たぬきの異界案内

2020年8月24日 (月)

勝尾(かつおう)寺へ初参詣した(3)

二階堂のカメの懸魚。二階堂は開祖であるふたりの僧を祀っている。法然上人が籠ったことでも有名だそうだ。カメは玄武だとか霊亀などと呼ばれるが水を示すことが多い。やはりこここは水の霊地なのだろう。

二階堂と言えば鞍馬寺の転法輪堂を思い起こす。これは斜面に建つ舞台づくりのお堂で大きな阿弥陀様を安置する。阿弥陀様が大きいので須弥壇が半地下となり仏像の胸から上を拝するようになっている。わたしはこれがもともとの二階堂だろうと思う。

ミロクは西方浄土の仏、西方は金気の世界なので「金生水」の相生(そうしょう)の関係により水気を生む。二階堂の存在はここが水の聖地であることを語っているように思えてならない。

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2020.08.09、大阪府箕面市勝尾寺

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2020年8月21日 (金)

勝尾(かつおう)寺へ初参詣した(2)

連載にするつもりはなかったが言い足りないことがあるのでメモしておく。

本堂下を護る石垣がとてもよかった。桃山時代の穴生積みに見える。多少ハラミがあるものの全体としてはしっかりしている。角のラインなどはいまだに健在で力強い美しさを見せている。本堂は秀頼が慶長年間に再建したものなのでそのときの石垣だろう。

本堂は桃山風の装飾がほぼない。最初からこうだったとは思えないので何度かの修理を通じてこうなったのだろう。とくに明治維新後の修験道弾圧のために荒廃したのではなかったか。

ここと聖地の構造の似ている鞍馬寺は戦後天台宗から独立し鞍馬弘教という新興宗教を起こした。終戦により修験道の禁止が解かれたのでもとの神仏混淆の信仰を復興しようとしたのだろう。鞍馬寺はそうやって弾圧の歴史をはねかえした。勝尾寺も同じような歴史を歩んだのではなかったか。

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2020.08.09、大阪府箕面市勝尾寺

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2020年8月20日 (木)

勝尾(かつおう)寺へ初参詣した

西国札所。境内のスピーカーから太鼓の音が響き祈祷の声が流れる。初めて参詣したがそこは活きた札所だった。にぎやかでとても楽しい。気づいたことをメモしておく。

鞍馬寺とよく似ている。街道に面した立地、観音信仰、水が豊富なこと。おそらく鞍馬寺と同じ「水生木(すいしょうぼく)」による子安信仰の霊地だったのだろう。水生木とは水気が木気を生み出す力のことをいい、湧水地は木気である春、芽生え、妊娠などを祈る霊地であることが多い。その後修験道と結びついて独特の信仰を生みだしたのだろう。明治期の廃仏毀釈で神仏分離が行われ信仰の元の形式が分からなくなっているところも鞍馬寺と似ている。

開成(かいじょう)皇子開基とあった。開成皇子は桓武天皇の兄にあたるお方だそうだ。桓武朝は弟といい兄といい神界に通じる人間が多い。興味深い。

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弁天池から本堂方向を望む
2020.08.09、大阪府箕面市、勝尾寺

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2019年11月27日 (水)

牛頭天皇の社は緑のコケの包まれていた

 細かい雨が降っていた。地面がコケの鮮やかな緑に覆われていて美しい。

 関神社が防疫のために朝廷が置いた神社とは知らなかった。姫路の広峰神社と同時だそうだ。どちらも牛頭天皇を祀る。牛頭天皇はスサノオと習合するが淀・鴨川流域のスサノオ信仰の大元が広峰・関の両神社にあるような気がして興味深い。

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2019.10.19/ワトソン紙はがきサイズ、グラフィックペン0.5、固形透明水彩/兵庫県養父市関宮町関神社

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2019年11月26日 (火)

寝屋川の大利(おおとし)神社を描いた

 門寿司が開くまで時間があったので大利(おおとし)神社を描いた。これで18分。暗くてよく見えないので適当なところで切り上げた。大利神は大年神、大歳神、歳神と書くことが多い。最近気になっている神様だ。スサノオの子で稲荷神と兄弟で松尾神の父親だ。こうした神々は淀川から桂川水系に広く分布していることから氏族関係が反映されているのだろう。

