下鴨神社メモ(4)三井社の存在
土気の作用にはふたとおりある。ひとつは「土克水」の相克の関係だ。土気は水気を制御する(克す)という意味で、水防のための働きはこれだ。もうひとつは「土生金」の相生の関係で、土気が金気を生み出すという意味となる。
水防のために土気の女神を祀れば、副作用のように「土生金」の働きも作動するいうわけだ。「土生金」とは商売繁盛の働きだ。西宮社のエビス神も伏見稲荷本社のイナリ神も土気の神だが商売繁盛の御利益で知られるのはそのためだ。三井家は土気の神を祀るのはそのためだろう。
つまり、こういうことになる。三井家はかねてより元タダスの森の土気の女神を崇敬していた。それは土気が金気を産み商売繁盛につながるからだ。その後、三井家は下鴨のタダスの森に社地を求めて土気の女神を祀った。それはタダスの森も土気の女神タマヨリヒメの統べる聖地であったからだ。
下鴨メモとしてはここで終わる。ただし違和感が残る。今後のためにそれもメモしておく。
(三井神社の存在)
河合神社の門前に三井社がある。三井家との関係は不明だが無関係とは思えない。三井社は蓼倉郷の祖社とある。蓼倉とは下鴨の高野川よりの地域でいまも蓼倉町や蓼倉通りの地名が残る。3神を祀るので元は三身社と言ったのが訛って三井社となったという。ご祭神は鴨氏の祖カモタケミツヌの命、その妻イカコヤの姫命、その娘タマヨリ姫の3柱だ。
(三井改名の理由とされる3つの井戸の伝説)
まだ藤原姓だった三井家が赴任したのが滋賀県のどこか明記されていない。わたしは三井寺のあたりではないかと思う。なぜ三井寺なのか。何の任務を帯びて赴任したのかは分からない。三井寺には、天智、天武、持統の三帝の産湯をつかった井戸があるという。その井戸に尊称の「御」を当てて御井(みい)と呼んでいたのが三井となった。木島神社のご祭神も日向三代の三帝であった。
(わたしの未完成な推理)
三井家はもともと鴨氏の一族ではないか。三井という言葉はタダスの森にある泉をいうのだろう。三帝誕生の産湯であるというのは、そこが神産み儀礼が行われる泉であること示す。3は木気の数なので、伝説にはなにかと3が登場する。
三井寺にも三井のある神産みの森があるのだろう。神産みの籠り森はタマヨリ姫の領域だ。タマヨリ姫は誕生を象徴する木気の神であると同時に、洪水を制御する土気の神でもあった。三井家はタマヨリ姫を祀り、家運隆盛を木気の神徳に、商売繁盛を土気の神徳に願ったのではないか。
三井家は下鴨の火の三合の頂点に池の庭園をつくり木島神社の分霊を祀った。池にはミタラシ川の水を引き入れた。つまり三井別邸はタダスの森の写しなのだろう。正三角形と池との組み合わせが三井そのものを象徴している。
2024.07.06、京都市下鴨神社
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