アーツレヴュ

2015年12月16日 (水)

「町家がつなぐコミュニティ展」に行ってみた

 大阪梅田の無印で開かれている展覧会のサテライト展が京都駅前イオンであったので行ってみた。展示はわずかしか無かったが箱入り写真展がおもしろかった。白塗りの荒板の小箱のフタに町家の写真が貼られていて、開くと中にいろんな写真が入っている。オープンハウスの光景がほとんどだったが、なぜかネコ写真が混じっておりインパクトがあった。
 ほかに京都芸大生の作った町家の模型があった。これは講評会に呼ばれて苦労した。本当に苦労したんだからね。こんなところでまた出会うとは。京都の展示会は数が少ないせいで何をねらったものなのか正直よく分からなかった。大阪に行かねばなるまい。会期は明日まで。急げ。

町家がつなぐコミュニティ展 http://www.muji.net/mt/events/event/028442.html

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2015.12.13、京都駅前イオン無印良品店舗前

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2015年11月 9日 (月)

ギャラリーeyes「林真衣展」

 前から見たかった作品だ。ようやく見ることができた。思っていたより大きい。しかもとても細かいテクスチャーが画面を覆っている。気泡の割れた後のクレーターや縮み和紙のようなシワなど絵によってテクスチャーは変る。それは十分近づいてみないと分からないほど細かいものだけど、それが画面に独特の陰影を与えている。わたしは長年風雪に洗われてよい具合に古びたトタン壁を思い出した。

 画面は青だったり黄色だったり絵によって同一系の色彩なのだが、それが動いていたり流れていたりする。風や雨を思わせる動きがあるのだ。その動く色彩のなかに木や鳥などがほんのわずかな線描きで散りばめられている。わたしはここに描かれているのは「その場所」の空気なのではないかと思った。いや、光と言ったほうがよいかも知れない。絵を見ていると、その場所の空気の冷たさや温かさ、鼻孔をくすぐる山の匂い、鳥やせせらぎやこずえを揺らす風の音が聞こえてくる気がする。

 水の上の墨絵を和紙で吸い上げるように、光を吸着する吸い取り紙で空気を写し取ればこんな絵になるのではなかろうか。そのとき光が物質化して細かいテクスチャーを生んだように見える。それは新鮮な光の拓本なわけだが、テクスチャーは何十年もかけてようやく仕上がるエイジングがほどこされているのがおもしろい。

林真衣展 https://www.youtube.com/watch?v=_bRUS-1HTZc

ギャラリーeyes http://www2.osk.3web.ne.jp/~oeyes/

 

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2015年4月 6日 (月)

自主的里山アーツ「ヒツジさん」

 小さな神社を訪れたところ、木立の陰でこいつが待っていた。最初なにか分からずしばらく眺めてヒツジだということが分かった。今年の干支なのでここにいるのだろう。それにしてもとてもかわいらしい。よくできているので作家さんの屋外アーツかと思った。

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 境内の端に「おウマさん」もいた。こいつもなかなかかわいいじゃないか。


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 その棚には歴代の干支が並んでいる。ここは竹の産地なので、すべて竹でできている。目だけビー玉なのだがそれがとてもキュートで楽しい。神社に干支の作り物が置かれることはよくあるが、これほど見事なものは珍しい。こういう自主的な里山アーツは探せばもっとあるかも知れない。


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2015.04.04、京都府長岡京市子守勝手神社


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2015年3月22日 (日)

中ノ畑窯のさかずき

 駅前のフリマに寄ったところ良い感じの陶芸家さんが出展してらっしゃった。大阪府高槻市の山のなかに窯(かま)を構えてらっしゃるようだ。わたしは小さな盃〈さかずき)をふたついただいた。ひとつは青い釉薬がけのもので、どことなくベトナムあたりの陶芸を思わせる。形も古い盃を踏襲していてわたしの好みだ。さてこれで何を飲もうか。考えるだけでわくわくする。

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2015.03.21

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2014年11月16日 (日)

