陰陽五行説

2023年12月 5日 (火)

なぜ天理に天理教があるのか?

まいまい京都の天理ツアーに参加していくつか分かったことがあるのでメモしておく。

天理教の中山みき教祖はこの地を人類発祥の場所と定めて「かんろだい」と名付けた六角柱を据えたという。なぜ中山教祖はこの地を人類発祥の地としたのか。それは周囲を歩けば、ある程度分かってくる。

「かんろだい」の据えられた神殿の前を布留川(ふるがわ)が流れている。ツアーで紹介された地名伝説が興味深い。むかし上流から剣が流れていたという。その剣は川の岩を切り裂きながら流れてきたが、乙女の投げた布に留められて引きあげられた。そのときから布留川と呼ばれるという。この伝説に剣が出てくるのは、すぐ上流に剣神フツミタマを祀る石上神宮があるからだろう。

神宮はフルミタマも祀する。神宮のHPによればフルミタマには生命を再生する力がある。フルとは振動の振(ふる)だろう。魂を震わせることで生命をよみがえらせることができる。そのための鎮魂祭(たまふりのまつり)が神宮には今も伝わる。

こうやって見てくればフル川がどういう場所だったか見えてくるだろう。そこは先祖霊を鎮めるための葬送の地であると同時に新しい生命誕生を願う子安信仰の地でもあった。信仰の中心は石上神宮の鎮座するフル森であり、祭祀の舞台はフル川の河原であった。

中山みき教祖のいう人類の発祥とは、フル川で行われてきた生命の再生をいうのではないか。そうであれば河原を望む地に「かんろ台」を立てたのは、これ以上ないくらいに相応しい選地であるといえる。

ちなみに「かんろ」は甘露だろう。甘き露とは生命をはぐくむ生命の水のことである。五行説で言えば水気が木気を生む相生の関係を示す。木気は生命誕生の季節である春に配当される。天理教のご神紋が春を示す梅花であるのはそのためだろう。また6は水気を象徴する数字である。柱が六角形なのは水を象徴させたからと考えられる。

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2023.12.03、奈良県天理市

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2023年9月 4日 (月)

雷雨の修学院離宮を参観した(4)

窮邃亭の屋根にある切子頭(がしら)の宝珠を以前から見たかった。立方体の角を落とした形で切頂六面体ともいうそうだ。これは一体なにを示しているのだろう。扁額がシンプルな陰陽図だったことから、この切子頭も陰陽図なのだと思う。

切子頭の展開図に十二支を当てはめてみた。写真で見ると菊のご紋章のある面が斜めを向くように置かれている。窮邃亭は東西南北から45度傾いて配置されているので、菊のある面はそれぞれ
子(北)、卯(東)、午(南)、酉(西)を正しく向く。切子頭の宝珠は、ここが陰陽定まった聖域であることを示すための呪術であろう。

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2023.08.24、京都市

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2023年7月18日 (火)

天沢履(てんたくり)の祇園祭

薙刀鉾(なぎなたぼこ)をスケッチして気がついたことがある。赤いのである。たまたまかとも思ったが、描いているうちに、これはわざと赤く見せているのだろうと思い至った。なぜ赤いのか。最初、五行説の火気の赤かと思ったが、それでは成り立たない。なぜなら祇園神である牛頭天皇は金気と言われており、火気を嫌うからだ。ではなぜか。

柱の上方に縄の結び目がある。数えてみると7つだった。ようやく、ああそうか、と気づいた。これは七赤(しちせき)金星の沢(たく)なのだ。だから赤くなければならないのである。薙刀鉾は名前のとおり金気の車で、それは八卦の沢をしめしている。金気の神様・牛頭天皇に奉仕する。ここに天沢履(てんたくり)の易のかたちが成立する。

天沢履は虎の尾を履んでも大丈夫という意味だ。この場合の虎は疫病をさす。天沢履は最上の疫病除けの呪いなのだ。

描き終わって四条通りを見渡すと函谷鉾(かんこぼこ)が目に入った。赤い。そして縄の結び目が7つ。遠目に見ても長刀鉾そっくりではないか。函谷鉾は長刀鉾と表裏なのではないか。これはまた別の謎である。

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2023.07.13/ヴァフアール水彩紙粗目F4、グラフィックペン0.5、固形透明水彩 /祇園祭

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2023年3月 9日 (木)

東金堂の整数比分割について(3)

山水蒙とはなにか。易では山と水とが揃うと蒙という答えが出る。蒙は愚かなというほど意味で決してよい漢字ではない。しかし易経は蒙について次のように説明する。

蒙は亨(とお)る。我より童蒙に求むるにあらず。童蒙より我に求む。初筮(しょぜい)には告ぐ。再三すれば瀆(けが)る。瀆るれば告げず。貞(ただ)しきに利(よ)ろし。

蒙は亨るとある。亨るとは願いがかなうという意味だ。易は64通りの答えが用意されているが、そのうち39通りは亨る。蒙はその39通りのうちのひとつなのでさほど悪い卦ではない。