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2019.11.23/ワトソン紙はがきサイズ、グラフィックペン0.5、固形透明水彩/大阪府寝屋川市大利神社

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2019年11月23日 (土)

養父市の狛犬左右逆転事件(3)

 二宮神社の裏手にある観音堂で急こう配の屋根が現世離れした雰囲気をまとっていて素敵だ。宝形屋根なのだが頂部に宝珠ではなく煙抜きのような小屋根が載っている。これはなに? もとは茅葺だったと思うが、そのころからこんな形をしているのだろう。ひとつ考えられるのは、小屋根の両端を2と数えて陰気を象徴する数字2に合わせたこと。そういえば二宮神社という名前にも2が付いている。もしそうならこれも月待信仰の名残りかもしれない。

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2019.11.17/ワトソン紙はがきサイズ、グラフィックペン0.5.固形透明水彩/兵庫県養父市大屋町大杉大福寺

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2019年11月21日 (木)

養父市の狛犬左右逆転事件(2)

 ていねいに説明する時間がないのでメモ程度に説明しておく。

 なぜ狛犬が左右逆転なのか

 結論から言えば子安の祈りが込められているとしか考えられない。陰陽が逆転すれば陰のものは陰の場所へ、陽のものは陽の場所へ戻ろうとするので中央で陰陽がまじりあう。この場合の陰陽交合は妊娠を象徴しているわけだ。以前鞍馬の由岐神社で説明したとおりだ。

 由岐神社拝殿の謎(4)なぜ本殿の狛犬は左右が逆なのか 2019.06.17
 http://www.tukitanu.net/2019/06/post-5adff9.html 

 ちなみに二条城唐門欄間の龍と虎も逆転している。これは龍を朝廷、虎を幕府に見立てた交合を表していると私はみている。これは「京都の風水地理学」じっぴコンパクト新書2017に書いておいた(p.122)。

 さて、おもしろいのは二宮神社のご祭神がツクヨミ神であることだ。月の出を待ちながら安産祈願をする月待ち信仰は関東に多い。関西では聞いたことがないが、もし似た信仰があればその場所としてここはふさわしいことになる。二宮神社の裏手に観音堂があることも月待ち信仰との関連を思わせる。もしそうならどこかに水があるはずだ。

 月待信仰とウサギ 2009.05.06 
 http://tanuki.la.coocan.jp/strangeworld/2009-12.html

 この地域にいくつかツクヨミ神が祀られていて、どこも狛犬が逆転しているなら月待信仰の可能性は高いだろう。ほかの神社も見てみたい。

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2019年9月 6日 (金)

大山咋神(おおやまくいのかみ)について

 大山咋神(おおやまくいのかみ)考えたことをメモしておく。

 久しぶりにお参りした松尾大社の社殿の後ろに大きな屏風のような岩があった。この巨石を気のあふれる磐座(いわくら)として神を祀ったのだろう。ここに祀られたのは大山咋神。

 大山咋神は大歳神(おおとしがみ)の子だ。下流の向日神も大歳神の子である。しかも雷神だ。だから大山咋神も雷神と考えてよかろう。実際、上賀茂神社のご祭神である賀茂別雷命(かものわけ・いかずちのかみ)の父親は大山咋神なのだ。松尾大社の社殿後ろの岩はよく見ると青い。青は木気の色であり八卦の雷(らい)の色でもある。雷神の社殿を置くのにふさわしい色だ。

 桂川をはさんで松尾大社と向かい合う梅宮大社のご祭神・コノハナサクヤ姫もまた大山咋神の娘である。したがって系図を書くとこうなる。

 大歳神ー大山咋神 ー 向日神(向日神社)・賀茂別雷命(上賀茂神社)・コノハナサクヤ姫(梅宮大社)

