西大寺本堂(江戸時代中期)
本堂は江戸時代の寛政年間(1789-1801)の作品だった。大きな寄棟屋根が雄大である。軒下を活き活きとした彫刻が飾る。これほど見事なお堂だったと改めて知った。
鎌倉時代の1235年、叡尊(えいそん)が西大寺に入ったとき、伽藍は荒廃を極め戒律は乱れていたという。それを立て直して西大寺流と呼ばれる土木建築の技術者集団を作った。東大寺再建(1195)を果たした重源(ちょうげん)が南宋から招聘した技術者集団が西大寺に引き継がれたのではないかと思っている。
西大寺中興の祖と仰がれている叡尊の座像を拝してきた。生前に造られたものなので、こんな風貌の方だったのだろう。彼は東大寺を最初に造った行基(ぎょうき)を尊敬していた。行基と同じように文殊を信仰していた。叡尊の造らせた文殊菩薩王が遺っている。文殊を載せる唐獅子がかわいい。そっくりな文殊像を京都黒谷の金戒光明寺でも見た。運慶や快慶のはじめた慶派の作品である。これが浪花型狛犬の遠い祖先である。
2024.12.17、奈良市
| 固定リンク
「建築研究」カテゴリの記事
- 旧山邑邸を描いてみた(2015.02.06)
- ベネティア・サンマルコ広場のドゥカーレ宮殿を描いてみた(2013.07.17)
コメント