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2025年3月

2025年3月31日 (月)

太田金物店

1950年創業とHPにある。アルミの打ちだし調理器具の工房として出発し、いまは調理器具全般を扱っているそうだ。祇園の料理屋を支える名店である。6枚引きの横桟ガラス戸がかっこいい。ガラス戸は左端の戸袋に全部収納するようできている。右方のショーケース下は黒タイルを模したホーロー板が張られているのも珍しい。創業当時の面影をほぼ残しているように見える。登録文化財にすればよいと思う。
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2025.03.27、京都市東山区

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2025年3月30日 (日)

弥栄会館が顔を出していた

弥栄会館が顔を出していた。なかなか愛らしい。これは外壁保存をしたらしい。実は中もよかった。戦後に改修されており、改修設計はたしか吉田五十八だったような気がするが記憶違いかもしれない。間違っていたらごめんなさい。まあ、それももう無いわけだし。高度成長期の名作が評価されないまま消えていくのはなんとも惜しい。

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2025.03.30、京都市

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2025年3月29日 (土)

文学部東館(1936)

中庭から眺めたところ。「京都大学建築80年の歩み」によれば、東館のこの部分は大倉三郎の設計で1936年に竣工した。タテ線の入ったタイルで仕上げている。武田はタイルの飾り貼りを楽しくデザインしたが、弟子である大倉も武田の意を汲んでタイル表現を探求している。3階窓の上下に小型のテラコッタ(立体タイル)でラインを入れたのがかっこいい。3階の窓間の小壁に3本の横ラインを入れたのもおもしろい。

ピロティと回廊の床は真ちゅう目地入りの現場打ちテラゾー仕上げだった。幾何学的でシンプルなデザインはアールデコ風だ。プロティの円柱上部のモザイクタイルは有名だが、そのほか回廊側のアイアンワーク(飾り格子)、教室天井の模様張りなど見どころの多い建物である。また改めて写真を撮りにいきたい。一時は解体の話もあったようだが、整備して楽しく使えばよいと思う。

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2025.03.23、京都市左京区

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2025年3月28日 (金)

高野の5段屋根のアパート

高野で見つけた。たまにこうした屋根が段々になったものを見かける。とてもおもしろい。この事例では斜め45度が入っているのが珍しい。よく見ると雨樋の付け方もアクロバチックだ。一番たいへんなのは瓦屋さんだろうと思うが、それでもけっこう楽しい現場だったのではなかろうかと思う。
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2025.03.19、京都市左京区

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2025年3月27日 (木)

2階建て染工場の太田重染工

叡電茶山駅近くの染工場。室戸台風以後の耐震木構造に見える。HPに昭和30年創業とあるので、そのころのものか? HP掲載の紹介ビデオにはものづくりにかける熱い想いがあふれている。1975年から機械式のロール捺染(なせん)に切り替えたという。それまではシルクスクリーンだったろう。

このあたりは鐘紡の紡績工場があったことから早くから友禅染地帯として開けた。鐘紡はいまは高野団地になっている。太田重染工も上鳥羽に新工場を建てたというから、この周辺で稼働している染工場はもうないのかもしれない。

この2階建て染工場は上下2ラインで作業するためのものだと思う。この建物はその典型であろう。なかなかモダンでかっこいい。中の風景もさぞかしよかろう。傷みもなく大切に使われてきたことが分かる。耐震木構造なのでけっこう丈夫だ。修理して再生したいものだ。

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2025.03.19、京都市左京区

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2025年3月26日 (水)

旧桜宮公会堂のランチコースを準備している

まいまい京都で、旧桜ノ宮公会堂のレストランのランチコースを準備しているので下見してきた。創作フレンチでメインは肉と魚が選べる。肉を選んだところ赤ワイン煮だった。やわらかくてとてもおいしかった。ツアーは7月初旬になりそう。続報を待て。

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2025.03.18、大阪市北区

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2025年3月25日 (火)

銀橋(7)階段塔は方眼紙とコンパスで描かれている

こうやって何度も写真を見直していてようやく分かった。この階段塔は方眼紙で描かれている。武田は方眼紙を使ってデザインしたことで知られる。そうしたアイデアスケッチも残っている。さらにコンパスが大好きで、方眼紙上にさまざまな円を描きながらデザインを整えた。この階段塔もそうやって描かれたものだろう。武田の方眼紙を写真のうえに再現してみた。ぴったりではないか。

