たぬきの異界案内

2017年9月 3日 (日)

仁徳天皇陵が見える

 南海電車堺駅あたりは高架になっているので仁徳陵や履中陵がよく見える。中層のマンションよりも高いので驚いた。仁徳陵は高さ30メートル以上あるらしい。これはすでに墓ではなく山だと思う。古代人は神住まう山を造ろうとしたのだろう。

 ちなみに仁徳陵の右片に見えている山は二上山だ。にじょうさんと読むが意味は二神山だろう。おそらく左側の高いほうが男神、右側が女神だろう。陰陽揃えたあたりが前方後円墳の形とよく似ている。

 わたしは前方後円墳の造り方を考え始めている。


Img_0637
仁徳陵

Img_0636
2017.08.18、大阪府堺市、履中陵


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月 5日 (水)

【西京めぐり】5.浄住寺から地蔵院へ

 浄住寺には不思議な物語があった。

 昔、お釈迦様が亡くなったとき、お釈迦様の歯が盗まれた。それを取り戻したのが韋駄天(いだてん)だったそうだ。その歯は海を渡って日本に至り、嵯峨天皇がこの寺に納めた。それは寿塔のなかの穴倉のなかにあり、その上に大石が置かれているという。その後、地元の葉室一族が鎌倉時代に西大寺の叡尊を招いて再興し、さらに江戸時代になって鐵牛禅師によって再興された。

 このお話しをうかがったときは分からなかったが、そのあと隣接する地蔵院へ行って葉室の意味に気づいた。

 地蔵院は室町時代の幕府管領細川頼之の建てた寺で、一休禅師が幼少期を過ごした寺としても知られているそうだ。竹の寺の異名のとおりうっそうとした竹林のなかにあり、ここもまた別世界が広がっている。

 頼之公の墓が興味深かった。生前、立派な墓は立てず石を置くだけにせよと言い残したそうで、大きな石がどんと置いてある。ある種の自然葬をイメージしたものだろうが、これを見たときに葉室(=歯室)もこういうものなのだろうと気づいた。

 石の際から生えた木が大樹となり石をからめとった姿は迫力があった。墓なのに生命力にあふれている。歯室を葉室と読み替えたのは植物の生命力にあやかったからだろう。この地域はこうした特殊な埋葬法が残っており、それは再生儀礼でもあったのではないか。

 墓に石を置くことは古代から行われてきた。その石に地蔵を刻むようになり、葬送地には石地蔵があふれることになる。地蔵信仰は仏教以前の葬送儀礼を引き継いでいるように見える。頼之公の墓に木が生えたのは偶然であったろうが、それでもそのようすからは置かれた石には再生の祈りが籠められていることを感じる。


Img_9802
2017.05.28、京都市西京区地蔵院

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月 4日 (火)

【西京めぐり】4.浄住寺の花の扁額

 ここは禅寺で体験座禅をやってみた。坊さまが大きな板棒をもって見回りをしている。向こうのほうで誰かが叩かれてバシッいう音がなった。ははっ落ち着きのないやつはダメだと心のなかで笑っていたら次は自分だった。叩かれても痛くないと聞いていたがあれは嘘だ。ビリっと痛かったぞ。わたしは座禅が嫌いになった。

 本堂の扁額の額縁が彩色された菊花でとてもきれいだった。珍しいと思って写真に撮った。お堂は好きだ。

Img_9801
2017.05.28、京都市西京区浄住寺

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年6月12日 (月)

【西京めぐり】 3.山口家住宅長屋門

 「GOうえすとっ!」の後、上桂あたりをぶらついていて偶然行き当った。これほどすばらしい茅葺きが住んでいる近くにあったとは知らなかった。早速スケッチしてみた。これで20分くらい。

 文化遺産オンライン(参照)によれば江戸時代後期のものらしい。山口家は代々庄屋の家筋だった。だから長屋門がある。長屋門は家の格式を示している。

 わたしは長屋門を見ると武家を連想してしまう。もともと長屋門は馬屋だったと考えているからだ。このあたりは平安時代以来、桂川水運と老い坂の峠越え陸運との交易中継点として栄えた。つまり武家の本拠のひとつであったわけだ。山口家もそうした古い武家の系譜に連なる家筋なのかも知れない。

