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2025年8月

2025年8月31日 (日)

琵琶湖疏水(4)疏水11号橋

日本で最初の鉄筋コンクリート橋と言われていたが、近年の研究で半年ほど前にできた別の橋ほうが古いことが分かったらしい。わたしとしてはどっちでもよい。問題なのはこの橋が鉄筋コンクリート造りなのかどうかだ。ネット検索で分かったところまでメモしておく。

この橋はメラン式と呼ばれている。鉄骨でアーチを組む。その鉄骨をメラン材というらしい。意味はよく分からない。そのメラン材を「コンクリートで巻きたてる」という。現代も行われているコンクリートのアーチ橋はみなメラン式工法のようだ。先に組み上げた鉄骨アーチに型枠を吊ってコンクリートを打つので、大掛かりな足場が必要ないという。なかなかおもしろい工法である。

そのコンクリートを打つ際に、補強として鉄筋を入れるだろうと思う。そのあたりがはっきりしない。石造りのアーチをコンクリート造りに代えただけなので、鉄筋は必要ないのかもしれない。でも橋が熱膨張するだろうから、やはり鉄筋は入れるのではないか。

11号橋ではトロッコのレールを使ってメラン材を作ったそうだ。そのまわりをコンクリートで巻きたてている。見てもそのあたりはよく分からない。鉄筋を使っているとすれば、鉄筋コンクリート造りではなく鉄骨鉄筋コンクリート造りということになろう。ただし橋は土木系なのでわたしのような建築系とは用語が異なるのかもしれない。とりあえず保留しておく。

11号橋 1903年竣工、田辺朔郎設計

ウイッキによれば田辺は1896年に東大から北海道鉄道部長へ転任している。その後1900年から京大土木教室に赴任する。日比忠彦は1897年東大卒なので田辺に教わっている。彼の鉄筋コンクリート研究は学生当時からのものだろう。卒後ただちに京大土木へ助教授として赴任した。田辺と日比との共同は田辺が京都へ帰ってきた1900年以降と考えるのがよさそうだ。ただし日比は1902年から1904年まで欧米留学しているので11号橋にはあまり関わっていないのかもしれない。

1897年は土木学科が創設されたときで、第1講座の教授は二見鏡三郎という人だった。二見のことはまったく知らないが測量系の人らしい。初期の鉄道建設に功績があったようで興味深い。

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2025.08.26、京都市山科区

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2025年8月30日 (土)

琵琶湖疏水(3)インクラインのレール文字

「1887」と読める。琵琶湖疏水は1890年に竣工しているので竣工当時のレールである。年代の左側は「STEEL」かな? 社名の一部だろう。インクライン廃止の1948年までのあいだに取り換えられたレールがほとんどで、何社ものレール刻印があるそうだ。

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2025.08.26、京都市東山区

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2025年8月29日 (金)

琵琶湖疏水(2)鍛金製の手すり

明治から大正のものに見える。疏水の東大路通りにかかる徳成橋(T3)の欄干と似ている(現存せず)。鍛金(たんきん)で作った部品を短い帯金でかしめている。それがそのままアクセントになっていて美しい。よく残ったものだ。

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2025.08.26、京都市東山区

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2025年8月28日 (木)

琵琶湖疏水(1)スタンレー式発電機

疏水記念館に琵琶湖疏水開通時の発電機と水車が保存されていた。水鉄砲のようなノズルから噴射された水流がペルトン水車をまわす。水車と発電機とは幅広のベルトでつながれていたようだ。これが高速で回転するようすが目に浮かぶ。説明書きによれば20台の水車と19基の発電機が並んでいたそうだ。さぞ圧巻であったろう。この発電機が 生み出した電力が西陣織の力織機を動かし、京都の伝統工芸は大量生産の道へ進み始めるのである。

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2025.08.26、京都市左京区

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2025年8月27日 (水)

養父スケッチ教室で別宮の大カツラを描いた

森へ入ると涼しかった。水源地を守る大きなカツラの木を描いた。枝が密なので木に登りやすいそうに見える。ヤマヒコの神がカツラの木に下りたという神話もうなづける。ヒグラシが盛大に鳴いて神代を思わせる不思議な時間が流れていた。

