陰陽五行説

2023年3月 9日 (木)

東金堂の整数比分割について(3)

山水蒙とはなにか。易では山と水とが揃うと蒙という答えが出る。蒙は愚かなというほど意味で決してよい漢字ではない。しかし易経は蒙について次のように説明する。

蒙は亨(とお)る。我より童蒙に求むるにあらず。童蒙より我に求む。初筮(しょぜい)には告ぐ。再三すれば瀆(けが)る。瀆るれば告げず。貞(ただ)しきに利(よ)ろし。

蒙は亨るとある。亨るとは願いがかなうという意味だ。易は64通りの答えが用意されているが、そのうち39通りは亨る。蒙はその39通りのうちのひとつなのでさほど悪い卦ではない。

その次の「我」とは易経を編纂した孔子のこととされる。「我より童蒙に求むるにあらず」とは孔子が愚かなこどもを教えるのではないという意味。「童蒙より我に求む」とはおろかなこどものほうから孔子に問いかけるいう意味。最良の教育は先生が弟子を教えるのではなく、弟子が自発的に先生に尋ねるかたちがよいというイメージを示している。

「初筮には告ぐ。再三すれば瀆る」とは、占いは1回きりのもので何度も尋ねるものではない。それは神を冒涜することになる。そして何度も聞けば神は答えなくなるという。蒙が亨るとは、幼児の純真さをもって祈れば神はそれに応えるという意味にもとれる。その祈りとは聖武帝が母とも慕う元正上皇の病気平癒だというわけである。

とりあえずその解釈で間違いとは言えないが多分にこじつけの感が残る。いまのところ五行説にしたがって水を示すというのは説明がつくが、それと山を組み合わせるというのはピンとこない。病気平癒の願いをかけるのに山水蒙は不適切であろう。

しかしながら、ひとつ気になるのは山水蒙が興福寺の地形と対応することだ。山水蒙とは山の下に泉があって朦朧とした水蒸気が立ちのぼるイメージである。なかなかに幽玄の趣きがある。実はそれは興福寺の立地そのものだ。興福寺は段丘上にあるが、がけ下に猿沢の池がある。池水は春日山から流れ落ちる卒河(そつかわ)をせき止めたものだが、上に山、下に水という形となる。つまり蒙とは興福寺の立地そのもの示す。

泉は神泉なのだろう。その水は薬師が左手にかかげる細首の容器に入った薬水なのだろう。薬師堂が水を示すのならば、その水が育むものは薬師如来であると同時に病床の元正上皇の命なのではなかったか。

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2023年3月 8日 (水)

東金堂の整数比分割について(2)

東金堂の整数比を易で読むとどうなるか。

まず水平方向だが、中央の扉のある部分とその左右とで3分割されている。
扉のある3間は仏像を安置する場所なので陰陽で言えば陽気だろう。そうすれば残りの左右は仏座でないので陰気となる。つまり陰-陽-陰とつらなる。これを易で読めば「水」となる。

東金堂は聖武天皇が先代の元正上皇の病気平癒を祈って建てた薬師堂だ。堂内に祀られていたのは薬師三尊だった。薬師は東方瑠璃浄土に現れる如来だ。方角は東方であり、東方は木気の領域である。水気は木気を育てる。したがって東金堂が「水」を示すとすれば木器である薬師に供える水気としてふさわしい。

垂直方向は、上の3分の1が垂れ壁で陽気、下の3分の2が回廊部分で空洞なので陰気、したがって下から陰-陰-陽となる。これを易で読むと「山」となる。山は土気なので土気の作用(土用)が働く。土気は他の4つの気を活性化さえる触媒の働きをする。この場合は、水平方向の示す「水気」を活性化させて木気を育てようとする願いだろう。

さて、分からないことがひとつある。「山」と「水」とが揃ったので「山水蒙」という卦が成り立つ。この意味が分からない。
長くなったので、その検討は次回に。

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2023年3月 7日 (火)

東金堂の整数比分割について

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2023.03.05、奈良市、興福寺東金堂

興福寺の東金堂はちょっと不思議なお堂だ。まず背が高いので迫力がある。加えて軒下にピンのように挿しこまれた尾垂木が髪飾りの笄(こうがい)のようで華やかだ。優美でありながら風格がある。夜会に遅れて登場した美しい貴婦人のようだ。脇堂でありながら金堂よりも目立っている。新築の金堂も東金堂にならえばよかったのに。