左右には6つのマスが並ぶ。上下には9つ並ぶ。屋根のてっぺんが9つ目の正方形の上端に届いていないのは、屋根のてっぺんが後ろに下がっているからだ。立面図に起こせばちょうど9つ目のマスに届く(立面図スケッチ参照)。この仮想方眼だと、アーチの中心がうまく方眼に当てはまる。武田がこの階段塔を方眼紙で描いたことの傍証となろう。

武田らしいのは立面の比率が2:3になっていること。武田は立面にしろ平面にしろ、とりあえず2:3の比率にしておけという。2:3の比率は黄金比の1:16に近いからだ。

さらに、各部が3分割でデザインされている。全体のうち、上部の3分の1が屋根だ。屋根部分は上下に3分割されている。下から埋め込み照明の部分、急勾配の屋根、緩い勾配の屋根の順だ。急勾配の屋根と緩い勾配の屋根もそれぞれ3分割されている。なにゆえ武田がこれほど3にこだわるのか分からないが、いかにも武田らしいデザインといえよう。

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2025.03.18、大阪市北区

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2025年3月24日 (月)

銀橋(6)照明器具はだれがデザインしたか

階段塔上部の角に照明が仕込んであるのがおもしろい。埋め込み型の照明は武田らが提唱して始まったものだ。ちなみに照明学会も武田たちがつくったものだ。埋め込み型照明や間接照明など現代的な照明方法を武田は模索していた。この埋め込み型照明もそうした作例のひとつである。

橋上には鉄骨に取り付けられたランタンが並ぶ。船の照明器具をイメージしているのだろう。なかなかかわいい。これも武田自身のデザインだろう。なぜなら銀橋にとりつけられた照明器具のすべてに「横3本の線」が入っているからだ。

このランタンも階段塔の埋め込み照明とアーチ上の照明器具もすべてに横3本の線が入っている。「すべて」に入るのは偶然とは思えない。3は武田が好んだ数字だ。照明器具については武田自身がデザインしたように私には見える。

ここまで書いてきて、このユーモラスな階段塔そのものが武田自身のデザインに思えてきた。いままでは橋梁設計者が描いた図面に朱をいれて校正したのだろうくらいに思っていた。そうではなく最初から武田が描いているのではないか。その分析は次回に。

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2025.03.18、大阪市北区

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2025年3月23日 (日)

銀橋(5)じつは銀橋は伸縮自在だった

鉄橋は両岸をヒンジで固定するものが多い。ヒンジとは丁番のことだ。岸側に取り付けた受金物にアーチの先端を差し込んでピンでとめている。

鉄橋は熱で膨張して伸びる。橋の長さが伸びたときにアーチの両端が固定されていると、そこが突っ張って壊れてしまう。そこで両端のヒンジにするとどうなるか。アーチは伸びた分だけ曲がり方が大きくなる。アーチの背は少し高くなり、両端の付け根の角度も大きくなる。両端がヒンジなので角度が変わっても大丈夫なのだ。これが2ヒンジ型アーチだ。

ところが銀橋はアーチのてっぺんにもうひとつヒンジが入っている。3ヒンジ型は珍しい。これは両岸の地盤沈下を見込んで設けられたという。銀橋の架けられた昭和5年には、工業用水の汲み上げによる地盤沈下が大阪で始まっていた。昭和30年代には大阪湾岸で年間沈下量20㎝を超えたという。10年で2メートルだ。

地盤沈下量は橋の両端で異なる。最大2メートルもの差がつけば鉄橋はどうなるか。アーチは引き延ばされて背が低くなる。アーチは高くなるより低くなるほうが弱い。たとえば、まっすぐな棒とアーチ型の棒に重りを載せればまっすぐなほうが先に折れるだろう。アーチが低くなるということはまっすぐな棒に近づくということなのだ。

もし、2ヒンジ型でアーチの引き延ばしが起こるとアーチが折れるおそれがある。そこで登場するのが3ヒンジなのだ。これなら中央のヒンジが働いてアーチがきれいに伸びる。ほんとかよ、と驚くような構造に銀橋はなっているのだ。

実際には、桜ノ宮で2メートルもの地盤沈下は起きなかった。それでも、岸から銀橋を眺めると橋の中央が少し下がっているのが見える。3ヒンジが働いて橋が伸びたのだ。わざわざ3ヒンジにしたことが役だっているのである。

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2025.03.18、大阪市北区

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2025年3月22日 (土)

