陰陽五行説

2020年2月13日 (木)

【祖山信仰と陰陽論4】古墳はどこを向いている?

 大阪平野の古市古墳群で調べてみた。ただしどうやっても正確にはならない。正確にならない理由は古墳の形が当初から変わっている可能性があること、地図に落とすときに誤差がでること、見えるピークが地図上の山頂と一致していない可能性があることなどだ。それでもある程度の傾向は出るだろうと思ってやってみたところある程度の傾向は出た。やはり古墳は特定の山とのつながりがあるようだ。

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 古市古墳群の大きさトップ10を使った。古墳の正確な方向は決めづらい。おおよその方向を決めてそれを下の大きな地図に落とし込んだ。

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 各古墳とつながりがあると思われる山は次のとおり。

  古墳名 祖山 築造推定年代
誉田御廟山古墳 金剛山(1125)  420年ごろ
仲津山古墳 信貴山(437)? 400
岡ミサンザイ古墳 生駒山(642) 500
市野山古墳 岩湧山(898) 470
墓山古墳 二上山(517) 410
津堂城山古墳 六甲山(932)? 380
前の山古墳(軽里大塚古墳) 二上山(517) 480
野中宮山古墳 二上山(517)? 400
古室山古墳 和泉葛木山(898) 380
10 野中ボケ山古墳 信貴山(437) 520

 大阪平野にはふたつの大きな古墳群がある。ひとつは今回使った藤井寺市の古市古墳群、もうひとつは堺市の百舌鳥古墳群だ。モズ古墳群で同じことをやってみるとどうなるか。これが結構おもしろい結論になる。それはまた次回に。

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2020年2月10日 (月)

【祖山信仰と陰陽論3】古墳も陰陽になっている


 連載するつもりはなかったが長くなったので共通タイトルをつけてみた。


 比叡山は比較的新しい祭祀形態なので易を使ったのだろう。基本は雄山と雌山の対で陰陽を構成するものだと思う。だから比叡山の祭祀も古くは天神に相当する神がいたはずだ。叡山は天台密教によって聖地の上書きをしたので分かりにくくなっている。


 さて古墳が陰陽でできているというのは民俗学の分野では早くから言われてきた。たとえば渡邊欣雄は「風水、気の景観学」(人文書院1994)で前方後円墳が陰陽でできていると最初に言ったのは松本清張だとしたうえで、中国沖縄の亀甲墓が陰陽で構成されていることとも考え併せて松本説を支持した。


 最初これを読んだときほんまかいなと思ったものだが今では納得している。陰陽論は紀元前5世紀には成立していたわけだから、東洋の墓制が陰陽論からはずれるわけがない。


 ただし松本清張が前方後円墳の方向がまちまちであるのは暦のせいだとするのには賛成できない。古来、暦は木星の運行を中心に考えられた。マヤの暦が金星を中心にしていることとよく似ている。木星の公転周期、つまり太陽を一周するのに12年かかる。東洋ではこの5倍の60年を暦の一巡りとした。木星は暦の神様「大歳神」として祀られ、その位置する方向がその年の干支となった。だから古墳の方角がまちまちなのは干支や恵方など埋葬時の暦によるのだろうとした。

 しかしそれではおかしい。なぜなら大阪平野の前方後円墳で海の側を向いたものが見当たらないからだ。もし暦に従って方角を決めているのなら12方向のすべてがほぼ同数なければおかしいだろう。では暦ではないとすれば何が理由なのか。わたしは前方後円墳は山を指していると考えている。古墳は先祖の帰るべき神山の依り代として造られたのではないか。だから古墳は神山の方角を向いている。

 それを確かめるために古墳の向きと神山の位置をトレースしてみた。長くなったので続きは次回に。

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2020年2月 5日 (水)

