たぬきの異界案内

2019年11月27日 (水)

牛頭天皇の社は緑のコケの包まれていた

 細かい雨が降っていた。地面がコケの鮮やかな緑に覆われていて美しい。

 関神社が防疫のために朝廷が置いた神社とは知らなかった。姫路の広峰神社と同時だそうだ。どちらも牛頭天皇を祀る。牛頭天皇はスサノオと習合するが淀・鴨川流域のスサノオ信仰の大元が広峰・関の両神社にあるような気がして興味深い。

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2019.10.19/ワトソン紙はがきサイズ、グラフィックペン0.5、固形透明水彩/兵庫県養父市関宮町関神社

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2019年11月26日 (火)

寝屋川の大利(おおとし)神社を描いた

 門寿司が開くまで時間があったので大利(おおとし)神社を描いた。これで18分。暗くてよく見えないので適当なところで切り上げた。大利神は大年神、大歳神、歳神と書くことが多い。最近気になっている神様だ。スサノオの子で稲荷神と兄弟で松尾神の父親だ。こうした神々は淀川から桂川水系に広く分布していることから氏族関係が反映されているのだろう。

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2019.11.23/ワトソン紙はがきサイズ、グラフィックペン0.5、固形透明水彩/大阪府寝屋川市大利神社

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2019年11月23日 (土)

養父市の狛犬左右逆転事件(3)

 二宮神社の裏手にある観音堂で急こう配の屋根が現世離れした雰囲気をまとっていて素敵だ。宝形屋根なのだが頂部に宝珠ではなく煙抜きのような小屋根が載っている。これはなに? もとは茅葺だったと思うが、そのころからこんな形をしているのだろう。ひとつ考えられるのは、小屋根の両端を2と数えて陰気を象徴する数字2に合わせたこと。そういえば二宮神社という名前にも2が付いている。もしそうならこれも月待信仰の名残りかもしれない。

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2019.11.17/ワトソン紙はがきサイズ、グラフィックペン0.5.固形透明水彩/兵庫県養父市大屋町大杉大福寺

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2019年11月21日 (木)

養父市の狛犬左右逆転事件(2)

 ていねいに説明する時間がないのでメモ程度に説明しておく。

 なぜ狛犬が左右逆転なのか

 結論から言えば子安の祈りが込められているとしか考えられない。陰陽が逆転すれば陰のものは陰の場所へ、陽のものは陽の場所へ戻ろうとするので中央で陰陽がまじりあう。この場合の陰陽交合は妊娠を象徴しているわけだ。以前鞍馬の由岐神社で説明したとおりだ。

 由岐神社拝殿の謎(4)なぜ本殿の狛犬は左右が逆なのか 2019.06.17
 http://www.tukitanu.net/2019/06/post-5adff9.html 

 ちなみに二条城唐門欄間の龍と虎も逆転している。これは龍を朝廷、虎を幕府に見立てた交合を表していると私はみている。これは「京都の風水地理学」じっぴコンパクト新書2017に書いておいた(p.122)。

 さて、おもしろいのは二宮神社のご祭神がツクヨミ神であることだ。月の出を待ちながら安産祈願をする月待ち信仰は関東に多い。関西では聞いたことがないが、もし似た信仰があればその場所としてここはふさわしいことになる。二宮神社の裏手に観音堂があることも月待ち信仰との関連を思わせる。もしそうならどこかに水があるはずだ。

 月待信仰とウサギ 2009.05.06 
 http://tanuki.la.coocan.jp/strangeworld/2009-12.html

 この地域にいくつかツクヨミ神が祀られていて、どこも狛犬が逆転しているなら月待信仰の可能性は高いだろう。ほかの神社も見てみたい。

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2019年9月 6日 (金)

大山咋神(おおやまくいのかみ)について

 大山咋神(おおやまくいのかみ)考えたことをメモしておく。

 久しぶりにお参りした松尾大社の社殿の後ろに大きな屏風のような岩があった。この巨石を気のあふれる磐座(いわくら)として神を祀ったのだろう。ここに祀られたのは大山咋神。

 大山咋神は大歳神(おおとしがみ)の子だ。下流の向日神も大歳神の子である。しかも雷神だ。だから大山咋神も雷神と考えてよかろう。実際、上賀茂神社のご祭神である賀茂別雷命(かものわけ・いかずちのかみ)の父親は大山咋神なのだ。松尾大社の社殿後ろの岩はよく見ると青い。青は木気の色であり八卦の雷(らい)の色でもある。雷神の社殿を置くのにふさわしい色だ。

