夢日記

2022年1月 4日 (火)

夢日記 220103-4

 初夢を意識していたら多少覚えていたのでメモしておく。夢は無料のおみくじであろう。

210104(今朝目覚める前に見た夢。前半は忘れた)
 学生たちと市場を見学している。狭い路地が入り組んでおり昼間でも薄暗く店の灯りがまぶしが、人通りの少ないさびれた市場である。町家を改装した店舗もあったが店の中は空っぽだった。
 新しいマンションの見学を学生たちとしている。入り組んだ部屋と廊下を過ぎるとこども専用の幅の狭いドアがあった。階段を降りてきたこどもがドアを開けてくれた。そこは裏山に面したバルコニーだった。真新しいガラスの手すりのむこうに巨石の断崖があり、岩のようすが神仏に見えた。
 トイレに座ると眼下に四角い白い紙箱があり、なかに石鹸のようなエサが入っていて虫が集まっていた。死んだカマキリが転がっている。虫は弱っていた。
(夢読み)
 入り組んだ路地や建物の内部は無意識を表わしている。人気のない市場や空っぽの町家はそこでなにかを見つけられない状況を示す。こどもや神秘的な岩山は創造性を示す。だだしそれはバルコニーのむこう側であったり人の通れないドアの先であったりして近づくことが難しい。そうしたもどかしい状況に自分があることを夢は教えてくれる。最後の虫のイメージも同じだろう。トイレは創造性を示すことが多いが、そこで見つけるのは弱った虫だけという状況だ。
 
210103(きのうの夢。これが初夢だろう。だいぶ忘れた)
 飲み屋の入る70年代の雑居ビルの1階ホールにいる。店はほぼ無くなって空家ばかりになっていた。地下街につながっていて、そこではまだ営業しているレストランもあった。
 曲がった道なりに壁面の多いビルが建っている。やはり70年代か。ここは風俗街だったはずだが、ほぼ空家になっている。
 国道の広い交差点を巨大なトレーラーのような戦車が通り過ぎていく。誰もいない交差点に手書きのサインボードを胸にかかげるアジテータがいて何かを叫んでいる。関わらないようにしながら横断歩道を渡り交差点角のビルの屋上に上がる。向いの学習塾のビルが空き家になっていて壁面いっぱいにアジテーションが落書きされていた。振り返ると屋上全体が人の背ほどの草むらが風になびいていた。草むらに埋もれるようにして50年代の黒いアメリカ車が置かれていた。ほかにも屋上に小屋があって中に旧い車があるようだった。
(夢読み)
 雑居ビルや曲がった道も無意識を表わす。いずれもドローンから見たような俯瞰的な視点だった。これはまだ完全には無意識と合致できていない心の状態を示すのだろう。無人の交差点や空きビルもやはり無意識に潜り込めていない状況を示す。巨大な戦車のイメージの正体は不安だろう。それに抵抗するアジテーターと自分は通じ合えない。振り返ると草むらに宝物を見つけるというイメージは、宝物は意外と身近にあるという暗示だろう。メーテルリンクの「青い鳥」のような初夢である。

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2020年10月22日 (木)

夢日記 201022

夢日記は2月以来だ。よい夢のようなのでメモしておく。

道路際の木造平屋のカフェにいる。砦の柵のようなもので囲まれてた変わった架構の建築だった。中庭のデッキで友人たちと話をしている。

自転車で走っているとT先生の乗った車を見つける。後をついていくと角の古い定食屋へ吸い込まれるように車ごと入っていった。私も入っていくと先生はもういなかった。中は仕切られていて見通しが悪い。なにか食べたかったが注文できない。

知り合いの女性たちが新しい店を探すというのでついていく。土手の際に建つマンションの1階が貸しに出ているので内覧する。中はがらんどう見るべきものもない。外へ出て急な土手を昇る。土手の上から町が見える。低空飛行をしていた旅客機が黒煙をあげて変な動きを始めた。ものすごいスピードで行ったり来たりを繰り返し今にも落ちそうだ。僕たちのほうへ落ちないかと心配になったが見えないところへ落ちたのでほっとした。黒煙が上がっているのが見える。

