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2025年10月

2025年10月31日 (金)

綿業会館新館の裏足タイル

本館とは別の顔をしているが、タイルが同じなので連続性がある。よく見たところ全く同じタイルだった。タイルの太田さんが、タイル表面を見てこれは裏足だとおっしゃっていたが、確かにそう見える。

タイルの裏足とはタイルの食いつきをよくするための裏側の突起のことだ。裏足は2枚合わせで焼きあがったものを割ってつくると聞いたことがある。それは湿式タイルの時代の作り方だ。綿業会館のタイルもそうやって作って裏返して使っているらしい。

ヨコ縞とタテ縞があるので、最初から裏足を見せることを前提に焼いたものと思われる。渡辺事務所で綿業会館本館を担当した村野藤吾は関大校舎で同じことをしている。

「大阪の建築ガイドブック」(1972)によれば、新館は1962年竣工、設計は渡辺建築事務所、施工は清水組。本館(1931)と同じ設計施工チームである。

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2025.09.08、大阪市中央区

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2025年10月30日 (木)

大日本製薬ビル(1930)のレリーフ

解体された大日本製薬ビルのレリーフが住友ファーマビルに保存されていた。バリ島舞踊の仮面のような鬼面にすごみがある。「近代大阪の建築」によれ宗建築事務所設計、竹中工務店施工。スクラッチタイル貼りの3階建ての社屋正面の3連アーチに4つの鬼面があった。

誰のデザインなのか興味深い。生駒ビルディングも宋建築事務所の設計で同年竣工している。生駒ビルを担当したとされる大倉三郎は宋事務所に1923年入所、1927年退所。大倉設計であれば生駒ビル着工以前に設計があがっていたことになる。それなら大日本製薬も大倉が関与した可能性はある。

これがテラコッタであることに注意したい。テラコッタで外壁を飾ったのは生駒ビルと共通する。そもそも国産テラコッタは大倉の師である武田五一が伊那製陶と共同開発したものだった。やはり大倉がこの仮面をデザインしたのか。とりあえず謎ということで。

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2025.09.08、大阪市中央区

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2025年10月29日 (水)

江綿本社第1ビル(1971)

通りの左右に同じデザインのビルが建っている。右が江綿(ごうめん)本社第1ビルで左が第2ビル(1983)だ。軽やかな白格子のデザインがアパレル系商社らしい清潔感を表現している。よいビルだと思う。

右側の第1ビルは手前と奥で別建物になっている。手前が増築なのかもしれない。手元の資料にはデータがなく。江綿HPで竣工年だけ分かった。

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2025.09.08、大阪市中央区

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2025年10月28日 (火)

旧丸紅ビルのレリーフ

本町のメットライフ本町スクエア(旧大阪丸紅本社ビル)に、解体された先代ビルのレリーフが遺されていた。丸紅写友会HPによれば古賀忠雄の「生まれ出る喜び」という作品だそうだ。力強くてとてもよい。丸紅HPによれば旧大阪丸紅ビルは1962年竣工。詳細不詳。

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2025.09.08、大阪市中央区

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2025年10月27日 (月)

朝来歴史民俗資料館

ダムによる水没民家を移築再生したもの。元禄時代というからものすごく古い。シンプルな構造が勉強になる。黄色い土壁が美しい。わたしの理想の建築に近い。

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2025.09.20、兵庫県朝来市多々良木

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2025年10月26日 (日)

レンガタイルの裏足

裏足だと思う。裏足とはモルタルの食いつきをよくするための突起のこと。でもこれは瓦の裏足のように見える。瓦屋さんが作ったものかもしれない。目地を入れなおしているが、レンガ寸法が今より大きいので明治時代のものに見える。

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2025.09.21、京都市中京区

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2025年10月25日 (土)

端部半円のボーダータイル

ボーダータイルの端部が半円になっている。竹の節のようにも見える。黒に近い紺色と青の2色あり、青が白く窯変するのもおもしろい。1970年代特有の変わりタイルの一種だろう。珍しい。

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2025.10.18、兵庫県豊岡市竹野

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2025年10月24日 (金)

