木気がいやがうえにも高まるのだ。ここには風水による数字のマジックがかけられている。
近代庭園は重森三玲が知られるが、重森は風水にこだわっているように見えない。近代の作庭家はみな風水には冷淡なのかと思っていたが、そうでもないらしい。おかげで瀧谷寺では金気の霊地でありながら、観音堂とも共生している。
観音は船乗りの信仰が篤いから、それに応えた作庭なのかもしれない。そう思うと三国湊へ入港する大型廻船の列のようにも見える。


2025.05.01、福井県坂井市三国湊
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