夢日記

2016年11月24日 (木)

夢日記 161124

 明け方に見た夢で少し覚えているのでメモしておく。

 大きな交差点で自分の車が私を残したまま暴走してどこかへ行ってしまう。探したところ、交差点の近くの路地に突っ込んでいた。路地の住民のおじさんが、植木鉢を壊したので弁償しろと言うので3000円を払った。
 自動車は自転車に変っていた。パンクしている。おじさんが修理するなら近くの万能屋へ行けと助言してくれる。自転車尾を押して路地を行くと自転車屋があったが看板が無いのでその店かどうか分からない。しかたなくその奥へ行くと製材所に入り込んでしまう。誰何されたので、迷いましたと言い訳して逃げる。
 路地のなかに空地が多く、これまで見過ごしていた木造の工場がよく見えた。路地の奥に広い更地があった。造成中だが、人の歩く道がある。おもしろいので写真を撮ろうとするがうまく撮れない。近くのビルの上で撮ろうとしていると母親や娘が上がってきて何を撮っているのかと問う。

 瀬戸内海に面した河口域で知らない現代作家4人と会っている。新しいアートフェスの下見だ。山に挟まれた静かな水田地域で、小さなあずまやで相談している。4人が話しかけてくれたのでようやく会話に加わることができた。お前は話してみると案外おもしろいなと言ってもらう。
 周辺を探索しようと小さなモーターボートに乗り込んで迷路のような水路をいく。途中で観光用のボートをぶつかりそうになる。その後、わたしの管理する空き地のそのばを通るが境界ロープをボートがひっかけてしまう。下船してそれを元に戻す。隣家の門灯を落として壊す。その家の娘が出てくるが、言ってる意味が分からない。
 アートフェスで見かけた人と出会うのであいさつする。付いていくと彼女らは2階建てのアパートに入っていく。自分はその手前の医院建築がおもしろいので写真を撮ろうと思アアーチストたちに待つよう言う。写真を撮る向きを考えて空地を移動しているあいだに建築が無くなってしまう。
 道端で娘がこの後どうするのかと問う。私は街歩きを続けたいが娘を連れて寺院へ行くことにする。

(夢読み)
 暴走する乗り物が出てくる。これは単に体調の悪さを示すのかも知れない。常に仲間といることは良い夢だ。創造性を表すものが娘や女性など会話可能な状態で出てくるところの良い。ただし何かを教えてもらうまでに至っていないという状況だ。空地から見える傾いた魅力的な工場や更地にできた道など、新しい価値の発見を予見している。全体的に良い夢の範疇で、新しい創造性の前で足踏みしている状況を写すのだろう。分かりやすい夢だと言える。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月 1日 (木)

夢日記 160901

 現場調査で疲れたので早めに寝た。9時間近く寝ていた。久しぶりに夢を覚えていたのでメモしておく。

 教室のようなところに仲間といる。小説の研究会らしい。そこへ高校生くらいの少年が原稿をもって入ってくる。彼の父親が指導してやってほしいと依頼する。仲間たちは少年を歓迎し原稿が回される。わたしは少年からもう1冊の冊子を渡されそれを読む。そして指導するならこれも目を通しておこうと言って仲間にその冊子を渡す。

 仲間たちと店にいる。ギャラリーとカフェとアンティークショップを兼ねたような店でまだ始めたばかりだ。学園祭のような雰囲気がある。ひとりが古いストーブを持ち込んだ。小さなもので全体に錆びている。どこのものかよく分からないらしい。わたしが調べると表面に文字が刻まれている。明治時代にドイツへ留学した折に製法を学んだとある。文字は読めないところもあるが長い文章で、鉄板上ではおさまらず額縁のような木枠にまで続いていた。

 ショップで古い映画を上映することになった。他のショップが映画を配給してくれるという。それを受け入れると雑貨もそこから仕入れることになるのではないかと心配になるが、仲間たちは気にしていないようなので言い出せずにいる。