銀橋(4)これが武田の機能美だ

まるで白鳥が飛んでいるようだ。斜めの補強材の取り付け部分がなめらかな曲線なのが特徴である。それがゆえに全体の統一感が増し鳥がはばたくような軽やかさを手に入れた。

武田は橋梁技術者を集めた会合でこれからの橋梁美について語ったことがある。今までのように装飾で構造を隠すのではなく、構造の持つ美しさを技術者自身が引き出す工夫をすべきと言った。よくぞ言ったものである。その事例として紹介されたのがこの銀橋だった。構造美の典型がここにある。

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2025.03.1、大阪市北区

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2025年3月21日 (金)

銀橋(3)花見の階段塔

銀橋には河川敷の公園へ降りる階段塔がある。これがあることによって両岸を周遊することができる。武田は両岸公園の一体化を考えて、この愛らしい階段塔を設けたのだろう。

とくに花見の時期に催される「造幣局通り抜け」では重宝する。京阪天満駅から天満橋を渡って天満宮へお参りする。そこから東へ向かえばほどなく大川端の造幣局表門に至る。通り抜けは表門から北へ向かうのがコースだ。造幣局の桜を愛でながら進めば裏門へ至る。裏門横の天満橋を渡りさらに左岸をさかのぼればJR桜ノ宮駅に至る。まるで花見のために用意された階段塔なのだ。

おもしろいのは建物の角を丸くしていることだ。角ばっていると影がはっきりして輪郭がシャープになる。角が丸井のはその逆でエッジが出ないのでふんわりとやわらかい印象を与える。それは和やかな公園風景に馴染むことを意識したディテールなのだろう。

階段塔は外形は四角いのに内側は八角形になっている。ラセン階段を入れるために八角形にしたのだ。それなら外形も八角形にすればよかったのではないか。このところは謎である。

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2025.03.18、大阪市北区

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2025年3月20日 (木)

銀橋(2)ラセン階段の見下げ

ラセン階段は見下げもよい。ステンレスパイプの手すりは戦後のものだが、さすが大阪の金属加工技術はすごいと思う。この手すりのおかげでラセン階段の魅力が倍増している。

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2025.03.19、大阪市北区

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2025年3月19日 (水)

銀橋(1)ラセン階段の見上げ

久しぶりに行ったので見上げてきた。らせん階段は見上げがよい。なかなかよい景色である。武田五一成分を満喫して和む。

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2025.03.19、大阪市北区

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2025年3月18日 (火)

大仏様を見た(5)

長くなったのでこれで最後にしたい。

大仏様の念の入っているところは、角に45度斜めの貫が入っているところだ。斜めにかかる様子が美しい。図のように建物が平面的に変形したとき、斜めの材は引っ張り力を発揮して変形を抑える働きがある。このことによって大仏様はさらに強くなる。これが大仏様のふたつめの特徴だろう。

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2025.03.11、奈良市

もうひとつの特徴は、引っ張り力を利用すれば大きなアーチを作ることができることだ。南大門は両端に庇がある。それがヤジロベイのように左右から引っ張りあって釣り合っている。それは南北方向だけではなく東西方向でも同じだ。だから軒の出は四周同じなのだ。そうやって屋根の重さで釣り合っているのが大仏様なのだ。

そのつり合いを応用すれば大きなアーチが作ることができる。レンガや石のアーチだと上からの重さでアーチが締まって強固になるが、引っ張りあっていても同じことができるわけだ。こういう発想はなかった。ほんと頭がよいと思う。
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ということを踏まえて現代式大仏様を考えてみた。

1 引っ張り力を発揮する挿し鴨居で固める
2 建物の角は斜めの材で補強する
3 小屋組み(屋根の骨組み)にも引っ張り力を利かせる

次にわたしに設計依頼する者は、大仏様の優位性について説かれることになるであろう。ではまた。
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2025年3月17日 (月)

旧網干銀行・湊倶楽部の朝市に行ってきた

実はまいまい京都で旧網干銀行・湊倶楽部ツアーを計画中だ。昨日下見に行ったところ日曜市をやっていた。湊倶楽部へ顔を出してミネストローネスープをいただいた。小雨なので中へ入れていただいて和む。スープは野菜の甘味があっておいしかった。さすが湊倶楽部だ。金庫室にひな飾りがあった。洋館にひな人形がよく似合っていて楽しい。朝市は第3日曜らしい。第3日曜は山本家住宅の洋館も公開している。