養父(やぶ)スケッチ教室 https://tsunagaruday-yabu.jp/activity/637/

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2025.07.19、兵庫県養父市別宮(べっくう)

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2025年8月26日 (火)

CHスケッチ教室で飛行塔を描いた

涼しかろうと生駒山上遊園へ行った。こどもたちが走り回っており夏休みの名残りを楽しんだ。飛行塔は昭和4年のもの。なかなかかっこよかった。

カルチャーハウス香里園スケッチ教室 https://culture-house.com/course/61e4c7e8a9defb00291ef6a2

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2025.08.23、奈良県生駒市

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2025年8月25日 (月)

宝酒造伏見工場

とてもよい。かっこよくなり過ぎずに、ちょうどよい按配で工場建築のおもしろさを残している。けっこう上手いと思うが誰の設計だろうか。
1970年ころのものに見える。

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2025.03.15、京都市伏見区

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都鶴酒造

都鶴の鉄筋コンクリート造りの建物。窓が少ないため壁が大きく見えてかっこよい。縦長の鉄製サッシュもよい味を出している。リノベすれば流行ると思う。昭和初期のものに見えるが近代化遺産リストには未掲載。

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2025.03.15、京都市伏見区

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2025年8月24日 (日)

藤岡酒造

 レンガ蔵があった。右側も改造されているが側面にレンガ積みが見えるので、レンガ蔵が2棟並んでいるらしい。バーカウンターが中にあるそうだ。今度行ってみたい。近代化遺産リスト[産業編]#358、詳細不詳とある。

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2025.03.15、京都市伏見区

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2025年8月23日 (土)

壁だけが残ったということ

建物は解体されて駐車場になっているが、片方の壁だけが残っている。おそらく隣家との関係で、こうせざるを得なかったのだろう。元は鉄筋コンクリート2階建ての四角い建物だったらしい。残した壁は隣家の屋根まで削り取ったのでこんな形をしている。オブジェのようでおもしろい。

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2025.03.15、京都市伏見区

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2025年8月22日 (金)

126年目の鉄の美しさ

おみくじの鉄製の筒がよい具合に錆びている。古い鉄のもつ格別な趣きを得ている。盤面に明治42年とあるので今年で126年目だ。もちろん定期的にメンテしているのでこの趣きがあるのだ。放置されたのではこうはならない。何世代もの人の手で育てられた鉄の美しさがここにある。

ちなみに筒のなかにみくじ棒が入っていたのか確かめなかった。今度行ったら確かめてみる。

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2025.03.15、京都市伏見区、金札宮

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2025年8月21日 (木)

本陣なな福(7)七福の神

母屋の屋根には「なな福」の名のもとになった七福神の鬼瓦が載る。これは珍しい。関西では棟瓦の両端に大黒天と恵比寿天を添えることはある。大黒天は大国主で陽気、恵比寿天は事代主で陰気に配当し、この親子神で陰陽を示すわけだ。屋敷の陰陽を明らかにして気を整えるのである。七福神の鬼瓦はその延長線上の発想だろうが、ほかでは聞いたことがない。

おそらく七福神は七曜になっているのだろう。日月(陰陽)+火水木金土(五行)だ。配置を確かめたわけではないが、棟の両端は大国と恵比寿で決まりだろう。下屋庇の南西角に弁財天(写真)があったから、残りの4福神は大屋根の四隅に納まっているはずだ。

弁財天はふくよかな笑顔で庭園を見下ろしている。なかなか見事な鬼瓦である。弁財天だけが庇に降りている。すなわち七福神のなかで、とくに弁財天が協調されているわけだ。つまり、この屋敷の一族が弁財天への信仰を有していたであろうことは容易に想像がつく。弁財天はイチキシマ姫でもあるので、屋敷神と関係があるのかもしれない。とりあえず謎ということで。

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2025.07.20、神戸市北区淡河(おうご)

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2025年8月20日 (水)

本陣なな福(6)蔓延する円形装飾

この地域の蔵には小さな丸い穴が開いている。わたしは「気」が出入りする穴だと思っている。気が正しく出入りすれば健康に生きることができる。その穴が本陣の蔵にもあった。ほかに母屋の障子のガラス、離れの輪つなぎランマそして茶室の円窓と丸い穴の連鎖は続く。この屋敷は気を正しくする円形装飾に満ちている。

