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2024年5月

2024年5月31日 (金)

中央区の三角ビル

久しぶりに尖ったビルに出会った。なかなか尖っている。阪神高速東船場ジャンクションの湾曲した高架道敷にさえぎられて三角形の土地になったようだ。地図で見ると直角三角形のビルで尖ったほうは25度しかなかった。この敷地ならば、ここまで三角形にこだわることもなかったろうに。3にこだわるのは、それが成長を示す木気の陽数だからかもしれない。

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2024.05.29、大阪市中央区

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2024年5月30日 (木)

寿(ことぶき)のよろい戸

移築された旧稲畑勝太郎邸洋館(和楽庵)を初めて見てきた。以前と少し違うが、旧部材が多く使われていて見どころ満載だった。よろい戸の飾り桟がなにを表すのか分からなかったが、写真を見返していて気づいた。これは寿だ。それも旧いほうの「壽」だ。こういう発想はなかった。さすが武田五一である。でもなにを寿ぐのだろう?

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2024.05.25、京都工芸繊維大学

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2024年5月28日 (火)

東華菜館の中華風照明

中華風の照明器具がスパニッシュによく似合う。戦後に西洋料理店「八尾政」から建物を譲りうけてから入れた器具だが、やはりヴォーリズの設計を損なわないよう細心の注意を払った結果だろうと思う。

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2024.05.05、京都市

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2024年5月27日 (月)

大安寺をお参りした(3)

大安寺の広大な境内は住宅地となっている。杉山古墳は住宅地のなかに残っていた。これを見たかった。古墳は大安寺の旧境内の北東角を押さえている。古墳を起点として大安寺を配置したことは明らかだ。この古墳が大安寺の位置を定めたのなら、そこから敷衍して平城京全体の配置を決定したのかもしれない。

墳丘の南西側に瓦窯(がよう)があった。復元された窯がおもしろい。燃焼室の下部から炎が吹きあがるかたちとなっていた。瓦用の土は古墳から採ったようで、瓦窯のある古墳の南西角がかき取られている。この発想はなかった。

土気の作用は土用と言って、各気を活発にさせる触媒としての効果がある。寺院の東北角を押さえる守り神のような古墳の土には霊力が備わっているのかもしれない。その土で作られた瓦が大安寺の観音力を強化すると考えたのだろう。

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2024.05.23、奈良市大安寺

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2024年5月26日 (日)

大安寺をお参りした(2)

大安寺門前に森があり八幡様が祀られていた。社殿におびただしい数の鳩の土人形があった。おそらく安産祈願にひとつ借り受けて、無事出産が済むと倍にしてお返しするような願掛けがあったのだろう。もしそうであれば、大安寺は今でも子安の寺だということになる。

森を抜けたところに広場あった。七重塔の礎石が残っていた。金の九輪をいただいた大塔が2本並んでいたそうだ。7は火の数ではあるが、水気の数の1と6を合算した数でもあるので水気をも表す。したがってこの場合は水気の塔と考えるべきだろう。観音は木気なので水気を喜ぶ。そこで七重塔を供えたのであろう。

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2024.05.23、奈良市大安寺

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2024年5月25日 (土)

大安寺をお参りした

大安寺は薬師寺とセットで藤原京から引っ越してきた寺院だ。官立の仏教大学のようなところで空海もここで学んだとある。南大寺とも呼ばれた広壮華麗な堂宇は失われ今は小堂を残すのみだが、ガン封じの寺として信仰を集めている。

わたしは大安寺は観音信仰の道場だったと思っている。薬師寺が防疫、大安寺が子安をそれぞれ担当したのではないか。子安とは安産とこどもの健康を願う祈りのことだ。防疫と子安は今でも人々の願いの2大テーマだろう。平城京はこの2種の祈りを2寺に託して国家鎮護のかたちを整えたのだ。

境内は緑が深く、木気である観音の道場に相応しい。境内の諸所にかつての堂宇の礎石が転がるのもおもしろい。大安寺は今も奈良時代の観音様を多く祀る。楊柳観音、馬頭観音、不空羂索観音、聖観音など観音像のオンパレードだ。このことも、かつてここが観音道場だったことの傍証にならないか。