湊倶楽部の公式エックス https://x.com/aboshiminato

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2025.03.16、兵庫県姫路市

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2025年3月16日 (日)

聖アグネス教会(1898)

ガーディナー(1857-1925)の作品。彼は立教学校を設立のためにアメリカから23歳で来日した。どこで建築を学んだのかわたしは知らない。明治村の聖ヨハネ(1907)とともにアメリカンゴシック様式の名建築である。いずれもレンガ造りと木造の混ぜ具合が絶妙なところに見どころがある。わたしのお手本としている建築である。

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2025.03.14,京都市上京区

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2025年3月15日 (土)

大仏様を見た(4)

大仏様の貫(ぬき)の働きについて書いてきたが、深い軒も貫を強化するのに役立っている。つまり、瓦が載って軒が下がると挿し肘木(さしひじき)は柱から抜けようとするだろう。しかし車知栓が利いて抜けはしない。逆に貫にテンション(引っ張り力)がかかって骨組み全体が締まるのである。よくできていると思う。

1.瓦が載って軒先が少し下がる
2.挿し肘木の上側が伸びる(引っ張られる)
3.挿し肘木が柱から抜けようとするが車知栓で留められているので抜けない
4.おそらく柱は外側へ倒れようとするのだろう。実際に少し傾くのかもしれない。
5.貫は挿し肘木に引っ張られて伸びようとする(引っ張り力が加わる)。
6.貫に引っ張り力が加わることで、貫の緩みやガタツキがなくなる。
7.6本の貫のうち5本までが瓦の重さの影響を受けて伸びきる。

結果的に建物をロープで縛ったような状態となり建物が安定する。風や地震などで建物が揺れたとしても貫が張り詰めているので大きく変形しない。これが大仏様が構造的に強い理由だと思う。

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2025.03.11、奈良市

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2025年3月14日 (金)

大仏様を見た(3)

大仏様は「貫(ぬき)で挿(さ)し固める」構造だと習った。その意味が少し分かった気がする。貫とは柱同士をつなぐ水平材のことだ。南大門は6本の貫で挿し固められている。重要なのは柱と貫のつなぎ目である。

Aは内側の貫が外へ飛び出している。この貫は1本の材ではなかろう。〇印で継いでいると思われる。したがって貫は4つの部材を継いだものでだろう。実際にどのように継いでいるのか知らないが、おそらく車知栓(しゃちせん)留めのようなつなぎ方だと思う。この継ぎ方だと貫は柱と一体化して決して抜けない。風や地震で建物が揺れたとき建物は変形するが、貫が引っ張られて変形を抑える。引っ張りによって構造体の変形を防ぐ。これが大仏様の構造的な特徴のひとつである。

大仏様は庇が深い。これは軒下の三角形の組み物が支えているのだと思う。瓦が載って軒が下がると三角形の組み物が締まって堅くなる。瓦の重さで組み物を固めるのが大仏様の構造特徴のふたつめであろう。

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2025年3月13日 (木)

大仏様を見た(2)

秀吉は東大寺南大門を元にして方広寺の大仏殿が建設したのだろう。その経験を活かして東大寺大仏殿は作られたわけだ。東大寺の大仏殿は南大門と構造的には同じだがデザインは異なる。そこを整理しておきたい。

1.大仏殿は柱間に組み物があるが南大門にはそれがない。
柱の間隔が大仏殿のほうが大きいからそうなっているようにも見える。でもそうではなかろう。大仏様は小部材を組み立てて大建築を作る工法だ。したがって柱間隔には限度がある。大仏様ならば中間に組み物を入れて柱間隔を伸ばすようなことはしないだろう。この組み物は飾りとしても役割が大きいと思う。

2.大仏殿は貫(ぬき)にも組み物がある
南大門では貫は柱にささっているだけ。大仏殿では柱につながる水平材のほぼ全てに組み物を取り付けている。

3.庇を支える組み物をつなぐ水平材の簡略化
庇を支える組み物どうしを繋ぐ水平部材が南大門初層は2本だが、大仏殿初層では1本しかない。

こうした大仏殿のデザイン的な処理は、大仏様の合理性からは外れている。なぜ大仏様の見た目ではいけないのか。そもそも重源の大仏殿は焼失するまでに372年経過している。建設当初は嫌われたかもしれないが、300年も経てばそれなりに馴染んでいたのではないか。

