日記・コラム・つぶやき

2019年12月11日 (水)

犬の話

わたしが捨吉と名付けた犬がいた。大きなオーストラリアンシェパードだ。顔の大きなヤンチャで愛らしい犬だった。人が通るたびに吠えていたがひと月ほどいなくなった。どうやら訓練所に入れられたらしい。戻ってきておとなしくなったが1年ほどで元に戻った。俺はやるぞという意気込みの強い犬だったのでがまんできなかったのだろう。それから捨吉は室内に入れらることが多くなり散歩のときにしか会えなくなった。さみしい。

捨吉はわき目もふらず全力で散歩する。ポイントで止まるとふんふんと嗅ぎまわって簡単にマーキングすると次のポイントへ全力で向かう。この調子なので散歩はすぐ終わる。散歩を楽しみにしていたはずなのに、いざ出ると自分から突っ走ってあっと言う間に終わってしまうのだ。それでいいのか。でも全力で散歩する姿を見ていると捨吉にとってはそれでよいのかも知れない。牧羊犬だから仕方ないか。

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2019年12月10日 (火)

長門有希に会った話

長門有希はアニメキャラなので現実に会うはずがないのだが見た瞬間に長門だと思った。電車に乗って入り口の横に立った。扉が閉まって体を車内に向けたときすぐ隣にいて「あ、長門だ」と思った。本当に「あ、長門だ」と声が出そうなぐらい驚いた。背が低いので見えているのはシャギー気味のボブカットのつむじだけなのだが、やせた感じやふっくらとした頬のラインなどどこからどう見ても長門有希そっくりである。3Dでここまで二次元に寄せた人間が本当にいるとは思わなかった。顔は見ていない。髪は青くなかった。
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2019年10月21日 (月)

表彰された

 長く務めた理事を退任するにあたり建築士事務所協会から表彰された。おこがましいとは思ったが謹んで頂戴した。ありがとうございます。

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2019年10月12日 (土)

ネット上の台風情報について

2019年10月12日午後9時現在

 台風19号はさきほど伊豆半島に上陸し関東平野を縦断中。すでに集中豪雨による河川の氾濫が始まっているが、今後東京湾の高潮により浸水地区が拡大するのは確実だ。荒川、多摩川、鶴見川、相模川、狩野川があふれだしている。このへんの情報は気象庁HPの「洪水情報の危険度分布」が分かりやすい(参照)。とりあえず0メートル地域の住民は海抜6メートル以上のところへ移ること。

 強風による広域停電まだ始まっていない(参照)。今後数時間以内に千葉県を中心に停電が増えるだろう(それでも千葉県だけ関東地域で特別警報が出ていないのが不思議だ)。関東平野のマンション住民は停電による断水に備えて風呂に水を溜めておこう。これは水洗便所の流し水に使うためだ。

 きょうはどこへも行かなかった。8時に起きてごはんを食べて二度寝して12時にごはんを食べて、それからネットの台風情報をあさっていた。きょうはブログを書くつもりも無かったが、SNSで不正確な情報が横行するのが目に余ったのでひとこと書かずにおれなかった。危機管理上もっとも重要なのは正確な情報だと思うからだ。

 わたしの住む京都府乙訓地方は現在いたって平穏だ。風もなく雨も止んだ。周辺河川の増水もたいしたことはない。危機に直面する関東平野にはわたしの身内も住む。関東に住む人はみな上手に情報を得て危機を乗り超えてほしい。

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2019年8月24日 (土)

モツァルトの天才

 モツァルトは天才だったので人雑談しながら作曲ができたという。頭のなかで楽曲ができあがっていてそれを五線譜に移し替えるだけの作業だがらそんなことができたのだ、という。

 これは楽曲は頭のなかのイメージのコピーであるということが前提となる。確かにある程度そうだと言える。スケッチだって、おおよそこんな絵になることは事前にイメージできる。料理だって、作る前にどうなるかはおよそイメージがついているだろう。創作に限らず人はなんらかの行動を事前にイメージできるし、そうすることでスムーズに行動することができる。だから行動はイメージのコピーと言えなくもない。でも、おかしいと思うのはそのイメージは五線譜に書けるほど精密なものなのではなかろうということだ。

 おそらくモツァルトはアドリブの天才だったのではないか。突然作曲もしくは演奏を始める。ジャズの演奏家のようにアドリブで楽曲を生み出しながら申し合わせていたかのようにきれいに演奏を終える。多分そんなとき雑談なんかしない。雑談していたとすれば出来上がった楽曲に手を入れていただけではないか。頭の中にできあがっているともし本人が言ったとすればそれは単にいい格好がしたかっただけだろう。

 ただし、アドリブにイメージがないわけではない。むしろ強烈なイメージが無ければアドリブにならないだろう。通常の行動と違うのはイメージを理解するという過程をさしはさまないことだ。イメージは直感的なもので決して論理的ではない。イメージのすべてを事前に理解することはできない。イメージは本当は人の理解できる範囲以上のものを含んでいるだろう。だから理解したとたんにその大部分は失われてしまう。だからイメージを理解せずにいきなりアドリブとして表現しようとするわけだ。

 まあ、それがうまくいくかどうかは人才ではなく天才にかかっているわけだが。

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2019年6月26日 (水)

アイスコーヒーをつくった

 東京へ嫁いだ娘から父の日のプレゼントでコーヒー豆をもらった。3種類のなかに苦くて香りのよい豆があったので150グラムほど挽いてアイスコーヒーにした。冷やしてミルクを多めにすると涼やかで香りのよいアイスコーヒーになった。毎日少しづつ飲んでいる。ありがとう。