その次の「我」とは易経を編纂した孔子のこととされる。「我より童蒙に求むるにあらず」とは孔子が愚かなこどもを教えるのではないという意味。「童蒙より我に求む」とはおろかなこどものほうから孔子に問いかけるいう意味。最良の教育は先生が弟子を教えるのではなく、弟子が自発的に先生に尋ねるかたちがよいというイメージを示している。

「初筮には告ぐ。再三すれば瀆る」とは、占いは1回きりのもので何度も尋ねるものではない。それは神を冒涜することになる。そして何度も聞けば神は答えなくなるという。蒙が亨るとは、幼児の純真さをもって祈れば神はそれに応えるという意味にもとれる。その祈りとは聖武帝が母とも慕う元正上皇の病気平癒だというわけである。

とりあえずその解釈で間違いとは言えないが多分にこじつけの感が残る。いまのところ五行説にしたがって水を示すというのは説明がつくが、それと山を組み合わせるというのはピンとこない。病気平癒の願いをかけるのに山水蒙は不適切であろう。

しかしながら、ひとつ気になるのは山水蒙が興福寺の地形と対応することだ。山水蒙とは山の下に泉があって朦朧とした水蒸気が立ちのぼるイメージである。なかなかに幽玄の趣きがある。実はそれは興福寺の立地そのものだ。興福寺は段丘上にあるが、がけ下に猿沢の池がある。池水は春日山から流れ落ちる卒河(そつかわ)をせき止めたものだが、上に山、下に水という形となる。つまり蒙とは興福寺の立地そのもの示す。

泉は神泉なのだろう。その水は薬師が左手にかかげる細首の容器に入った薬水なのだろう。薬師堂が水を示すのならば、その水が育むものは薬師如来であると同時に病床の元正上皇の命なのではなかったか。

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2023年3月 8日 (水)

東金堂の整数比分割について(2)

東金堂の整数比を易で読むとどうなるか。

まず水平方向だが、中央の扉のある部分とその左右とで3分割されている。
扉のある3間は仏像を安置する場所なので陰陽で言えば陽気だろう。そうすれば残りの左右は仏座でないので陰気となる。つまり陰-陽-陰とつらなる。これを易で読めば「水」となる。

東金堂は聖武天皇が先代の元正上皇の病気平癒を祈って建てた薬師堂だ。堂内に祀られていたのは薬師三尊だった。薬師は東方瑠璃浄土に現れる如来だ。方角は東方であり、東方は木気の領域である。水気は木気を育てる。したがって東金堂が「水」を示すとすれば木器である薬師に供える水気としてふさわしい。

垂直方向は、上の3分の1が垂れ壁で陽気、下の3分の2が回廊部分で空洞なので陰気、したがって下から陰-陰-陽となる。これを易で読むと「山」となる。山は土気なので土気の作用(土用)が働く。土気は他の4つの気を活性化さえる触媒の働きをする。この場合は、水平方向の示す「水気」を活性化させて木気を育てようとする願いだろう。

さて、分からないことがひとつある。「山」と「水」とが揃ったので「山水蒙」という卦が成り立つ。この意味が分からない。
長くなったので、その検討は次回に。

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2023年3月 7日 (火)

東金堂の整数比分割について

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2023.03.05、奈良市、興福寺東金堂

興福寺の東金堂はちょっと不思議なお堂だ。まず背が高いので迫力がある。加えて軒下にピンのように挿しこまれた尾垂木が髪飾りの笄(こうがい)のようで華やかだ。優美でありながら風格がある。夜会に遅れて登場した美しい貴婦人のようだ。脇堂でありながら金堂よりも目立っている。新築の金堂も東金堂にならえばよかったのに。

さて、東金堂の比率を考えてみたのでメモしておく。きれいな整数比になっているのは偶然ではなかろう。
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1.まず屋根の幅の3分の2がお堂になっている。
2.さらに中央の扉の部分は屋根の幅のほぼ3分の1である。
3.軒の高さは中央の扉の部分の幅の3分の2である。
4.回廊の高さは軒の高さの3分の2である。

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なぜ3分割ばかりなのか。これは易経に基づいていると考えるのがよかろう。易は天地人の3つの陰陽で構成されているからだ。
では、どこが易で読めるのか。それは次回に。

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2022年10月25日 (火)

建てかけ塔の風水的な意味を考えた

初層が完成したときに楠木正成が戦死したので工事が止まったと説明されるが、それは建築的に考えてあり得ない。実際にはすべての木材の加工が終わってから建てるので初層が完成しているのならば、残りの2層分の建材もできあがっている。しかも塔は最初に中心の心柱を立てるが、建てかけ塔に心柱は残っていない。つまり建てかけ塔は、ほぼ出来上がっていた3層分の建材のうち初層分だけを使って建てたお堂である。なぜ当初の予定とおり三重塔にせずに、わざわざ初層だけ使ってお堂を作ったのか。その謎は風水的に考えるとある程度は解ける。

