JIA京都建築家展2017
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昨年行けなかったので今年こそと思って見てきた。行ってよかった。とても気持ちのよい絵だ。
どんな絵かというと、大きな画面に緑だったり青だったり同系色が刷毛引きされていて、そのなかにチロチロと不定形なものが浮かんでいたり飛んでいたりする。見ていると、ハスの浮かんだ池だったり、雨に煙る山だったり、大きな滝だったり、そんな水っぽい風景が浮かんでくる。
見ているうちにその風景が次第に鮮烈になってきて、最後には雨音や水音が聞こえてくる。そんな絵だ。絵が大きいのもよいのだろう。その前に立つと、壮大な世界の前に立っているように思えてくる。
近づいてみると、小さな気泡を作ったり、絵の具を細かく撒き散らしたりと、いろんな工夫がされている。そうした細かい工夫が大きな画面いっぱいに展開して、ようやく大きな世界が立ち現れるわけだ。画面は大きいのに、解像度が高いわけだ。これは結構な力仕事だ。
奈良時代の坊さんの話を読んでいると、森のなかで生きた観音やら生きた薬師に出合う話が出てくる。それはやはり水っぽい場所で、滝の前の霧っぽい場所のようなところで出る。わたしはこの絵を見ていて、そんな不思議なものが現れる寸前ではないかと思った。また、もうすでに絵のなかにはそうした精霊のようなものが現れているのかも知れないとも思った。
絵は見ることは多いが、こんな風に体験できることは少ない。林真衣さんはそんな希少な作家だと私は思う。
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大阪梅田の無印で開かれている展覧会のサテライト展が京都駅前イオンであったので行ってみた。展示はわずかしか無かったが箱入り写真展がおもしろかった。白塗りの荒板の小箱のフタに町家の写真が貼られていて、開くと中にいろんな写真が入っている。オープンハウスの光景がほとんどだったが、なぜかネコ写真が混じっておりインパクトがあった。
ほかに京都芸大生の作った町家の模型があった。これは講評会に呼ばれて苦労した。本当に苦労したんだからね。こんなところでまた出会うとは。京都の展示会は数が少ないせいで何をねらったものなのか正直よく分からなかった。大阪に行かねばなるまい。会期は明日まで。急げ。
町家がつなぐコミュニティ展 http://www.muji.net/mt/events/event/028442.html
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前から見たかった作品だ。ようやく見ることができた。思っていたより大きい。しかもとても細かいテクスチャーが画面を覆っている。気泡の割れた後のクレーターや縮み和紙のようなシワなど絵によってテクスチャーは変る。それは十分近づいてみないと分からないほど細かいものだけど、それが画面に独特の陰影を与えている。わたしは長年風雪に洗われてよい具合に古びたトタン壁を思い出した。
画面は青だったり黄色だったり絵によって同一系の色彩なのだが、それが動いていたり流れていたりする。風や雨を思わせる動きがあるのだ。その動く色彩のなかに木や鳥などがほんのわずかな線描きで散りばめられている。わたしはここに描かれているのは「その場所」の空気なのではないかと思った。いや、光と言ったほうがよいかも知れない。絵を見ていると、その場所の空気の冷たさや温かさ、鼻孔をくすぐる山の匂い、鳥やせせらぎやこずえを揺らす風の音が聞こえてくる気がする。
水の上の墨絵を和紙で吸い上げるように、光を吸着する吸い取り紙で空気を写し取ればこんな絵になるのではなかろうか。そのとき光が物質化して細かいテクスチャーを生んだように見える。それは新鮮な光の拓本なわけだが、テクスチャーは何十年もかけてようやく仕上がるエイジングがほどこされているのがおもしろい。
林真衣展 https://www.youtube.com/watch?v=_bRUS-1HTZc
ギャラリーeyes http://www2.osk.3web.ne.jp/~oeyes/