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2019.06.22

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机の整理

 机を片づけた。もともと机には何も置かないルールだったのだが、いつの間にか物置きと化してしまった。製図板も置けなくなってきたので一念発起して片づけた。気持ちがすっきりした。机が片付くと新しいことを始めようという気持ちが湧いてくるから不思議だ。

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2019.06.10

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2019年6月14日 (金)

恩師の絵

 亡き恩師の絵を見せていただいたので感想をメモしておく。

 それは色紙を細かく短冊状に切ったものをならべて貼って、それを長方形にカットしたものを貼り合わせて、さらにカットして貼り合わせたものだった。繊細でカラフルな見た目と違って制作過程はおそろしく単調で苦行のようなものだろう。わたしは数年かけて織り上げるというペルシャ絨毯を思い浮かべた。恩師はこれをいったいどのような顔をして作っていたのだろう。

 恩師は建築史家だったが、40代後半にパリへ赴き作家活動を始めた。何年か後にはさるコンテストでグランプリを受賞するなど注目を集めたが突然筆を折り周囲を驚かせた。わたしはクールなハードボイルドを決めこんでいた恩師が、その制作物が千日回峰のような苦行の産物でありながらカラフルで享楽的な色彩を帯びていくことに違和感を覚えたからではなかったかと思った。

 人は誰でもなりたい自分とあるがままの自分とのギャップに苦しむだろう。恩師は博識で話がおもしろくて人情にあつい、それでいて人一倍ストイックなかただった。大学の命運をかけた新設の大学付属のポスター美術館を短期間で国際的に名の通ったものに仕上げるという実績をあげた。その一方で作家として新たな歩みを始めた。恩師のなりたい自分とは何だったのか。

 恩師はかねがね美しさを成り立たせるのは哀しみだと言っていた。その表現に四苦八苦していただろうというのが絵から伝わる。哀しみの美学と言いながら、できあがるものは楽し気なのだ。そのギャップが許せなかったのかもしれない。しかし私はこのカラフルで楽し気な作品に苦行僧のような苦しみと哀しみを見ていたたまれなかった。これで十分哀しいですよと恩師が生きていたなら声をかけたいと思った。

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2019年6月12日 (水)

旅に出ようと思ったんだ

 建築家鈴木喜一の放浪エッセー「ふーらり地球辺境紀行」を読んだ。世界を体験せよというメッセージに感銘を受けた。旅先で問題が起こると困ったなと思う反面いよいよおもしろくなってきたという。そんなとき必ず助けてくれる人が現れる。どこからともなく必ず現れるのだ。見知らぬ人の家に泊めてもらい家族ともにごはんをいただく。そんなことが普通にできた人だった。そうしたことを通してその土地の空気感のようなものを体得するのだという。歴史や気候に育まれた人の優しさに触れるという。そんな旅がわたしにもできるだろうか。

 というわけで鞍馬山まで小さな旅をしてみた。打ち合わせのあと時間が余ったのだが、その後のいくつかの予定をすっぽかしたくなったのだ。約束しているわけでもないし、自分が行かなくてもどうってことないだろう、それより旅に出よう、と思ったのだ。鞍馬山は打ち合わせのあった場所から叡山電車ですぐだ。途中スケッチしながら1時間後には鞍馬寺をお参りしていた。

 本堂には毘沙門天、護法魔王尊、千手観音がまつられる。それぞれに御賽銭を投げてお祈りをする。この果てしない日常に変化がありますように。今こそ運気が開いて豊かな明日が来ますように。ふと賽銭箱の上にみくじの筒が置いてあるのに気づいた。3つの賽銭箱に3本のみくじ筒。そのひとつから1本をひいた。頂戴したみくじにはこうあった。

「まず今日の溝をこせ。明日の僥倖(思いがけない幸せ)を予期するなかれ」(4番吉)

 ああ、やっぱろそうだよね。きょうすっとばそうと思ったいくつかの仕事先を思い出した。わたしもこの土地の歴史と気候に育まれた人の輪のなかで戻ろう。こうしてわたしは何食わぬ顔をして日常へ復帰した。ちなみにみくじの最後にはこうあった。「旅行、つつしみて行け」

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2019年5月30日 (木)

~~せねばならない

 「やることメモ」をつけている。もう2年になる。その日にやることを毎朝箇条書きにする。申請書の作成、学校の授業、庭の水まき、小説を読む、一日にやることは多い。やった項目には〇印を付ける。〇が増えるとうれしい。そういう性格だから2年も続いたのだろう。もし刑事が来て「あなたは〇月〇日何をしていましたか」と聴かれても2年以内であれば答えられる。完璧にだ。

 5月になってから書式を変えた。箇条書きの上に時間割を作った。横棒を引いて6時から21時までの行動を記録している。これで「あなたは〇月〇日の午後〇時から〇時までのあいだ何をしていましたか?」と聴かれても答えられる。これはすごい、かも知れない。

 でも、こんなメモは何の役にも立たない。わたしのアリバイを聴く刑事は一生来ないし、一日の予定を立てたからといって有意義な一日を過ごせるわけでもない。むしろ私は「~~せねばならない」という箇条書きにうんざりしている。箇条書きが1日に10個あったとして、その365日分×存命年数を消化するだけの人生はまっぴらだ。

 昨秋から親族の介護にたずさわることが多いおかげで、自分があと10年、20年、30年たったらどうなるのかよく見えるようになった。学校で夢や希望や志しを語りながら、本当はそんなものは無いのではないかと思い始めている。本当に自分にとって大切なのは未来の夢や希望や志しではなく毎週月曜と木曜にゴミを出したり毎朝金魚にエサをやったりする「今」なのではないか。「~~せねばならない」と思うのではなく、やることひとつひとつをどこまで楽しめるのかが大切ではないか、と思い始めている。

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