【祖山信仰と陰陽論2】比叡山も陰陽になっている

ちなみに大阪工業大学の梅田キャンパスから比叡山もよく見える。そして二上山と同じようにピークがふたつある。左が四明岳(しめいだけ)、右が大比叡だ。大比叡のほうが高いので雄山だろう。

さてこの山も二上山と同じように天地を祀る雨ごいの山かというとそうでもない。それはご祭神を見ればわかる。比叡山は日吉山(ひえやま)が古い言い方だが、日吉大社のご祭神は大物主(おおものぬし)神と大山咋(おおやまくい)神だという。

オオヤマクイの意味はよく分かっていない。ウイッキでは咋は杭であるとし杭を打ち土地の所有を示す意味とする。つまり土地神というわけだ。一方のオオモノヌシは三輪大社のご祭神であり大国主と同一視されることも多い。

オオヤマクイが土地神で地神ならばオオモノヌシが天神だというとそうでもない。オオモノヌシは大国主や大己貴(おおなむち)などいくつも別名がある。各地で祀られていたから名前も多いのだろう。しかしそれを金気の神様になぞらえるのは無理がある。どちらかと言えば土気か木気だと思う。

比叡山のふたつのピークは「地神-地神」のセットで二上山の「天神-地神」とは違う祭祀と考えたほうがよさそうだ。わたしは易でいうところの地山謙(ちざんけん)ではないかと思っている。地と山のイメージがそろうことで謙という答えになる。この場合、地にあたるのがオオヤマクイで山がオオモノヌシなのだろう。

謙とは謙譲のことで戦勝祈願に使うことの多い卦だ。天智天皇は近江遷都に際して三輪大社からオオモノヌシを勧請したという。元から祀られていたオオヤマクイとセットになったのはこのときだ。わたしは対新羅戦の戦勝祈願をしたのではないかと思っている。

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2020.02.01、大阪市北区梅田から眺めた比叡山

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2020年2月 4日 (火)

【祖山信仰と陰陽論1】二上山は陰陽になっている

大阪工業大学梅田キャンパス最上階の菜の花食堂から二上山がよく見える。普通は「にじょうざん」と読むが古くは「ふたかみやま」といったそうだ。つまり「二神山」だ。

名前のとおりピークがふたつある。高いほうが陽気で低いほうが陰気だろう。調べてみると実際に高いほうが雄岳、低いほうが雌岳だった。大阪平野から見てもっとも特徴的な形の山なので難波京の南東守護に使われたのだろうと思っている。

さて、二上山の頂上には葛木二上神社があり豊布都霊神(とよふつのみたまかみ)と大国魂神(おおくにたまかみ)を祀る。フツ神にはいろいろな意味があるがこの場合は雷神とされる。クニタマ神のクニは土地を示す。クニタマとはこの地域の土地神様という意味だ。

この二柱の神を陰陽に当てれば雷神が陽気で国神が陰気だろう。

この構成は向日(むこう)神社と同じだ。向日神社は雷神と向神(むこがみ)の組み合わせだが向神は国神様だ。二上山の大国魂神の向日神社の向神も大歳神のこどもだという点も共通している。ようするに祭祀の原始的な形式として天と地の組み合わせがあるのだろう。もちろん雷神が天神で国神が地神だ。

葛木二上神社は古来より雨ごいの聖地だったそうだ。五行説によれば水を生むのは金気だ。雨ごいをするには金気の神を祀ればよい。雷神は木気と思いがちだが、それが天神だとすれば金気にもなる。雨ごいをするとすれば天神を祀らねばならない。しばしば雷神が刀剣をご神体とするのはそれが天神であるからだろう。一方の国神は大地の神だから土気だ。土気は金気を補強する土用の役割を果たす。

二上山の向こう側は葛木氏、こちら側は物部氏の領域だ。いずれも大規模な農地を開いた古代氏族だ。その農地の給水を司るのが二上山の神なのだ。彼らは大規模な開発を行った総仕上げとして天神を祀ったのだろう。その古い記憶がご祭神や雨ごい儀礼に残っているのだと思う。

