アーツレヴュ

2024年8月14日 (水)

木下佳通代没後30年展を見てきた

不勉強で木下佳通代を知らなかった。京都芸大卒後から乳がんで亡くなる55才までの作品が集められている。年代ごとの展示が見やすかった。思索的な20代、実験的な30代、奔放な40代と感じた。わたしは30代の実験作品が1920年代のカンジンスキーやモホリ・ナギなどの前衛と通じているのが興味深かった。写真にあるような40代の作品群からは作家の悲鳴が聞こえるようで痛々しかった。それでも新しい表現を獲得しようとする血を吐くような真摯さが伝わる。彼女の60代を見たかった。

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2024.08.11、中之島美術館

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2024年5月13日 (月)

京都新聞社の地下印刷所跡

京都国際写真展の会場のなかでもっとも迫力があった。インクの匂いがただよっている。大きな箱を並べて展示壁としている。なかに箱の印刷機械がまだあるのか、もしくは床に空いた穴を箱でふさいでいるのかもしれない。工場跡を展示場に作り替えるうえで、さまざまな工夫があるのだろう。ヴィヴィアン・サッセンの作品群もよかった。とくにアフリカ時代の写真が心揺さぶられた。

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2024.05.11、京都市中京区

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2024年5月 6日 (月)

京都国際写真展がおもしろいのだが

内外の写真家を招いて開かれている。美術館外で臨時に開かれた会場がおもしろい。禅寺の塔頭や今は使っていない印刷工場跡など。場所が展示施設にあざやかに変身した姿に驚く。わたしとしては、そこのところに注目したいと思って歩き始めたのだが、見ていくうちに写真の迫力に魅入られてしまった。そのことをメモしておきたい。

大きく分けてアート系とジャーナル系のふたつがある。わたしがおもしろかったのは主にジャーナル系だ。

スフェラでは、数年前のイランの大規模なデモで亡くなった者の生前のビデオを集めた作品があった。ビデオのなかの彼らは笑っていたり踊っていたり楽しそうだ。もう死んでいるとは信じられない。これらはSNSの投稿された抗議ビデオを再編集したものだそうだ。ふーんと思ったのが魅入られた最初だった。

文博はアマゾン奥地の原住民の生活を撮ったドキュメンタリーだった。体中に赤土を塗り、顔に葦の管を突き刺している。そんな写真や映像が流れる背後に彼らの不思議な音楽が流れ続ける。赤土は疫病除けの呪術だろう。葦の管は女の子たちがしているのでイニシエーション儀礼なのだろう。そうしたこどもたちの真剣な目つきがおもしろい。カメラが怖いのかもしれないが、むしろ身体ひとつで自然の脅威と向き合っている真剣さを感じた。

嶋臺ギャラリーはジプシーの写真だった。写真家はすでに故人で、60年代にセンセーショナルなヌード写真で有名になった人だそうだ。ジプシーが年に一度集まって祭礼を行うアルルという町の出身で若いときから彼らと交流があったそうだ。

写真家は音楽家でもあったので、祭祀でバイオリンを弾いたりしたそうだ。作家の履歴がジプシーを撮り続けた作品の一部となっている。アマゾンにせよジプシーにせよ、その写真を撮らせてもらうまで、どれほどの時間を費やしたのだろう。写真は一瞬だが一朝一夕には撮れない。

会場が適度な間隔で配置されているので、ついつい歩き過ぎる。それもこの写真展の特徴だし楽しさの元だと思う。インターバルはクールダウンのために役立つし、歩き疲れた脳には作品がすっと入ってくる。

日暮れ時、くたくたになりながらたどり着いた旧明倫小学校の展示にもっとも感動した。「こどのたちの眠る場所」という作品だ。世界中のこどもたちの寝場所を撮った写真が大きなパネルとなっている。その脇にそのこどもの名前と写真と略歴が書かれている。そのパネルが40人分ほどあった。

寝場所はぬいぐるみで飾られたベッドであったり、難民キャンプのテントの土間であったりする。こどもたちは難民であったり、ストリートチルドレンであったり、病気であったり、ドラァグクイーンであったりとひとつとして同じものがない。こどもらは見た目普通なのだが、その環境が多用でそのことが寝場所に如実に表れていて感動した。

それは写真が切り取った現実というようなあいまいなものではなく、写真でしか表せない真実なのだと思う。そのこどもらの境遇を私はほとんど理解できない。おめかしして真剣なまなざしで立っている目の前の彼らと私とのあいだに遠い距離がある。この距離感こそ大事なのではないか。それは遠くても必ず会いに行ける距離なのだ。この距離感が写真のリアリティなのだと感じた。

