2025年11月
2025年11月30日 (日)
2025年11月29日 (土)
2025年11月28日 (金)
関西美術院再訪(2)謎の埋め木
以前見たときから、これは何だろうと思っていた。大窓の柱になにかがはめ込まれた跡があるのだ。今は取り外されて穴は埋め木でふさがれている。今回見学し、それは竣工時の窓枠の跡であることが分かった。
古い大窓が奥の小画室に残っていた。それは大画室の窓割りと異なっている。つまり大画室の大窓は改修されていたのである。このことに気づけたのがうれしい。武田設計の美術院の姿が明確になっていく。
小画室から大画室を眺めると、窓の最下端が大画室のほうが低いことが分かる。つまり窓を大きくしたのだ。この窓割りは増築部分と同じなので、増築時に大画室も改修したのだろう。戦後の改造だと思う。

2025.11.09、京都モダン建築祭パスポート見学にて
2025年11月27日 (木)
関西美術院再訪(1)全体像
30年ぶりに関西美術院が見学できた。とてもうれしい。前回分からなかったことも解決できた。気づいたことをメモしておきたい。概略は次のとおり。
北側に大窓のある画室を中心とする。画室は大小ふたつに分かれる。おそらく小が浅井のアトリエだろう。大が塾生たちのもので鹿子木らが学んだ場所だ。床にしたたる絵具に彼らのものも混じっているはずだ。
画室から外部廊下(屋根付き)を挟んで附室がある。ここは公開されていないが、和室だったと思う。モデルの着替えや来客応接に使ったのだろう。画室、外部廊下、附室の3つが当初のものである。ほぼ当時の姿のまま使われている。
洋画家・浅井忠率いる私塾のアトリエとして1906年に竣工した。武田五一の初期作品のひとつである。

2025.11.09、京都モダン建築祭パスポート見学にて
2025年11月26日 (水)
2025年11月25日 (火)
2025年11月24日 (月)
2025年11月23日 (日)
2025年11月21日 (金)
2025年11月19日 (水)
重信会館(1)玄関タイル
ヴィクトリア風のタイルがあった。神戸のKIITO旧館(1927、清水栄二)の玄関タイルと色違いだ。ベージュ色の大きいほうのタイルは、表面に細かい穴があって石のように見えるのがおもしろい。よいタイルである。
(メモ)
京都モダン建築祭の公式HPによれば、竹内建築事務所(竹内緑)設計、竹中工務店施工、1930年竣工。
「日本近代建築人名総覧増補版」によれば竹内緑(1873ー1945)は、東京都出身、攻玉社工学校卒業、茂庄五郎門人、航路標識管理所技手、大阪市技手、尼崎紡績、第日本紡績勤務を経て1922年独立。
茂庄五郎(1863ー1913)は、長崎県出身、帝国大学建築学科卒、尼崎紡績、呉鎮守府、賀田組技師長を経て1896年独立。
攻玉社工学校は攻玉社中学・高校(品川区)のHPによれば文久3年設立の蘭学塾「攻玉塾」が前身。航海術関係の教育をしていたそうだ。だから竹内は最初、航路管理所の仕事をしたのだろう。
1)2025.11.01、京都モダン建築祭パスポート見学にて
2)2024.07.11、神戸市、KIITO旧館
2025年11月18日 (火)
2025年11月17日 (月)
2025年11月16日 (日)
2025年11月15日 (土)
2025年11月14日 (金)
2025年11月11日 (火)
2025年11月10日 (月)
2025年11月 7日 (金)
2025年11月 6日 (木)
旧成徳中(5)外壁側に大梁のない構造
広い玄関ホールをアーチで補強している。伸びやかな形がとてもきれいだ。この校舎はL字型になっている。L字の継ぎ目にあたる部分に大梁がない。つまりこの部分は他の場所と比べて柔らかいのだ。地震時の建物のねじれをこの柔らかい部分で吸収する考え方なのだろう。興味深い。
このころの京都の学校建築は外壁側に大梁が無い。この場合の大梁とは柱とは柱をつなぐ大断面の梁のことである。外壁そのものが自立した構造体だということだろう。おそらく壁厚さも他よりは厚く、ひょっとしたら中の鉄筋の配置も違うかもしれない。外壁に大梁がないおかげでおかげで窓も高くとれる。この時代の鉄筋コンクリート造りは今より自由だと思う。

2025.11.01、京都モダン建築祭ツアーにて
2025年11月 5日 (水)
2025年11月 4日 (火)
2025年11月 3日 (月)
旧成徳中(2)正門門柱
塀のほうは飾り格子が失われているが円筒形の支柱はそのまま残っている。今まで気づかなかったが、支柱のほうは擬石ブロックだった。正門門柱の2本だけは石貼りだ。大谷石と説明にあるが竜山石に見える。
門柱のほうは支柱の親玉のような大きさで、脇に支柱と同型のものをくっつけているところが変化があっておもしろい。ロボットの頭のような照明器具もよくできている。戦前の写真に写っている照明器具と同じかたちなので金属供出を免れたか、それとも戦後の復元なのかは不詳。当世流行のアールデコをよくこなしたデザインだと思う。
館銘板がブロンズ製でかっこよい。資料によれば成徳小学校に中学校が併設されたのは戦後の1947年なので、そのときのものだろうか。小学校は翌1948年に廃校となった。

2025.11.01、京都モダン建築祭ツアーにて











































































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