 桂川をはさんで松尾大社と向かい合う梅宮大社のご祭神・コノハナサクヤ姫もまた大山咋神の娘である。したがって系図を書くとこうなる。

 大歳神ー大山咋神 ー 向日神(向日神社)・賀茂別雷命(上賀茂神社)・コノハナサクヤ姫(梅宮大社)

 鴨川・桂川流域の古代から続く古い神々がほぼ大山咋神系ということになる。これはいったいどういうことか。わたしは淀川流域から丹波や近江にかけて開拓されたころの古い信仰が大山咋神に残っているのではないかと考えている。神話にコノハナサクヤ姫や賀茂別雷命の母であるタマヨリ姫のような婚姻譚が必ず含まれているのも特徴だ。人は山から命をいただいてこの世に生まれ、死ぬと山へ帰る。山こそ人の帰るべき場所だという考え方が大山咋神の信仰のベースにあるように私には見える。

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2019年9月 5日 (木)

バスを降りたら松尾神の前だった

 きのう現場から帰ろうとしたら突然の雷雨となった。桂駅あたりに落雷し桂・河原町間が不通となった。しかたがないのでバスに乗り四条通りを西へ向かった。嵐山線は動いているようだったからだ。わたしはこうした突然のスコールはなにかが上空を通ったのだろうと思っている。

 さて、バスの終点は松尾橋でそのころはすでに雨はやんでいた。橋の向こうに松尾大社の朱い大鳥居が見えた。松尾神とは大避(おおさけ)神のことだ。大避神は秦氏の先祖・秦河勝でもある。大酒神とも書いてお酒の神様として有名だが、避けるとは裂くだとわたしは思っている。裂くとは大地を裂くことで、つまり水路を拓くことだろう。松尾大社の近くには嵐山の大堰(おおい、取水用のダムのこと)がある。秦氏が大堰を築いて農地を拓き松尾神を祀ったのだろう。

 わたしは赤穂市の坂越(さこし)で歴史散策路整備にたずさわったことがある。坂越にも大避神社があり、そこは秦河勝が流された場所と伝えられる。坂越を流れる千種川に大堰を築いたのも河勝とされている。やはりここでも大堰と大避神はセットなのだ。

 松尾橋のうえには黒々とした雲がゴワゴワととぐろを巻いていた。私は大避神が流されたのはたたり神だったからではないかと考えている。避けるという字も避けるべき神という意味かもしれない。わたしは黒々とした雲を見上げながら、さきほど上空をお渡りになったのは大避神だったのではないかと思った。

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2019.09.04、京都市松尾橋より

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2019年7月10日 (水)

法金剛院には植物園があった

 早朝開門と聞いたので行ってみたのだがその前日だった。駅前で時間をつぶして9時に入った。池のハスはまだほとんど咲いていなかった。開花済みのハス鉢がたくさん並べられていて珍しいものもあって楽しませてもらった。

 ハスの咲いていない葉っぱだけのハス池も圧巻だった。大きなハスの葉が太陽光で半透明に輝くようすはまるで緑の魔境のようだ。ハスは葉っぱと花とが別々に出てくるので同じ植物には見えない不思議な植物だ。さわさわと風に揺らぐ葉の波の上に数百個の打ち上げ花火のようにつぼみが首を出しているようすは生まれたての銀河を見るようである。

 法金剛院は平安時代の学者にして政治家の清原夏野の別邸だった。彼は植物学の研究をしていたようで別邸に植物園を作った。それが花園という地名の由来だという。わたしは植物に魅入られた人物に興味がある。大山崎山荘でランを作り続けた加賀正太郎のようにどこか人間界から超越したところを持っているように見える。清原夏野も政界で成功しながらも実際はそんな人物だったのではないか。

 いったい「花園」とはどんなものだったのか。今ある庭はそれから300年後に造られた浄土庭園の名残だ。池は今の何倍も大きかったようだ。その浄土式庭園と清原の植物園との関係は分かっていない。わたしは清原の花園は寝殿造り庭園の池のまわりに季節の花や珍しい木を植えたものではないかと思う。今ある浄土式庭園を造るときまだその池は残っていたのではないか。ならばこの池は清原の花園の名残ということになる。

 池の土壌を調べれば大唐帝国わたりの珍しい植物の花粉がひょっとしたら残っているかも知れない。まあそんなことせずとも、このハス葉の圧倒的な迫力を前にすれば清原の見ていた花園もおのずから想像がつくというものかも知れない。


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2019.07.05、京都市花園「法金剛院」

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2019年6月30日 (日)

慈眼(じげん)堂の石燈籠がよかった

 竿の上下がマカロンのような菊花となっている。笠が大きくてキノコのお坊さんたちのように見える。菊花部分が円形なのに竿が四角いので正面性が強まり、きっちりと並んでいるような印象を与えてくれる。なかなかよくできている。