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小さな神社を訪れたところ、木立の陰でこいつが待っていた。最初なにか分からずしばらく眺めてヒツジだということが分かった。今年の干支なのでここにいるのだろう。それにしてもとてもかわいらしい。よくできているので作家さんの屋外アーツかと思った。
境内の端に「おウマさん」もいた。こいつもなかなかかわいいじゃないか。
その棚には歴代の干支が並んでいる。ここは竹の産地なので、すべて竹でできている。目だけビー玉なのだがそれがとてもキュートで楽しい。神社に干支の作り物が置かれることはよくあるが、これほど見事なものは珍しい。こういう自主的な里山アーツは探せばもっとあるかも知れない。
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宮永甲太郎
思わず笑ってしまった。ありえない風景に出合ったとき人は笑うのだ。池にプカプカと大きな壺や甕が浮かんでいる。良く見ると壺の大きさや浮かべる間隔を工夫している。簡単な手法で風景の意味を変えてしまうやりかたは反則的におもしろい。
大里資料館の作品は収蔵品収蔵品を使ったインスタだったが、古家具を斜めに設置していて家具が傷むと思った。大里会館詰所の作品はタタミの上に土を盛ったもので、家が傷むと思った。傷つけることは対象を否定する表現になる。そうした表現はアートの重要な役目だが、ここではそういう意味で使っているのではなかろう。どちらも痛ましい気持ちが先に立って作品をよく見ることができなかった。
渡邊あい
共同浴室でカラフルなリボンを使った作品。入り口に色のついた洗面器がひとつ置いてあり、リボンが水を表してていることを教えてくれる。男風呂は蛇口から湯船までリボンがつながり、それが湯舟いっぱいになりつつある。女風呂はスプリンクラーの放水のように天井からいっせいにリボンが垂れ下がる。カラフルな水のしぶきが明るい浴室を満たすのは夢のように美しかった。
加藤史江
和紙で作られた虹がかかる。厚手の和紙は綿毛のように軽やかで、繊維が植物的にからみあう。アーチの下へもぐれば光にすかされた和紙が美しくマユの中にいるような不思議な気持ちになる。森敦の鳥海山にこういうシーンがあったことを思い出した。
三浦さんの展示はよく分からなかった。樹木をテーマにした活動のようで興味があるのだが、写されるスライドは木津川とは関係なさそうに見えた。瀧さんの作品はどこにあるのか分からなかった。
古屋崇久
手作りのアースオーガは見ごたえがあっておもしろかった。それを器用に操縦する様子も見飽きない。説明はさっぱり理解できなかった。髪の毛を取られそうだったので早々に退散した。
谷川夏樹
小さなキャラバントラックが里山を走る。映写される風景は今見てきた集落内であることが分かる。犬目線くらいで風景が過ぎていくのがおもしろい。トラックもよくできていた。これが走るというパフォーマンスが作品なのだろう。それにしても「歌姫」とは何なのか。それは木津川と関係があるのだろうか。
楠本衣里佳
カラフルな絵が土蔵の壁にはまりこんでいる。くずれた土壁とよくなじんで何の違和感も無い。土壁は世界的に見ても珍しい発酵建材で、仕上がった後も微生物の棲家となる。つまり土壁は生きているのだ。古い土蔵の息遣いと絵は同期しているように見えた。
小林正樹
船上の宴会を再現している。船の上にいっせいに伸びた真鍮製のよつ葉のクローバーが、水上にきらめく光とさざなみの音を象徴している。なんと楽しそうな宴会だろうか。不思議の国のアリスに出てきそうだ。
ヤマモト+ワダ
大きな額縁。ここで観客自らが記念写真を撮るとことで完成する絵だ。おもしろいと思う。
木俵元樹
古民家で作戦遂行中の小さなコンバットたち。何の作戦なのか想像するのが楽しい。よく見るとよほど混乱しているようすで、歩哨の位置や狙撃手の配置がちぐはぐだ。ある程度の陣地構築を優先したほうが良かろう。写真はどこにあるのか気づかなかった。
井上隆夫・浅山美由紀
神社境内のキノコ系造形。境内の白い菌類と屋内の赤い浮遊キノコ。別々の作品だとは思わなかった。井上さんが白菌で浅山さんが赤キノコだ。どちらも大地から湧き出た生命体のように見えておもしろい。平日の夕暮れ時、誰もいない境内で風も無いのにふらふら揺れる赤いキノコをただひとり見ていると別の世界にまぎれこんだような不安感が湧いてきて少し怖かった。