 遅くなったので、ショップを閉めて居間に集まる。そこは大きな家でその娘がショップのオーナーらしい。娘はわたしにとって姉のような存在のようだ。もう12時を回っていたので泊まっていくでしょうと娘が言った。板敷の居間は広いので全員が寝るスペースはありそうだった。わたしは歩いて帰ろうと思うが外は雪が舞っていた。とりあえず自分の持ち物を取ってこようとショップに戻り分厚い古本を抱えて戻ってきた。

 古い祭りを撮影したフィルムを見た。石造りの城壁から神々の仮装パレードが出てくる。ごわごわとした岩のような意匠と仮面で、ゆっくりと踊りながら歩いてくる。パレードの全員がまったく同じ動作で踊るのがおもしろい。こんなすごい祭りがあったのかと感心する。

 和室の片隅で友人が検索している。場所はこれで確認してくれというのでパソコンの前に座る。気が付くとそれはパソコンから小さな車に変っていて山を登り始めた。落ちそうな崖の際を危なげに車を操作しながら登ると坂はますます狭く急になっていく。これでは帰れないのではないかと不安になっているといきなり山頂に出たので車を止めた。えぐれたように切り立った岩肌だけの景色だ。まわりで仲間たちが何かしていた。仕方がないので歩いて降りることにした。車は一輪車のようなものに変っており、それを抱えて飛び降りるようにして坂を降りた。2回ほど飛び降りて地上に戻ることができた。そこにも仲間たちがいたので、飛び降りて帰ってきたことを告げた。そこで目が覚めた。

(夢読み)
 最初の研究会の話に出てくる少年は自分なのだと思う。わたしは小説を書くにはまだ幼いという意味だろう。 

 夢を通して出てくる複数の仲間という存在は、自分の中の使われていない劣等機能のことだろう。そう言えば、これまでもこんな仲間たちは夢に出てきたが、それが劣等機能だと意識したことはなかった。

 古いストーブも古本も価値のあるお宝という意味だ。古い映画や古い祭りの映像も価値のあるお宝なのだろう。映画配給の条件にビクビクしているのは対価を支払えないと思っているようだ。ショップが始まったばかりという設定も文化祭のような雰囲気も、お宝を集めることにまだ本気になれない自分の状況を示すのだろう。お宝は生きがいを象徴している。

 ショップのオーナーはわたしの創造性なのだろう。ユング風に言えばアニマというやつだ。それが姉止まりというのはやはり創造性の幼さを象徴している。そこを離れて帰ろうとするのは創造性を拒否したことになる。

 不安定な山頂は意識の突出を象徴する。大地である無意識との交流が途絶えていることを意味する。そこは飛び降りてでも逃げなくてはならない危険な場所だ。うまく地上へ降りるというのは眼覚め前の意識による希望的な修正だろう。注意したいのはそんな危険な場所へ自動的に送り出されたということだ。自動的とは制御できないということだ。創造性を拒否したがために無意識が暴走したという意味だと思う。

 夢は教訓ではない。意識の突出を修正し無意識との関係を取り戻すことが目的らしい。この夢は現状が危ういことを教えている。一方で仲間やアニマと親しいのは無意識と繋がっていることも示す。お宝やお祭りの映像が手に入っていることも創造性と再会していることを示すのだろう。ただし関係がまだ浅くて薄い。仲間やアニマとろくに会話もできず、ストーブの来歴は途中までしかわからず、祭りの情景はゴワゴワとしか再生されない。そんな心的状況をこの夢を示している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年1月22日 (木)

夢日記 150122

 9時間も寝ていた。火曜日に接骨院に行ってから連日よく眠る。とりとめも無い夢を見た。少し覚えているのでメモしておく。

 車で鉄工所のような場所に来る。たくさんの若い男たちがいる。高校の体育の時間のような感じで作業服に着替える。鉄工所の中は天井が高くて薄暗く、床にはさまざまな機械が据えられていた。人数が多いのでなかなか全員が入れない。そのうち何かが起こって逃げ出した。大型のエレベータで上に逃げようとするがいっぱいで乗り込めない。エレベータは危ないと言いほかのものたちと外に走り出た。とくに何も起こらずみんな着替えて帰っていく。わたしは着替えが見つからず探し回る。