建てかけ塔は首塚と関係付けられているのは境内を歩けばよく分かる。風水的に考えればこれは正成の再生を祈るかたちだ。もちろん現実的に生き返るわけではない。正成の霊の永続を願うように見える。

首塚のある東は太陽の登る方角なので再生を象徴する。五行で言えば木気に当たる。季節なら春、方角なら東、数字なら3と8で示される。首塚を観心寺の東側に置いたのは再生を願ってのことであろう。

また、初層のみというのは「1」を意識したからだと思う。1は水を象徴する数字だ。水を象徴する数字は1と6だが、1は生まれたての水でまだ水気としての役割を果たせない。ここに土を象徴する5が加えることで水は成長し木気を生み出す力を得る。成長した数字を象徴する数字が6である。

墓はもっとも強い土気だ。正成の首塚ならば最強の土気を発揮するだろう。つまり、建てかけ塔(1)と首塚(5)をセットにすれば水気の(6)を得て木気を育成することができる。

では観心寺の木気とはなにか。これは金堂に祀られる秘仏・如意輪観音であるとわたしは思う。観音は木気であることが多いが、とくに如意輪観音はその傾向が強い。観心寺が医療安全を功徳のひとつに上げるのもご本尊が木気だからだろう。正成の霊気によって強められた水気が木気である如意輪観音を育む。建てかけ塔はそのための風水的装置だったと考えられる。だから1層しかないのである。

ではその再生装置を誰が何のための作ったのか。首塚は足利尊氏が造らせたと観心寺のパンプにあった。それは正成の盟友として彼の菩提を弔うためであったろう。楠木家は観心寺を菩提寺としていたからだ。

それでは建てかけ塔は誰が何のために建てたのか。

もし建てかけ塔が風水装置であるならば、建てたのか後醍醐天皇しか考えられない。正成の霊力を引き出しながら如意輪観音の力を高めその結果再生されるのは、後醍醐天皇の帝王としての身体そのものだろう。そこに南朝の再生と永続への願いが掛けられていることも間違いない。

建てかけ塔の珍妙な姿は建設途上である日本国の姿を表している。ここで反転攻勢し、いずれ2層目3層目を完成させるという決意を読み取ることもできる。後醍醐天皇の南朝方は世にいわれるような悲壮感よりも明るい未来へのまなざしを私は感じる。

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2022年10月10日 (月)

大阪から四国の石鎚山が見える件

大工大梅田キャンパス18階は眺めがよい。よく晴れていたので、いつもなら水蒸気にはばまれて眺めることのできない遠くの山々がよく見えた。比叡山や大峰山が見えることは先にご紹介したとおりだ。

西側には大阪湾が光っている。海面に浮かぶ淡路島もよく見えた。でもよく見ると淡路島にしては山が高い。あわててグーグルマップを起動すると、どうやら石鎚山(1982m)らしい。

比叡山、大峰山、石鎚山と名だたる霊峰が居ながらにして眺められるとは梅田キャンパスは岩倉のようだ。ほかにも見えないか天気の良い日にまた探してみる。

梅田から見える比叡山 
http://www.tukitanu.net/2021/07/post-fc9d86.html

梅田から吉野の大峰山が見えた
http://www.tukitanu.net/2021/07/post-b34e06.html

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2022.10.06、大阪市北区梅田

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2022年8月29日 (月)

永平寺は何段なのか

永平寺は斜面をひな壇造成して作られている。なぜこんな面倒なことをしたのだろうか。まだよく分からないが、とりあえず絵に起こしてみると6段なのが分かる。それじゃあ易じゃないか。と思い至り、これを易で読めば離為火(りいか)となる。火がいっぱいあるというシンプルな卦である。火は土を生む。土用を盛んにして水の霊地から木気を生もうとしているように読める。木気は再生を象徴する。永平寺の伽藍配置は再生をテーマにしているように私には見える。
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2022.08.29

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2022年8月25日 (木)

木気の霊地・永平寺へ行ってきた

高校生のころに来て以来だ。これほど水の豊かな場所だとは知らなかった。いたるところに湧水があり、それが階段回廊沿いの水路を流れ落ちるので、どこにいても絶えず水の音が聴こえる。あらゆるものが苔むしていてここが水気に満ちた木気の霊地であることがよく分かる。

斜面をひな壇造成した立体的な境内なのもおもしろかった。山門、中雀門、仏堂、法堂(はっとう)と一直線に並ぶが、その中央軸に道はない。道がないのはほかの禅宗寺院もそうなのだが、ここでは境内が立体化することで中央軸が空中回廊のような仏の道であることが視覚的に迫る。

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2022.08.23、福井県、永平寺

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