思い返せばイラクもアマゾンもジプシーも距離感が明瞭だ。これがなければ平板な作品に終わってしまうだろう。距離感を際立たせるために写真家は膨大な時間を積み重ねるのだろう。好きでなければできない仕事だ。写真はおもしろい。

京都国際写真展 5月12日(日)まで 各会場有料
https://www.kyotographie.jp/

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2024.05.05、京都芸術センター(旧明倫小学校)

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2021年3月23日 (火)

特別陳列「帝国奈良博物館の誕生」メモ

奈良の博物館で図面を展示していると聞いて行ってみた。やっぱり図面がおもしろかった。気づいたことがあるのでメモしておく。

<工法について>
・壁厚みをレンガ何枚というときのレンガの向きはタテであること。これは前からどう数えるのか分からなかったのですっきりした。
・それからレンガ壁下のコンクリートのことをコンクリート基礎と書いていたがあれは地業の一部ではないのか(そのうち調べてみる)。
・あと外壁の黄色い部分はレンガ素地に黄色い漆喰仕上げだそうだ。
・濃尾震災のあと耐震レンガ造にしたそうだ。開口部の上から軒まで鉄骨が入っているとあったが、京都府立図書館のように開口部の上に平鋼で補強しているのではないかと思う。

<かたちについて>
・雨仕舞いをよくするためにトップライトをガラス屋根から今のような風呂屋風のボックス型に変えたそうだ。そのためにシルエットが下手になっている。下写真のように屋根上のトップライトが無い方がすっきりして本来のかたちがよく分かる。これはもう少し考えてもよかったと思うが、その時間がなかったのかも知れない。それほど建設を急いでいたともいえる。

<宋兵蔵について>
・発注元の現場担当者の宋はわざわざ京都から通っていたようだ。なぜだろう。京都にほかの現場があったのだろうか。これは宋の年譜を見れば分かるのかも知れない(そのうち調べてみる)。
・ほかに内匠寮監査課の山本吉治郎という人物が書類に出てくる。これは山本治兵衛の縁者ではなかろうか。治兵衛のお父さんの山本治良兵衛とも名前が似ている。山本家はもとから内匠寮を立ち上げた立川知方の立川流の流れだったのかも知れない。

<図法について>
・石工用の装飾図(原寸)を初めてみた。筆でフリーハンドで描いている。なかなかうまい。こういう仕事がしてみたい。

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2021.03.21、国立奈良博物館

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2017年11月27日 (月)

JIA京都建築家展2017

 建築家の田所(たしょ)さんが展示計画をしたというので見てきた。旧日銀京都支店の営業室にちょっと古い作業台を一直線に並べた展示がかっこよかった。「辰野金吾の建築がよく分かりました」と言っていたが、古い建築とちょっと古い作業台とがよく馴染んでいていい感じだった。ちょっとした頼まれごとであるにも全力で取り組む生真面目さには脱帽だ。たいへんよくできていました。旧日銀京都支店を設計した辰野と長野も喜んでいること請け合いです。


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 展示会タイトルを建築模型で表現したのは今まで見たことがなかった。よく考えられているぞ。


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2017.11.26、京都文化博物館別館ホール(旧日銀京都支店)

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2017年11月24日 (金)

「円満字亜矢子・高橋礼子ふたり展」のご案内

 かみさんの展覧会があしたから始まるので設営を手伝ってきた。暖かそうな高橋さんの帽子とカラフルなかみさんのジュエリーとがよく馴染んでいて楽しい展覧会となっていた。路地奥のギャラリーというロケーションもおもしろい。


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2017.11.23、阪急宝塚線石橋駅前「ギャラリー173」

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2017年10月22日 (日)

ギャラリーeyes「林真衣展」

 昨年行けなかったので今年こそと思って見てきた。行ってよかった。とても気持ちのよい絵だ。

 どんな絵かというと、大きな画面に緑だったり青だったり同系色が刷毛引きされていて、そのなかにチロチロと不定形なものが浮かんでいたり飛んでいたりする。見ていると、ハスの浮かんだ池だったり、雨に煙る山だったり、大きな滝だったり、そんな水っぽい風景が浮かんでくる。