竹野港旧荷捌き所

これが描きたくて竹野へ行ったといっても過言ではない。とてもかっこよいではないか。トラス組みを挟み方杖で固める関西型耐震木構造だった。戦前のものに見えるが、戦後すぐかもしれない。「兵庫県の近代化遺産」未掲載物件。

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2025.10.18/ワトソン紙はがきサイズ、コミック0.3、固形透明水彩/兵庫県豊岡市竹野

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2025年10月22日 (水)

元工兵第四連隊・営門歩哨所

大正時代のものに見える。とても珍しい。鉄筋コンクリート製だと思うが、壁が薄いので鉄網コンクリート製かもしれない。ここは工兵部隊だから、新しい工法を試したのかもしれない。

歩哨の立つ位置に矢印があった。これは歩哨の足の置き方を示すものだろう。歩哨はつま先を60度の角度に開くものらしい。レンガの営門は明治42年に工兵隊が設置されたときのものだろう。

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2025.10.04、大阪府高槻市

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2025年10月20日 (月)

〈 越前を行く-27 〉岩上の右近家住宅西洋館

館内はほぼスペイン風の内装だが、2階に気持ちの良い広い日本間があった。夏休みに遊びに来たような楽し気な座敷だ。バルコニーからは日本海が一望できる。目前の岩場には奇岩が一列に並ぶ。もっとも高い岩はボウズ岩と呼ばれ、お坊さんが合掌する姿に見える。この岩列は風水的にいえば気の流れを表す。

この岩列の陸側に巨岩の崖があり水が湧いている。巨岩こそ気に湧き出る龍穴なのだろう。西洋館はその岩上に建つ。岩への信仰が西洋館を建築しようとする想いのベースにあったと思う。

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2025.07.07、福井県南越前町

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2025年10月17日 (金)

〈 越前を行く-26 〉右近家住宅西洋館の網戸

ロールブラインド風の網戸が仕込まれている。涼風を得る工夫である。使わないときには枠のなかにしまわれて目立たない。そこがよくできている。

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2025.07.07、福井県南越前町

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2025年10月16日 (木)

〈 越前を行く-25 〉右近家住宅西洋館の水回りのタイル

洗面の床は布目タイルだが、角が丸いのは他で見たことがない。赤味のさしたベージュ色に温もりを感じる。壁はくすんだ青緑色のモザイクタイルで床タイルとよく調和していた。

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2025.07.07、福井県南越前町

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2025年10月14日 (火)

〈 越前を行く-24 〉右近家住宅西洋館の階段室

内装はスパニッシュコロニアルである。木部はオイルステンで濃色にして、漆喰塗り壁天井との対比が美しい。ステンドグラスが船なのは左近家が廻船問屋だったからだろう。階段の蹴上板がタイルで仕上げられているのがとてもよい。わたしだったら岸和田の自泉会館のようにもう少し派手なタイルを使うところだが、ここは床タイルの延長で温かみのある釉薬タイルを貼っている。それもよい。

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2025.07.07、福井県南越前町

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2025年10月13日 (月)

〈 越前を行く-23 〉右近家住宅西洋館のタイル暖炉

1階居間のアルコーブ(壁龕)にストーブとベンチが設(しつら)えられていた。ブロンズ製飾り格子や釉薬タイルが美しい。座ってみると秘密基地にいるような安心感がある。機会があれば、ぜひわたしも設計したい。

ストーブはドイツのユンケルロー社製の薪ストーブらしい。ベンチ付きストーブのアルコーブは、ガウディのカサバトリョや京都府の大山崎山荘で見たことがある。雪深い南越前らしいしつらいでとてもよい。

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2025.07.07、福井県南越前町

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2025年10月12日 (日)

〈 越前を行く-22 〉右近家住宅西洋館のタイル床

 階段室の床タイルが圧巻だった。レンガサイズの釉薬タイルを網代模様に敷き、隙間に3色のモザイクタイルをはめ込んでいる。ベージュの釉薬タイルが柔らかくて温かみがあってとてもよい。モザイクタイルが布目なのも味わい深い。タイル好きにはおすすめの洋館である。