やはり大仏殿のデザインには安土桃山時代らしい派手さが表れていると考えるのがよさそうだ。構造的には利点のある大仏様を採用したが、そのそっけなさは時代に合わなかったのかもしれない。大仏殿再興という一大ページェントにふさわしいスタイルが模索された結果こうなったと考えるのが妥当なところか。

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2025年3月12日 (水)

大仏様を見た

上方探索倶楽部で学生たちと東大寺に行ってきた。気づいたことがあるのでメモしておく。まず大仏殿再建についてまとめておく。

(大仏様という不思議なスタイル)
ご承知のように南大門は源平合戦で焼けたものを重源(ちょうげん)を勧進僧として再建したものだ。奈良時代のとおり復元すべしというもっともな意見もあったが、主に予算上の都合で新工法で再建することになった。宋の亡命技術者が指導したとある。天竺様(よう)とも大仏様とも呼ばれた。

この工法は、比較的小さな部材を組み合わせて大きなものを作ることができた。建材調達、建材運搬、現場での組み立てとも大きな部材を扱うより格段に容易だった。ただし見かけがそれまでの和様とまったく異なった。直線が際立つ大型機械のような外観となった。

わたしは構造部材をそのまま見せるデザインはいさぎよくてかっこいいと思う。だた当時の識者のあいだでは不評だったようで大仏様は次第にすたれていった。

(大仏殿は方広寺をまねたのか)
戦国時代に大仏殿は再び焼け落ちた。現在の大仏殿はそのあとの再建である。その再建工事に先立って京都の方広寺大仏殿が完成している

1195 重源が東大寺大仏殿を再建
1567 東大寺大仏殿焼失
1568 秀吉が方広寺建築発願
1595 方広寺創建
1603 方広寺初代大仏殿失火により焼失
1610 方広寺2代目大仏殿立柱
1612 方広寺2代目大仏殿完成
1694 東大寺大仏殿の再建工事始まる
1708 東大寺大仏殿再建

方広寺の初代大仏殿がどのような形だったのかよく分からないらしい。2代目の大仏殿は正面に唐破風を据えており東大寺大仏殿とよく似ている。だから東大寺大仏殿は方広寺のものをまねたのだと思う。

(大仏様リバイバル)
実際に東大寺大仏殿の構造を見れば、南大門と同じ大仏様であることが分かる。意匠的には多少の違いがあるが、構造的にはまったく同じものと考えてさしつかえない。

先行していた方広寺大仏殿が大仏様だったのだろうか。唐破風が似ているのだから構造自体も同じだったのかもしれない。方広寺が大仏様だったとすれば、それが大仏様リバイバルの最初となる。

400年ものあいだすたれていた様式をどうやって再現したのだろう。さいわいに焼け残った南大門をモデルにしたのは間違いない。しかし実物があるからといって、その何倍もの大きさの建物を本当につくることができるのか誰にも分からなかったはずだ。その困難をどうやって乗り越えたのか興味深い。おいおい調べていきたい。

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2025.03.11、奈良市

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2025年3月11日 (火)

永井神社の動物彫刻(1848)

1枚目は拝殿の唐破風彫刻。破風板には鳳凰飾り、その下には唐獅子2頭が遊ぶ。右側で追っかけているのが陽気、左側で振り向きながら逃げているのが陰気を表す。陰陽(おんよう)そろってめでたいわけだ。

2枚目は本殿覆屋の破風飾り。霊亀(れいき)、つまりカメである。これも追っかけと振り向きになっている。波間で遊ぶようすが楽しそうだ。珍しいのは破風板に波乗りウサギがいること(3,4枚目)。破風板は金物で飾ることはあるが木彫を張るのは珍しい。

カメとウサギでセットになっているのかも知れない。この昔話はイソップ童話だが、江戸時代には日本語に翻訳されていたそうだ。双方、波が描かれているので防火の護りとしたと考えるのも間違いではなかろう。でもこの彫刻のもっとも重要な目的は子安(こやす)であろう。

子安とは妊娠と安産、順調な子育てを願うことだ。カメは水気の生き物なので木気を育む。木気は妊娠出産を象徴するので、水気を供えることで妊娠出産を願うかたちとなる。ウサギは東方の守護である。当方は木気の世界だ。これも子安を願うのにふさわしい。つまり永井神社は藩祖を祀ることで永井家の子孫繁栄を祈ったことが分かる。