木津川アート2014(4)里山系・大里地区

 宮永甲太郎
 思わず笑ってしまった。ありえない風景に出合ったとき人は笑うのだ。池にプカプカと大きな壺や甕が浮かんでいる。良く見ると壺の大きさや浮かべる間隔を工夫している。簡単な手法で風景の意味を変えてしまうやりかたは反則的におもしろい。

 大里資料館の作品は収蔵品収蔵品を使ったインスタだったが、古家具を斜めに設置していて家具が傷むと思った。大里会館詰所の作品はタタミの上に土を盛ったもので、家が傷むと思った。傷つけることは対象を否定する表現になる。そうした表現はアートの重要な役目だが、ここではそういう意味で使っているのではなかろう。どちらも痛ましい気持ちが先に立って作品をよく見ることができなかった。

 渡邊あい
 共同浴室でカラフルなリボンを使った作品。入り口に色のついた洗面器がひとつ置いてあり、リボンが水を表してていることを教えてくれる。男風呂は蛇口から湯船までリボンがつながり、それが湯舟いっぱいになりつつある。女風呂はスプリンクラーの放水のように天井からいっせいにリボンが垂れ下がる。カラフルな水のしぶきが明るい浴室を満たすのは夢のように美しかった。

 加藤史江
 和紙で作られた虹がかかる。厚手の和紙は綿毛のように軽やかで、繊維が植物的にからみあう。アーチの下へもぐれば光にすかされた和紙が美しくマユの中にいるような不思議な気持ちになる。森敦の鳥海山にこういうシーンがあったことを思い出した。

 三浦さんの展示はよく分からなかった。樹木をテーマにした活動のようで興味があるのだが、写されるスライドは木津川とは関係なさそうに見えた。瀧さんの作品はどこにあるのか分からなかった。
 
 古屋崇久
 手作りのアースオーガは見ごたえがあっておもしろかった。それを器用に操縦する様子も見飽きない。説明はさっぱり理解できなかった。髪の毛を取られそうだったので早々に退散した。

 谷川夏樹
 小さなキャラバントラックが里山を走る。映写される風景は今見てきた集落内であることが分かる。犬目線くらいで風景が過ぎていくのがおもしろい。トラックもよくできていた。これが走るというパフォーマンスが作品なのだろう。それにしても「歌姫」とは何なのか。それは木津川と関係があるのだろうか。

 楠本衣里佳
 カラフルな絵が土蔵の壁にはまりこんでいる。くずれた土壁とよくなじんで何の違和感も無い。土壁は世界的に見ても珍しい発酵建材で、仕上がった後も微生物の棲家となる。つまり土壁は生きているのだ。古い土蔵の息遣いと絵は同期しているように見えた。

 小林正樹
 船上の宴会を再現している。船の上にいっせいに伸びた真鍮製のよつ葉のクローバーが、水上にきらめく光とさざなみの音を象徴している。なんと楽しそうな宴会だろうか。不思議の国のアリスに出てきそうだ。

 ヤマモト+ワダ
 大きな額縁。ここで観客自らが記念写真を撮るとことで完成する絵だ。おもしろいと思う。

 木俵元樹
 古民家で作戦遂行中の小さなコンバットたち。何の作戦なのか想像するのが楽しい。よく見るとよほど混乱しているようすで、歩哨の位置や狙撃手の配置がちぐはぐだ。ある程度の陣地構築を優先したほうが良かろう。写真はどこにあるのか気づかなかった。

 井上隆夫・浅山美由紀
 神社境内のキノコ系造形。境内の白い菌類と屋内の赤い浮遊キノコ。別々の作品だとは思わなかった。井上さんが白菌で浅山さんが赤キノコだ。どちらも大地から湧き出た生命体のように見えておもしろい。平日の夕暮れ時、誰もいない境内で風も無いのにふらふら揺れる赤いキノコをただひとり見ていると別の世界にまぎれこんだような不安感が湧いてきて少し怖かった。

 小杉俊吾
 町角に人形が立っている。遠目には本当の人に見える。近づいてみると実物よりわずかに小さいので人形だと分かる。現実だと思っていたものが人形だと気づく瞬間がスリリングだ。現実と虚像とがひっくりかえる気持ちがする。作品は人形のほうではではなく、それを実物だと思い込んでいた観客のほうにあるのかも知れない。おもしろくて楽しい。

