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2024年7月

2024年7月23日 (火)

KIITOのディテール愛(7)ヴィクトリアン風タイル

あちこち探したが今のところここにしかない。旧館()の正面玄関入った横にある。赤と黒のタイルでヴィクトリアンフロアタイル風だ。色がくすんでいるのが特徴だ。年月とともに表面が荒れて、さらに柔らかい感じになっていてとてもよい。もとは玄関ホール全体がこれだったのだろう。ここだけでもよくぞ遺してくれたものだ。ありがとう。

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2024.07.11、神戸市中央区

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2024年7月21日 (日)

KIITOのディテール愛(6)エレベータ階数表示板

新館側(1932)にある。ランプが点くと数字が赤くなる。内側の半円枠にはモールディングがある。メーカーの既製品なのだろうが、なかなか楽しい。緑色の塗装も機械っぽくてよい。

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2024.07.11、神戸市中央区

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2024年7月19日 (金)

KIITOのディテール愛(5)大理石の守衛所カウンター

堀り込みのエッジが利いてすっきりとしている。幾何学的な構成も、控えめな装飾もかっこいい。北出口にも同様のものが残っているが、こちらは破損したのか変な具合になっている。もとに戻してやりたい。

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2024.07.11、神戸市中央区、KIITO東階段
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2023.11.26、KIITO北玄関

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2024年7月18日 (木)

KIITOのディテール愛(4)テラゾー仕上げの階段親柱

円柱上部に結束バンドのような帯がまわる。デザインが控えめで上品だ。

大理石の粒を混ぜた色モルタルを塗って表面を研ぎだす仕上げ。人造石研ぎ出し仕上げともいう。工場製の場合は継ぎ目が出る。これには継ぎ目がないので現場製作だ。型を使ったのか。どうやって作ったのか謎である。

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2024.07.11、神戸市中央区、KIITO

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2024年7月17日 (水)

KIITOのディテール愛(3)二丁掛け型押し筋入りタイル

腰壁を筋入りタイルで覆っている。筋入りなのでタイル表面に影が落ち、ベージュの釉薬が落ち着いた色になる。よいタイルだ。

タテ目地を突きつけにして、ヨコ目地を通しす。横方向にダークグレーの目地が通ることになり水平性を強調している。水平強調のデザインはすっきりとした落ち着いたものとなるのだ。白壁との境目の布目役物タイルもなかなかよろしい。

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2024.07.11、神戸市中央区、KIITO

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2024年7月16日 (火)

KIITOのディテール愛(2)黒釉型押し筋入りタイル

型押しである。全部同じ模様なのに、まったく違和感がないのはなぜだろう。模様の作りかたがうまいのだと思う。筋入りタイルは各種あるが、正方形タイプは珍しい。味わい深いタイルである。

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2024.07.11、神戸市中央区、KIITO

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2024年7月15日 (月)

【8月25日】新・京都学講座「建築探偵 円満字洋介の京都建築遺産」

京都市北山の歴彩館でスライドショーを開く。おなじみ京都市京セラ美術館と府立図書館を取り上げる。ディテール愛あふれたヲタク話になる予定。乞うご期待。

有料、要申し込み。

公式HP
https://rekisaikan.jp/news/post-news/post-15071/

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2024年7月14日 (日)

KIITOのディテール(1)緑釉布目タイル

タイル業界のシンポへ行ったがディテール不足だった。ディテールとは「詳細」という意味である。乾いたディテール愛を満たすため、シンポ後にKIITO内を歩き回った。やはりKIITOはおもしろい。

東階段の1階入り口ホール(新館側:置塩章1932)の布目タイル。2色の混ぜ貼り。緑のタイルは釉薬の掛け過ぎで布目の突起がほとんど隠れている。表面がほぼ平滑なため、よく光ってベージュの布目タイルとの対比が強調されているのがおもしろい。

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2024.07.11、神戸市中央区、KIITO

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2024年7月13日 (土)

日本キリスト教団関西学院教会(1956)

プロテスタントとした簡素で端正な教会。中もきっとすばらしいだろう。バラ窓はコンクリート製だと思う。窓の木製建具が残っていた。メンテが行き届いているので、見ていて気持ちがよい。HPによれば1956年竣工。ヴォーリズ晩年の作品のひとつ。

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2024.07.12、兵庫県西宮市

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2024年7月12日 (金)

神戸税関の玄関ホール吹き抜け(1927)

円形の玄関ホールから見上げると、8本の柱が4層を貫き天を支える。上階が明るい。そこから薄暗いホールに細かな光の粒子が乱反射しながら落ちてくるのが見える。ここはいつでも静かだ。

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2024.07.11、神戸市中央区、神戸税関

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2024年7月11日 (木)

出町柳駅の鉄骨屋根(1925)