ガン封じは光仁帝が大安寺の竹酒で無病息災を願ったのが最初だという。これは人体の再生を観音に願う修法だろう。蛇が脱皮して再生するように、人も生まれ変わることで永遠の生命を得ると古代の人々は考えた。だから出産もまた再生の一部なのだ。

子安信仰の元をたどれば、安産だけでなく人体再生を願う祈りでもあった。大安寺でガン封じの信仰が盛んなのは、奈良時代の観音力が今も生きている証だろう。申し遅れたが、現在のご本尊は奈良時代作の十一面観音である。

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2024.05.23、奈良市大安寺

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2024年5月24日 (金)

薬師寺をお参りした

久しぶりに薬師寺を訪れた。平日の午前中だったので人も少なく、ゆったりと参拝できた。西岡棟梁の手によって復元された金堂(1976)はとても美しい。堂内は大きな白鳳仏にちょうどよい広さと高さで、天井に描かれた花模様が楽し気だ。外観は東塔を模した特異な形式で、折り重なる庇が打ち寄せる波のように見えて、心地よいリズムを感じさせる。とてもよい。

西岡棟梁は長年にわたって日本全国の社寺を実測なさって誰よりも日本建築の造詣が深かった。どういう経緯でこの特異な形式が採用されたのか興味深い。

ちなみに金堂正面の2階は7間、1階は9間。7-9の数列は易の「火水未済(かすいびさい)」を示す。未済とは未完成という意味だ。でも未済と薬師寺との関係が分からない。そう思って自分の過去研究を読むと、これは易ではなく五行説で解けとあった。

薬師寺の棟の謎を解く(2)http://www.tukitanu.net/2022/01/post-92f932.html

なるほど。7は火気、9は水気なので合わせると水克火を示す。薬師は金気の仏様だから火を嫌う。そこで水をもって火を滅ぼし、金気の薬師を喜ばせるわけだ。忘れていたがそのとおりだと思う。西岡棟梁もこのことをご存知だったろうか。
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2024.05.23、薬師寺金堂

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2024年5月23日 (木)

立売堀の松屋和助鉄工部を知りませんか

まいまい京都で中之島公会堂まで歩いた。鉄骨階段にプレートを見つけた。大阪市西区立売堀(いたちぼり)の松屋和助鉄工部と読める。松屋和助鉄工部はその後どうなったのだろう。

立売堀は今でも鉄工所が多い地域だ。実は、この公会堂はレンガ造りに見えるが鉄骨造りのレンガ張りだ。立売堀の総力を挙げて造ったのだろうか。

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2024.05.19、大阪市中央公会堂

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2024年5月22日 (水)

東華菜館のステンドグラス

ステンドグラスはここだけだと思う。3本の花が並んで咲いているように見える。ここだけ棚板が無いので石膏製のマリア像を置くのにちょうどよい。この建物の初代オーナーはクリスチャンだったのだろうか? もしここが本当に祭壇なのであれば、ステンドグラスがここにしかない理由になるだろう。

枠の切り抜き細工がレース飾りのような繊細なおもむきを与えている。シンプルな細工なのでわたしもどこかで使ってみたい。

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2023.01.21、京都市

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2024年5月21日 (火)

ヴォーリズベンチの裏を見よ

このベンチはヴォーリズ設計として東華菜館のHPに載っている。背もたれの八芒星の格子がかっこよい。最近、座面の下に真ちゅう製の補強材があることに気づいた。両サイドの脚が開かないように引っ張っている。S字に湾曲させ、途中に珠飾りを入れている。目立たないところなのに、なぜこれほど入念にデザインしたのだろうか。謎である。

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2024.02.21、京都市

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2024年5月20日 (月)

東華菜館の星型ランプ

復元ではないかと思うがよくできている。厚い真ちゅう板を切り抜いて枠を作っている。ヴォーリズの図面が残っていたのかもしれない。

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2024.05.12、京都市

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2024年5月19日 (日)