 NTTは時間切れだった。とりあえず入ったが5分しか無かったので残念ながら感想を書けるほど見ていない。こっちからまわれば良かったとこのとき気づいた。

 林直
 100年前のカメラで日常風景を撮りそれを100年後の世界に残す試みだ。古い納屋がその上映館となる。壁に写された不鮮明な画像はまるで100年前の写真を見るようだ。つまりわたしはいつのまにか100年後の人となって100年前の写真を見ているわけだ。今回のテーマが100年の邂逅(かいこう)であったことをここでようやく思い出した。林さんの写真は前回も良かった。若いころに撮った木津川周辺の写真で、そのころから彼の写真は人の笑顔であふれて暖かい。


 思えば木津川アートもよくここまで続けてこられたものだ。いくつもの困難を潜り抜け、そのあいだに得たものはとても大きい。とくに運営を支えるボランティアの広がりは当初では考えられないほどだ。ボランティアのみなさんありがとう。

 わたしが場所性にこだわるのは自分が建築探偵だからかも知れない。昔の人の記憶に想いをはせずともアートを楽しむことはできる。しかし木津川アートは企画の段階から人の記憶と結びついていた。当初案のひとつに木造校舎を舞台にアートを使った模擬学校を開くというのがあった。それは校舎に対する地域の人たちの記憶をベースにアートを組み立てるという試みだ(その企画は前回の旧当尾小学校で実現した)。わたしはその話を聞いたときとてもワクワクした。
 こうした試みはイギリスのグラウンドワークに似ている。知られているようにグラウンドワークは失業にあえぐ地方再生のためのNPO運動で、地域史調査や風景復元のワークショップを通して地域像を再構成する教育プログラムも含まれている。木津川アートが合併した3町の住民交流を進めるためにアートを使おうとしたこととよく似ている。わたしの感想が場所性に偏るのは木津川アートの目的のひとつが地域像の再構成にあったからかも知れない。

 今回もとても楽しかった。作家のみなさん、地域のみなさんありがとう。


< 木津川アート感想まとめ >

第4回(2014) (1)(2)(3)(4)

第3回(2012) (1)(2)(3)

第2回(2011) 出展していて見てまわれず感想なし

第1回(2010) 出典していて全部を見ていないが多少感想が含まれている。http://tanuki.la.coocan.jp/kizugawa-art.html

 

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2014年11月14日 (金)

木津川アート(3)里山系・西宮神社と漁協

 今回わたしがもっとも気に入ったのは西宮神社と漁業組合だった。このあたりで何人か私を知っているかたに声をかけていただいた。口べたなのでちゃんとあいさつもできなかったが、覚えてくださる方があることがとてもうれしかった。ありがとうございました。

 松尾謙
 神社の参道に音の仕掛けがあって、そこで手を叩いたり声を出すと木霊(こだま)が発生する。きれいに木霊するようすは神秘的だった。あまりに神秘的で本当に神様を呼んでしまうのではないかと思い私は手を打つことができなかった。音は場所そのものかも知れない。不思議な体験をした。ありがとう。

 志村陽子
 拝殿いっぱいに白いの菌類のようなものが生えている。これも神秘的な感じがした。神社が山の中腹の木立のなかにあるため、深い森のなかにいるような気持ちになる。流れる空気のにおいも冷たさも集落のものとは違う。そうしたこの場所の特性をよくつかんだ作品だと思った。

 西宮神社はエビス様をお祀りするそうだ。ここでは毎年コイを奉納するという。エビス様は鯛を持っているからそのかわりなのだろう。きっちりとお参りをしておいた。

 城戸みゆき
 プラスチック製の散りレンゲでハスの花、つまり蓮華(レンゲ)を作っている。とても器用だ。それが宙に浮いたようすは本当に蓮池が出現したように見える。古い漁協の薄暗がりの中からハスの花に覆われた極楽浄土が立ち上がるようすがおもしろい。わたしは作品は場所と作家との共同作業だと思う。力のある作家はポンプのように場所のエネルギーを組み上げることができる。これはそんな作品だと思った。