小杉俊吾
町角に人形が立っている。遠目には本当の人に見える。近づいてみると実物よりわずかに小さいので人形だと分かる。現実だと思っていたものが人形だと気づく瞬間がスリリングだ。現実と虚像とがひっくりかえる気持ちがする。作品は人形のほうではではなく、それを実物だと思い込んでいた観客のほうにあるのかも知れない。おもしろくて楽しい。
NTTは時間切れだった。とりあえず入ったが5分しか無かったので残念ながら感想を書けるほど見ていない。こっちからまわれば良かったとこのとき気づいた。
林直
100年前のカメラで日常風景を撮りそれを100年後の世界に残す試みだ。古い納屋がその上映館となる。壁に写された不鮮明な画像はまるで100年前の写真を見るようだ。つまりわたしはいつのまにか100年後の人となって100年前の写真を見ているわけだ。今回のテーマが100年の邂逅(かいこう)であったことをここでようやく思い出した。林さんの写真は前回も良かった。若いころに撮った木津川周辺の写真で、そのころから彼の写真は人の笑顔であふれて暖かい。
思えば木津川アートもよくここまで続けてこられたものだ。いくつもの困難を潜り抜け、そのあいだに得たものはとても大きい。とくに運営を支えるボランティアの広がりは当初では考えられないほどだ。ボランティアのみなさんありがとう。
わたしが場所性にこだわるのは自分が建築探偵だからかも知れない。昔の人の記憶に想いをはせずともアートを楽しむことはできる。しかし木津川アートは企画の段階から人の記憶と結びついていた。当初案のひとつに木造校舎を舞台にアートを使った模擬学校を開くというのがあった。それは校舎に対する地域の人たちの記憶をベースにアートを組み立てるという試みだ(その企画は前回の旧当尾小学校で実現した)。わたしはその話を聞いたときとてもワクワクした。
こうした試みはイギリスのグラウンドワークに似ている。知られているようにグラウンドワークは失業にあえぐ地方再生のためのNPO運動で、地域史調査や風景復元のワークショップを通して地域像を再構成する教育プログラムも含まれている。木津川アートが合併した3町の住民交流を進めるためにアートを使おうとしたこととよく似ている。わたしの感想が場所性に偏るのは木津川アートの目的のひとつが地域像の再構成にあったからかも知れない。
今回もとても楽しかった。作家のみなさん、地域のみなさんありがとう。
< 木津川アート感想まとめ >
第2回(2011) 出展していて見てまわれず感想なし
第1回(2010) 出典していて全部を見ていないが多少感想が含まれている。http://tanuki.la.coocan.jp/kizugawa-art.html
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今回わたしがもっとも気に入ったのは西宮神社と漁業組合だった。このあたりで何人か私を知っているかたに声をかけていただいた。口べたなのでちゃんとあいさつもできなかったが、覚えてくださる方があることがとてもうれしかった。ありがとうございました。
松尾謙
神社の参道に音の仕掛けがあって、そこで手を叩いたり声を出すと木霊(こだま)が発生する。きれいに木霊するようすは神秘的だった。あまりに神秘的で本当に神様を呼んでしまうのではないかと思い私は手を打つことができなかった。音は場所そのものかも知れない。不思議な体験をした。ありがとう。
志村陽子
拝殿いっぱいに白いの菌類のようなものが生えている。これも神秘的な感じがした。神社が山の中腹の木立のなかにあるため、深い森のなかにいるような気持ちになる。流れる空気のにおいも冷たさも集落のものとは違う。そうしたこの場所の特性をよくつかんだ作品だと思った。
西宮神社はエビス様をお祀りするそうだ。ここでは毎年コイを奉納するという。エビス様は鯛を持っているからそのかわりなのだろう。きっちりとお参りをしておいた。
城戸みゆき
プラスチック製の散りレンゲでハスの花、つまり蓮華(レンゲ)を作っている。とても器用だ。それが宙に浮いたようすは本当に蓮池が出現したように見える。古い漁協の薄暗がりの中からハスの花に覆われた極楽浄土が立ち上がるようすがおもしろい。わたしは作品は場所と作家との共同作業だと思う。力のある作家はポンプのように場所のエネルギーを組み上げることができる。これはそんな作品だと思った。