さて、東金堂の比率を考えてみたのでメモしておく。きれいな整数比になっているのは偶然ではなかろう。
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1.まず屋根の幅の3分の2がお堂になっている。
2.さらに中央の扉の部分は屋根の幅のほぼ3分の1である。
3.軒の高さは中央の扉の部分の幅の3分の2である。
4.回廊の高さは軒の高さの3分の2である。

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なぜ3分割ばかりなのか。これは易経に基づいていると考えるのがよかろう。易は天地人の3つの陰陽で構成されているからだ。
では、どこが易で読めるのか。それは次回に。

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2022年10月25日 (火)

建てかけ塔の風水的な意味を考えた

初層が完成したときに楠木正成が戦死したので工事が止まったと説明されるが、それは建築的に考えてあり得ない。実際にはすべての木材の加工が終わってから建てるので初層が完成しているのならば、残りの2層分の建材もできあがっている。しかも塔は最初に中心の心柱を立てるが、建てかけ塔に心柱は残っていない。つまり建てかけ塔は、ほぼ出来上がっていた3層分の建材のうち初層分だけを使って建てたお堂である。なぜ当初の予定とおり三重塔にせずに、わざわざ初層だけ使ってお堂を作ったのか。その謎は風水的に考えるとある程度は解ける。

建てかけ塔は首塚と関係付けられているのは境内を歩けばよく分かる。風水的に考えればこれは正成の再生を祈るかたちだ。もちろん現実的に生き返るわけではない。正成の霊の永続を願うように見える。

首塚のある東は太陽の登る方角なので再生を象徴する。五行で言えば木気に当たる。季節なら春、方角なら東、数字なら3と8で示される。首塚を観心寺の東側に置いたのは再生を願ってのことであろう。

また、初層のみというのは「1」を意識したからだと思う。1は水を象徴する数字だ。水を象徴する数字は1と6だが、1は生まれたての水でまだ水気としての役割を果たせない。ここに土を象徴する5が加えることで水は成長し木気を生み出す力を得る。成長した数字を象徴する数字が6である。

墓はもっとも強い土気だ。正成の首塚ならば最強の土気を発揮するだろう。つまり、建てかけ塔(1)と首塚(5)をセットにすれば水気の(6)を得て木気を育成することができる。

では観心寺の木気とはなにか。これは金堂に祀られる秘仏・如意輪観音であるとわたしは思う。観音は木気であることが多いが、とくに如意輪観音はその傾向が強い。観心寺が医療安全を功徳のひとつに上げるのもご本尊が木気だからだろう。正成の霊気によって強められた水気が木気である如意輪観音を育む。建てかけ塔はそのための風水的装置だったと考えられる。だから1層しかないのである。

ではその再生装置を誰が何のための作ったのか。首塚は足利尊氏が造らせたと観心寺のパンプにあった。それは正成の盟友として彼の菩提を弔うためであったろう。楠木家は観心寺を菩提寺としていたからだ。

それでは建てかけ塔は誰が何のために建てたのか。

もし建てかけ塔が風水装置であるならば、建てたのか後醍醐天皇しか考えられない。正成の霊力を引き出しながら如意輪観音の力を高めその結果再生されるのは、後醍醐天皇の帝王としての身体そのものだろう。そこに南朝の再生と永続への願いが掛けられていることも間違いない。

建てかけ塔の珍妙な姿は建設途上である日本国の姿を表している。ここで反転攻勢し、いずれ2層目3層目を完成させるという決意を読み取ることもできる。後醍醐天皇の南朝方は世にいわれるような悲壮感よりも明るい未来へのまなざしを私は感じる。

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2022年10月10日 (月)

大阪から四国の石鎚山が見える件

大工大梅田キャンパス18階は眺めがよい。よく晴れていたので、いつもなら水蒸気にはばまれて眺めることのできない遠くの山々がよく見えた。比叡山や大峰山が見えることは先にご紹介したとおりだ。

西側には大阪湾が光っている。海面に浮かぶ淡路島もよく見えた。でもよく見ると淡路島にしては山が高い。あわててグーグルマップを起動すると、どうやら石鎚山(1982m)らしい。

