下鴨神社メモ(2)三井とはなにか
三井家は呉服を商っていたので、蚕の社として知られる木島(このしま)神社を信仰していた(三井広報委員会HP)。境内に三井家のための小祠を設けて顕名霊(あきなれい)社と称したのが1751年。その後明治維新の廃仏毀釈の嵐を避けるため、顕名霊社は京都市内の三井総領家内に避難させた。
その後下鴨の地に社地を得て移築(1909)し、別邸(1914)を設けた。戦後に三井家は財閥解体され、顕名霊社は三井総領家内に引き取る。
昭和33年京都の総領家邸は処分され、顕名霊社は親戚である旧福井藩主松平家の佐佳枝廻社(福井城内)へ移った。その後、佐佳枝廻社周辺開発により立ち退きとなり東京西麻布の三井総領家邸へ移る。平成6年に総領家邸解体にあたって顕名霊社は向島の三囲(みめぐり)神社境内に移り現在にいたる。
江戸時代に三井家は向島の三囲神社を信仰していた。三囲の文字に「三井」が入っているからだという。三囲神社は稲荷社である。明治になってから三井家は木島神社の三つ柱鳥居を模してものを寄進している。
このあたりまでが三井家広報委員会HPに載っている。詳しいので助かる。さて、ここまで読めば「三井」の意味が分かってくる。
結論から言えば木島神社にある三つ柱鳥居が三井なのだろう。
円満字洋介著「京都の風水地理学」より引用
三井家は当初藤原姓だった。平安時代末期に近江へ赴任するにあたり三井姓に改めた。任地で財宝の隠された三つの井戸を発見したからだという。三井の意味が三つ柱鳥居であるならば、改名の理由は三つの井戸の発見ではなく木島神社への信仰が動機となる。
木島神社のご祭神は5柱ある。アメノミナカヌシ神、オオクニタマノの神、ニニギの命、ホホデミの命、ウガヤフキアエズの命。アメノミナカヌシは世界誕生時に顕現した神のひとつ。オオクニタマは神格不詳ながら国土を示す神だろうとも言われている。残りの3命は天孫降臨後の日向三代だ。系図を書くとこうなる。
ようやくタマヨリ姫が出てきた。ただしこのタマヨリ姫は鴨氏のタマヨリ姫とは別だ。ウガヤフキアエズの命の妻のタマヨリ姫は母のトヨタマ姫の妹で海蛇神である。下鴨者のタマヨリとは別神なのだが、結局神産みの巫女という立場は同じだ。トヨタマやタマヨリとは神の依り代となる巫女というほどの意味なのだろうと思う。
繰り返すが、出産や誕生は木気の作用である。神産みの森は木気の聖地なのだ。したがって木島神社の元糺の森も下鴨社の糺の森も同じ木気の女神の統べる霊地となる。ならば三井家が元糺の森に代えて下鴨の糺の森に顕名霊社の社地を求めたのもうなづける。
長くなったのでラストは次回に。
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