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2020.02.01、大阪北区梅田から眺めた二上山

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2019年12月 9日 (月)

方広寺鐘銘事件メモ(2)

大仏殿と大仏の罹災状況を年表にしたのでメモしておく。

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大仏殿は第1期と第2期がある。大仏は3つあるのでややこしい。
規模比較もメモしておく。

  高さ 奥行き 建築家
第1期(失火により焼失) 52.4m 93m 58.1m 中井正吉
第2期(落雷により焼失) 45.5m 81.9m 50.05m 中井正清
奈良大仏殿第1期(戦火により焼失) 37.0m 85.8m 50.3m  
奈良大仏殿第2期(戦火により焼失) 第1期の礎石を再利用、高さ不詳 重源
奈良大仏殿第3期(現在) 49.1m 57.5m 50.5m  

第1期の秀吉の大仏殿が日本最大だった。第2期は奈良の現在の大仏殿より幅が広い。中井正清の設計なのでさぞや美しかっただろう。この大仏殿は186年間存在した。

大仏は当初木造漆喰づくり、中井のものが金銅製、その後木造と3期ある。木造漆喰づくりの仏像は珍しい。金銅製にしなかったのはこの仏が木気であることを示したかったからだろう。おそらく色漆喰塗りの華麗なものだったと想像できる。しかしこれは地震で損壊し秀吉を残念がらせた。

秀吉没後の再建は金銅製なので、これは金箔貼りだったろう。金気の仏であるわけだが、木気である洛東の地に巨大な金銅仏を置くのもどうかしている。徳川方の悪意を感じる。これも地震で壊れた。いずれも大仏は損壊しても大仏殿は大きな損傷を受けていない。木造技術の優秀さを証明している。

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2019年12月 8日 (日)

方広寺鐘銘事件メモ

慶長19年(1614)に起きた方広寺の梵鐘銘事件は徳川方のいいがかりとして知られている。本当にそうだろうか。気になるのでメモしておく。

問題となったのは「国家安康」と「君臣豊楽」の二行だ。国家が安全で健やかでありますように、君主と臣民が豊かで楽しみますようにという祈願文である。それを徳川方は家康の悪霊を安んじ、君主たる豊臣が楽しむ世がきますようにと読んだ。徳川を呪詛する豊臣方の陰謀だと騒ぎ立てたわけである。わたしは徳川方の言うとおりだと思う。

銘文の全文を読めばこれが呪詛である感は深まる。短文なので意訳してみた。

洛陽の東のふもとに仏教の道場を開く
屋根は高くそびえ梁は虹のように横たわる
さまざまな大きさの幾万もの瓦
天井の高い長い廊下
すべての壁は宝石のように光り
あらゆる方向へ輝きをなげる
騒がしい戦争の夜が明け新しい時代がやってくる
中国日本で第一番であるこの寺院はその象徴である

高く掲げた新しい鐘の
その音は永く
遠く近くに響き渡る
そのリズムは音楽となり
18回はゆっくりと
108回は早い

夜に座禅をし
昼に経を読み
夕べに法灯をともし
朝に香をたく
仏の世界を天竺の教えに聞き
湘水の遠き寺に仏法を知る(なんらかの故事か?)

東に新月を迎え
西に夕陽を送るとき
笥山に地を掘り(なんらかの故事か?)
豊山に霜が降る(なんらかの故事か?)
怪異を漢国に告げ(なんらかの故事か?)
唐の苦しみを救った(なんらかの故事か?)
霊異はおびただしく
功用は無量である

乞い願わくば
国家が健やかで安全でありますように
すべての世界が仏教で感化され
芳しい万歳の声が世界に満ちますように
君主と臣民が楽しく豊かでありますように
子孫が繁栄しますように
仏教の基礎と
寺院の堅い守りと
信者の徳が
山のように高く
水のように長くありますように

