大崎上島の建築(4)花街の跡
道をはさんで2棟立っている。長屋建てだ。海側3戸、陸側4戸の計7戸。花街閉鎖後は旅館として使われていたようだ。すでに営業していないが宿屋の看板が2戸ほど残っていた。花街時代も各戸別々に営業していたのだろう。遊郭と聞いていたが揚屋に見える。揚屋とは芸妓を呼んで宴会をする貸し座敷のことで遊郭ではない。
屋根は木造トラスだった。裏の納屋もトラスだったので、造船所専属の棟梁の仕事なのだろう。海側陸側とも中央の1戸が3階建てとなっている。階高が高くて堂々とした建築だ。屋根が壊れているが骨組みはいまだしっかりしている。きれいに直せば相当よい風情を取り戻すだろう。修理してやりたいが、ここは残るかどうか分からない。
ちなみに、7戸のうち2戸が3階建てなのは7と2が火を示す数字だからだろう。陰陽五行説によれば火は土を生む。人体は土気なので、火気を供えることで健康を得ることができるという予祝だ。
2024.04.02、広島県大崎上島
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