 堀川すなお
 ここに落ちていたスチロール製のウキを青エンピツでスケッチしている。部屋中に繊細なスケッチを貼っている。これには驚いた。部屋中が青いウキのイメージで埋め尽くされると、かつてこのまわりに広がっていたというコイ養殖場のまぼろしが見えるようだった。
 堀川さんがモデルとなったウキを見せてくれた。そしてここが元は養殖場であったことや西宮神社のコイの奉納のことなど聞かせてもらった。30年前にここに住んでいたかたが訪ねてきてとても懐かしがっていたそうだ。聞いているうちに次第に当時のようすが目に浮かんできた。彼女の作品はウキのスケッチではなく、この暗い部屋でスケッチをしながら訪問者と会話し、そのことを通して古い記憶をよみがえらせることだと思う。彼女の作品こそ今回の木津川アートのテーマである「百年の邂逅(かいこう)」にふさわしいだろう。

(つづく)

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2014年11月13日 (木)

木津川アート2014(2)ニュータウン・研究所系

 研究所系はさらに場所を創り出すのが難しそうだった。研究所と言っても実際は企業のショールームを兼ねており、元から展示目的のものが多い。ショールームにアートが置かれているだけに見えて、場所の意味がくつがえるとか、新しい場所が生まれるといった効果は薄かったように思う。

 藤本梨奈
 研究所ホールに置かれた藤本さんの白くて大きい牛乳パックは「欠片」という名前だったと思う。あちこち傾いたようすが動きがあっておもしろい。ここはホールが小さくて引きがなく狭苦しい感じがした。里山の棚田の中に置いてやればもっと伸び伸びするだろうと思った。

 中村岳
 岳さんまでたどりついてようやくホッとした。ニュータウンとアートとの格闘を見てきて変に緊張していたのだ。岳さんの作品には安心感がある。今回はいつもの構築系の中に実物のような木の船がはさまっていた。とてもきれいだ。船が見事に復元されていて驚いた。よくこれほど木を曲げることができるものだと感心した。帆柱が天井を突き破りそうになっている。突き破ってしまえばいいのにと思った。

 白神タカヲ
 反復と連続はわたしも好きだ。こういう延々とつづくもののおもしろさは格別だ。絵も楽しいしバナナのエピソードもいかしている。惜しむらくは木津川との関連が無いことだ。ここはギャラリーなので、ギャラリーにアートが掛けているようにしか見えない。もし里山のどこか細長い場所を会場とすれば、新しい場所を生み出したろう。それだけの力がこの作品にはあったと思う。

 松前美保
 ホールの床にノリで描いた地図の上を人が歩くと次第に砂がついて地図が浮かび上がるという作品でおもしろかった。けっこう大きい地図で見ごたえがあった。描かれているのは木津川市の街路で鉄道は除かれていた。地図を歩くことで実際の街路を歩くことを模倣することになり、そのこと自体が作品なのだろう。
 葉脈のように広がった街路のほぼ半分がニュータウンだ。この会場のURはニュータウンを造成した住宅公団の後身だから、ニュータウンの威容を誇っているように見えた。それは作者の意図ではないだろうが。

 宝塚大学新宿キャンパス学外連携室
 水路の音と映像の作品。壁面にモニターが30台ほどあって水路のようすが映し出されている。音がすると画面が動くという仕掛けがおもしろくて、しばらく集中して見ていた。楽しい。水路の音がどれも美しい。今回の里山会場は水路の多い場所だ。ちゃんと地域とアートとがコラボしている。

 MOT8
 大きくて楽しい壁画なのに橋の下なのでよく見えない。遊歩道沿いにも同じような壁面があったが、そっちはスプレー落書きがあった。今回最大規模の作品なのに気づかない人も多かったのではないか。もったいないと思う。

 こうやって見てくると、ニュータウン系はロケハンで苦労したようすがよく分かる。野外のアートフェスはたくさんあるが、ニュータウンを会場にしたのは日本でこれが初めてではなかろうか。地域とアートとの関係を考えるならば当然ニュータウンにもアートフェスがあってしかるべきだ。そしてそれはたぶん里山系とは違うものになるのだろう。
(つづく)
 