ちなみに唐獅子は金気の王であるから武家を象徴するにふさわしい。正面ランマは社殿のテーマを示すものだから、この唐獅子は永井直清を表すのだろう。破風飾りの鳳凰は王の誕生をことほぐ神使いである。長清をことほぐだけでなく、次世代の新王誕生をも予祝(よしゅく、あらかじめ祝うこと)しているように見える。

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2025.03.11、大阪府高槻市

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2025年3月10日 (月)

永井神社唐門のトラ(1848)

高槻城跡に、初代城主である永井直清を祀る神社がある。その唐門にいた。毛並みのよい大型ネコのようなしなやかさで振り向いている。振り向く動作は陰気を表す。表が龍だったから、龍とトラで陰陽になっているのだろう。ヒゲが銅線なのが珍しい。

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2025.03.08、大阪府高槻市

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2025年3月 7日 (金)

ニデック京都タワー(1964)

久しぶりに山田守の階段を見てきた。白い塗装と黄色のプラスチック板の取り合わせがとてもきれいだ。

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2025.03.02、京都市下京区

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2025年3月 6日 (木)

富家大器個展「揺れゆく世界」を見てきた

大器(たいき)さんはGK京都出身のデザイナーでプログレッシブロックのドラマーでもある。30年前に一緒にまちづくりに携わって以来の仲だ。彼は何もない中空からふわりと造形を掴みだしてくるような不思議なところがある。絵もそんな感じで楽しかった。

2025年3月5日(水)ー11日(火) 10-19時(最終日17時) 
大丸京都店6階、アートサロンESPACE KYOTO

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「コンポジション5」がビートが利いていた。一瞬で描いた絵だそうだ。弾けるような力強さと流れるようなスマートさが共存するのがおもしろい。

「TANZ TANZ TANZ 」はじっと見ていると赤いサハラで踊る人々が見えてくる。跳ね踊る民族衣装のカラフルな色が混じりあう。心臓の鼓動のようなドラムの音が聴こえてくるのは、ドラマーの大器さんらしい絵だと思った。

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2025年3月 5日 (水)

アンティークハウス(10)古い照明たち

照明器具はすべてお施主さんが長年にわたって揃えたものだった。半数ほどはこれまでお使いになっていたものでもある。

薄暗がりで古い照明器具はほんのり光って美しい。乳白色ガラスやすりガラスは光を拡散するので、ガラス表面にほの灯りをまとわせる。部屋が暗いとそのほのかな発光が見えるわけだ。ほんのわずかな光の加減で表情を変える。とても楽しい。

※ 写真は写真家・谷口菜穂子さんの作品です。そうでないものは特記します。 2024.10.26撮影 
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2025年3月 4日 (火)

アンティークハウス(9)水回り

水まわりはいたって現代もので固めている。このあたりはインテリアコーディネータの薮京子さんにまとめていただいた。キッチンやユニットバスはお施主さんが選んだもの。洗面台はお施主さんの要望にしたがって三宅家具店さんがお作りになった。全体的に昭和初期の洋館テイストだが、現代ものもよく映えるのがおもしろい。

※ 写真は写真家・谷口菜穂子さんの作品です。そうでないものは特記します。

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2024.10.26撮影 

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2025年3月 3日 (月)

4/27 CH大人の遠足「ミライザ大阪城」

次の遠足は大阪城内にある元師団司令部へ行く。博物館として使われてきたが、いまはミライザ大阪城という商業施設となっている。建物を見て、館内のレストランで食事を楽しむコース。この春休み中に下見に行きたいと思っている。

カルチャーハウス香里ケ丘・大人の遠足 
https://culture-house.com/excursion/67613cd07ebb2c0026a27826

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2011.08.03、大阪市

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2025年3月 2日 (日)

CHスケッチ教室

境内でスケッチしてよいと特別に許可いただいた。ありがたい。この場所は何度か来ているがとても気持ちがよい。本堂は御所の建物を移築して改造したものだそうだ。そのため住宅のようなスケール感がある。その縁側に2時間ほど座り込んでいた。心地よいのは住宅として設計されたためでもあろう。何度も修理した跡があり、大切に守られてきたことが分かる。

写真の1枚目は線描き。2枚目はそのスケッチに色をつけたところ。色をつけると絵が変化するのがよく分かる。3枚目の写真はスケッチ2枚目。スケッチは2枚目がよい。4枚目はスケッチ教室メンバー。

カルチャーハウス香里ケ丘「お散歩感覚で近代建築スケッチ」
https://culture-house.com/course/61e4c7e8a9defb00291ef6a2 

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2025.03.02、京都市山科区

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