(夢読み)
3つの夢を続けて見たようだ。夢にも3幕構造があるのだろうか。

カフェや食堂など食べ物関係が出てくるのは体調が悪いからだろう。わたしの場合、ものを食べる夢は風邪をひいているときに見る。これはまだ食べていないので予兆というところか。T先生はわたしの設計事務所勤務時代の先生ですでに鬼籍に入っている。夢に出てくることはあまりない。先生が男女差はこどものころが最大で成長するとともに差は縮まると言っていたことを最近考えていた。それで夢に出てきたのだろう。女友達たちと店舗を探すというのはなにか新しいことを始める準備をしているという意味かも知れない。

飛行機が落ちる夢は不安と新しい出発を示すそうだ。不安は分かるがなぜ新しい出発になるのだろうか。旅客機が行く先を失って右往左往する、もしくは墜落して目的地に到達しない、という意味にはなると思う。その結果新しい門出が用意されている、もしくは用意されていることに気づかないので多少乱暴なイメージで行先を変えることを知らせているのかもしれない。もしそういうことならうれしい。

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2020年2月 9日 (日)

夢日記 200209

 短い夢だが覚えていたのでメモしておく。

 古い街道を車で移動中。斜面に新しい家が見え隠れする。どれも窓の大きな過ごしやすそうな住宅でカフェになっているところもある。中へ入れてもらって話を聞きたいと思いながら眺めている。とある先生のサロンにおじゃましている。杉板張りの部屋で大きな丸いテーブルが据えられている。窓はない部屋で玄関が見える。若い男の先客がいて日本地図を描いている。地名を書き込んだあと琵琶湖の下あたりに道を描く加え占領中に米軍がよく通った道だという。わたしは地図中の大阪の位置が違うと指摘しておいた。台所のほうから声が聞こえる。男はカレーを食べて出ていった。石田ゆり子が板間に座ってカレーを食べておいしいと言っている。わたしも自分のカレーを見つけたのでいただくことにする。

(夢読み)
わたしの場合、食べ物が出てくるのは体調が悪いときだ。それはそうなのだろう。石田ゆり子はよく知らない。ファンでもない。それはわたしの創造性の象徴なのだろう。人間の姿をして言葉も交わせるというのはよい夢だ。

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2020年2月 1日 (土)

夢日記 200201

 どうやら夢を覚えるコツをつかんだようだ。3日連続で夢を覚えている。ブログではなくノートにでも書くほうがよいかも知れない。

 大阪の問屋の主人の浮気がばれて奥さんが店にどなりこんでくる。主人は大きな体を土間にこすりつけるようにして土下座している。奥さんはそれを足蹴にした。
 明治40年ころの大阪。運河にかかった橋のたもとに民間会社の社屋が辰野金吾設計で落成した。その建物は不鮮明な写真で知ってはいたが、入り口階段の壁手すりにアールヌーボー風の小さな照明器具が付いていたとは知らなかった。玄関ホールで竣工パーティが開かれ、わたしは「セ・シ・ボン」を即興で歌う。なにかほかの出し物を用意しようと思っていたが間に合わなくてそうなったようだ。夢のなかでシャンソンを歌うとは思わなかった。辰野先生も笑っていた。恩師のT先生も喜んでいた。

(夢読み)
 最初の浮気の話は自分の創造性が分裂しているという表現だろう。夢がそう言うのならそうなのかも知れない。
 準備のできていないパーティーを即興で切り抜けるというのは現実にありそうな気がする。あれこれ準備することよりも即興の力のほうが大きいことを夢は教えようとしているのだろう。

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2020年1月31日 (金)