Img_9806
2017.05.28/ワトソン紙ハガキサイズ、グラフィックペン0.3、固形透明水彩/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年6月 9日 (金)

【西京めぐり】 2.浄住寺庭園の石を見ていた

 見学勉強会「GOうえすとっ!」で訪れた浄住寺ではお庭も見せてくれた。赤い腹のイモリがたくさんいる。水がきれいな証拠だ。モリアオガエルの卵を住職が教えてくれた。もう小さなオタマが孵ったそうだ。

 このような池泉式は禅寺では珍しいそうだ。方丈が伊達家の寄進なので、それと同時だとも言われている。庭の寓意はよく分からないと言う。池のなかの島石を釈迦の歯だと言った方があるそうだ。それはこの寺の中心が釈迦の歯を納めた寿塔だからだ。そう言われてみれば歯のようにも見える。

 わたしは斜面に並ぶ石列に気が付いたのでスケッチしてみた。池から山へ点々と続いていく。この先は山号ともなった衣笠山だ。

 石は龍脈を表すのだろう。衣笠山に発した龍脈が池のほとりの四角い台のような石に至る。これは座禅石だとも言われるが、わたしは船に見える。気はそこから歯の島へ渡るのだろう。つまり寿塔に祀られる釈迦の歯は衣笠山に降りた神に直結しているという寓意ではないかと思った。

Img_9799
2017.05.28/クロッキー帳、2Bシャーペン0.5/京都市西京区浄住寺

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年6月 8日 (木)

【西京めぐり】 1.お地蔵さま

 京都市西京区の見学勉強会「GO うえすとっ!」に参加してきた。近所でありながら行ったことのない場所に連れていってもらって楽しかった。これは浄住寺境内のお地蔵さま。工事中に出てきたものが持ち込まれて次第に増えていくのだそうだ。きれいにお祀りしてあって、ぎゅうぎゅう詰めでも楽しそうだ。

Img_9795
2017.05.28/ワトソン紙ハガキサイズ、グラフィックペン0.3、固形透明水彩/京都市西京区浄住寺境内

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月20日 (土)

ユズルハ神社について

 ユズルハ神社について考えたことをメモしておく。

 社殿前のコマ札によれば、桓武朝初期の延暦年間にユズルハの森を神領と定めた。社殿造営はさらに遅れて849年のことだという。なぜ神領が先で社殿が後なのか。神領としたときに熊野修験道系の寺院が建ったのだと私は思う。それは明治期の神仏分離で失われ、寺院の歴史は社伝から除かれた。だから社伝が分かりにくくなっているのだ。

 ユズルハ嶽とかユズルハ峯とは六甲山を指すと社伝にある。六甲山へは飛鳥時代から修験者が入り鉱物資源の採掘に当たったと考えられる。その拠点のひとつが六甲山系の主峰のひとつ摩耶(まや)山だったのだろう。当時は摩耶に修験道系の大寺院があり、そのふもとの住吉は鉱物資源の積出港として機能していたようにわたしには見える。

 桓武朝になって動きがあるのは、そのころに山岳修験道の大再編があったとみるべきだ。ユズルハ神社の創建はその一端を示している。再編を指揮したのは民部卿の和気清麻呂だったと私は思う。なぜなら彼は鉄の一大産地である吉備の出身だからだ。

 道鏡事件で彼が流罪になったのも吉備の鉄資源を東大寺が独占したかったからではないか。多くの鉱山起源は東大寺大仏造営と結びついている。それは地方豪族の手にあった鉱物権益を東大寺が吸収したことを示す。桓武朝はそれを再編して権益を国へ直結させようと考えたのだろう。

 もともと鉱山権益を握る豪族は新来の百済難民たちだった。百済系の桓武帝はかれらを再編して対東大寺包囲網を作り上げていった。朝廷と東大寺との確執は非常に激しいもので、それが種継暗殺につながったようにも見える。暗殺事件で最初に疑われたのが旧来の土着豪族大伴氏だったのは、彼らが反百済系だったからだろう。

