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2025年1月

2025年1月30日 (木)

箕面スパガーデン(1968)岩上の楼閣

建築家の高橋勝さんからとても良いと聞いたのでさっそく行ってみた。2013年にリニューアルしたというが、ほぼ竣工時の原形をとどめている。いくつか気づいたのでメモしておく。

神戸の震災時に、いちはやく温泉を地域へ開放したことを覚えている。被災直後の混乱期のことで、なかなかできることではない。地域とともに歩むという志の表れであったのだろう。その後経営の主体が大江戸温泉物語に移りリニューアルした。

現地で見ると岩盤の上に建っていることが分かる。見た範囲ではあるが、建物や地盤に変形は見られない。岩の上に高層ホテルを建てるのは難しかろうと思う。その困難を乗り越えてしかも震災にも耐えただからすごい。具体的にどのような工夫があったのか知らないが、岩盤にワイヤーを打ち込んで高層建物を引き付けているのかもしれない。

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2025.01.25、大阪府箕面市

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2025年1月29日 (水)

五龍閣のディテール(9)バルコニーのずれた中心

写真を見直していて気づいた。屋根の中心(一番高いところ)とバルコニー出入口のドアの中心とがずれている。ドアが少し右側に寄っているのがお分かりだろうか。今までまったく気づかなかった。

わたしなら、設計するときにそこは合わすだろう。でも少しぐらいずれてもほとんど気にならないのだ。これは武田の設計がうまいからだろう。

武田は設計の際に外観よりも室内の使いやすさや快適さ優先する。なにごとも合理性を大切にする建築家なのだ。そのうえで外観を調えていく手腕が見事である。だから、こうやって中心をずらした合理的な理由が室内側にあるに違いない。今度行ったら理由を探してみよう

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2024.12.02、京都市東山区

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2025年1月28日 (火)

五龍閣のディテール(8)照明器具の吊元の左官仕事

照明器具の吊元の左官仕事が見事だ。武田らしいシンプルな幾何学模様がおもしろい。それを立体的に作り上げた京左官の仕事ぶりが頼もしい。これをどうやって作っているのかよく分からない。石膏の部分と板に漆喰塗りの部分とコテ絵とが混じりあっている、のかも知れない。

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2024.12.02、京都市東山区

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2025年1月27日 (月)

五龍閣のディテール(7)ベンチシート

1階にあるベンチシート。ビリヤード室だったのではないかと思っているが、それらしいのはこのベンチだけだ。ベンチの中央に飾り台をしつらえた端正な造りだ。側壁にスイッチがある。呼び出しベルだと思うがよく分からない。こういうものがあっても決して押してはならない。スイッチが壊れる可能性がある。

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2024.12.02、京都市東山区

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2025年1月24日 (金)

五龍閣のディテール(5)コリント式

バルコニーの付け柱飾りだ。ラーメン模様とその下の楕円形メダリオンの取り合わせが顔に見えるなぁと思って撮った。でもこれってコリント式柱頭飾りのデフォルメだよね、と今気づいた。中之島の図書館の正調コリント式柱頭飾りを挙げておくのでよく見比べてほしい。

松風邸と前後して京大の建築学教室校舎が竣工している。その玄関両脇にも不思議な柱頭飾りがある。これはコリント式のアレンジと言われているので発想としては松風邸と同じだろう。つまり本来、ワラビのような渦巻であるところを武田は四角くしたのだ。

ならば、5年後の島津製作所の謎の柱頭飾りも、基本的にはコリント式のアレンジと考えてよいのではないか。だからと言って、その下のドアーフのヒゲのようなものが何なのかは説明がつかない。それでも謎を解く手掛かりを得たように思う。よろこばしい。

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2024.12.02、京都市京都市東山区、1921
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2023.01.17、京都市左京区、京大建築学教室1922
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2021.11.19、フォーチュンガーデン(旧島津製作所本社)京都市中京区、1927

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2025年1月23日 (木)

五龍閣のディテール(4)暖炉のタイル

各部屋には必ず大理石製の暖炉がある。シンプルなデザインで武田らしい。そのいくつかにタイルが使われている。ひとつは青緑の釉薬タイルで、あまり他所で見たことがない。きれいに発色しているが表面が荒いので少しパステル調になっているのがおもしろい。

二つ目は以前もご紹介したが、ウルトラマリンの釉薬タイルだ。これも他所で見たことがない。景色が映り込むほど平滑で美しい。いずれも青系の色を選んでいる。そこにも武田らしい清々しさにあふれている。

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2024.12.02、京都市東山区

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2025年1月22日 (水)