 見ているうちにその風景が次第に鮮烈になってきて、最後には雨音や水音が聞こえてくる。そんな絵だ。絵が大きいのもよいのだろう。その前に立つと、壮大な世界の前に立っているように思えてくる。

 近づいてみると、小さな気泡を作ったり、絵の具を細かく撒き散らしたりと、いろんな工夫がされている。そうした細かい工夫が大きな画面いっぱいに展開して、ようやく大きな世界が立ち現れるわけだ。画面は大きいのに、解像度が高いわけだ。これは結構な力仕事だ。

 奈良時代の坊さんの話を読んでいると、森のなかで生きた観音やら生きた薬師に出合う話が出てくる。それはやはり水っぽい場所で、滝の前の霧っぽい場所のようなところで出る。わたしはこの絵を見ていて、そんな不思議なものが現れる寸前ではないかと思った。また、もうすでに絵のなかにはそうした精霊のようなものが現れているのかも知れないとも思った。

 絵は見ることは多いが、こんな風に体験できることは少ない。林真衣さんはそんな希少な作家だと私は思う。


2年前の林真衣展のレヴュ http://www.tukitanu.net/2015/11/eyes-322a.html 

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2015年12月16日 (水)

「町家がつなぐコミュニティ展」に行ってみた

 大阪梅田の無印で開かれている展覧会のサテライト展が京都駅前イオンであったので行ってみた。展示はわずかしか無かったが箱入り写真展がおもしろかった。白塗りの荒板の小箱のフタに町家の写真が貼られていて、開くと中にいろんな写真が入っている。オープンハウスの光景がほとんどだったが、なぜかネコ写真が混じっておりインパクトがあった。
 ほかに京都芸大生の作った町家の模型があった。これは講評会に呼ばれて苦労した。本当に苦労したんだからね。こんなところでまた出会うとは。京都の展示会は数が少ないせいで何をねらったものなのか正直よく分からなかった。大阪に行かねばなるまい。会期は明日まで。急げ。

町家がつなぐコミュニティ展 http://www.muji.net/mt/events/event/028442.html

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2015.12.13、京都駅前イオン無印良品店舗前

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2015年11月 9日 (月)

ギャラリーeyes「林真衣展」

 前から見たかった作品だ。ようやく見ることができた。思っていたより大きい。しかもとても細かいテクスチャーが画面を覆っている。気泡の割れた後のクレーターや縮み和紙のようなシワなど絵によってテクスチャーは変る。それは十分近づいてみないと分からないほど細かいものだけど、それが画面に独特の陰影を与えている。わたしは長年風雪に洗われてよい具合に古びたトタン壁を思い出した。

 画面は青だったり黄色だったり絵によって同一系の色彩なのだが、それが動いていたり流れていたりする。風や雨を思わせる動きがあるのだ。その動く色彩のなかに木や鳥などがほんのわずかな線描きで散りばめられている。わたしはここに描かれているのは「その場所」の空気なのではないかと思った。いや、光と言ったほうがよいかも知れない。絵を見ていると、その場所の空気の冷たさや温かさ、鼻孔をくすぐる山の匂い、鳥やせせらぎやこずえを揺らす風の音が聞こえてくる気がする。

 水の上の墨絵を和紙で吸い上げるように、光を吸着する吸い取り紙で空気を写し取ればこんな絵になるのではなかろうか。そのとき光が物質化して細かいテクスチャーを生んだように見える。それは新鮮な光の拓本なわけだが、テクスチャーは何十年もかけてようやく仕上がるエイジングがほどこされているのがおもしろい。

林真衣展 https://www.youtube.com/watch?v=_bRUS-1HTZc

ギャラリーeyes http://www2.osk.3web.ne.jp/~oeyes/

 

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2015年4月 6日 (月)

自主的里山アーツ「ヒツジさん」

 小さな神社を訪れたところ、木立の陰でこいつが待っていた。最初なにか分からずしばらく眺めてヒツジだということが分かった。今年の干支なのでここにいるのだろう。それにしてもとてもかわいらしい。よくできているので作家さんの屋外アーツかと思った。

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 境内の端に「おウマさん」もいた。こいつもなかなかかわいいじゃないか。


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 その棚には歴代の干支が並んでいる。ここは竹の産地なので、すべて竹でできている。目だけビー玉なのだがそれがとてもキュートで楽しい。神社に干支の作り物が置かれることはよくあるが、これほど見事なものは珍しい。こういう自主的な里山アーツは探せばもっとあるかも知れない。


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2015.04.04、京都府長岡京市子守勝手神社


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