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2025.07.07、福井県南越前町

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2025年10月11日 (土)

〈 越前を行く-21 〉右近家住宅西洋館の玄関

玄関を入ると祭壇のようなアルコーブがあった。アーチ型のくぼみをモザイクタイルが飾っている。いい感じに窯変タイルに白黒タイルの星を浮かべている。モザイクタイルはこう使うのだと教えてくれる。とても勉強になる。

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2025.07.07、福井県南越前町

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2025年10月10日 (金)

〈 越前を行く-20 〉右近家住宅西洋館(1935)

河野(こうの)ではもうひつ右近家という廻船問屋の屋敷が公開されている。屋敷の背後の崖上に離れの洋館があった。ここは撮影可だったのでご紹介しておきたい。

ご覧のようにスイスの山小屋(ロッジ)風のたたずまいだ。張り出したバルコニーと緩勾配の切妻屋根が美しい。海からもよく見えたことだろう。

 
当時右近家は海上保険会社を経営する事業家だった。この洋館が何のために作られたのか説明はなかった。ゲストハウスとして使ったのだろうか。

急斜面の上で搬入経路がないにも関わらず鉄筋コンクリート造りである。資材は船で運ぶしかないだろう。それを崖上まで引き上げるタワー足場を設けたのだろうか。それとも傾斜リフトかタワークレーンを使ったか。どうやって施工したのか興味深い。

右近家西洋館は昭和10年に大林組の設計施工で竣工ている。大阪府にある小林一三記念館は、竹中工務店の設計施工で昭和12年の竣工した。こちらはハーフチンバーの洋館だ。自在に様式を選択して設計できた時代がうらやましい。

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2025.07.07、福井県南越前町

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2025年10月 9日 (木)

〈 越前を行く-19 〉中村家住宅のモチノキ

大きなモチノキがあった。海に面して高木を植える風習は隠岐にもあった。隠岐ではエノキだった。隠岐ではユノキと呼ぶ。ユとかユウは神事にまつわる言葉だと思う。神降りる高木を海に面して立てるのは航海安全を祈る形式なのだろう。このモチノキもご神木だと思う。

細長い敷地に屋敷があり、その前に細い路地のような道がある。道と浜とのあいだに倉が立ち並んでいた。ほかでは見たことのない集落のかたちだ。物資を運び出せる陸路がない。ここに収められた物資はさらに別の船に積み替えられるのだろう。時期をずらして市場へ出すことで利益を生みだす経済的なバッファとして機能していたのではないか。

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2025.07.07、福井県南越前町

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2025年10月 8日 (水)

〈 越前を行く-18 〉中村家住宅の石垣庭園

 中村家を含む河野の集落は斜面と海に挟まれた細長い陸地に展開しする。だからどこの家の庭も石垣を背景とすることになる。中村家の石垣の場合は乱積みでありながら石のあいだに隙間がない。

すきまのできないように削った石を積むことを切込接(きりこみはぎ)というが、乱積みの切込接は珍しいと思う。自然な積み方に見せながら、途方もない手間がかかっている。

庭も修復されたようだ。石垣が明るく光ることでよい庭になっていた。

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2025.07.07、福井県南越前町

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2025年10月 7日 (火)

〈 越前を行く-17 〉中村家住宅のダイドコロ

ダイドコロの天井に床組みがないのはイロリがあるからだと気づいた。煙り出しを設けるために、ここは屋根まで吹き抜けとなる。かわりに左右の部屋に2階部分がある。左右から固める方式となっているのかもしれない。そういえば今宿のそば処「六助」も天井に床組みがなく煙り出しになっていた。ここと同じ構造のようだ。

厳密にいえば枠の内づくりではないが、建物のなかに堅牢なコアを仕込むという考え方は同じだ。イロリの場所をどうするかによって2通りの方式があるのかもしれない。もしくは、本来的に左右から支える方式こそ枠の内づくりであって、中央吹き抜けの天井に床があるのかないのかは副次的な問題なのかもしれない(こっちのほうがありそうだ)。