五龍閣のディテール(3)モザイクタイル

1枚目は玄関ホール、2枚目はサンルームのモザイクタイル。いずれも六角形である。玄関は大中小の青タイルの散らし模様だ。修学院離宮の「一二三(ひふみ)石」の翻案だろう。「一二三石」とは土間に黒石を星のように散りばめたデザインだ。石がそれぞれ1,2,3個なので「一二三石」と呼ばれている。

サンルームでは大柄な植物文様だ。四角いモザイクタイルで定番の模様だが、それを六角形でやってみたというデザインである。とてもきれいだ。

日本のタイル100年展(2022、イナックスライブミュージアム)で見た旧岐阜県庁(1924、矢橋賢吉設計)のものが、初期の六角モザイクタイルと紹介されていた。それより3年早い。100年展では岐阜県庁のものは伊奈製陶製と推定していた。ならばこれもそうだろう。

武田は1918年に京都高等工芸学校から名古屋高等工業学校へ転任した。わたしは国会議事堂設計のための国産タイル開発が赴任の理由のひとつだろうと考えている。

矢橋は議事堂設計チームの主任である。一方、松風家は清水焼の窯元だった。松風家は輸出食器で名をはせた。その後電気工事のための碍子を開発して業態を拡大し、いまでは義歯のメーカーとして知られている。つまり明治以降、新技術開発ひとすじの家柄なのだ。六角モザイクタイルは、国会議事堂、矢橋、武田、伊奈製陶(常滑焼)、松風家(清水焼)のラインで実現したのではないか、というのが今のところのわたしの推理である。

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2024.12.02、京都市東山区

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2025年1月21日 (火)

五龍閣のディテール(2)

元の玄関が遺っている。ガラス窓の飾り格子が武田らしい。武田は方眼紙とコンパスでデザインしたと言われている。その幾何学的なデザインは岡崎公園の京都府立図書館の貴賓室扉でも発揮されている。

見比べてみると、ほぼ発想が同じだ。中央に円を置き、そこから十字にタテヨコの直線が伸びる。ガラス窓の周囲には枠線を巡らせている。

五龍閣の扉に使われているガラスは、あまり見たことのない型板ガラスだった。斜め格子の模様が美しい。輸入品だろうか。

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2024.12.02、京都市東山区、1921
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2023.01.10 京都府立図書館、1909

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2025年1月19日 (日)

五龍閣のディテール(1)吹き抜けギャラリー

中央の吹き抜けが圧巻だ。ここを見上げたり見下げたりしながら昇り降りするのが楽し過ぎる。

松風家は関西美術院のパトロンだったそうだ。吹き抜けは若手洋画家の作品を並べるためのギャラリーとして設計されたという。吹き抜けは2階までしかない。2階のバルコニーは3階へ上がる階段の手前で幅が狭くなっている。つまり2階の広幅のバルコニー部分と1階ホールとがギャラリーだったというわけだ。

興味深いのは、2階から3階へ至る階段の途中に踊場があって、そこから先の階段の幅がさらに狭くなっていることだ。その踊り場は、いまは上履きに履き替える場所となっている。案外その使い方が正しいのかも知れない。つまり3階は客室として設計されている可能性がある。

2階のバルコニーが狭くなる>3階へ上がる途中に踊場がある>そこから先の階段がさらに狭くなる。この3点の変化が吹き抜けの南東角に集中している。見上げたときに吹き抜けが複雑にみえるのはこのためだ。この複雑さが吹き抜けの魅力になっている。武田は機能的にバルコニーや階段の幅を決め、その変化を逆手にとってデザインしている。武田のおもしろいところがここにある。

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2024.12.02、京都市東山区

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2025年1月17日 (金)

清水坂順正「五龍閣」(1921)

カルチャーハウスの大人の遠足で五龍閣へ行った。五龍閣は元は清水焼の窯元の松風家の住宅として武田五一が設計した。松風はショウフウと読まれることが多いが、松風家とお知り合いの方に聞いたところマツカゼが正しいそうだ。ショウフウは窯名もしれない。

いまは南禅寺の湯豆腐屋さんの順正が譲り受けて店舗としてお使いになっている。大切にお使いになっていて、いつ訪れても楽しい。今回は1階のカフェだった場所を借り切って、豆腐料理をいただいた。とてもおいしかったです。

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2024.12.02、京都市東山区

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2025年1月16日 (木)

三菱UFJ銀行京都支店(1925)

桜井小太郎設計で1925年(大正14)竣工。いまは外壁の一部が遺されている。

ギリシャローマ式列柱の控えめな扱いが奥ゆかしい。京都に合わせて桜井がデザインした結果だろう。その小振りな列柱がライトアップされて美しい。

正面アーチ裏に内装の一部も保存されている。私は中へ入ったことが無かったが、残された部材を見ると内装もすごかったことが想像できる。

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2025.01.12、京都市下京区

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2025年1月15日 (水)

