建築探偵の写真帳

2021年1月21日 (木)

武田ディテール(8)モザイクタイルの海

(6)で紹介した前久夫の文章を久しぶりに読んでみたところ、この玄関ホールの石材「トラバーチン」は沖縄産だと書いてあった。そうだろうと思っていた。というのは武田は沖縄でこの石材を再発見したからだ。トラバーチンはイタリア産の石灰岩で表面に小さな穴がたくさんあって模様がおもしろい。建築でよく使われるのだがこれと同じ石材は国内にはないと言われていた。

国会議事堂を作るとき各県から石材を提供することになった。しかし沖縄県だけ適当な石材が無かった。議事堂設計メンバーであった武田は沖縄におもむき亀甲墓に使われているサンゴ石灰岩がトラバーチンと同種であることを見つけたのだ。磨けば確かにトラバーチンと同じ模様が現れる。だから沖縄の石を使ったこの玄関ホールの床のモザイクタイルは沖縄のサンゴ礁の海をイメージしているのだとわたしは思う。

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2015.10.21、同志社女子大栄光館(昭和3年)

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2021年1月20日 (水)

武田ディテール(7)傾斜する壁柱

栄光館のホール部分は鉄筋コンクリートのなかに鉄骨が入っている。武田は晩年に鉄骨鉄筋コンクリートに取り組んでいた。新しい工法に対して武田はどん欲だ。ここで注意しておきたいのは鉄骨の入ったこの壁柱が先細りになっていることだ。注意しないと見過ごすかもしれない。

先細りにすることで軽やかで動きのある印象を与えてくれる。これは意匠的な処理というよりも力学的に無駄のない形を追求した結果なのだ。武田は新しい工法には新しい様式が必要だという。これはそれを具体的に示したディテールなのである。

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2016.06.02、同志社女子大栄光館(昭和3年)

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2021年1月19日 (火)

武田ディテール(6)扉の八角形

栄光館は八角形の元時計塔が特徴的だ。その八角形が扉にも現れる。武田作品は外観や内装や家具などに繰り返し同じモチーフが現れることがある。ここでは八角形が繰り返される。世界は7日間で創られたので世界の始まりは8日目からだという。8はキリスト教にとって大切な数字なのだ。

同女はジェームズ館(大正3年1914)、栄光館(昭和7年1932)、静和館(明治45年1912)の3棟が並ぶが、これは三位一体を象徴していることは明らかだろう。その中央にある栄光館のさらに中央にあるこの元時計塔がキャンパス全体の中心となっている。武田の幾何学的デザイン処理はキャンパス計画全体にまで及んでいることを思わせる。

このことは前久夫「武田五一の造形言語」(明治村編集「武田五一・人と作品」昭和62年所収)でとっくに明らかにされているが、わたしもそう思う。つい話がディテールから全体へ跳んでしまった。こういう素っ飛び方も武田作品のおもしろさである。

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2017.01.18、同志社女子大学栄光館(昭和7年)

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2021年1月18日 (月)

武田ディテール(5)造り付けの下足箱

これが竣工当時のものかどうか確証はないが見たところ武田っぽい。シンプルで合理的で幾何学的なのが武田のディテールの特徴だが、とくにこのでは水平線の強調という武田3原則のひとつにも当てはまる。

見ておきたいディテールはまず下足箱のフタが横に長いこと。一足ずつのフタだと煩瑣になるがこれだとシンプルにまとまる。次に傘立ての横棒を2段にしたこと。シンプルかつ繊細な印象を与えてくれる。あと傘立ての枠の一部が立ち上がって下足入れを支えていること。わたしならここは柱無しでデザインしてしまうところだが、こうやってさりげなく繋ぐことで下足入れと傘立て部分との一体感が増している。なかなかうない。

床仕上げと傘立ての雨だれ受けの溝を同じモルタル仕上げとしていることも見逃せない。床の目地模様は滑り止めの機能があるが、その目地の模様と壁際の溝とがきれいに合っている。これはやはり詳細図があったことを思わせる。この下足箱が竣工当時のものだと思うゆえんでもある。

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2019.01.24、同志社女子大ジェームズ館(大正3年)

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2021年1月17日 (日)