 

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2014年11月12日 (水)

木津川アート2014(1)ニュータウン・公園系

 木津川アート2014を見てきた。楽しかったので感想をメモしておきたい。作品名リストが手許に無いのでタイトル無しをお許し願いたい。

 今回は今までと違ってニュータウンと里山の合同会場だった。ニュータウン系は都市公園と企業の研究施設が使われていた。わたしは木津川アートの持ち味は場所を創ることだと思っている。その場所でしかできないこと、アートを置くことでその場所が生き返ること、こうした場所とアートのコラボがわたしは好きだ。その点からいえば今回のニュータウン系はけっこう難しかったろうと思う。

 その理由はニュータウンと里山とのスケール感の違いにあると思う。アートを都市計画に取り入れる試みは早くから行われていて、ハルプリンの噴水モニュメントやカルダーのフラミンゴの現代彫刻など有名だ。いずれもけっこう大きい。噴水はおそらく300㎡はあり、フラミンゴも高さ15メートルはある。おそらくニュータウンのスケール感は自動車のものだろう。前々回の木津川アートで中島さんが市役所前広場に大クワを置いたが、あれくらいの大きさが無いと場所に負けてしまう。彼はそのことをよく知っていたようで、今回のニュータウン系でもっとも印象深かったのは彼の巨大なピンクボックスだった。

 中島和俊
 この作品はでかいティッシュケースのようなもので、大きさは高さが3.5メートルほど、長さが10メートルほどあった。ピンクに塗られた合板製で、線路に面した広場に据えられていた。おもしろいと思ったのは、線路の向い側にあるショッピングモールも同じようなかたちをしていることだ。広場の端へ行ってかがんで作品を見ると、ちょうどショッピングモールとピンクボックスとが重なって見える。クリストの包装芸術と同じようなもので、ショッピングモールをピンクに塗りつぶしたように見えるのだ。
 実を言うとわたしはショッピングモールが苦手だ。今回は会場のひとつだったので仕方なく入ったが、早く出たいと思うほど迷いに迷ってけっこう歩かされてしまった。もう途中で帰ろうかと思ったほどだ。いまいましいと思っていたところだったのでピンクに塗りつぶされるのを目の当たりにして痛快だった。これはたぶんワザとやっている。こういう意味の籠め方が彼らしいと思った。

 植松美早、小山和則
 植松さんの「柔らかい彫刻」はミノムシのようなかわいいものだった。巣箱のような穴が開いていて、本当になにかの巣のようだ。おりよくシジューガラの群れが遊んでいた。これはニュータウンの遊歩道に並べるより里山の雑木林のなかに吊ってやったほうがもっと楽しかろうと思う。
 小山さんの竹づくりの天の川は公園の木立のあいだを軽々とわたる爽快な作品だった。木や竹で作った昔の海図のようにも見える。ていねいに編み込んだものにテンションをかけてピンと張っている。クモの巣のような軽やかさが見ていて気持ちが良い。この作品も里山の竹藪の中のほうがよほど似合うだろう。
 いずれも数倍の大きさにすれば場所と釣り合うと思うが、それだと別の作品になってしまう。手作りのスケール感はニュータウンに置くと小さく見えてしまうのがくやしい。

 楢木野俶子
 公園の展望広場にとてもきれいな陶板製の柱が幾本も並んでいた。よく見ると貝殻の模様がある。小さなパーツを一面に貼り付けているようだ。モザイクタイルのような繊細で優しい作品だった。これも里山の農業倉庫の前なんかに唐突に立っていればもっと楽しいだろうと思った。

 梅原育子
 梅原さんの素焼のオブジェが芝生に転がっているのもおもしろかった。まるで丸いキノコのようだ(わたしは熊倉順吉を思い出した)。キノコがポウポウと生えてくるだけで場所は変質してしまう。それが野放図に大きくなったおもしろさがこの作品にある。やはり里山のジメッとした薄暗いところに置いてやりたいと思った。