網干の洋館

網干にはいくつか洋館があることが分かった。これはそのひとつ。縦長の窓に統一したデザインがおもしろい。軒下の壁をざらりとしたドイツ壁のように仕上げている。その下の石貼り風の仕上げもすべて左官仕事だ。ここにも播州左官の良い仕事が遺っているわけだ。元病院だったように見える。近代化遺産リスト未掲載につき詳細不詳。

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2024.12.09、兵庫県姫路市網干

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2025年1月14日 (火)

網干商工会館(1940)

玄関ポーチ柱のモザイクタイルがなかなか良い。玄関ポーチ上丸窓を配している。端正な木造モダニズムだ。はびこったツタをはがして修理してやりたい。近代化遺産リスト未収録。姫路フィルムコミッションのHPによれば昭和15年(1940)竣工。

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2024.12.09、兵庫県姫路市網干

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2025年1月13日 (月)

本と酒の「鍛治六」

地下バーのあるシェア型書店だそうだ。まだ中に入ったことはないが、HPによれば内装も古いままらしい。今度行ったら寄ってみる。隣りの電器店カナイと一棟の建物に見える。トタンが貼られた妻側に、カナイ側と似た飾り壁の跡がある。いったいどうなっていたのだろう。

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2024.12.09、兵庫県姫路市網干

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2025年1月12日 (日)

アンティークハウス(4)ジョネス階段

旧ジョネス邸から救出された部材で借り受けたものに階段手摺がある。長い手すりとシンプルな手すり子が遺っていた。
 
ジョネス邸は和風テーストの混じったモダニズムだった。手すりのシンプルさが和風を思わせておもしろい。保管倉庫にこもって遺った部品を並べてみた。どうやらジョネス邸にあった2ヶ所の手すりが混じっているらしい。
 
とりあえず手すりの長さに合わせて設計した。2階に近い部分は、古材に合わせて新規に大工さんに作っていただいた。古材部分も現場で相当調整していただいている。大工さんのおかげできれいに復元できた。ありがたい。

※ 写真は写真家・谷口菜穂子さんの作品です。そうでないものは特記します。

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2024.10.26撮影
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2021.06.19、保管倉庫でジョネス階段を復元する(設計者撮影)
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2022.02.28、階段室初期設計
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2021.05.20、階段室スケッチ

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株式会社カナイ

旧網干銀行のすぐ横にある。見事な左官仕事がほとんど壊れずによく残っている。頂部にSにKのマークがついている。当初の店名を示すのだろう。近代化遺産リスト未掲載につき詳細不詳。

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2024.12.09、兵庫県姫路市網干

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2025年1月11日 (土)

旧網干銀行 湊倶楽部(8)

レンガ壁の所々に木片がはめ込んでいる。これは木(もく)レンガと呼ばれるもので、釘留めをするための下地材だ。ここでは腰壁の上の見切り棒を釘留めしている。

そこから上は塗り壁だが、黄色い下塗り材に繊維材を混ぜている。土壁材だと思う。伝統的な左官技術によって、この西洋館が作られているのだ。

播州は左官技術の高い地域として知られる。姫路城の修理のために全国から若い左官技術者が集まってくるのだ。この建物は外壁側の内装もいたるところに左官さんの仕事が多く遺る。いかにも播州らしい建築だとわたしは思う。

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2024.12.09、兵庫県姫路市

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2025年1月 5日 (日)

旧網干銀行 湊倶楽部(7)

奥の小部屋を見せていただいた。ここは漆喰をはがしたままでお使いになっている。真っさらに修理するより古い感じが出て雰囲気がよい。わたし的には通常なら見えない下地のようすが分かるのでうれしい。

外壁側はレンガ積みに直接仕上げ材を塗っている。レンガに残った塗り材が白いので、仕上げ材は漆喰ではなかろうか。間仕切壁はバラ板と呼ばれる巾の細い板を隙間をあけて張って下地(木摺り下地という)としている。仕上げ材が絡みつきやすいように隙間を開けるのだ。

天井の飾りも遺っている。繊細な左官仕事がすばらしい。円形模様の4ヶ所にシュークリームのような飾りがついている。これはバラのツボミをモチーフとしたものだ。バラ模様は19世紀末のウイーン分離派がよく使った模様のひとつである。この建物がウイーン分離派風と言われる理由のひとつがここにある

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2024.12.09、兵庫県姫路市

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2025年1月 4日 (土)

旧網干銀行 湊倶楽部(6)

吹き抜けの営業室がほぼそのまま残っているのがすごい。戦後の改造で2階床を設けて吹き抜け部分が小さくなっていたようだ。改修時に2階床の一部を撤去して吹き抜けを広げている。吹き抜けに取り付けられたバルコニーが途中で途切れているのは、そこまで2階床があったことの名残りだろう。吹き抜けが広がったことで美しい天井の眺めがよくなり、気持ちのよいレストランとなった。