ちなみに京都では祠の台にしばしば丸い穴をあける。これは神様の出入りする穴だ。神様も気の一種なので、やはり丸い穴は気の通り道だと分かる。また京都の蔵にも丸い穴はある。穴のまわりに左官仕事で花弁をつくり梅鉢模様にすることが多い。つまり天神の通り道だということだ。蔵のような密閉された場所には気が滞留し不健康になってしまう。それを避けるために小さな丸い窓を開けておくのだと思う。

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2025.07.20、神戸市北区淡河(おうご)

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2025年8月19日 (火)

本陣なな福(5)茶室と屋敷神

離れの奥に茶室があった。ここも離れと同じシンプルな美しさがある。裏庭から差し込む光が心地よい。裏庭には屋敷神が祀られていた。この茶室は屋敷神へ茶を献じる場所なのかもしれない。その屋敷神の祠の壁が茅葺だった。社殿の壁を茅で覆うのを初めてみた。この地域の風習なのだろうか。それともこの本陣だけの習わしなのだろうか。謎めいて興味ふかい。

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2025.07.20、神戸市北区淡河(おうご)

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汚部屋の改造を決行した

足の踏み場もなくなったので部屋を改造した。25年ぶりの快挙である。記録のためにメモしておく。

2つあった机をひとつにした。机板はむかし学校で拾った古い製図板である。製図板を納めるために中央の足場棚を一度ばらして組みなおした。荷物の出し入れに各1日かかり全体工程は4日間だった。

こうして新旧写真を並べてもいっこうに代わり映えがしない。しかし改造中にゴミが45リットル袋で10個ほど出た。まだまだ不要なものが大量に残っている。部屋がこころの宇宙だとすれば、わたしのこころはゴミのなかだということになる。早めに片づけていきたい。

2025.08.14改造前 2025.08.18改造後
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本陣なな福(4)庭園

母屋と離れが東西に並んでいる。その南側と東側に手入れされた庭が広がっている。南側の端に滝口があって水を流す。複雑に組まれた石組みのあいだを流れるようすをパノラマとして眺められるのが楽しい。最後は防火用水と思われる幅2メートルほどの溝に落ちる。

庭には巨木があり野神を思わせる。野神とは水源地を守る樹木のことである。50年間空き家だったときに大きくなり過ぎたように見えるが、最初から野神として祀られていたのかもしれない。

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2025.07.20、神戸市北区淡河(おうご)

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2025年8月18日 (月)

本陣なな福(3)離れ

離れは母屋よりも新しく見える。本陣ならばあるはずの上段の間がない。だから明治以降だろうと思う。シンプルな美しさがあるので大正から昭和初期のものではないか。軒を支える杉の一本ものはとても長い。4間(≒8M)もある。なかなか豪胆な使い方をしている。

壁はすべて聚楽塗りだ。床の間だけは和紙のタイコ貼りだった。はがれて下地紙が見えているのがおもしろい。破れたものは破れたままにしておくというのが潔くてとてもよい。

※ 中尾さんからの情報 母屋からは明治45年の棟札が出てきたという。そういえば床の間に飾られていた。ただそれは茅葺きを瓦葺きに変えた年代だと思う。離れは母屋よりも古いという。離れは本陣時代からあったのだろう。今の建物には上段の間がないので、母屋屋根を改造したあとに改築したのだろうと思う。これが明治期のものだとすれば、とてもモダンで珍しい。

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2025.07.20、神戸市北区淡河(おうご)

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2025年8月14日 (木)

本陣なな福(2)母屋

母屋は厨子(つし)2階建てなので元は茅葺だろう。瓦葺きに変えたのは大正時代だったように私には見える。本陣としての玄関が残っているので骨組みは江戸時代ままだろう。シンプルで明快な軸踏みでほとんどゆがみはない。雨漏り跡があるが今は止まっている。建物の経歴についてもっと詳しく知りたい。

01裏庭から見た母屋、02玄関から表座敷を望む、03土間横の畳敷きから玄関を望む、04土間の厨房

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2025.07.20、神戸市北区淡河(おうご)

