2024年12月22日 (日)

西大寺四王堂(1674)

西大寺は藤原仲麻呂の乱のおり、孝謙天皇は四天王に戦勝を祈願した。乱の平定後に四天王を祀ったのが寺の始まりだという。その四天王像はその後戦火で損傷するが、足元の餓鬼などは奈良自時代のままだという。金銅製の餓鬼は表面が焼けて姿がよく分からないが、それでも奈良時代の彫刻が遺っているのはすごい。

四王堂は江戸時代の再建だが、中へ入ると大仏様なので驚いた。東大寺大仏殿の再建が1709年なので、こちらのほうが古い。大仏様リバイバルの初期作品と位置付けられると思う。

屋根が二重に見えるが、下層は裳階(もこし)だそうだ。裳階とは建物本体のまわりに取り付けられた庇(ひさし)のことだ。だから、本体はけっこう背が高い建物なのだ。これも大仏殿と似ている。

なぜ、背が高いのかといえば、四天王が守護するご本尊・十一面観音立象の高さが6メートルもあるからだ。これは平安時代の仏さまで、もとは京都にあったものを叡尊が四王堂の本尊として祀ったものと言われる。1145年のものとされ、定朝式のふっくらしたご尊顔の仏像だった。

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2024.12.17、奈良市

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