大仏様を見た(2)
秀吉は東大寺南大門を元にして方広寺の大仏殿が建設したのだろう。その経験を活かして東大寺大仏殿は作られたわけだ。東大寺の大仏殿は南大門と構造的には同じだがデザインは異なる。そこを整理しておきたい。
1.大仏殿は柱間に組み物があるが南大門にはそれがない。
柱の間隔が大仏殿のほうが大きいからそうなっているようにも見える。でもそうではなかろう。大仏様は小部材を組み立てて大建築を作る工法だ。したがって柱間隔には限度がある。大仏様ならば中間に組み物を入れて柱間隔を伸ばすようなことはしないだろう。この組み物は飾りとしても役割が大きいと思う。
2.大仏殿は貫(ぬき)にも組み物がある
南大門では貫は柱にささっているだけ。大仏殿では柱につながる水平材のほぼ全てに組み物を取り付けている。
3.庇を支える組み物をつなぐ水平材の簡略化
庇を支える組み物どうしを繋ぐ水平部材が南大門初層は2本だが、大仏殿初層では1本しかない。
こうした大仏殿のデザイン的な処理は、大仏様の合理性からは外れている。なぜ大仏様の見た目ではいけないのか。そもそも重源の大仏殿は焼失するまでに372年経過している。建設当初は嫌われたかもしれないが、300年も経てばそれなりに馴染んでいたのではないか。
やはり大仏殿のデザインには安土桃山時代らしい派手さが表れていると考えるのがよさそうだ。構造的には利点のある大仏様を採用したが、そのそっけなさは時代に合わなかったのかもしれない。大仏殿再興という一大ページェントにふさわしいスタイルが模索された結果こうなったと考えるのが妥当なところか。
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