城崎温泉の近代建築(3)王橋(追記)
どうもよく分からないのでメモしておく。(公社)たんしん地域振興基金によるネット上の「但馬の百科事典」によれば次のようにある。
① 王橋はもとは玉橋と書いていたが、川は濁るのはよくないという理由で昭和30年代に王橋と改めた。そのとき橋名板の「玉」の字から点を削り取った。
② 北丹大震災のあと大渓川の護岸は整備された。水面から道路までの高さがそれまで数10㎝だったのを水害防止のために今のようにかさ上げをした。そのために新しい橋は弓型橋となった。
どうもよくわからない。
王橋に関する①の記述だが、玉橋は通常「たまはし」と読む。デジタル大辞泉によれが玉橋の玉は美しいという美称だそうだ。一の湯前は城崎温泉街の中心ともいえる場所なので玉橋の名は相応しい。「たまはし」なら濁らないので記述内容は意味不明となる。だから玉橋は「ぎょくばし」とにごって読んでいたということになる。そういうことなのか?
②もよく分からない。現状、道路から水面まで1.5mほどある。道路をかさ上げしたなら沿道の建物敷地もかさ上げしたのか。それほど大がかりな造成工事を震災復旧時に行うだろうか。それから、かさ上げしたから橋が弓なりになったという記述も意味不明だ。かさ上げしたことと橋が弓型であることとは関係がなかろう。
原典を引き写したときに不完全な要約になっているのだろうか。そもそも原典が示されていないので確かめようがない。とりあえずメモしておく。
2024.07.21、兵庫県豊岡市城崎町
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