2024年10月
2024年10月31日 (木)
2024年10月30日 (水)
2024年10月29日 (火)
2024年10月27日 (日)
2024年10月25日 (金)
2024年10月24日 (木)
2024年10月23日 (水)
「新日本風土記、大阪モダン、旅する昭和」再放送決まる
昨年11月に放映されたものの再放送。まいまい京都の淀屋橋ツアーが収録されている。人気のある番組らしくこれまで何度も再訪されている。見逃したかたはぜひごらんください。
( BSプレミアム4K )
2024年10月28日(月)21:00~21:59
2024年11月 3日(日) 6:00~6:59
2024年11月 8日(金) 8:00~8:59
淀屋橋ツアー部分だけのネットアーカイブもできている。
大阪の近代建築ツアー「大大阪」時代の誇りを今に伝える、モダンな建築物
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0004991082_00000
2024年10月22日 (火)
夢の国奈良ホテル(8)絵のように美しい窓
上げ下げ窓の桟に1/4円の丸い飾りがついている。それだけのことなのに特別感がある。窓は景色を切り取る額縁だが、角を丸くすることで額縁感が強調されるのだろう。このあたりは辰野の工夫だと思う。あの人はヒゲ面の怖い顔をしているが、作るものはいたって流麗で細やかな情緒を大切にしている。辰野作品が愛されるゆえんであろう。
廊下側の扉のすりガラスには玉子型の透明部分がある。ガラスを入れたのは、扉を開けるときに向こう側に人がいないことを確かめるためだ。透明部分を作ったのは、やはりそこから見える景色を楽しむためであろう。廊下をあるくとき玉子窓から部屋内がかいま見える。それは絵のように美しい。
2024.07.26、奈良市
2024年10月21日 (月)
2024年10月20日 (日)
2024年10月19日 (土)
2024年10月18日 (金)
2024年10月17日 (木)
2024年10月16日 (水)
2024年10月15日 (火)
夢の国奈良ホテル(1)片岡安ー河合浩蔵ライン
客室エリア以外は写真を撮ってよいのがうれしい。しかもSNSにアップしてもよいという。これは万年モダン建築祭状態だ。うれし過ぎるだろう。
わたしはここで結婚式を挙げて以来34年ぶりに訪れた。34年前に見ているはずなのに初見のように新鮮だった。当時もここが好きで式場に選んだはずなのだが、ちゃんと見えていなかったようだ。
(マニアックな余談)
さて、ディテールに入る前に少し整理しておきたい。
以前は誰の設計か分からなかったが、今は辰野片岡事務所の設計と判明している。辰野片岡事務所とは辰野金吾の大阪事務所で所長が片岡だった。設計者が判明したいきさつを知らないが奈良ホテル側になんらかの証拠が残っていたのだろう。片岡家は奈良ホテルの経営に深くかかわっていたから辰野片岡事務所の手になるのは自然だ。つまり仕事を取ってきたのは片岡安だったわけだ。1909年に竣工している。
見た目は長野宇平次の奈良県庁そっくりなので、辰野一門の近代和風の一例としてよい。面白いのは現場を河合浩蔵が担当したことだ。河合は辰野3年後輩で辰野の弟子ではない。辰野金吾はホテル設計の実績が無かったので河合に頼んだと言われている。河合は1906年に神戸のミカドホテルを竣工させているので、その経歴が買われたと言うわけだ。
しかし、当時河合は関西建築界のアニキ的存在だったので、辰野一門の仕事の尻拭いをする立場ではない。河合に頼むのなら、設計そのものを河合に譲るべきだろう。なぜ設計は辰野安井事務所で現場は河合なのか。
奈良ホテルは当初から鉄道院が関わっていた。当時、国際基準に沿ったホテル整備は国際だったのではないか。神戸のミカドホテル、京都のミヤコホテル、奈良の奈良ホテル、これらは後の国際観光ホテルの祖型となった。「ホテル」という名称そのものが、国際基準に沿うことを担保しているように見える。
木造ホテルの系譜は、湯ノ島館(丹羽英二 /鈴木貞二の教え子、S2 )、金具屋ホテル(S11)、万翠楼(武田五一、S13 )と続く。調べればもっとあるだろう。一貫して伝統木構造の良さを外国人観光客に印象付けることをテーマとしている。そのために各地の建築家を総動員したのではなかろうか。奈良ホテルはその初期型として位置づけられるべきだろう。
2024.07.26、奈良市
2024年10月14日 (月)
2024年10月13日 (日)
2024年10月11日 (金)
中日文化センターで近代建築の講座を始めることになった
