建てかけ塔の風水的な意味を考えた
初層が完成したときに楠木正成が戦死したので工事が止まったと説明されるが、それは建築的に考えてあり得ない。実際にはすべての木材の加工が終わってから建てるので初層が完成しているのならば、残りの2層分の建材もできあがっている。しかも塔は最初に中心の心柱を立てるが、建てかけ塔に心柱は残っていない。つまり建てかけ塔は、ほぼ出来上がっていた3層分の建材のうち初層分だけを使って建てたお堂である。なぜ当初の予定とおり三重塔にせずに、わざわざ初層だけ使ってお堂を作ったのか。その謎は風水的に考えるとある程度は解ける。
建てかけ塔は首塚と関係付けられているのは境内を歩けばよく分かる。風水的に考えればこれは正成の再生を祈るかたちだ。もちろん現実的に生き返るわけではない。正成の霊の永続を願うように見える。
首塚のある東は太陽の登る方角なので再生を象徴する。五行で言えば木気に当たる。季節なら春、方角なら東、数字なら3と8で示される。首塚を観心寺の東側に置いたのは再生を願ってのことであろう。
また、初層のみというのは「1」を意識したからだと思う。1は水を象徴する数字だ。水を象徴する数字は1と6だが、1は生まれたての水でまだ水気としての役割を果たせない。ここに土を象徴する5が加えることで水は成長し木気を生み出す力を得る。成長した数字を象徴する数字が6である。
墓はもっとも強い土気だ。正成の首塚ならば最強の土気を発揮するだろう。つまり、建てかけ塔(1)と首塚(5)をセットにすれば水気の(6)を得て木気を育成することができる。
では観心寺の木気とはなにか。これは金堂に祀られる秘仏・如意輪観音であるとわたしは思う。観音は木気であることが多いが、とくに如意輪観音はその傾向が強い。観心寺が医療安全を功徳のひとつに上げるのもご本尊が木気だからだろう。正成の霊気によって強められた水気が木気である如意輪観音を育む。建てかけ塔はそのための風水的装置だったと考えられる。だから1層しかないのである。
ではその再生装置を誰が何のための作ったのか。首塚は足利尊氏が造らせたと観心寺のパンプにあった。それは正成の盟友として彼の菩提を弔うためであったろう。楠木家は観心寺を菩提寺としていたからだ。
それでは建てかけ塔は誰が何のために建てたのか。
もし建てかけ塔が風水装置であるならば、建てたのか後醍醐天皇しか考えられない。正成の霊力を引き出しながら如意輪観音の力を高めその結果再生されるのは、後醍醐天皇の帝王としての身体そのものだろう。そこに南朝の再生と永続への願いが掛けられていることも間違いない。
建てかけ塔の珍妙な姿は建設途上である日本国の姿を表している。ここで反転攻勢し、いずれ2層目3層目を完成させるという決意を読み取ることもできる。後醍醐天皇の南朝方は世にいわれるような悲壮感よりも明るい未来へのまなざしを私は感じる。
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