夢日記 200131

 2日続けて覚えているので簡単にメモしておく。夢の細部が鮮明になりつつあり人物との会話もできるようになってきた。

 2階建ての木造住宅。台所の上に張られたワイヤーを掃除したいとかみさんがいうので脚立とホウキを探す。脚立はいろいろあるが適当なのが見つからない。とりあえず低いものを立てるが足場がぐらついて安定しない。ホウキもいろいろあるが見つからない。こういうのがあったはずだと言うとかみさんが分かったと言ってとってきてくれた。でもそれはわたしが思うのと違うホウキだった。
 家にはたくさんの人が住んでいて漫才師のふたりが世話をしている。家を片づけてくれるのだがいっこうに片付かない。本がいっぱいだというので本棚をもっと大きなものにすればよいと言うと目を丸くして驚いていた。
 その内のひとりが片づけるといいながらいろんな機械を分解するので床中が地井さんネジでいっぱいになっている。これでは歩けないので2階から階段にかけてホウキで掃除する。女の子が階段を登ろうとするので今は危ないからと言って掃き続ける。階段から台所の上の天井裏が見えた。紙粘土のようなもので梁や吊り木が白く塗られていた。これも漫才師たちがやったことらしい。なんのためのそうするのか訳がわからない。

(夢読み)

 最近かみさんと協力していろんな手続きをしている。初めてのことが多く連携もうまくできるわけでもない。その不安感が夢のきっかけだろう。でもそれは夢の本意ではない。

 この夢の基本は上と下の対比だ。汚れたワイヤーと散らかった床、変な天井裏と登れない階段。女の子はわたし自身の創造性の象徴だろう。それが上に登れるように掃除しているのが現在のわたしだ。

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2020年1月30日 (木)

夢日記 200130

 このところよく寝る。10時間くらい。風邪が治りきっていないせいかも知れない。風邪をひくと夢の感度が上がる。そのせいか今朝は見た夢をよく覚えていたので簡単にメモしておく。

 建築見学会の夢だ。名作とされる日本の60年代くらいの住宅をたくさんの人と見学している。コンクリート打ち放しの壁に大きめの木製建具。なかなかモダンだ。天井スラブは屋根の形に傾斜していた。細部の納まりよりもおおらかな作風に感心する。その次の見学先でははひとりで見ている。吹き抜けの広間のまわりに小さな店舗のような諸室がつながる。70年代くらいのポップな作風。階段壁手すりの幅広の金属製笠木が降り口で細くなってくるくるとした飾りになっている。腐食して切れそうだ。家の主人がそこが動くといってねじ切るように回転させる。そうしたら壊れるからやめなさいと教える。何人もの人がいる。子供や犬もいる。おばちゃんが話しかけてくれる。見学させてくれと頼んでスケッチブックを開く。描こうとすると家がなく湖が広がっている。よく見ると家は船で沖へ出ていた。自分も船に乗った。湖には水抜き穴がいくつもあり水が吸い込まれていく。その先は幅広の滝になっていてその向こうに平地の景色が見えた。見学会が終わって帰ろうとする。たくさんの人がまだ座って賑やかに話している。わたしは自分のくつをさがしている。

(夢読み)
 クツを失くす夢は立場を失うという悪い夢だとネットにある。またクツは異性を象徴するのでそれを失う意味だというフロイト風の解説もあった。この夢の場合はどちらでもない。第一歩を踏み出そうとするのだが自分はまだ準備ができていない思っているという状況説明だ。体育の時間に体操服が見つからないのと同じ夢だ。そう思っているのでは先に進めないぞという意味だろう。
 湖は無意識を示すのは間違いない。船は自意識だ。水抜き穴や滝は無意識の影響で航海に障りがあることを示すのだろう。湖は動いているので活性化している。これとうまく折り合いをつけて進む道を選びなさいということだろう。
 見学先の古い建物は自分の無意識の象徴だ。そこに親しげな人がたくさんいて話もできるというのは無意識との親密度が上がっていることを示す。これはよい兆候と捉えてよい。

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2020年1月 3日 (金)

初夢 200102

 ひとりで建築探偵をしている初夢を見た。かみさんに話すと「ゆるぎないね」と言われた。ヲタクとして今年もゆるぎないという意味だ。「それって良い夢なの?」とも聞く。よく分からないが良い夢だと思うのでメモしておく。