いつもうっとり見上げている。かろやかな鉄骨が美しい。屋根下地を露出させているのもよい。小さい部材を組み立てた柱もおもしろい。和風の大屋根を洋風トラスで作っているところもおもしろい。

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2024.06.30、京都市、出町柳駅

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下鴨神社メモ(4)三井社の存在

土気の作用にはふたとおりある。ひとつは「土克水」の相克の関係だ。土気は水気を制御する(克す)という意味で、水防のための働きはこれだ。もうひとつは「土生金」の相生の関係で、土気が金気を生み出すという意味となる。

水防のために土気の女神を祀れば、副作用のように「土生金」の働きも作動するいうわけだ。「土生金」とは商売繁盛の働きだ。西宮社のエビス神も伏見稲荷本社のイナリ神も土気の神だが商売繁盛の御利益で知られるのはそのためだ。三井家は土気の神を祀るのはそのためだろう。

つまり、こういうことになる。三井家はかねてより元タダスの森の土気の女神を崇敬していた。それは土気が金気を産み商売繁盛につながるからだ。その後、三井家は下鴨のタダスの森に社地を求めて土気の女神を祀った。それはタダスの森も土気の女神タマヨリヒメの統べる聖地であったからだ。

下鴨メモとしてはここで終わる。ただし違和感が残る。今後のためにそれもメモしておく。

(三井神社の存在)
河合神社の門前に三井社がある。三井家との関係は不明だが無関係とは思えない。三井社は蓼倉郷の祖社とある。蓼倉とは下鴨の高野川よりの地域でいまも蓼倉町や蓼倉通りの地名が残る。3神を祀るので元は三身社と言ったのが訛って三井社となったという。ご祭神は鴨氏の祖カモタケミツヌの命、その妻イカコヤの姫命、その娘タマヨリ姫の3柱だ。

(三井改名の理由とされる3つの井戸の伝説)
まだ藤原姓だった三井家が赴任したのが滋賀県のどこか明記されていない。わたしは三井寺のあたりではないかと思う。なぜ三井寺なのか。何の任務を帯びて赴任したのかは分からない。三井寺には、天智、天武、持統の三帝の産湯をつかった井戸があるという。その井戸に尊称の「御」を当てて御井(みい)と呼んでいたのが三井となった。木島神社のご祭神も日向三代の三帝であった。

(わたしの未完成な推理)
三井家はもともと鴨氏の一族ではないか。三井という言葉はタダスの森にある泉をいうのだろう。三帝誕生の産湯であるというのは、そこが神産み儀礼が行われる泉であること示す。3は木気の数なので、伝説にはなにかと3が登場する。

三井寺にも三井のある神産みの森があるのだろう。神産みの籠り森はタマヨリ姫の領域だ。タマヨリ姫は誕生を象徴する木気の神であると同時に、洪水を制御する土気の神でもあった。三井家はタマヨリ姫を祀り、家運隆盛を木気の神徳に、商売繁盛を土気の神徳に願ったのではないか。

三井家は下鴨の火の三合の頂点に池の庭園をつくり木島神社の分霊を祀った。池にはミタラシ川の水を引き入れた。つまり三井別邸はタダスの森の写しなのだろう。正三角形と池との組み合わせが三井そのものを象徴している。

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2024.07.06、京都市下鴨神社

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2024年7月10日 (水)

木幡の洋館

京阪木幡駅とJR木幡駅の中間にあった。木造2階建てのセセッション風の洋館だ。軒先や隅柱頂部に左官コテの装飾がきれいだ。木製建具がそのまま残っているのも珍しい。外壁はドイツ壁に仕上げている。ドイツ壁の流行った大正末から昭和初期のものに見える。詳細不明。

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2024.07.06、宇治市木幡

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下鴨神社メモ(3)タダスの森の火の三合

タダスの森は神産み儀礼のために巫女が籠る森だということをみてきた。木島神社の元タダスの森も同じであろう。元タダスの森には三柱鳥居の据えられた泉があった。その泉はミタラシ池と呼ばれ夏の土用にミタラシ祭が行われる。これも下鴨社と同じだ。下鴨ではミタラシ川でミタラシ祭を行う。

下鴨社には三柱鳥居はないが、正三角形をした土手がある。これは拙著「京都の風水地理学」で紹介した火の三合である。本を書いた7年まえには気づかなかったが、ちょうど三井別邸が頂点となる。底辺は河合神社前の東西道だろう。河合神社と三井別邸は正確に正三角形の中心軸上にある。

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円満字洋介著「京都の風水地理学」より引用
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グーグルマップを使って作図