名古屋での座学3回、関西への建築めぐり3回の計6回講座。受付が始まっている。
「京都・大阪・神戸名建築さんぽ」座学と現地見学
https://www.chunichi-culture.com/programs/program_205749.html
10/21(月) 1回目 座学、三条通りの建築たち
11/25(月) 2回目 京都三条通り近代建築めぐり
12/16(月) 3回目 座学、中之島の建築たち
01/20(月) 4回目 大阪中之島の近代建築めぐり
02/17(月) 5回目 神戸、海岸通りの建築たち
03/17(月) 6回目 神戸海岸通りの近代建築めぐり
座学は15:30-17:00、建築めぐりは13:00-15:00(現地集合、現地解散)
2018.04.07、京都市三条通り、矢邉徳時計店
2024年10月10日 (木)
国枝博ここにあり(ナカシンビル1938)
正直いってよく分からない。国枝のことをよく知らないこともある。旧八木通商(現グランサンタクス淀屋橋)の華麗なテラコッタタペストリーと同じ人物の作品とは思えない。
そういえば難波の南海ビルを華麗なテラコッタタペストリーで飾った久野節(くのみさお)も三国丘高校同窓会館はインターナショナル式でまとめていた。わたしは大きな勘違いをしているのかも知れない。
インターナショナルスタイルは歴史様式を否定した上で成立した科学的建築だと習ってきた。でも20‐30年代の日本の建築家にとっては歴史様式もインターナショナル式も分け隔てがなかったのかもしれない。ナカシンビルの中を見ればもっと分かる気がする。
2024.10.06、ナカシンビル(神戸市中央区)
2011.06.15、八木通商
2024年10月 8日 (火)
海岸ビルヂング研究
40年くらい前の学生時代に、ここの3階のいるか設計でバイトをしていた。模型製作のために幾晩もここで徹夜した。だからよく知っていると錯覚していた。恥ずかしながらこのポイントからこの建物を見たのは初めてだった。ここはベストポイントである。
スケッチしてみて、わたしは初めて河合浩蔵の設計意図が分かった……気がする。これは海からの見え方を意識している。いつも近くで見ていたので装飾の派手さにばかり目がいっていた。しかしここから見れば装飾はむしろ控えめで上下の窓の間だけに収まっている。装飾を抑えて壁面を短冊状に分割した簡素なデザインであることが分かる。ドームを復元すればどう見えるかを検討してみたい。
2024.10.06、神戸市中央区、海岸ビルヂング
2024年10月 7日 (月)
神戸メリケンビルの新旧比較<続報>
先日東面を比較したので、今度は南面を比較してみた。判明したことは次のとおり。
・1階はほぼそのまま。1階窓と2階窓の間の装飾もそのままである。特に玄関まわりは意識的に遺したように見える。
・2階は窓の形をアーチから方形に変更。玄関上の装飾は取り除かれている。
・3階は列柱が遺るが、列柱の根本のバンド状の装飾は取り除かれている。玄関上の装飾やアーチはない。
整理すると次のとおり。
(南面)
2階のアーチ窓は方形に改造する。3階の列柱は残すが根元のバンドは削り取る。
南玄関まわりは記念として遺す。ただし三角の破風には手を入れて簡素化する。
(東面)
全面的にやりかえる。
(全体として)
元の設計はウイーン分離派風の華麗なものだった。元の壁体をほぼ使っていることから復元は技術的に可能だったと考えてよい。意匠が変更されたのは施主の意向が強かったのだろう。施主の意を汲んで安井は2階、3階を簡素化し、ウイーン分離派からシカゴ派風のモダニズムへ意匠を変更した。それなりにお金をかけているので、積極的な変更だったと思う。ウイーン分離派よりモダニズムのほうがよいとする風潮があったのかもしれない。わたしとしては残念である。
2024.10.07、神戸メリケンビル(旧日本郵船神戸支店)
2024年10月 6日 (日)
「大阪の近代建築ツアー」アーカイブ公開
昨年放映された「新日本風土記、大阪モダン、旅する昭和」に収録されていた私のガイド部分がNHKのHPのアーカイブで公開された(4分30秒)。#まいまい京都
大阪の近代建築ツアー「大大阪」時代の誇りを今に伝える、モダンな建築物
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0004991082_00000
2023.09.17収録、まいまい京都「淀屋橋コース」
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