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2025年8月13日 (水)

本陣なな福(1)

淡河(おうご)宿の古民家カフェ「本陣なな福」の居心地のよい座敷でランチをいただいた。エアコンなしで十分涼しい。地元有志が保存会を立ち上げ再生したという。そうした熱意と努力あってこその心地よさなのだと思う。しかも建物の使い方のセンスが抜群によい。見習いたい。

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2025.07.20、神戸市

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2025年8月12日 (火)

金物神社本殿(1975)

 コンクリート製のかっこよい社殿があった。地元の山本鉋製作所HP「鍛冶屋のつれづれ書き」によれば、金物神社は1935年創建。現社殿は1975年築。設計者は不詳。隣接する金物資料館と同じ設計者ではなかろうか。狛犬がかわいい。

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2025.07.20、兵庫県三木市

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三木市立金物資料館(1976)

コンクリート製の校倉造である。透けているので軽やかに見える。定礎碑文によれば、小林ギムネ製作所の小林恒美氏の寄付で建てられたもので、高階組(三木市内)の施工とある。肝心の設計者の名がなかった。ちなみにギムネとはT字型のキリのことで、いまは電動ドリルの刃を三木では作っている。

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2025.07.20、兵庫県三木市

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2025年8月11日 (月)

京都線中津駅は本当になかったのか

阪急の京都線、宝塚線、神戸線の3線の通る中津駅は、京都線側にホームはなくただ通過するだけだ。つまり京都線に乗っていると中津で降りられない。でも京都線側の端にホームらしきものがあるのだがこれは何だろう。京都線が梅田まで延伸したのは1959年だとウイッキにある。それ以前の構築物なのだろうか。

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2025.07.23、大阪市北区

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ポートターミナル駅(1981)

ヴォールト(かまぼこ)天井をアルミ製のスパンドレル材(タテ筋の金属板)で仕上げている。60年代的な未来感がある。照明器具を見せないところや隅丸サッシを使ったのもたいへんよい。

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2025.07.25、神戸市

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2025年8月10日 (日)

ポールハイツ淀(1974)

飛び出した部屋の上がバルコニーになっている。それが繰り返されるだけなのに複雑に見えるのがおもしろい。不動産情報によれば池上勝郎建築事務所設計、竹中工務店施工、鉄骨鉄筋コンクリート造り11階建て。梅田近くにあった竹中工務店設計施工の集合住宅「メタボ阪急」(1971、2010解体)によく似ている。

ポールはいつは42戸の分譲マンションだそうだ。1LDKや2DKといった、いわゆるワンルームマンションらしい。分譲マンションとしては小規模ゆえに管理が大変ではなかろうかと思うがメンテは行き届いている。規模のわりに戸数が多いので、なんとかやっていけるのかもしれない。

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旧天神橋温泉を現認した

天神橋7丁目は初めて歩いた。廃業なさった銭湯が残っていた。左右に前庭をもつ大阪に多いタイプだ。青いガラスブロックがあるので1970年前後に改修したのだろう。建物本体は昭和初期のものだと思う。そのころに周辺地域の開発が進んだことを示している。

いまは就労支援施設として活用されているらしい。夕方6時ごろだったので赤コーンが並んでいた。介護用車両の停車スペース確保のためだろう。地域の産業構造が変わって風景が変化するなかで継承される建物は貴重だ。

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2025.08.01、大阪市北区

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2025年8月 9日 (土)

21)東華菜館の十字架

塔のてっぺんに十字架がある。これも元の所有者がクリスチャンだっだのではないかと思った理由のひとつだ。元の所有者はレストラン矢尾政の浅井安次郎氏と「京都商工大鑑」にある。明治30年生まれとあるので東華菜館竣工の昭和元年12月には29歳だった。ヴォーリズは46歳。ふたりはどこで知り合ったのだろうか。

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2025.05.10、京都市下京区

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2025年8月 8日 (金)

20)東華菜館で一番小さなテラコッタ

もっとも小さくて、かつもっとも細やかで美しいテラコッタはこれだ。ブドウやトウモロコシなどの食材で構成されている。屋上にあるのでツアーに参加するなどしないと見ることはできない。以前のツアーで参加者さんが偶然発見したことから、わたしもこの存在を知ることができた。東華菜館は訪れるたびに発見があって楽しい。