この正三角形は南を指すので火の三合(さんごう)といいう。三合とは4つの季節の気の生(生まれる)・旺(さかんとなる)・墓(死ぬ)の時期を示したものだ。

火気である夏は暦の上では4~6月である(旧暦)。しかし4月にいきなり火気の季節に移行するのではない。火気は1月に発生して次第に盛んとなり5月に頂点を迎える。その後は下降し9月には死ぬ。1、5、9を12ヶ月の円環上にプロットすると火の三合となる。

季節を地上に写せば冬至が北、春分は東、夏至が南、秋分が西だ。したがって火の三合を地上に描けば南を頂点とし東西軸を底辺とする正三角形となるのだ。

下鴨社のタダスの森の南側に火の三合を造成したのは、土気を増やすために火気を供えたのだろう。火生土の相生の関係を使った予祝儀礼だ。この場合の土気とは土気の女神であるタマヨリヒメを指し、土気の神を盛んとすることで鴨川流域の治水の安定を願ったのだろう。

ではなぜ三井別邸は、この正三角形の頂点に別邸を設けたのか。長くなったので続きは明日。

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2024年7月 8日 (月)

下鴨神社メモ(2)三井とはなにか

三井家は呉服を商っていたので、蚕の社として知られる木島(このしま)神社を信仰していた(三井広報委員会HP)。境内に三井家のための小祠を設けて顕名霊(あきなれい)社と称したのが1751年。その後明治維新の廃仏毀釈の嵐を避けるため、顕名霊社は京都市内の三井総領家内に避難させた。

その後下鴨の地に社地を得て移築(1909)し、別邸(1914)を設けた。戦後に三井家は財閥解体され、顕名霊社は三井総領家内に引き取る。

昭和33年京都の総領家邸は処分され、顕名霊社は親戚である旧福井藩主松平家の佐佳枝廻社(福井城内)へ移った。その後、佐佳枝廻社周辺開発により立ち退きとなり東京西麻布の三井総領家邸へ移る。平成6年に総領家邸解体にあたって顕名霊社は向島の三囲(みめぐり)神社境内に移り現在にいたる。

江戸時代に三井家は向島の三囲神社を信仰していた。三囲の文字に「三井」が入っているからだという。三囲神社は稲荷社である。明治になってから三井家は木島神社の三つ柱鳥居を模してものを寄進している。

このあたりまでが三井家広報委員会HPに載っている。詳しいので助かる。さて、ここまで読めば「三井」の意味が分かってくる。

結論から言えば木島神社にある三つ柱鳥居が三井なのだろう。
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円満字洋介著「京都の風水地理学」より引用

三井家は当初藤原姓だった。平安時代末期に近江へ赴任するにあたり三井姓に改めた。任地で財宝の隠された三つの井戸を発見したからだという。三井の意味が三つ柱鳥居であるならば、改名の理由は三つの井戸の発見ではなく木島神社への信仰が動機となる。

木島神社のご祭神は5柱ある。アメノミナカヌシ神、オオクニタマノの神、ニニギの命、ホホデミの命、ウガヤフキアエズの命。アメノミナカヌシは世界誕生時に顕現した神のひとつ。オオクニタマは神格不詳ながら国土を示す神だろうとも言われている。残りの3命は天孫降臨後の日向三代だ。系図を書くとこうなる。
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ようやくタマヨリ姫が出てきた。ただしこのタマヨリ姫は鴨氏のタマヨリ姫とは別だ。ウガヤフキアエズの命の妻のタマヨリ姫は母のトヨタマ姫の妹で海蛇神である。下鴨者のタマヨリとは別神なのだが、結局神産みの巫女という立場は同じだ。トヨタマやタマヨリとは神の依り代となる巫女というほどの意味なのだろうと思う。

繰り返すが、出産や誕生は木気の作用である。神産みの森は木気の聖地なのだ。したがって木島神社の元糺の森も下鴨社の糺の森も同じ木気の女神の統べる霊地となる。ならば三井家が元糺の森に代えて下鴨の糺の森に顕名霊社の社地を求めたのもうなづける。

長くなったのでラストは次回に。

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2024年7月 7日 (日)

下鴨神社メモ(1)木気の霊地に土気の女神が降りるとき

久しぶりに下鴨神社を参拝した。気づいたことがあるのでメモしておく。

下鴨神社のご祭神は鴨氏の祖・カモタケツヌミの命とタマヨリヒメの命の二柱である。タマヨリ姫は丹塗り矢によって妊娠し雷神を生んだ。そのワケイカヅチ神は上賀茂神社に祀られた。

平安遷都の際に西の松尾社と東の鴨社は都城を守護する祭祀場となった。西の松尾社は七赤金星の沢、東の鴨社は三碧木星の雷と易によって読み替えられたのだろう。

鴨氏は天皇家と並ぶほどの旧家である。彼らの祭祀する糺の森は、もともとは氏神である雷神を再生させる霊地だったはずだ。再生や誕生は木気の役割だ。都の東は木気の領域なのだから、糺の森は王城守護の再芝としてふさわしい。

