2024年8月
2024年8月31日 (土)
2024年8月30日 (金)
2024年8月29日 (木)
2024年8月28日 (水)
2024年8月27日 (火)
2024年8月26日 (月)
2024年8月25日 (日)
2024年8月24日 (土)
【歴彩館講演ネタ④美術館の旧玄関ホール】
踊り場から振り返ると、吹き抜け全体の写真が撮れる。このことはエックスで流れてきた写真で知った。すぐさま自分も撮ってみた。画面いっぱいに広がるステンドグラスが圧巻だ。比較的暗い色調の1階と純白の2階のコントラストが美しい。
8/25(日)歴彩館講演 https://rekisaikan.jp/news/post-news/post-15071/
2024.03.26、京都市左京区
2024年8月23日 (金)
2024年8月22日 (木)
2024年8月21日 (水)
【歴彩館講演ネタ①コンパスで描いた府立図書館】
田五一を愛する”建築探偵”の推理が、京都のモダン建築の謎を次々に解いているらしい(ぽマガジン、噂で知る京都2022.10.31)
https://www.potel.jp/kyoto/cityguide/feature/modern_architecture/?fbclid=IwAR2XgVHBRRrrJZ3Z45HTzqJrXtycRIUHK1dXC55nTMHcb1vgPyDV0M-GEvQ
2024年8月19日 (月)
2024年8月18日 (日)
2024年8月17日 (土)
2024年8月16日 (金)
2024年8月15日 (木)
2024年8月14日 (水)
2024年8月13日 (火)
2024年8月12日 (月)
2024年8月11日 (日)
徳川美術館の夢(5)徳川家の裏紋「六葉葵」を発見した
玄関天井は「六葉葵唐草蓮弁飾付格縁」と説明にある。これは「六葉葵・唐草・蓮弁」飾り付きの格縁と読む。格縁とは格天井のことだ。格天井とは天井縁を正方形の格子に組んだ天井。
唐草は直線部分にあしらわれている。その交点にある丸い飾りが蓮弁、つまりハスの花びらの形だ。よく見ると蓮弁部分は二重円になっている。中央の小さい円の中が「六葉葵」となっている。
これは徳川家の裏紋だそうだ。三つ葉葵が公式であるのに対し、六葉葵は非公式で私的なものという意味だそうだ。ここは徳川家の私設美術館であるから六葉葵の家紋がふさわしい。裏紋をほんの小さく入れているのが奥ゆかしい。
格子状の天井
クッキーのような飾り
二重円の中央が六葉葵
2024.07.27、名古屋市
2024年8月10日 (土)
2024年8月 9日 (金)
2024年8月 8日 (木)
徳川美術館の夢(2)ぼんぼり型照明器具
ぼんぼり型は小さいものはあるかもしれないが、これほどい大型のものは珍しい。提灯のような横ラインが入れて和風感を出している。底のレースのような透かし飾りが見事で見飽きない。この球体が並んだようすもかわいい。
2024.07.27、名古屋市
2024年8月 7日 (水)
8/25(日)歴彩館にて建築探偵スライドショー開催!
既報のとおり京都北山の歴彩館にてスライドショーを開く。岡崎公園の近代建築を取り上げる予定。肩の凝らない楽しい講演会にしたいと思っている。8/6現在で128名の申し込みあり。要予約、有料。
https://rekisaikan.jp/news/post-news/post-15071/
2024年8月 6日 (火)
2024年8月 5日 (月)
2024年8月 4日 (日)
城崎温泉の近代建築(7)木造3階建て建築群
町全体に木造3階建ては多く残っている。特に一の湯から御所湯のあいだは軒を連ねて独特の景色を作り出している。改装されているが、もとは道路側に縁側や腰掛窓のある旅館の造りだったろう。
これらは大正14年の北丹大震災以降の建築群と思われる。関東大震災以降、都市部では市街地建築物法によって3階建ては制限された。しかし地方ではお構いなしだった。国際観光化政策の後押しもあって温泉街の高層化は各地で進んだようだ。
渋温泉の金具屋ホテルは昭和11年、下呂温泉の湯之島館が昭和6年、武田五一の設計した三朝温泉の万翠楼が昭和13年。こうした温泉地の高層化の流れのなかで城崎温泉の風景も展開したのだろう。
2024.07.21、兵庫県豊岡市城崎町
2024年8月 3日 (土)
城崎温泉の近代建築(3)王橋(追記)
どうもよく分からないのでメモしておく。(公社)たんしん地域振興基金によるネット上の「但馬の百科事典」によれば次のようにある。
① 王橋はもとは玉橋と書いていたが、川は濁るのはよくないという理由で昭和30年代に王橋と改めた。そのとき橋名板の「玉」の字から点を削り取った。
② 北丹大震災のあと大渓川の護岸は整備された。水面から道路までの高さがそれまで数10㎝だったのを水害防止のために今のようにかさ上げをした。そのために新しい橋は弓型橋となった。
どうもよくわからない。
王橋に関する①の記述だが、玉橋は通常「たまはし」と読む。デジタル大辞泉によれが玉橋の玉は美しいという美称だそうだ。一の湯前は城崎温泉街の中心ともいえる場所なので玉橋の名は相応しい。「たまはし」なら濁らないので記述内容は意味不明となる。だから玉橋は「ぎょくばし」とにごって読んでいたということになる。そういうことなのか?
②もよく分からない。現状、道路から水面まで1.5mほどある。道路をかさ上げしたなら沿道の建物敷地もかさ上げしたのか。それほど大がかりな造成工事を震災復旧時に行うだろうか。それから、かさ上げしたから橋が弓なりになったという記述も意味不明だ。かさ上げしたことと橋が弓型であることとは関係がなかろう。
原典を引き写したときに不完全な要約になっているのだろうか。そもそも原典が示されていないので確かめようがない。とりあえずメモしておく。
2024.07.21、兵庫県豊岡市城崎町
2024年8月 2日 (金)
2024年8月 1日 (木)
城崎温泉の近代建築(4)城崎温泉駅
改札ホールは照明以外は古いままだと思う。壁のなかほどにある幾何学模様の帯飾りがおもしろい。天井の壁際を段状に迫り上げているのもかっこよい。窓サッシ、照明などは新しくなっている。
ウイッキによれば1925年の北丹大震災に罹災し1926年に再建。その時は列柱回廊付き陸屋根のモダニズム建築だったようだ。1949年に屋根を載せて和風に改修とある。現在工事中で外観は未確認。
2024.07.21、兵庫県豊岡市城崎町
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