 西陣の路地を歩いている。奥に広い庭があるが屋敷はすでにない。

 かたわらに大きな織工場があった。木造2階建ての下見板張りのもので大きなはめ殺しのガラス窓があった。資料館に改造されているらしい。のぞくと2階まで吹き抜けになっており屋根のトラスが見えた。場内には背の高い黄金色の機織り機が据えられていた。動態保存されているのかモニュメントなのかも知れない。上部が螺旋形にねじれており先端はトラスへ達していた。小さな入り口があり市内の大学の機械系の研究室らしい。特別に保護すべき産業のための補助政策により織機を集めている。中へ入ると今風の美術館のようなホールがあった。見学させてほしいと受付でお願いしてみた。聞いてきますと係が奥へひっこんだところで目が覚めた。

(夢読み)
 おそらく目が覚める数分に見たもので黄金色の織機が主役だろう。路地の奥に取り残されたような広い庭園は無意識の象徴だろう。庭園や黄金の織機はそれぞれディテールがはっきりしていたので意識と無意識の連絡がつきはじめていることを示す。しかし庭園は廃止されたものであり織機は博物館に保存されたものでどちらも形はあるが機能はしていない。創造性としてはまだ未熟だということか。保存された織機が見たことのない形で黄金色というのは機能しなかったものが新しいものへ変化し始めているという暗示だろう。

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2019年2月21日 (木)

夢日記 190221

 仕事で夜更かしが続いている。こういうときは夢を覚えていないことが多い。今朝はなぜか覚えていたのでメモしておく。

 金沢へ行く。斜面を街道と水路が並走する古い集落が点々と続く。駅のまわりは都市化が進んでいるがすぐ近くには立派な土蔵をいくつも構えた大正期くらいの和風民家がある。家の裏は低地になっていて織物工場の廃墟があった。
 街道筋のまちなかに近代建築があり見学する。工場のような鉄筋コンクリート造り3階建ての塔のような建物だ。友人と出会う。私は彼のことをよく覚えていないが、相手は私のことをよく知ってくれている。彼はここで古い機械を見つけたと興奮している。小さな巻き上げ機のようなものだった。
 友人たちと近くのカフェへ行く。そこからも空き地の増えた古い集落のようすがよく見えた。

(夢読み)
 空き地の多い廃墟的なまちはわたしの無意識を象徴している。。そこには活性的なものが見当たらない。無意識が意識とつながりを失っている状態を示すのだろう。そこで出会う友人たちはわたしの無意識に潜んでいるなんらかの未発達な部分だ。彼らは廃墟のなかにお宝が潜んでいることを知っている。わたしは彼らを通して無意識とのつながりを取り戻そうとしている夢だ。印象としては良い夢だった。

 わたしが古いものが好きであるという意識状態と夢に古いものが出てくるという無意識のあいだにどんな関連があるのか。夢の風景が現状を規定するのか。それとも現実で見た風景が夢に出てくるのか。どっちがインプットかと考えると現実で見た風景のほうがインプットなのだろう。夢はそれを象徴として扱っているわけだ。ではなぜわたしには無意識の世界が古い町に見えるのか。古い町のどこが無意識的なのだろう。ちょっと考えてみる。

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2019年2月 2日 (土)

夢日記 190201

 風をひいたせいか12時間ほど寝たうえに夢をよく見た。覚えているところだけメモしておく。

 学校か病院のような施設の薄暗い廃墟風なホールに仲間といる。まわりの小部屋をし食べていると真っ暗一室にお化けが隠れていた。食人種系のモンスターなのだがニットスーツを着た気弱そうなお姉さんの姿をしている。そのままそこへ隠し置いておくことにする。もうひとりモンスターの少女を見つける。これは薄汚れた短髪ゴスロリ姿で、無口なのでよく分からないがこれまで迫害されてきたようす。これも隠しておくことにした。
 表へ出て海賊に雇われる。首領は短髪の少年のような少女だ。仲間たちと破壊された都市でモンスター退治とゴミあさりをする。モンスターを操る敵軍と戦闘になる。攻撃を集中させようとするがうまくいかない。仲間たちが次々とモンスターに踏みつぶされていく。自分も一旦死んだようだ。死んだ自分を空中から見ている。しかし首領の少女の涙で生き返る。
 宇宙船を賊に奪われる。乗組員の男は頭を銃で吹き飛ばされて落ちていく。残された姉妹は賊に捕らわれる。姉は賊を愛し妹を嫉妬する。そして妹はそこから逃げ出した。それが最初に出会ったゴスロリ短髪少女だった。