 工場の隣に芝生の運動場がありバス乗り場があった。バスが高速で入ってきて人をひきそうになり危ないと思う。わたしの行くところはすぐ近くなので歩いていくことにする。2階建ての鉄筋コンクリートの建物がある。前庭に車寄せがあり、建物はバルコニーをめぐらせた60年代のスタイルだ。そこは学校でわたしは歴史担当の新任教師らしい。時間割の説明を受け教室へ向かうがどの部屋か分からない。時間割に教室名が書いてあったのでようやくそこへ入る。

 教室は半分は事務室で、学生たちは壁際に並んで座っている。制服を着ているので高校生らしい。事務員のほかに指導の先生と牧師がいた。わたしの授業を見るためらしい。まず自己紹介した。円満字という。先祖が寺だったのでこういう名前だ。そして教科書を取り出した。和紙で作られた本だった。第1章第1節はどこかの村の経済史が書かれているようだった。読んだことが無い本だったので不安だった。「歴史は中高生用の教科書が一番おもしろくてよく分かる。大人用の本は難しいばかりで何も分からない。わたしはこの本を全部は読んでいないが一緒に読んでいきましょう」。教科書は端が切りそろえられていないのでページがめくりにくい。第1章第1節が見つからない。どうしてこんなに不便なのかと不満を言うと指導の先生がうちで作った本だと言った。それなら文句言えないなと思ったところで目が覚めた。

(夢読み)
 ふたつ並べると意味がよく分かる気がする。どちらも高校生たちがたくさんいるが何も始まらないという構成だ。私がなにか始めなければならないようだが、何をすれば良いのか分からず躊躇している。迷路のような学校や薄暗い鉄工所は私の無意識を表している。「見つからない服」はわたしの夢によく出てくる。これは単純に準備不足を示すことが多い。ふたつめの夢はもう少し具体的に原因を教えてくれる。それは人に与えられた教科書では授業できないということだ。人に合わせるのもほどほどにしなさいと夢は告げているのだろう。まあ分かりやすい夢か。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年1月21日 (水)

夢日記 150121

 疲れていたのか15時間も寝ていた。夢をたくさん見たが断片的にしか覚えていない。夢は同じテーマを設定を変えて何度でも見せてくれるものなので、断片的でも覚えているなら意味は解けるかもしれない。

 歌劇団のリハーサルを劇場でするというので行ってみる。次々と歌と踊りが繰り広げられ、自分もそれに出るらしく台本を持っているが何をしたらいいのか分からなくて眺めているだけだった。台本は長い紙の裏表に手書きされたもので小さく折りたたまれていた。

 劇場の暗いエントランスホールにカウンターバーがあり出演者のスターたちと親しげに話している。

 レンガ造りの女子大の前庭に友人たちといる。門柱を調べているが、根本が露出していて元の地面はもう少し高かったことが分かる。誰かが大学前の道路が拡幅したときに門を移設したと言う。そう言えば市電を通すために拡幅したことがあったと思い出した。門前に小さな池があって熱帯魚が魚が泳いでいる。ランチュウがエサをもらおうと水面に集まっている。こどもたちがそれに手を伸ばすとランチュウは口をパクパクと開いた。かまれそうだったのであわてて手をひっこめさせた。

 友人たちと車で寺院の境内のようなところへ行く。芝居小屋があって勧進芝居の始まるところだった。たくさんの観客が集まって声援を送っていた。その前には土産物の販売所があって、色とりどりにいろんなものが広げてあった。こどもたちとそこを見ていた。

(夢読み)
 ちょっと難しい。夢の中に自分が受け入れられないものがあるのかも知れない。

 前半と後半でふたつの夢だが、どちらも舞台が出てくるのが特徴だ。舞台に自分はいないことも同じだ。その横のラウンジや土産物売り場でスターやこどもたちと過ごすというのが夢の中心テーマらしい。スターやこどもたちはわたしの創造性だろうから、一緒に過ごすことは良いことだ。夢に嫌な感じが無かったから良い夢であることも間違いない。分からないのは、なぜ劇場なのかということだけだ。