 内山泰儀
 研究所の芝生の中に並んだカラフルな風車も良かった。まるで風の谷のナウシカのようだ。じっと見ていると矢車が回転しながら上下する機構になっている。風にあおられてなかなかうなく上がらない。最上までいつ昇るかとしばらく見とれていた。その場所にしか吹かない風をうまく視覚化した木津川アートらしい楽しい作品だと思う。これも無粋な研究所の建物をバックにするより、広々とした里山の風景のなかに置きたい。

 この研究所の中庭には高さ10メートルほどの石のオブジェがあった。これは見ごたえがあった。ニュータウンのスケール感だと、これくらいの大きさになってしまう。木津川アートの目的のひとつは新旧の住民交流だから、ニュータウンを会場に選ぶのは間違っていない。よく探せばニュータウンの中にも里山スケールの場所がきっとあるだろう。

 豊島舞
 URの車寄せの植え込みに見え隠れしているカラフルな鳥はかわいらしかった。わたしは鳥が好きだが、鳥好きの目から見てもこの鳥たちはよくできている。植え込みのなかを本当に動きまわっているように見える。変なものが突然現れることで場所の意味は変ってしまう。それがテレビの中の出来事でなく、今自分が生きている延長上に現れるのが楽しい。手作り感も植え込みの大きさによく釣り合っていた。

 Melting Pot
 公園の木立のなかに巨大なアリがいた。わたしは気味が悪かったので近づけなかった。ドキドキさせる異次元を創り出している。こういう気味の悪い場所は子供たちが大好きだ。子供は場所性に敏感なのだろう。この作品は里山ではなく取り澄ました都市公園のほうがよく似合う。

 向井潔
 これは場所のスケール感に違和感なく合致していた。おもしろかったのは子供たちがよく遊んでいたことだ。子供は居心地の良い場所に敏感に反応する。場所を創り出すことに成功している証拠だと思う。音の出るものもあって、叩くとボワンボワンと木がよく響いた。わたしはしばらくのあいだ木を叩いて遊んでいた。それを聴いてまた子供たちが集まってくるのだろう。
 
(つづく)

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2014年9月28日 (日)

「横尾忠則展、枠と水平線と…、グラフィック・ワークを超えて」2014.7.12-9.28

 横尾展に行ってきた。いつも思うのだがなぜこの美術館の解説は即物的なのだろう。画面の分節だとかモチーフの繰り返しとか、それはグラフィックデザインの一般手法であって横尾作品の特徴ではないように思う。横尾作品の特徴はコラージュと和風と夢だろう。今回も考えがまとまっているわけではないがメモしておく。

 バスタブ上にドラゴン退治の騎士の現れる絵は以前も展示されていたが何度見てもおもしろい。静かな浴室とドラゴン退治の戦場とのコントラストが楽しい。そこへレイヤーされた花魁(おいらん)のシルエットは、以前は意味が分からなかったが今はよく分かる。これはドラゴン退治の幻想が美しいということを示すのだろう。何度か見てきて分かってきたが、横尾作品に唐突に現れる女は美の女神を象徴していることが多い。

 わたしが今回もっとも印象的だったのは「四季」という題の4枚の滝の絵だ。四季それぞれの滝に女のふとももと手鏡に映った女の顔がコラージュされている。

 ( 関連展示で横尾のコレクション展のポスターがあった。彼は滝を写した古い絵葉書を集めているらしい。ポスターはその絵葉書を100枚ほど整然と並べた図柄でそれもおもしろかった。コラージュでなく整然と並べたところにコレクターの心情がよく表れている。コレクターは数を重んじる。)

 以前も書いたが横尾作品のなかの水は夢の領域を示すと私は思っている。水面が描かれていなくても画面をコイやタイなどが泳いでおればそこは水中であり夢はもう始まっている。では滝は何なのか。滝は大量の水が落ちてくるものだ。夢はバスタブや洞窟のなかでじっと静かに留まっているだけでなく、時には轟音とともに現れて冷たい水しぶきをまき散らすこともあるわけだ。なんと豪快な夢なのだろう。その滝に女をコラージュしているから、その豪快な夢に美が宿るというわけだ。