(夢読み)
 深層心理学的に言えば男の夢に出てくる女はその人の抑圧された創造性ということになる。わたしもそう思う。夢の殺伐として混乱したようすはカゼのせいで低下した意識状態を示すのだろう。かわりに無意識が上昇し、隠していた女たちが次々と現れたというわけだ。いずれもモンスターであったり海賊であったりと尋常なものではないが、それと話ができるというのは夢見た人の創造性が発動していることを示している。よい夢である。
 モンスターを退治してお姫様を救い出すのが西洋風の騎士物語の元型だ。でもこの夢では蘇らせるのが海賊の女首領で、涙で目覚めるのが男のほうになっている。この逆さま現象は日本の昔話によく出てくる東洋的な神話的類型の典型とされる。自分がそのとおりの夢を見るとは思わなかった。夢はおもしろい。

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2019年1月21日 (月)

夢日記 190121

 一度目覚めたように思うが前後つながっていたようにも思う。最近はこうしてメモしているためか比較的よく覚えている。こうして少し習慣づければ自分の夢を読むことができる。夢読みに害があるようにいうかたもあるが、ユングの深層心理学では正当な分析法である。

 怪人に捕らえられ後ろ手にしばられて谷あいのアジトまで連行される。怪人は黒マントの若い男でアジトには似たようなかっこうのボスがいた。拷問されるところで目が覚めた。夢の続きは仲間たちと逃げているところから始まる。仲間のなかに吉本喜劇の阪神巨人がまじっていた。
 怪人のひとりが手引きをしてくれる。怪人は崖を飛び降りるが自分たちは傾斜のゆるいところを這うようにして下りた。下に用水路があり水が流れている。草むらにバス停があってそこへ隠れた。少し離れたところへ外国軍の黒い4発ヘリが続々と着陸するのが見えた。
 自由になったわれわれは近くの温泉宿へいく。宿はインドのストゥーパのような石造りだ。入り口は顔が入るくらいの小さな木戸だった。そこを開けて呼びかける。出てきた宿の女に焼け出されたので止めてほしいと仲間が言うが断られる。わたしが浴槽掃除を手伝うからというと入れてくれた。
 古いタイル貼りの浴槽でそれを仲間たちと洗う。引き戸を開けて枠のホコリを雑巾で掃除する。枠の際に座っていた老人がどうすればよいのかと聞くので、こうやってホコリを払うと教える。クモのマユのようなところから弱った虫が
出てきたので雑巾を投げつけるが机の上に逃げられる。老婆が渡してくれた布で虫を捕らえることができた。机の上にはホコリを被った不要品がたくさんあり、その陰にも虫がいるのが見える。全部片づけなければと思ったところで目が覚めた。

(夢読み)
 爆撃や拷問は単に体調の悪さを示しているのだろと思うが、ひょっとすると「悪」として不当に抑圧された心の部分を示すのかも知れない。黒マントの怪人が助けてくれるという夢はこれまで見たことがない。体調の悪さが夢の感度を上げたのかも知れない。
 急襲ヘリの黒は怪人のマントと同じ色なので、同じく悪を象徴するのかも知れない。悪とはそうした暴力的な強制力をいうのだろう。現実世界で遠ざけられた悪は無意識化にもぐっている。この夢はその部分とのつながりを取り戻すことを言っているのだろう。分かりやすい夢だと言える。
 ストゥーパのような温泉旅館はわたしの無意識を示している。そこは古いタイルが豊富な魅力的な場所だが人が訪れたことがなく放置され虫も湧いている。それを掃除することは、忘れられ遠ざけられた心の部分を再生することを示している。この部分も分かりやすい。

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