 舞台に自分がいないということは自分が観客を恐れているという意味かも知れない。用意された舞台にスターやこどもたちと一緒に立てば良いと夢は言ってるのかも知れない。

 ほかはよく分かる。水面や下がった地面は無意識の状態を示す。地面に隠れていた門柱の脚部や熱帯魚が見えるのは意識から無意識が見えていることを示す。熱帯魚やレンガ造りは私にとっては価値あるものだから、無意識の底から価値のあるものが見え始めていることを示すわけだ。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年3月 6日 (木)

夢日記 140306

 目覚める前に見た夢だ。酒を控えたおかげで覚えていたようだ。断片的だがメモしておく。

 広い池の風景。湖畔に駅があり対岸に公園化された小山がある。駅からは河沿いの町が見下ろせた。迷路のような駅前の町を抜け小川をさかのぼると、崖の上に古くて美しい建物が見えた。そこへ行こうと自転車を走らせるが、砂防ダムを越えたところで道が無くなり断念する。そこは荒れた渓流で建物も見えない。

 自転車が壊れて動かなくなる。縄がぐるぐると巻き付けられている。父のような男が修理しようと縄を解く。その縄が自転車のチェーンだったようで、男はそれをはめようとするがうまくいかない。

 湖畔の宿舎にいる。洗面台が詰まって水がうまく流れない。水道の蛇口をひねり水をどんどん流すが、次第に洗面に水が溜まり始める。バキューム棒を使って掃除をしたが、先端のゴムカップが真っ平らで、うまく吸い上げてくれない。何が詰まっているのだろうと洗面の下を開けて見ると、太いパイプのなかに石がゴロゴロ詰まっていて、その間に傷ついた大きなヘビが見えた。恐くなって逃げると、半分に切れた大きなヘビが洗面所から飛び出していった。

 (夢読み)
 分かりやすい。池や迷路は無意識の象徴だが、夢はその無意識とのつながりが切れかかっていることを示すのだろう。同じテーマで3種類見せている。最初の建物は無意識もしくは私の創造性を指す。創造性とは心の泉のようなもので誰でもが持っているものだ。そこは「崖」「砂防ダム」「荒れた渓流」で遮られてたどり着けない。次の壊れた自転車は、無意識へ至る手段が絶たれていることを示す。縄は後のヘビの前兆でもあるが、呪縛されていることを示すのだろう。最後の詰まった洗面台は、やはり無意識とのつながりが行き詰まっていることを示す。そのため無意識の領域に棲むヘビは傷ついているわけだ。この場合のヘビはもちろん私の創造性を指す。腰痛が思わしくないこととも関連していそうだが、日常の閉塞感をうまく教えてくれる夢だと思う。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年11月 3日 (日)

夢日記 131103

 夜明け前に見た夢だ。短いがはっきり覚えていたのでメモしておく。

 ショッピングセンターのようなところにいる。帰るために下階へ降りようとしたところエスカレーターがほぼ垂直になっていてうまく降りられない。誰かがいたずらをしているらしい。仕方がないのでもう一度上階へ戻ると、いつのまにか自分は小さな箱に閉じ込められて上へ運ばれている。箱からは外がよく見える。はショッピングセンターの中をゴーカートのように走り回りながら上の階へと上っていくようだ。わたしは恐くなるが身動きができない。ようやく屋上遊園まで上がったところで降りることができた。さてどうやって下へ降りればよいか考えていると、目の前にひとり乗りの小さなエレベーターがありサラリーマンが乗っている。彼はニッと笑うと箱から降りてなにかを分解し始めた。そこで目が覚めた。