堀川すなお
ここに落ちていたスチロール製のウキを青エンピツでスケッチしている。部屋中に繊細なスケッチを貼っている。これには驚いた。部屋中が青いウキのイメージで埋め尽くされると、かつてこのまわりに広がっていたというコイ養殖場のまぼろしが見えるようだった。
堀川さんがモデルとなったウキを見せてくれた。そしてここが元は養殖場であったことや西宮神社のコイの奉納のことなど聞かせてもらった。30年前にここに住んでいたかたが訪ねてきてとても懐かしがっていたそうだ。聞いているうちに次第に当時のようすが目に浮かんできた。彼女の作品はウキのスケッチではなく、この暗い部屋でスケッチをしながら訪問者と会話し、そのことを通して古い記憶をよみがえらせることだと思う。彼女の作品こそ今回の木津川アートのテーマである「百年の邂逅(かいこう)」にふさわしいだろう。
(つづく)
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研究所系はさらに場所を創り出すのが難しそうだった。研究所と言っても実際は企業のショールームを兼ねており、元から展示目的のものが多い。ショールームにアートが置かれているだけに見えて、場所の意味がくつがえるとか、新しい場所が生まれるといった効果は薄かったように思う。
藤本梨奈
研究所ホールに置かれた藤本さんの白くて大きい牛乳パックは「欠片」という名前だったと思う。あちこち傾いたようすが動きがあっておもしろい。ここはホールが小さくて引きがなく狭苦しい感じがした。里山の棚田の中に置いてやればもっと伸び伸びするだろうと思った。
中村岳
岳さんまでたどりついてようやくホッとした。ニュータウンとアートとの格闘を見てきて変に緊張していたのだ。岳さんの作品には安心感がある。今回はいつもの構築系の中に実物のような木の船がはさまっていた。とてもきれいだ。船が見事に復元されていて驚いた。よくこれほど木を曲げることができるものだと感心した。帆柱が天井を突き破りそうになっている。突き破ってしまえばいいのにと思った。
白神タカヲ
反復と連続はわたしも好きだ。こういう延々とつづくもののおもしろさは格別だ。絵も楽しいしバナナのエピソードもいかしている。惜しむらくは木津川との関連が無いことだ。ここはギャラリーなので、ギャラリーにアートが掛けているようにしか見えない。もし里山のどこか細長い場所を会場とすれば、新しい場所を生み出したろう。それだけの力がこの作品にはあったと思う。
松前美保
ホールの床にノリで描いた地図の上を人が歩くと次第に砂がついて地図が浮かび上がるという作品でおもしろかった。けっこう大きい地図で見ごたえがあった。描かれているのは木津川市の街路で鉄道は除かれていた。地図を歩くことで実際の街路を歩くことを模倣することになり、そのこと自体が作品なのだろう。
葉脈のように広がった街路のほぼ半分がニュータウンだ。この会場のURはニュータウンを造成した住宅公団の後身だから、ニュータウンの威容を誇っているように見えた。それは作者の意図ではないだろうが。
宝塚大学新宿キャンパス学外連携室
水路の音と映像の作品。壁面にモニターが30台ほどあって水路のようすが映し出されている。音がすると画面が動くという仕掛けがおもしろくて、しばらく集中して見ていた。楽しい。水路の音がどれも美しい。今回の里山会場は水路の多い場所だ。ちゃんと地域とアートとがコラボしている。
MOT8
大きくて楽しい壁画なのに橋の下なのでよく見えない。遊歩道沿いにも同じような壁面があったが、そっちはスプレー落書きがあった。今回最大規模の作品なのに気づかない人も多かったのではないか。もったいないと思う。
こうやって見てくると、ニュータウン系はロケハンで苦労したようすがよく分かる。野外のアートフェスはたくさんあるが、ニュータウンを会場にしたのは日本でこれが初めてではなかろうか。地域とアートとの関係を考えるならば当然ニュータウンにもアートフェスがあってしかるべきだ。そしてそれはたぶん里山系とは違うものになるのだろう。
(つづく)
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