 最澄と空海の対立もこの延長線上で考えれば分かりやすい。百済系の山民の大本山として延暦寺が開かれた。それは鉱物資源の新しい国家戦略の始まりだった。一方、東大寺は新進の空海を抱き込むことで巻き返しを図る。この対立はj桓武朝では解けず、嵯峨朝になって空海が東大寺に戒壇院を設けることで手打ちとなった。このとき仏教的権威と鉱物資源の権益の分離もしくは折半が行われたとみるべきだろう。

Img_9655
2017.05.19

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月19日 (金)

矢に乗ったカー助

 神戸の弓弦羽(ゆずるは)神社へ行ってきた。ご神紋が矢に乗ったカー助でかわいい。ここは神功皇后が熊野権現をお祀りしたところだそうだ。そのおかげで忍熊王を討つことができた。だから熊野神の御使いであるカー助が矢に乗っているわけだ。お供えの色鮮やかなバナナがカー助用に見える。

 住吉は海民スミ族の領域なので、スミ族の姫である神宮皇后(オキナガタラシ姫)関係の伝説が多い。住吉はスミヨシと読むが、本来はスミエ(スミ江)だったようだ。スミ族の砂浜という意味だ。谷川健一によればスミは沖縄の方言で潜ることをいうそうだ。そう考えるとオキナガ(息長)という名前もふさわしい。

Img_9654
2017.05.19、神戸市東灘区住吉

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年8月 2日 (日)

祇園祭りの山と鉾の配置

立ち飲みの「たつみ」でお昼をしている。目の前に今年の祇園祭りのうちわがあった。何気なく見ていたところ、山と鉾の配置に規則性があることに気づいた。これって既知のことなのかな。

Image

規則性とは図のとおり。白丸が鉾、黒丸が山。町の中央に白丸が集まっている。これってどう読むのが正しいかわからないが、旧京都の中心を示しているのではなかろうか。

Image_2


| | コメント (4) | トラックバック (0)

2014年10月20日 (月)

中国旅行記(3)市内観光・西湖めぐり

 シンポジウム3日目は見学会だった。現代建築コースと市内観光のふたつが用意されていた。わたしは迷わず市内観光を選んだ。ともかく古いものを見たかったからだ。現代建築組はバス3台で意気揚々と出発していった。我々のコースはバス1台に11名だった。少人数だったので他国の人と交流ができた。まさか外国の人と話ができるとは思っていなかったのでうれしかった。

 午前中は中国随一の観光地にして世界遺産2011年登録の西湖周辺をまわった。これがとてもおもしろかったのでメモしておく。

 湖には小型の屋形船から竜をかたどった大型遊覧船までさまざまな船が行きかっていた。私たちは北岸から入ったが、そのあたりには20世紀初頭と思われる洋館が立ち並んでいた。そこから南岸まで天橋立そっくりの湖上の遊歩道がつないでいる。ああこれは天橋立と同じような信仰があったのだろうと思ってわくわくした。

 西湖の地形は「一山三堤三島五湖」と呼ばれるらしい。一山は自然の島である孤山、三堤は今述べた湖上道路、三島も人工島の3つ、五湖は西湖も含めて5つの湖があるという意味らしい。三堤は人工堤だというが、おそらく元々は自然の砂州が道路状に伸びていたのを整備したものだろう。

 我々は西湖北岸の孤山付近の船着場から40人乗りほどの遊覧船で南岸をめざした。この日は霧が出ており風景がかすんでとても不思議な感じがした。湖上は少し寒かった。デッキのベンチにあぐらをかいて呆然と風景を眺めているとき筑波大の留学生ハン君が話しかけてくれた。これをきかっけに参加者と話すことができるようになった。ハン君ありがとう。