武田ディテール(4)レンガの飾り積み

連載にするつもりはなかったが、おもしろいのでしばらく続けてみる。

レンガの飾り積みがここにもあった。探せばもっとあるだろう。ちなみにこうした枠を作って角の正方形を風車のように飾るデザインはウイーン分離派とよく似ている。

武田はウイーン分離派と友達付き合いをしていたし、分離派は日本美術の影響を受けて幾何学的な装飾を流行させた。武田ディテールの根底にはウイーン分離派があるとわたしは思う。

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2018.11.07、同志社女子大学ジェームズ館(大正3年)

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2021年1月16日 (土)

武田ディテール(3)レンガの飾り積み

東側の出入り口の庇の持ち送り金物の下にも飾り積みがある。金物2枚の間隔と対応している。金物の長さもぴったりだ。詳細図が描かれ金物も国産だということだろう。

武田本人が詳細図を直接描いたわけではなかろう。それでもこれほど細かいところに飾り積みがあるのは武田の直接の指示があったとしか考えられない。武田はレンガの飾り積みを随所で試したくてワクワクしていたのだろうと思う。

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2019.11.06、同志社女子大ジェームズ館(大正3年)

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2021年1月15日 (金)

武田ディテール(2)レンガの飾り積み

おそらく模様の部分だけレンガ半個分へこませておいて飾り積みしているのだろう。武田はこれを京大建築学教室(大正11年)や京大時計台(大正14年)でやっているが、あちらは鉄筋コンクリート壁にレンガタイル貼りだから作るのはもっと簡単だ。

レンガの飾り積みは軒飾りなどでよく見るが、こうした壁面での扁平な模様飾りはあまりない。岡崎公園の博覧会場門柱の網代模様積みくらいしか思い出せない。探せばもっとあるだろう。大正初めころにはこうした楽しい技が日本のレンガ職工のなかに根付いていたことを教えてくれる。

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2021.01.06、京都市、同志社女子大「ジェームス館」(大正3年)

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2021年1月13日 (水)

武田ディテール、リボン窓

この工事のとき武田は海外出張中だったから細かいところまで指示できなかったろうと思っていたが、相当細かいところまで武田的である。その最たるものがこのリボン型の飾り彫りだ。窓まぐさに飾り彫りはままあるが、こんな不思議な形はほかで見たことがない。なんだろうと思っていたが、これって女学生のリボンではないのか。大正3年ころだと束髪にしてリボンで結びポニーテールのように後ろに垂らすのがハイカラだった。これはそのリボンだと思う。

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2021.01.06、京都市、同志社女子大ジェームズ館(大正3年竣工)

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2021年1月10日 (日)

真夜中の近代建築(5)京都ダイヤビル

三大事業によって出現した大通りの交差点・四条烏丸にはまず三井銀行京都支店が鎮座した。それは大正天皇の即位の大礼に合わせて竣工し行幸通りである烏丸通りに華を添えた。

さらに10年ほど後の大正14年にこの京都ダイヤビルの前身・三菱銀行京都支店は竣工し、即位の大礼に向かう昭和天皇の御料馬車を出迎えたのだった。

この10年のあいだに近代建築の流行は様変わりした。世紀末ゼツェッシオンの脱様式スタイルから、純然たる古典主義建築に主流は移る。日本では様式の進化が西欧と逆なのだ。この交差点に残されたふたつのオブジェを見ればそれがよく分かる。

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2020.11.11、京都市下京区

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2021年1月 9日 (土)

真夜中の近代建築(4)京都三井ビル

でかい列柱をジャイアントオーダーというが、これはライトアップによく似合う。スタイルによってライトアップの適否が分かれるのが興味深い。鈴木貞二の設計の華麗で巨大な銀行建築だったがあえなく解体され一部がこのように保存された。わたしとしては左右にあと4メートルずつ残してほしかった。

当時、三井家当主の三井八郎右衛門は京都市長にも推された有力者だった。また京都を都市改造する「三大事業」をまかなうための市債をパリで起債したのも三井だった。

烏丸通りと四条通りは京都の二大メインストリートである。四条通りは祇園祭の山鉾巡行の主軸であったし烏丸通りは京都駅から御所へ通じる行幸道路として三大事業で整備された。その交差点に銀行支店を構えることができたのは三井が京都の都市改造における立役者であったことを示している。

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2020.11.11、京都市下京区

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