ただし鴨社には水防のための土気の神の役割もあった。この場合、土気なのは神を産んだタマヨリ姫のほうだろう。人体は最強の土気であるからだ。タマヨリ姫は賀茂川‐鴨川流域の水防を司る土気の神であろう。

下鴨神社の楼門は真っ赤だった。境内に入ると素木造りのモノトーンなので、そのコントラストがおもしろい。赤い門は土気の神にささげられた供物である。なぜなら土気は火気によって強められるからだ。赤は火気の色である。

神産みの呪具である矢が赤いのも同じ理由だろう。さらに糺の森では競馬が行われる。馬(午)は火を示す動物だ。

極め付きは賀茂川と高野川の合流地点を60度に造っていることだ。糺の森の南側に正三角形の土手があることになる。南向きの正三角形は火の三合である。

火気のものを供えることでタマヨリ姫の人体を強め、神産みの安全を祈願するのだろう。糺の森は神産みのための木気の霊地であり、そこには土気の女神タマヨリ姫が降臨する。糺の森は水防治水を祈願する霊地でもあった。

要約すると、糺すの森には雷神再生を願う木気の信仰と、水防を祈念する土気の信仰のふたつが両立していた。


さて、ここまでが前書きである。

火の三合については拙著「京都の風水地理学」でも述べた。今回、三井別邸と糺の森の関係について気づいたことがある。続きはあした。

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2024.07.06/ワトソン紙、グラフィックペン0.5、透明水彩/京都市、下鴨神社

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2024年7月 5日 (金)

深日町駅プラットフォーム上屋

この駅はプラットフォーム上屋もとてもよい。写真の奥は鉄骨造りの増築で手前の木造部分が古い。

線路側に突き出した横材の先端がとがっているのがおもしろい。柱上部の線路と並行の軒桁に方杖があるのがおもしろい。やはり木造モダンではないか。木造の柱が2本抱き合わせになっているのは謎だ。

開業当時のものなら1944年竣工だが詳細不明。手前にもフォームの名残がある。

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2024.06.29、大阪府岬町、南海多奈川線

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2024年7月 4日 (木)

南海多奈川線深日駅

開業当時のものなら1944年竣工となるが詳細不明。戦前戦後にかけて流行した木造モダニズムだ。券売機前のタテ格子がかっこいい。塗り重ねられた白ペンキがセンチメンタルな風情をつくり出している。映画のロケに使えるだろう。

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2024.06.29、深日町駅

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2024年7月 3日 (水)

南海多奈川線のアーチ橋(1944)

多奈川線にはコンクリート製のアーチ橋がいくつかある。これは深日(ふけ)町駅の横の3連アーチ。アーチ頂部のコンクリートの厚みが40㎝程度と薄いのがかっこよい。

写真を見ていて気づいたが、アーチの中央で漏水しているので、中央から南北それぞれ別にコンクリートを打設しているのだろう。つまり打設時期が違うことになる。最初単線として開業したものが戦後に複線化して、そのときにアーチも増し打ちしたのだろうか? とすれば深日の架道橋も戦後ということになる。

ウィキによれば架道橋下の大阪府道752号線は戦前に整備されたものらしい。ただし、架道橋下部分は交差点前のために道路が拡幅されているようにも見える。拡幅があったとすれば、架道橋はやはり戦後のものかもしれない。

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2024.06.29、大阪府岬町

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2024年7月 2日 (火)

南海多奈川線深日(ふけ)の架道橋(1944)

いつもはバスでくぐり抜ける。一度近くで見たいと思っていた。たまたまバス待ちが1時間あったので見てきた。見上げると思った以上に迫力があった。

橋げたを中央で支える3本の柱をアーチ型のトラスが繋ぐ。それが道路に合わせて斜に構えているのが動きがあってとてもよい。柱が下細りなのもかっこいい。

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2024.06.29、大阪府岬町

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2024年7月 1日 (月)

南海みさき公園駅のレール文字

古レールを使ったプラットフォーム上屋があった。70年代のものに見える。構造がシンプルで美しい。とくに柱が2本抱き合わせなのがよい。特急待ちのあいだにレール文字を探したところ、はっきり読める場所を見つけた。

「CARNEGIE 1897 llllllllllll NANKAI」と読める。アメリカの製鉄会社カーネギー社が1897年12月に作ったレールである。NANKAIとあるのは、南海電車用に製造したことを示すのだろう。llllllllllllと「l」が12個並ぶのは12月を表すロット記号と思う。

南海電車のHPによれば、1897年10月に堺ー泉佐野間を開業、1903年3月までに難波ー和歌山間を全通させている。その間に納入されたレールであろう。

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2024.06.29、南海電車みさき公園駅

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