 ここが有名なのは中国4大説話と言われる白蛇伝の舞台だからだ。私は全く知らなかったがハン君が白いヘビの物語があると教えてくれた。帰って調べてみるとこんな話だった。

 白蛇とその伴の青蛇が人間になって西湖へやってきた。白蛇は薬を商う若い男と恋に落ち結婚する。しかしとある坊さんが白蛇の正体に気づき男に告げる。男は半信半疑ながら飲めば正体を現すという酒を白蛇に飲ませたところ、坊さんのいう通り白蛇に変化したので驚いて死んでしまう。白蛇は崑崙山へ行き特別な薬草を奪ってきて男を蘇生させた。その後ふたりは幸せに暮らしていたが、白蛇を退治すべしと考えた坊さんが男を寺に連れ去ってしまう。白蛇はみもごっていたが男を連れ戻すため寺を水攻めにした。しかし戦に負け箱に詰められて雷峰塔の下に閉じ込められてしまった。白蛇は封じられる直前に男と再会することができ、そこで男児を出産した。西湖の水が干上がり雷峰塔が倒れるまでは封じ込まれているという。

 船は三島を次々と通過した。最後の小瀛洲(ショウエイシュウ)が最も不思議なかたちをしていた。地図で見ると湖上道路を田の字プランにまとめた人工島らしい。その南側に有名な「三潭印月(サンタンインゲツ)」がある。3つの灯籠が湖上に建っており、ハン君の話によればここで月を見るらしい。私はそこが龍穴なのだと思った。雷峰塔の「雷」は龍のことだし、この湖の底に竜宮があって白蛇はそこに棲む龍女なのだろう。湖上から見る塔は霧にかすんでとてもきれいだった。

 我々は南岸の雷峰塔のほとりで上陸した。雷峰塔は王子誕生を祝って977年に建てられたという。この塔は1924年に倒壊し現在のものは2002年の再建だ。世界遺産登録へ向けての環境整備の一環であろう。現在の塔は元の倍の高さがあるように見える。エレベータで昇る展望台になっており宗教色は無かった。八角五重の塔だが、階上でiPhoneのコンパスアプリを起動してみると方位がずれていた。方位なんて何とも思っていないのだろう。

 この塔が八角形なのは。8が誕生を意味する木気の数字だからだろう。木気は3、8、11が象徴するが、龍穴の灯籠が3なのも木気を示すと思われる。3は生数と言って生まれたての木気だ。まだ生まれたてなので完全ではない。3は土気の5が加えられて完全な木気8となる。では5はどこにあるのか。3つの灯籠が指し示す方角は南南西だ。これは最大の土気の方角なのだ。

 これも帰ってから分かったことだが、月を見るのは仲秋8月のことらしい。仲秋の名月は最強の金気だ。深夜3つの灯籠にともされた火は湖水に映って6つに見えるだろう。6は水気の完全数である。このとき金と土と水とが揃う。これは五行説の「金生水」を応用した子安と再生の呪術だと思う。龍女の8に対して最大の水気をお供えすることで誕生と再生への祈りをささげる聖地を用意するのだ。考えてみれば西湖を構成する「一山三堤三島五湖」も、水気の生数1と木気の生数3と土気5の組み合わせなのだ。雷峰塔は5重であることも土気を象徴している。

 わたしはここで室生寺の塔を思い出す(参照)。この塔にも龍が封じられていた。その後背地には賽の河原が広がる。誕生せずに亡くなった命を水子と呼ぶのは誕生を用意する水の状態のままだという意味ではないか。三途の河原で子が積む石は本当は土気を示すレンガで、それが5つ積みあがったとき生数の1から6へ昇格し木気を生み出す力が発動するのだろう。

 ちなみに白蛇の白は一白水星の水気を象徴し、青蛇の青は三碧木星の木気を示す。白青の組み合わせで水生木の関係を示しているようだ。三碧木星は洛書の雷に当たることも辻褄が合う。今回の読み解きは結構分かりやすかった。よい旅ができたことと、現地で親しくしてくれた友人たちに感謝する。


Img_3013
西湖から望む雷峰塔

Img_3012
龍穴と思われる小瀛洲(ショウエイシュウ)

Img_3017
雷峰塔

Img_3020
元の雷峰塔の遺跡

Img_3027
雷峰塔から眺めた西湖、奥に湖上道路、左に小瀛洲(ショウエイシュウ)の半分が写っている。

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