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 慈眼堂は黒衣の宰相南光坊天海として知られている慈眼大師(じげんだいし)をまつる霊廟である。大きな墓があり十三石仏が護っている。13は金気の数字だ。墓地は金気で飾ることが多い。金気か四季で言えば秋であり実りの季節だ。植物が死んで実や種を残す。生が死と入れ替わる季節である。墓地が金気で飾るのはそんな意味があるように思う。

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 さて、図のように慈眼堂だけ南向きとなっているのが謎だ。墓も滋賀院の仏堂も遠州作の庭でさえ東向きなのになぜ慈眼堂だけ南向きなのだろうか。いくつか思いつくことはあるが大切なことであるように思うのでゆっくり考えてみる。

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2019年6月28日 (金)

八坂の塔メモ

 たまたま開いていたので拝観した。拝観したいと思いながら公開が不定期なのでラッキーだった。考えたことをメモしておく。

 ここは聖徳太子が如意輪観音の夢告により創建したという。仏舎利3粒を塔に納めたそうだ。ご本尊は五智如来。正式な寺名を霊応山法観寺という。現在の塔は室町時代に再建された4代目。パンフレットによると主な歴史は次のとおりだ。

589年  聖徳太子創建
1179年 清水寺衆徒と祇園神人の争いにより類焼 1191年源頼朝が再建
1240年 建仁寺八世済翁証救が入山し禅宗となる
1291年 落雷により焼失 1309年後宇多院の援助により北条貞時・山内円成尼が再建
1336年 焼失 1450年足利義教が再建

 水生木の観音の聖地
 聖徳太子関係の寺は「法」がつくことが多い。法は水を去ると書くので水を克す、つまり土気だ。塔は仏舎利という釈迦の骨を埋めた墓なので巨大な土気である。塔に五重が多いのも5が土気を示すからだろう。寺は墓であり土気であることを「法」は示すように見える。ご本尊を五智如来としたのも5にちなんだのかもしれない。

 わたしは飛鳥時代のひとびとは寺を土用と考えていたと思う。土用はほかの4気をさかんにする。金気の薬師を本尊とすれば金気の神がさかんになって疫病除けとなるし、木気の観音を当てれば木気がさかんになって子安に役立つ。この場合は如意輪観音なので子安だろう。仏舎利3粒の「3」は木気を表す数字だし。八坂の八もやはり木気数8に通じる。

 ご本尊と太子堂の関係
 塔内は極彩色の板絵で飾られる。宇治の平等院鳳凰堂と同じ雰囲気だ。柱まわりに五智如来の4体がまつられる。中央の柱が5体目の大日如来なのだろう。仏像はいずれも焦げたような跡があり手がとれていたりするので被災したことが分かる。つまり塔より古い。

 なぜか北側の仏像だけがひときわ大きかった。塔の北側には太子堂があり3歳の聖徳太子像がまつられている。北は水気の領域であり3は木気の数だから水生木の相生の関係を表しているように見える。このことは太子堂創建と塔内に五智如来をまつったときとが同時であることを示す。そのころにはもう金堂や講堂は失われ塔しか残っていなかったのだろう。塔だけを再建して五智如来をまつり小さな太子堂を添えて聖徳太子の遺徳をしのんだわけだ。

 木曽義仲の墓
 驚いたのは木曽義仲の首塚があったこと。平家を京都から追い落とした立役者。朝日将軍とほめそやされるが2か月足らずで追討され三条河原に首をさらした。遺臣がそれを引き取りここに供養したという。希代の戦術家でありながら政治に敗れた若きヒーロー。彼にここで出会うとは思わなかった。

 これは御霊なのだろう。八坂の塔の南側の旧清水小学校のあたりが轟(とどろき)川の河原だ。そこは成仏できずにこの世にとどまる御霊の領域だ。八坂もまた死と誕生の境目にあるのだろう。

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八坂の塔から東を望む(2019.6.16)

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2017年9月 3日 (日)

仁徳天皇陵が見える

 南海電車堺駅あたりは高架になっているので仁徳陵や履中陵がよく見える。中層のマンションよりも高いので驚いた。仁徳陵は高さ30メートル以上あるらしい。これはすでに墓ではなく山だと思う。古代人は神住まう山を造ろうとしたのだろう。

 ちなみに仁徳陵の右片に見えている山は二上山だ。にじょうさんと読むが意味は二神山だろう。おそらく左側の高いほうが男神、右側が女神だろう。陰陽揃えたあたりが前方後円墳の形とよく似ている。

 わたしは前方後円墳の造り方を考え始めている。


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仁徳陵

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2017.08.18、大阪府堺市、履中陵


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