 シャワーをあびた男が世界の終末を見るという絵も印象的だった。あのシャワーも滝の一種と考えてよさそうだ。画面が赤いのはそこが赤外線スコープで見えるような異世界であることを強調する。そしてその夢を見ているのは絵の下部に描かれたゆりかごの赤ん坊なのかも知れない。

 今回はポスター中心だったが、こうやって振り返ると印象に残っているのは絵ばかりだ。わたしは文字を全部読んでしまうのでポスターを見るのは時間がかかる。それにポスターに描かれた演劇や演奏会がどんなものか想像してしまうので結果的にポスターに集中できないことが多い。大量のポスターに混じってところどころに絵があったがそこへ来ると正直ホッとした。絵はいくら文字が入っていても安心して集中できる。わたしはポスターは大好きだが絵をもっと見たい。

 

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2014年7月 6日 (日)

横尾探検隊 2014.04.12-06.29

 今回は上階の展示室にターザンの雄たけびが始終響いていたので作品をよく見ることができなかった。ああいう演出が好きな人もあるのかも知れないが、わたしは黙って絵だけを見せてほしい。今回は会場にベンチも無かった。そこに座って絵を眺めて考えをまとめるのが楽しかった。ぜひベンチを復活してほしい。さて今回は物語の挿絵風の絵ばかりが集められていた。考えがまとまっているわけではないが感想をメモしておく。

 最初のコーナーには大きなアーチ橋の下で死体を探している絵だ。ボートの上から長い棒で水中をさぐる人たち、岸でカンテラを持った警官、橋の上でそれを眺める野次馬たち。今回よく分かったのは唐突に現れる船上の輝く裸婦は美を象徴しているらしいことだ。画面に添えられた白いバラも同じ意味なのだろう。死や恐怖と美が隣り合わせであることを示している。

 次のコーナーは怪盗20面相がY字路にやってきて箱から美術品を盗む絵だ。犬に食われて死ぬ男が描きこまれている。これも死と美の一致なのだろう。遠くを行く機関車は力を象徴しているのかも知れない。まあ、このへんで気づくべきだった。たしかに挿絵はコラージュと同じ手法だということに。

 今回は横尾の絵に再三登場する20面相やターザンの元ネタも公開されていた。構図がほとんど同じで驚いた。これってリキテンスタインのポップアートと同じじゃないか。彼はスーパーマンのマンガの写し絵で有名だ。特徴はマンガの絵を引き延ばした迫力と現代美術に対する反骨だろう。わたしは横尾とポップアートの同時代性をもっと大切にしたほうがよいと思う。

 下田のY字路の絵も出ていた。Y字路の絵はわたしのお気に入りだ。そこから読み取れる物語は以前書いたが、やはり見るたびに違う話が見えてくる。Y字路に立つ仏壇店の看板と街灯とがちょうど沈没船の船橋に見える。実際の風景そのものがすでにコラージュになっているのがおもしろい。岸壁には幽霊船が現れ、あたりは海底と化す。描きこまれた海中生物がそのことを強調している。そして少年たちは潜水服に身を包んで冒険に出るのだ。ここで冒険ー死ー恐怖ー美のラインがつながる。

 わたしが迷ったのは作者の読んだ物語をわれわれも読む必要があるのかということだ。結論的に言えば、そんな面倒なことをしなくても絵を楽しむことはできる。作品はコラージュなのだから、そこに描かれたひとつづつのモチーフの出どころを追及するよりも異質なものをひとつにまとめたおもしろさを楽しむべきだろう。

 頻繁に出てくる夜、水中、洞窟は物語の舞台が夢であることを示しているのだろう。夢はいつでも異質なものが隣合うコラージュだ。しかも短い物語になっていることが多い。その点で挿絵は夢と似ている。挿絵は登場人物の顔が風景に重ねられたり、いくつかの風景を混ぜるなどコラージュの手法を多用している。つまり挿絵そのものがすでにポップアート化しているわけだ。挿絵の発展形がマンガだとすれば、マンガもまたポップアート的なのだろう。リキテンスタインや横尾はそのことに気づいていたというわけだ。
 

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