2024年5月25日 (土)

大安寺をお参りした

大安寺は薬師寺とセットで藤原京から引っ越してきた寺院だ。官立の仏教大学のようなところで空海もここで学んだとある。南大寺とも呼ばれた広壮華麗な堂宇は失われ今は小堂を残すのみだが、ガン封じの寺として信仰を集めている。

わたしは大安寺は観音信仰の道場だったと思っている。薬師寺が防疫、大安寺が子安をそれぞれ担当したのではないか。子安とは安産とこどもの健康を願う祈りのことだ。防疫と子安は今でも人々の願いの2大テーマだろう。平城京はこの2種の祈りを2寺に託して国家鎮護のかたちを整えたのだ。

境内は緑が深く、木気である観音の道場に相応しい。境内の諸所にかつての堂宇の礎石が転がるのもおもしろい。大安寺は今も奈良時代の観音様を多く祀る。楊柳観音、馬頭観音、不空羂索観音、聖観音など観音像のオンパレードだ。このことも、かつてここが観音道場だったことの傍証にならないか。

ガン封じは光仁帝が大安寺の竹酒で無病息災を願ったのが最初だという。これは人体の再生を観音に願う修法だろう。蛇が脱皮して再生するように、人も生まれ変わることで永遠の生命を得ると古代の人々は考えた。だから出産もまた再生の一部なのだ。

子安信仰の元をたどれば、安産だけでなく人体再生を願う祈りでもあった。大安寺でガン封じの信仰が盛んなのは、奈良時代の観音力が今も生きている証だろう。申し遅れたが、現在のご本尊は奈良時代作の十一面観音である。

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2024.05.23、奈良市大安寺

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