 (夢読み)
 分かりやすい夢だ。昇るというのはコントロールが利かないとか収拾がつかないという意味だろう。箱に詰められて身動きができないということやそれを恐いと感じることも状況が制御不能であることをよく表している。下へ降りるというのは意識が無意識に近づこうとしていることだ。無意識の世界へ帰って休もうとしているわけだ。壊れたエスカレーターやエレベーターを分解するイメージは無意識の世界との連絡が絶たれており当面修復不可能な状況を示す。わたしはこの夢は体調の不良を示すのではないかと思う。最近急に寒くなって腰痛がひどくなっている。身動きできないというのは身体的な状況と合致する。それが夢に出て来るというのは、身体的な不調が精神に影響を与えているということかも知れない。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月16日 (木)

夢日記 130516

 久しぶりにはっきり覚えていたのでメモしておく。

 大阪市の南部の幹線道路沿いを歩いている。道沿いに古い大学風の近代建築がある。白い壁に四角窓が並ぶ1930年前後のインターナショナルスタイルだ。空き屋になっているらしく、あちこち壁や窓が傷んでいる。年代の違う複数の建物が建て込んでおり渡り廊下で接続されている。建物のすき間に3本脚の白い塔が建っていた。三脚のように傾斜した円柱で上に円盤形の展望台がある。建物それぞれも横や上へ増築されているのが分かる。わたしがは何かと尋ねると、友人が1995年にパリで開かれた自動車博覧会の会場跡だと教えてくれた。

 友人と廃墟のような建物内に入る。階段が全て板敷きのスロープになっているのは博覧会用だからだろうか。それを地下へ降りていくとやはり木の廊下がある。右側の窓から外を見ると、崖のような斜面が窓際へ迫っていた。おかしな設計だと友人と話す。地下に大部屋があってイベントが終わったところらしい。人がいっぱいいる。

 友人が自転車を取りにいくというので付いていった。わたしはバス亭を探していると友人がバスカードを買ってくれた。幹線道路の交差点を友人の車に乗せてもらって曲がる。変な老人がフラフラと車に近づいて指でピストルの形を作ってわたしを撃った。驚いて友人にそのことを話すと、友人は老人に車を当てないようゆっくりと車を回転させて旧街道へ入っていった。

 街道は車の離合も難しいような狭い道で古い民家が並んでいる。わたしはそこをひとりで歩いている。人気のない街道に点々と記念碑がある。大きな青い自然石に義経(塚)などとと書かれている。道沿いの寺院へ入ろうと門をくぐるが内玄関のサッシュが閉まっていた。薄赤いカーテンが見えた。寺院に入るのはあきらめて隣りの墓地へ入った。赤穂堂という古い案内板があった。中央に粘土の盛り土がありそこへ登ると、まわりの風景が一望できた。ゆるやかな丘陵地で、川がながれる水田地帯と町が見える。足下のがけの底を川が流れている。落差が大きすぎて目がまわりそうだ。落ちないように這いつくばって盛り土を降りてきた。粘土の上に虫がいるのが見えた。

 (夢読み)
 夢はすぐに忘れてしまう。夢の有効期限が短いからだろう。だから夢はいつも新鮮だし夢読みも初めからやりなおすことになる。今回はふたつの夢を見ている。例によって同じことを表現している。博覧会場廃墟や旧街道はわたしの無意識だろう。どちらも友人が手引きするのが特徴だ。

 前半の地下室の外が崩れそうな崖であるのは何か不安を感じているという表現なのだろう。後半の崩れそうな粘土の盛り土も同じだ。落ちたり埋まったりする不安がつきまとって無意識との関係をうまく作ることができない。手引きしてくれる友人も最初だけで、最後にわたしのそばにいてくれるのは地面の小さな虫だけだ。

 博覧会場の廃墟、もう登れない展望塔、立っていられない粘土の盛り土の展望台、こうしたものは新しく知見を得て見通しを得るという行為が阻害されていることを示すのだろう。終わったイベント、読めない記念碑、閉じた寺院、塚や墓地というものも、無意識との関係がうまく作れないことを示している。よくできていて分かりやすい。もっと無意識を遊ばせなければならない。少し意識的に生き過ぎていることへの警告だろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月11日 (月)