天井は格子状に区切られた飾り天井で、中央のシャンデリアの吊元を45度傾けた飾り貼りとしている。白漆喰で仕上げられている。いまもほとんど壊れていないのは左官仕事の精度が高いからだろう。あっさりとした幾何学的なデザインで様式建築にありがちな大仰なところがないのはこの建物の特徴だろう。

興味深いのは、外から見えた円筒形の塔が内部にはないことだ。外観上だけ塔状に見せているだけで、塔と内部との関わりは天井の角が丸いことくらいだ。ようするに円筒塔は看板建築風のフェイクなのだ。こうした遊び心もこの建物の魅力である。

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2024.12.09、兵庫県姫路市

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2025年1月 3日 (金)

祓禊(みそぎ)橋(1916)

清荒神への参道にかかる。コンクリートのアーチ橋。宝珠を載せた和風デザインがかっこよい。親橋には大正𫝀年十二月二十八日架橋とある。𫝀が読めなかったが五の異字だそうだ。

清荒神参道商店会のFB投稿記事によれば大正13年の水害で流出して現在の橋になったとある。したがって欄干部分は流出した旧橋のものを再利用したことになる。元は石橋だったのかもしれない。

清荒神は大正年間に整備されている。旧橋もその一環として架けられたのだと思う。

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2025.01.01、兵庫県宝塚市

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2025年1月 2日 (木)

旧網干銀行 湊倶楽部(5)



食事の後、館内をくまなく見学させていただいた。そのとき、ご案内いただいたマネジャーさんから、窓の上が斜めになっているのはなぜかとご質問をいただいた。そのときは外観をまだ観察していなかったので「斜め」の意味が分からなかったのでお答えできなかった。今ならそれなりに説明できる。

まず「斜め」とは図(イ)の場所だ。なぜここが斜めになっているのかというのは純粋にデザインの問題である。それを理解するためには、まずアーチの説明をせねばなるまい。

アーチは半円形であることで上からかかる重さに耐える構造である。これをレンガや石で作るためには、まずアーチ状の型枠を作る。そして起点となる左右の迫持ち石とアーチ頂部のキーストーンを型枠の上に設置する。そして、そのあいだを石やレンガでアーチ状に埋めていくのだ。

設計者はキーストーンの形を上方に引き伸ばして窓上の装飾とした。左右の斜め線はアーチ構造の名残りだろうと思う。アーチのフェイスですよ、と設計者は言いたかったのだろう。結構、律儀な設計者である。#近代建築

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2024.12.09、兵庫県姫路市

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2025年1月 1日 (水)

第七十九番の吉

恒例のおみくじを引いた。かつては凶やら半吉やら末吉やら容赦のないみくじが続いたことがあるので、ここで引くときはいつもどきどきだ。みくじ棒の入った真ちゅう製の筒を振ったところ「七十九」と出た。なんとなくだが悪い予感しかない。こわごわみくじをいただいたところ「吉」だった。勇気を出してみくじを引いてよかった。漢詩を翻訳したのでメモしておく。

残月未還光
樽前非語傷
戸中人有厄
祈福保青陽

あなたはまだ月の残る暗い夜明け前にいる
宴会でよくない言葉で人をそしることもあろう
災いのあるものがあなたの家にいるかもしれない
だけど神仏に幸せを祈れば春を保つことができよう


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2025.01.01、兵庫県宝塚市、清荒神

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よろしく2025

昨年は母の老人ホーム入所や耐震補強の依頼が5件続くなど公私ともに多用だった。しかし、母は施設で楽しく過ごしているし、仕事は仲間の助力があって順調に進めることができた。おかげさまで、わたし自身はいたって平穏な日常を送ることができた。この年頭に思うのは早く春休みになってほしいということだ。休みになればスケッチや釣りに行きたいと願っている。今朝の朝食を上げておく。今年もよろしく。
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2025.01.01、年賀状
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2025.01.01、朝ごはん

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旧網干銀行 湊倶楽部(4)

正面に向かって右側もちゃんと3拍子になっている。

こうやって見てくると、設計者がどのように外壁の寸法を決めてきたのかが分かる。まず、左右を3:1になるよう寸法を調整する。円筒形の大きさを変えることで、きっちり3:1に揃えている。次に1単位を3分割する。

これは演劇の3幕構成と同じ考え方で、多分にルネサンス的だ。明治の建築教育はルネサンスを基調とした。設計者はまだ不詳であるが、彼は明治期の建築教育を受けたものであろう。

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2024.12.09、兵庫県姫路市
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寸法の決め方試案

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