2025年3月12日 (水)

大仏様を見た

上方探索倶楽部で学生たちと東大寺に行ってきた。気づいたことがあるのでメモしておく。まず大仏殿再建についてまとめておく。

(大仏様という不思議なスタイル)
ご承知のように南大門は源平合戦で焼けたものを重源(ちょうげん)を勧進僧として再建したものだ。奈良時代のとおり復元すべしというもっともな意見もあったが、主に予算上の都合で新工法で再建することになった。宋の亡命技術者が指導したとある。天竺様(よう)とも大仏様とも呼ばれた。

この工法は、比較的小さな部材を組み合わせて大きなものを作ることができた。建材調達、建材運搬、現場での組み立てとも大きな部材を扱うより格段に容易だった。ただし見かけがそれまでの和様とまったく異なった。直線が際立つ大型機械のような外観となった。

わたしは構造部材をそのまま見せるデザインはいさぎよくてかっこいいと思う。だた当時の識者のあいだでは不評だったようで大仏様は次第にすたれていった。

(大仏殿は方広寺をまねたのか)
戦国時代に大仏殿は再び焼け落ちた。現在の大仏殿はそのあとの再建である。その再建工事に先立って京都の方広寺大仏殿が完成している

1195 重源が東大寺大仏殿を再建
1567 東大寺大仏殿焼失
1568 秀吉が方広寺建築発願
1595 方広寺創建
1603 方広寺初代大仏殿失火により焼失
1610 方広寺2代目大仏殿立柱
1612 方広寺2代目大仏殿完成
1694 東大寺大仏殿の再建工事始まる
1708 東大寺大仏殿再建

方広寺の初代大仏殿がどのような形だったのかよく分からないらしい。2代目の大仏殿は正面に唐破風を据えており東大寺大仏殿とよく似ている。だから東大寺大仏殿は方広寺のものをまねたのだと思う。

(大仏様リバイバル)
実際に東大寺大仏殿の構造を見れば、南大門と同じ大仏様であることが分かる。意匠的には多少の違いがあるが、構造的にはまったく同じものと考えてさしつかえない。

先行していた方広寺大仏殿が大仏様だったのだろうか。唐破風が似ているのだから構造自体も同じだったのかもしれない。方広寺が大仏様だったとすれば、それが大仏様リバイバルの最初となる。

400年ものあいだすたれていた様式をどうやって再現したのだろう。さいわいに焼け残った南大門をモデルにしたのは間違いない。しかし実物があるからといって、その何倍もの大きさの建物を本当につくることができるのか誰にも分からなかったはずだ。その困難をどうやって乗り越えたのか興味深い。おいおい調べていきたい。

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2025.03.11、奈良市

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