夢日記 130311

 明け方に見た夢である。断片的だがメモしておく。

 古い大学の校舎でN先生をみかける。その後一緒に近くのコンクリート寺院の内部を見ている。真ちゅう製の銘板があり、そこに武田が計画とあった。昭和13年だから武田の亡くなった年だ。これは知らなかったと銘板の写真を撮った。

 N先生が同時期の本山本堂を見にいこうと誘うのでついていった。学校を左手に見下ろす斜面の道を進むと本山があった。内部は天井が高くて暗い。事務室横に受け付けカウンターがあり、古い銀行のようなガラスの入った真ちゅう製の隔て柵があった。

 戦前の住宅の見学会へ行った。説明を手伝ってほしいと言われて観察を始めた。これも武田の設計らしいがわたしの知らない洋館だった。白いスタッコ壁にところどころタイルを使っている。緑色の大理石ピースを小口タイル風に使って窓まわりなどの縁取りに使っていた。室内に入ると説明が始まっている。自分の順番がまわるまでにメモを作っておこうとして目が覚めた。

 (夢読み)
 昨夜と同様、同じ夢を3パターンで見ている。いずれも失われた宝が再発見されるという夢だ。「武田の名前の入った銘板」「真ちゅう製の柵」「緑色の大理石製タイル」が宝を象徴している。いずれもN先生という導き手がいるというのも大切なのだろう。まあ、良い夢なのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月10日 (日)

夢日記 130310

 久しぶりに覚えていたのでメモしておく。明け方に見た夢だ。

 母校である大学の構内を歩いている。風景は実際と違ってもっと古い建物が多く、近代建築好きの友人たちを案内しているところだ。予定コースから逸れて、近隣の古い集落へ入っていく。坂道の農村で、路面電車のような私鉄の駅がある。線路沿いに旧街道がとぎれとぎれに続いていて、われわれはそれをたどり山へ入っていく。街道沿いには古い建物も多く、あれこれ眺めながら進むうち谷の奥に突き当たってしまった。線路はトンネルで山の向こうへ続いているようだが街道は続いているようには見えない。大きな木造の製材所が数軒並んでいる前を過ぎ、線路の向こう側へ回り込んで帰り始めた。

 街道沿いの旅館のようなところへ友人と入る。畳敷きの暗い広間に通されて順番を待つように言われる。何の順番なのかは分からない。待っていると、同じような客が続々と入ってくる。客たちがスマホかなにかの端末を使おうと電源を探し始めた。友人も端末を取り出している。わたしは電源を使ってもいいか聞いて来ると言って階下へ降りた。

 わたしはそのまま外へ出て広い湖まで行った。湖の向こうには春の山が連なっている。たくさんの人が集まっていてお祭りが始まるところだ。湖には赤くて長い木の橋がかかっていた。橋は平ではなく中央線のところが高く、そこから左右の湖のほうへ傾斜していて歩きにくそうだ。そこを神輿を渡すらしい。わたしはそこで女の子を見つける。祭りが始まるまで時間がありそうなので、わたしは女の子を宿へ連れて帰った。寒そうだったので何か着せるためだ。

 女の子は巫女のようで、宿で春の山のもようの衣装を取り出してきた。わたしは山に合わせて衣装を選んではいけないと言って別の暖かいものを着せてやった。湖へ戻ると祭が始まっており橋の上に神様が降りてきた。神様は透き通って輝いており、少年の姿のようだった。巫女はブリキの箱を開けた。なかに丸い分銅のようなものがあり、それはおしゃぶりのようなものらしい。ほかに役立ちそうなものは無かった。そこで目が覚めた。

 (夢読み)
 分かりやすい。同じ夢を趣向を変えて3度見ている。それをほとんど一瞬に見ているのだろう。夢日記を書くことで夢が伝えようとしていることがはっきりする。わたしの場合はユングの心理学の夢判断の手法を学んだことで分かりやすくなった。まあ、全てが分かるわけじゃないけどね。

 さて、この夢の「古い校舎群」「街道沿いの山へつづく集落」「古い旅館」「湖」などはわたしの無意識を表している。わたしが古いものに惹かれることと直接は関係が無い。逆に本人の興味有るものを夢が使って分かりやすくしてくれているのだろう。