流しはシャクダニ石製だった。石製の流しは珍しいと思う。それともこの地方ではこれがデフォなのだろうか。

イロリはタタキのようにも見えるがよく分からない。中央のくぼみにある丸い石はなにに使うのだろう。服部緑地の民家園で見た合掌造りのイロリには灰がいっぱい入っていた。つまり、このタタキの上に灰を敷き詰めて使うのだろうか。イロリに茶釜が添えられているのがおもしろい。

カマドは使うときには前の床板を外すようだ。釜口が少ないのは煮炊きの中心がイロリにあるからだろうか。分からないことが多い。

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2025.07.07、福井県南越前町

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2025年10月 6日 (月)

〈 越前を行く-17 〉中村家住宅の改良式箱風呂

改良式箱風呂がこれだ。煙突は水槽の弓削抜きかもしれない。焚き口は外にあるのだろう。マキだと思う。大阪の阿波座で作られたものだった。大き目の洗濯ばさみのようなものがかかっていた。タオルかけだろうか。

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2025.07.07、福井県南越前町

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2025年10月 5日 (日)

〈 越前を行く-16 〉中村家住宅の本座敷

次の間から本座敷を望む。明るく清潔感のあるお座敷で気持ちがよい。襖絵がやランマの組子細工が美しい。青い土壁は聚楽塗りだろう。きれいに修復されている。

正面の床の間の位置が逆である。通常は庭のある左側が床の間で右側が違い棚になる。それが逆なのは座敷の右となりに廊下をはさんで隠居所があり、そこはもとは金沢藩主の前田候の休憩所だったので、そちら側を上手としたからだと説明があった。床の間に光を入れるために廊下に煙突のような光井戸を設けている。

わたしはその説明には無理があると思う。この床の間が作られたころは休憩所はなく庭だったのではないか。その後の休憩所が設けられて床の間が暗くなったので、仕方なく光井戸を設けたのだろう。

そもそもこの座敷を含む母屋は明治20年に建て替えられたのだから、前田候の御座所は元のままではない。ただし、本陣であったことは中村家の誇りなので、床の間まわりは古いものを再利用したのだと思う。

休憩所と言われる部分(休足の間、隠居の間)がいつの時代のものか分からないが、設置されている風呂桶が明治以降に普及する「改良箱風呂」なので、明治20年の建て替え時に作られたものだと思う。その時点で床の間が暗くなり光井戸を設けたのだろう。

風呂場はあまり使った跡がないので、明治になっても中村家は前田侯爵家の御座所だったのかもしれない。

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2025.07.07、福井県南越前町

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2025年10月 4日 (土)

〈 越前を行く-15 〉中村家住宅の吉祥模様

中村家住宅は吉祥模様に護られている。外壁の亀の飾り瓦と亀の懸魚、玄関引き戸の鶴亀とひし形の井桁、鶴亀の釘隠し、ツボツボと七宝のランマなど。探せばもっとあるだろう。

亀は水気を表すので防火、鶴亀は陰陽が揃ってめでたい、井桁も水を連想させるので防火かな。七宝は仏典に出てくる言葉で極楽浄土を飾る金銀など7つの貴金属を示す。最上の縁起物である。

ツボツボは千家の紋として知られるが元は伏見稲荷の初午の祭礼で売られていた小さな素焼きの壺だそうだ。これに稲荷山の土を入れて持ち帰り、畑に埋めると作物がよく実るという。豊作を約束する土気の呪具であろう。

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2025.07.07、福井県南越前町

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2025年10月 3日 (金)

〈 越前を行く-14 〉中村家住宅(1887)

日本海に面した河野(こうの)に廻船問屋・中村家住宅を見た。母屋は明治20年、望楼を備えた新座敷(未公開)は大正2年。母屋は豪壮な枠の内づくりだった。ただし直行する飛び梁がない。天井部分の床組みもない。枠の内づくりとしては変則的である。なにか事情があったのだろうか。

中村家は瀬戸内の河野水軍の末裔だそうだ。北前船航路を開くために移住したのかと思ったらそうではなく、南北朝時代に南朝方につき、その後ここへ移ったそうだ。戦乱を逃れてきたのだろうか。

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2025.07.07、福井県南越前町

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