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2025.05.10、京都市下京区

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2025年8月 7日 (木)

19)東華菜館の角は直角ではない

これは北西角だが90度より少し広い。南西側も同じくらいの角度だ。つまり東華菜館の平面は長方形ではなく台形なのである。おそらく敷地形状に合わせたのだろう。現代ならば多少のことであれば直角に作る。床が台形だと鉄筋を並べた時に端数が出て手間がかかるからだ。手間を惜しまず台形に作ったので敷地境界とのあいだに変なスキマができない。そのおかげですっぽりと街並みに溶け込んでいる。

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2019.06.16、京都市下京区

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2025年8月 6日 (水)

18)東華菜館の傘収納棚

これは塩ビ製の雨樋だと思う。雨樋を利用して傘の収納棚を作ってしまう発想がすごい。1970年ころのものに見える。行くたびに感心して眺めている。そういえば、しずくはどこに落ちるか。肝心のところを見ていなかった。今度行ったら確かめてくる。

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2024.10.13、京都市下京区

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2025年8月 5日 (火)

17)東華菜館の麗しの階段室

中華風の照明が階段室によく似合って美しい。まるで階段室の精霊が姿を顕したようにではないか。階段室1階の多弁アーチは歓迎門のように来客を迎える。このアーチは下りるときのほうがよく見える。わたしは帰るときには必ず階段を下りる。そして1階フロアで振り返って見上げの写真を撮るのだ。とても楽しい。

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2023.01.21、20224.05.05、京都市下京区

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2025年8月 4日 (月)

16)東華菜館のゴシックリバイバル

ドア枠の両側に棒状の飾りがついている。その頂部が角のように突き出るのがかっこよい。注目すべきは棒飾りは床まで下りず腰壁の上で終わっていることだ。そのため宙に浮いたような軽やかさを得ている。一方、ドア上の飾り板は、まがうことなきゴシック模様である。スパニッシュコロニアルはゴシックリバイバルを下敷きにしていることをよく理解したデザインだといえよう。

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2021.05.23、京都市下京区

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2025年8月 3日 (日)

15)東華菜館にはヴォーリズベンチがある

八芒星の背が美しい。6つ並んだ八芒星の左右の端2か所に透かし彫りがないのは、その裏に支柱が仕込まれているからだ。注目したいのは座面下の真鍮製の補強材である。S字型に湾曲させ中間に飾りを入れる。すこぶる目立たないがとてもよきかな。このベンチはときたま置き場所が変わるので探すのも楽しい。ちょっと低めで座り心地もよろしい。

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2023.08.13、京都市下京区

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2025年8月 2日 (土)

14)東華菜館の照明吊元飾り

八芒星型の天井装飾。いまはヘニングセンの「PH5」が下がっている。次の写真は真鍮製の照明器具。これは復元ではなかろうか。ヴォーリズ事務所のテイストを忠実に再現している。天井の吊元飾りともよく合っていてすばらしい。こういう照明器具をわたしも作りたい。

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2023.06.26、2024.05.12、京都市下京区

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2025年8月 1日 (金)

13)東華菜館のモザイクタイル

これは最近に見つけた。巾木(はばき)をタイルで飾っている。巾木とは壁の一番下の部分にはめこむ部材のことだ。それをモザイクタイルで仕上げるのは珍しい。
 
ここでは六角形2種と長方形1種を使ってる。白い磁器質タイルで美しい。磁器質とは陶器質よりも高温で焼いたものをいう。よく焼きしまっていて割れにくいのが特徴だ。

小さな長方形タイルの上下の割ったタイルを見てほしい。その割り方が揃っていない。つまり1枚ずつ割って使ったということだ。

床は新しくなっていると思う。それは1970年ごろの改修だろう。そのとき巾木を入れかえたのなら1枚ずつ張り込むような手間はしないだろう。だからこれは竣工当時のものだろうと思っている。

東華菜館のいたるところで見る八角形モチーフである。床の模様もこれと同じ図案だったのかもしれない。

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2024.09.22、京都市下京区

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