 この夢はかならず行き詰まるところで終わる。「トンネルのある山」「使えない端末」「渡れない橋」などがそれだ。「トンネル」「端末」「橋」を使えば向こう側とつながることができる。このトンネルは私鉄用なので電車でなければ通れない。端末は電源が無くて使えない。これは意識と無意識がうまく連動していないもどかしげな状況をイメージ化したものだろう。

 ただし橋はお祭りをすることで向こう側とつながることができるらしい。こちら側はまだ寒いが向こう側はなにかしら春めいたうるわしい場所だ。というわけで巫女が登場して向こう側の世界、つまり無意識とつながろうとするが、まだ幼いためにうまくいかない。おしゃぶりは幼いというイメージなのだろう。

 ちなみにユングの心理学で言えば巫女はわたしの創造性だ。心理学用語ではアニマとかアニムスと言う。社会的な意味での男性は、抑圧された女性的な心理機能がこころの中でアニマとなる。同様に女性では逆にアニムスとなる。失われた心理機能を統合することで人のこころはバランスを保つ。この統合するという行為はなんらかの創造的なものだとユングは考えた。それを心のなかのアニマやアニムスが助けてくれる。彼は昔話の研究を通してこの理論を導き出した。

 わたしの場合は創造性が寒くて幼くて道具も持っていない状態であることを表している。なんとも心許ない状況だが、夢自体に暗い感じは無かったし巫女と話しもできたわけだからそろそろつながってきていることを予感させる良い夢なのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年10月 7日 (日)

夢日記 121007

 明け方に見た夢だ。

 前半は忘れた。何人かと郊外の丘陵地を歩いている。雑木林の小さな峠を越したところで古い道で新しい道の交わった場所があった。まわりは住宅が建て込んでいるが、そこには屋根の抜けた古い農家と納屋が残っていた。わたしは昔の風景が見えるようだと思いながら坂を下った。

 打ち合わせのためにどこかのデザイン事務所へ向かう。途中迷うがF先輩と出会って案内してもらう。そこは先輩のほかにも見知った顔があった。大学時代の知り合いの女性たちらしい。建物は古いものでスクラッチタイルの上から白いペンキ塗りだ。デザイン事務所のほかにもテナントの入る事務所ビルらしい。ビルの名前になっている人物に聞き覚えがあった。

 事務所ではパーティの準備を忙しくしていた。階上へ上がるとパーティが始まっており、そこにも見知った顔があった。わたしはちゃんと服を着ていないことに気づき恥ずかしくなって階下へ下りた。段差のあるオープンスケースのようなところから地下へ迷い込むと、そこでは白塗りの役者たちがくつろいでいた。

 建物の屋上へ出るとそこはアミューズメントパークのようでクジラの曲芸が行われていた。その水槽の反対側は屋根のくずれた映画館跡で、舞台のアーチと階段状の客席が見下ろせた。わたしの立っている道は坂道になっていて眼下に町のパノラマが見渡せる。道の逆側は山になっていたが、突然そこから巨大UFOの母船が現れた。映画のアトラクションだろうと思ったが怖くて足がすくんだ。そこで目が覚めた。

 (夢読み)
 高低差のある夢だ。普通は地下室が無意識を表すが、この場合は坂の上がそれだ。町をさまよって古いものを見つけるというのは、わたしの夢の一大パターンだ。町は無意識を、古いものは失われた価値を表すのだろう。今回見つけたものはデザイン事務所のパーティだった。F先輩や女ともだちや白塗りの役者はわたしの何らかの創造性を示すのだろうが具体的にはよく分からない。恥ずかしくなってそこから逃げるというのは、現実におけるわたしの反応を示しているようだ。遺跡のようなところがテーマパークとして活性化しているのはよい兆候だと思う。最後の光る円盤はユング的には偉大なる「自己」を示すが、本当にあれがそうなのか実感は無いので違うと思う。目覚める直前だったし単に身体の調子が悪いだけなのではないか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