 鴨川・桂川流域の古代から続く古い神々がほぼ大山咋神系ということになる。これはいったいどういうことか。わたしは淀川流域から丹波や近江にかけて開拓されたころの古い信仰が大山咋神に残っているのではないかと考えている。神話にコノハナサクヤ姫や賀茂別雷命の母であるタマヨリ姫のような婚姻譚が必ず含まれているのも特徴だ。人は山から命をいただいてこの世に生まれ、死ぬと山へ帰る。山こそ人の帰るべき場所だという考え方が大山咋神の信仰のベースにあるように私には見える。

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2019年9月 5日 (木)

バスを降りたら松尾神の前だった

 きのう現場から帰ろうとしたら突然の雷雨となった。桂駅あたりに落雷し桂・河原町間が不通となった。しかたがないのでバスに乗り四条通りを西へ向かった。嵐山線は動いているようだったからだ。わたしはこうした突然のスコールはなにかが上空を通ったのだろうと思っている。

 さて、バスの終点は松尾橋でそのころはすでに雨はやんでいた。橋の向こうに松尾大社の朱い大鳥居が見えた。松尾神とは大避(おおさけ)神のことだ。大避神は秦氏の先祖・秦河勝でもある。大酒神とも書いてお酒の神様として有名だが、避けるとは裂くだとわたしは思っている。裂くとは大地を裂くことで、つまり水路を拓くことだろう。松尾大社の近くには嵐山の大堰(おおい、取水用のダムのこと)がある。秦氏が大堰を築いて農地を拓き松尾神を祀ったのだろう。

 わたしは赤穂市の坂越(さこし)で歴史散策路整備にたずさわったことがある。坂越にも大避神社があり、そこは秦河勝が流された場所と伝えられる。坂越を流れる千種川に大堰を築いたのも河勝とされている。やはりここでも大堰と大避神はセットなのだ。

 松尾橋のうえには黒々とした雲がゴワゴワととぐろを巻いていた。私は大避神が流されたのはたたり神だったからではないかと考えている。避けるという字も避けるべき神という意味かもしれない。わたしは黒々とした雲を見上げながら、さきほど上空をお渡りになったのは大避神だったのではないかと思った。

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2019.09.04、京都市松尾橋より

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2019年7月10日 (水)

法金剛院には植物園があった

 早朝開門と聞いたので行ってみたのだがその前日だった。駅前で時間をつぶして9時に入った。池のハスはまだほとんど咲いていなかった。開花済みのハス鉢がたくさん並べられていて珍しいものもあって楽しませてもらった。

 ハスの咲いていない葉っぱだけのハス池も圧巻だった。大きなハスの葉が太陽光で半透明に輝くようすはまるで緑の魔境のようだ。ハスは葉っぱと花とが別々に出てくるので同じ植物には見えない不思議な植物だ。さわさわと風に揺らぐ葉の波の上に数百個の打ち上げ花火のようにつぼみが首を出しているようすは生まれたての銀河を見るようである。

 法金剛院は平安時代の学者にして政治家の清原夏野の別邸だった。彼は植物学の研究をしていたようで別邸に植物園を作った。それが花園という地名の由来だという。わたしは植物に魅入られた人物に興味がある。大山崎山荘でランを作り続けた加賀正太郎のようにどこか人間界から超越したところを持っているように見える。清原夏野も政界で成功しながらも実際はそんな人物だったのではないか。

 いったい「花園」とはどんなものだったのか。今ある庭はそれから300年後に造られた浄土庭園の名残だ。池は今の何倍も大きかったようだ。その浄土式庭園と清原の植物園との関係は分かっていない。わたしは清原の花園は寝殿造り庭園の池のまわりに季節の花や珍しい木を植えたものではないかと思う。今ある浄土式庭園を造るときまだその池は残っていたのではないか。ならばこの池は清原の花園の名残ということになる。

 池の土壌を調べれば大唐帝国わたりの珍しい植物の花粉がひょっとしたら残っているかも知れない。まあそんなことせずとも、このハス葉の圧倒的な迫力を前にすれば清原の見ていた花園もおのずから想像がつくというものかも知れない。


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2019.07.05、京都市花園「法金剛院」

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