比叡山、大峰山、石鎚山と名だたる霊峰が居ながらにして眺められるとは梅田キャンパスは岩倉のようだ。ほかにも見えないか天気の良い日にまた探してみる。

梅田から見える比叡山 
http://www.tukitanu.net/2021/07/post-fc9d86.html

梅田から吉野の大峰山が見えた
http://www.tukitanu.net/2021/07/post-b34e06.html

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2022.10.06、大阪市北区梅田

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2022年8月29日 (月)

永平寺は何段なのか

永平寺は斜面をひな壇造成して作られている。なぜこんな面倒なことをしたのだろうか。まだよく分からないが、とりあえず絵に起こしてみると6段なのが分かる。それじゃあ易じゃないか。と思い至り、これを易で読めば離為火(りいか)となる。火がいっぱいあるというシンプルな卦である。火は土を生む。土用を盛んにして水の霊地から木気を生もうとしているように読める。木気は再生を象徴する。永平寺の伽藍配置は再生をテーマにしているように私には見える。
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2022.08.29

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2022年8月25日 (木)

木気の霊地・永平寺へ行ってきた

高校生のころに来て以来だ。これほど水の豊かな場所だとは知らなかった。いたるところに湧水があり、それが階段回廊沿いの水路を流れ落ちるので、どこにいても絶えず水の音が聴こえる。あらゆるものが苔むしていてここが水気に満ちた木気の霊地であることがよく分かる。

斜面をひな壇造成した立体的な境内なのもおもしろかった。山門、中雀門、仏堂、法堂(はっとう)と一直線に並ぶが、その中央軸に道はない。道がないのはほかの禅宗寺院もそうなのだが、ここでは境内が立体化することで中央軸が空中回廊のような仏の道であることが視覚的に迫る。

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2022.08.23、福井県、永平寺

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2022年7月25日 (月)

石山寺はモンサンミッシェルだ

久しぶりに滋賀県の石山寺を訪れた。寺そのものが大きな岩の上に建っていることに驚いた。まるでモンサンミッシェルではないか。以前訪れたときにも見ているはずなのだが気づかなかった。当時はどこへ行くにも幼児を連れていたので景色を確かめる余裕がなかったこともあろうが、むしろ風水の知識が無かったのでさほど気に留めなかったのだろう。では風水で考えるとどうなるのか。

この岩は石灰岩が熱や圧力によって変成した硅灰岩というものだそうだ。だから鍾乳洞のように水で浸食されて風変りな形になっている。岩は金気である。金気は水を生むのでここは水の湧き出る霊地なのだろう。水気はさらに木気を生む。観音は木気であることが多い。岩の上に如意輪観音が顕現したのは水気が木気を生んだからであろう。やはり海上の岩上に聖ミカエルの降り立たったモンサンミッシェルの伝説とよく似ている。岩上には木気の神様が降り立つのである。

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2022.06.19、滋賀県大津市、石山寺

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2022年7月18日 (月)

木気を克(こく)して雨が降る

最近、風水の話を書いていないので少しだけ。

新型コロナウイルスのが蔓延し始めた3年前から全国の社寺では疫病を抑えるお祓いや修法が行われている。それは勅使差遣の公式のものから各社寺の自主的なものまでさまざまなレベルで一斉に行われていよう。ではその祭祀とはいったいどのようなものなのか。

もっとも古典的な疫病除け祭祀は「金克木(きんこくもく)」つまり金気によって木気を克する(滅する)ものであろう。疫病除け祭祀として知られる祇園祭りは金気の神様である牛頭天皇の神力によって木気である病を滅する祭礼である。これが古来から日本で行われてきた疫病除け祭祀だ。

病は五行のなかでは木気に配される。なぜなら病は悪い風が体内に吹き込むことで起きると考えられたからだ。そして風は木気に配される。だから木気である疫病を滅するためには金気の力が必要となる。

さて、ここ数年台風の発生が少ないのは金克木の祭祀のせいではないかと思っている。金克木の祭祀は疫病を抑えるのが目的だが風全般をも克してしまう。だから風のかたまりである台風は日本に上陸できないのではないか。もし上陸しても各地で行われている金克木の祭祀によってたちまち撃墜されてしまうのだろう。