わたしが怪しいと思うのは「怪異を告げ苦しみを除く」と「おびただしい霊異の効果は絶大である」の二文だ。「怪」「苦」「霊異」などという文字を普通使うだろうか。新月と夕陽の時間も極陰を示しており呪いの時にふさわしい。

方広寺には寺院配置の点からも怪しいものを感じる。そもそも西向きの寺院は珍しい。とりあえず謎深い事件ということで。

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2019年11月23日 (土)

養父市の狛犬左右逆転事件(3)

 二宮神社の裏手にある観音堂で急こう配の屋根が現世離れした雰囲気をまとっていて素敵だ。宝形屋根なのだが頂部に宝珠ではなく煙抜きのような小屋根が載っている。これはなに? もとは茅葺だったと思うが、そのころからこんな形をしているのだろう。ひとつ考えられるのは、小屋根の両端を2と数えて陰気を象徴する数字2に合わせたこと。そういえば二宮神社という名前にも2が付いている。もしそうならこれも月待信仰の名残りかもしれない。

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2019.11.17/ワトソン紙はがきサイズ、グラフィックペン0.5.固形透明水彩/兵庫県養父市大屋町大杉大福寺

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2019年11月21日 (木)

養父市の狛犬左右逆転事件(2)

 ていねいに説明する時間がないのでメモ程度に説明しておく。

 なぜ狛犬が左右逆転なのか

 結論から言えば子安の祈りが込められているとしか考えられない。陰陽が逆転すれば陰のものは陰の場所へ、陽のものは陽の場所へ戻ろうとするので中央で陰陽がまじりあう。この場合の陰陽交合は妊娠を象徴しているわけだ。以前鞍馬の由岐神社で説明したとおりだ。

 由岐神社拝殿の謎(4)なぜ本殿の狛犬は左右が逆なのか 2019.06.17
 http://www.tukitanu.net/2019/06/post-5adff9.html 

 ちなみに二条城唐門欄間の龍と虎も逆転している。これは龍を朝廷、虎を幕府に見立てた交合を表していると私はみている。これは「京都の風水地理学」じっぴコンパクト新書2017に書いておいた(p.122)。

 さて、おもしろいのは二宮神社のご祭神がツクヨミ神であることだ。月の出を待ちながら安産祈願をする月待ち信仰は関東に多い。関西では聞いたことがないが、もし似た信仰があればその場所としてここはふさわしいことになる。二宮神社の裏手に観音堂があることも月待ち信仰との関連を思わせる。もしそうならどこかに水があるはずだ。

 月待信仰とウサギ 2009.05.06 
 http://tanuki.la.coocan.jp/strangeworld/2009-12.html

 この地域にいくつかツクヨミ神が祀られていて、どこも狛犬が逆転しているなら月待信仰の可能性は高いだろう。ほかの神社も見てみたい。

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2019年11月20日 (水)

養父市の狛犬左右逆転事件

 狛犬を描いた。場所は養蚕農家集落大杉の鎮守の一宮神社境内。コケ蒸しながらも精悍な顔つきで異彩を放っている。最初は出雲型かと思ったがそうでもない。聞けば狼だという。そう言われれば立ち上がった大きな耳が狼っぽい。台座に昭和59年奉納とあり思ったより新しい。そのころでもまだこれほどのものを彫る石工さんが地域にいらっしゃったのは驚きだ。さらに驚くべき事実がある。それは狛犬の配置が左右逆なのだ。これは事件レベルだ。謎解きは明日!

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2019.11.17/ワトソン紙はがきサイズ、グラフィックペン0.5、固形透明水彩/兵庫県養父市大屋町大杉一宮神社

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2019年10月 4日 (金)

そろそろ風水本

 のびのびになっている風水本をそろそろ書こうと思う。スケッチを入れた肩の凝らない紀行文にしよう。 うまくいけば来春発売。おたのしみに。

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祇園祭、月鉾のウサギとカメ(背に洛書あり)

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