台風が九州から日本を縦断するコースをたどろろうとすれば、最初に九州の宗像大社、大宰府天満宮、宇佐八幡宮を通り抜けねばならない。そのあとは中国地方の厳島神社、出雲大社、吉備津彦神社と続き、畿内へ入れば円教寺、住吉大社、松尾大社、伏見稲荷大社、上賀茂下鴨神社、そして高野山と比叡山延暦寺が待ち構える。中部地方から北へかけても続々と金克木の祭祀は行われており台風の北上は難しかろう。

もうひとつ思うのは、金気が強すぎて水気が増えることだ。ここ数年、台風は少ないわりに夏の雨が長いのは金克木の祭祀の副作用ではないか。金気は水気を生むからだ。しばらくは大雨に注意したほうがよいだろう。

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2022年1月11日 (火)

薬師寺の塔の謎を解く(7)平城京の守護神

龍田大神は風神であると同時に疫神であった。そのことは7年前のブログに書いていた。

法隆寺の謎を解く(2013.11.14) http://www.tukitanu.net/2013/11/post-e6ef.html

法隆寺の再建が平城京建設と同時に進められていたことは着目してよい。どちらにも裳階が付けられていることは平城京守護のために法隆寺を調整した形跡ではないかとわたしは思う。調整の詳しい中身については再度検討したいと思っているが、とりあえず平城京の防疫のために金気の神様である龍田大神を祀りなおした点は動かないだろう。それは薬師寺が防疫目的の寺であることと共通している。

7年ー5年前の連載は自分でいうのも何だが、いま読み返してみてもおもしろい。とくに雲形ひじきを風、手すりの崩し卍を雷と読んで風雷益の易を導き出した推理はよくできている。なぜなら益は「国を遷すに利あり」と易経にあるからだ。まさに遷都のために法隆寺を祀りなおした状況証拠のひとつといえよう。

法隆寺の謎を解く(2)(2015.6.14) http://www.tukitanu.net/2015/06/post-5c61.html

連載の(3)では法隆寺金堂の仏像配置から聖徳太子信仰のはじまりと新国家建設との関係を推理している。書いてから5年も経っているので自分でも内容をすっかり忘れていた。おもしろいな。

法隆寺の謎を解く(3)(2016.6.26) http://www.tukitanu.net/2015/06/post-59af.html

横道にそれた。法隆寺と薬師寺のどちらもが平城京の防疫を担当するために整備されたとすれば、薬師寺の薬師如来も金気の神・龍田大神と習合していると考えてよいのではないか。薬師寺は法隆寺の出先機関として用意されたようにも見える。

法隆寺は都の南西にある。先天図によれば易の8つのイメージのうち南西に配当されるのは風である。ぴったりだ。というより龍田大神が風の位置になるように都は造られたと考えるべきだろう。つまり風の位置に風神を祀ったのではなく、既存の風神が風の位置になるように都を計画したのだ。つまり龍田大社(=法隆寺)の北東に都を置いたわけだ。平城京の立地はこうして決められたと推定できる。

龍田大神は竜田姫神でもある。それと対になるのは佐保姫神だ。竜田姫が秋を象徴するのに対して佐保姫は春を象徴する。つまり木気の神様なのだ。薬師寺が竜田姫の聖地であるならば大安寺は佐保姫の聖地であろう。やはり大安寺は木気の聖地として整備されていると考えてよい。

佐保山は都の北東にある丘陵地だ。先に見た通り先天図によれば北東には雷が配置される。雷は木気であり妊娠を示すイメージであった。竜田姫により疫病を防ぎ、佐保姫により子安を願う。これが平城京のコンセプトであろう。それはそのまま新しい律令国家体制による国家鎮護の祈りの形式そのままであろう。下に図示しておいた。

しかし、そうまでして防疫と子安の呪術を織り込んだにも関わらず平城京は疫病に襲われ、また皇室には男子がなかなか生まれなかった。そして疫病と内部抗争によって平城京は内部から崩れていった。それが奈良時代という時代であったと思う。
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これで今回の連載を終える。薬師寺の塔の謎を解くうちに平城京の計画コンセプトが分かったのが今連載の収穫であった。「京都の風水地理学」を書いたのは2017年だった。その後で提出した「奈良の風水地理学」の企画は採用されなかったが、今ならもっとおもしろく書くことができよう。ちなみに前著はアマゾンでいまでも売れ続けているようだ。こんなことを書くものが他にいないので少しずつ売れ続けているのだろう。新本の版元を募集したい。

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