場外馬券売り場の屋根にいる馬

祇園の馬券売り場のビルの上に馬がいた。ハニワの馬に似たとぼけた様子が馬らしくてかわいい。馬券は買ったことがないが馬を見るのは好きだ。

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2024.05.05、京都市東山区

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2024年5月18日 (土)

東山区のタイル貼り洋間

タイルの選び方がおもしろい。ベージュ色のタテ筋タイルに赤茶色のマーブル模様のぷっくりタイルを帯状に取りまわしている。ウイーン分離派に似た粋な配色だ。濃緑の洋瓦もタイル壁とよく響きあっている。いいなあ。

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2024.05.05、京都市東山区

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2024年5月16日 (木)

瀧尾神社のうさぴょん

軒下に隠れてこっちを見ている。動きがあって愛らしい。社殿は1839‐1840年のもので、拝殿(神楽殿に見える)の天井の龍をは京都の彫り師・九山新太郎の作品だそうだ。この兎は本殿前の唐破風の門の軒下で見つけた。

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2024.05.11、京都市

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2024年5月15日 (水)

二条城休憩所の耐震木構造

二条城休憩所が見事な耐震木構造だった。耐震木構造はトラスの下に方杖のついているのが特徴で、それがトラスの上まで続いているのは関西式だ。この工法は昭和初期には実用化されていたから、そのころの建築だろう。

トラス下の水平な小屋梁をキングポストの位置でつないでいるのを初めて見た。引っ張り材だからこれでいいのか? 木製のケーブルラックも珍しい。ハイサイド窓の付け方など、なかなかのモダニズム建築である。

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2024.05.11、京都市二条城

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2024年5月14日 (火)

二条城台所の折置組

京都国際写真展の会場に使われていたので初めて入った。見事な小屋組みに圧倒された。姫路城と同じ構造だ。中央の敷き桁に左右からまっすぐな大梁がさしかけられている。右側は柱に大梁を挿し込む折置組となっている。左側は大梁が間仕切壁を突き抜けているので見えないが、おそらく同じ折置組だろう。折置組は構造的に明快で、独特の美しさがあると思う。

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2024.05.11、二条城台所

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2024年5月13日 (月)

京都新聞社の地下印刷所跡

京都国際写真展の会場のなかでもっとも迫力があった。インクの匂いがただよっている。大きな箱を並べて展示壁としている。なかに箱の印刷機械がまだあるのか、もしくは床に空いた穴を箱でふさいでいるのかもしれない。工場跡を展示場に作り替えるうえで、さまざまな工夫があるのだろう。ヴィヴィアン・サッセンの作品群もよかった。とくにアフリカ時代の写真が心揺さぶられた。

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2024.05.11、京都市中京区

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2024年5月12日 (日)

旧明倫小のステンドグラス

三角形を散りばめた模様なのだが、じっと見ていると立体的に浮き上がってくるのがおもしろい。型板ガラスなので光を乱反射するのもおもしろい。窓下の石の乱貼りとよく響きあっていてきれいだ。

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2024.05.05、京都芸術センター

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2024年5月11日 (土)

旧明倫小のテラコッタ飾り

屋内体操場のアーチを飾るテラコッタがとてもきれいだ。レースのリボンのような縁飾りをソフトボールくらいの玉飾りが受け止めている。なかなか自由でおもしろいぞ。

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2024.05.05、京都芸術センター

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2024年5月10日 (金)

旧日銀京都支店の大理石カウンター

色大理石の模様が美しい。カウンター下だけではなく外壁側まで続いている。印刷物に似た平面的な美しさがある。 こうやって改めて見ると、これはホフマン先生のようなウイーン分離派だね。

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2024.05.05、京都文化博物館

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2024年5月 9日 (木)

旧日銀京都支店の天井の模様張り(2)

いつもは2階へは上がれないのだが、今回の京都国際写真展では公開していた。2階から見た天井は格別の迫力がある。円や菱形に合わせて板材を模様張りしているのがおもしろい。こういうデザインをしてみたい。

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2024.05.05、京都文化博物館

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2024年5月 8日 (水)

建仁寺のかわいいなにか

毘沙門堂に据えられたブロンズ製の線香立てにいる。毘沙門の眷属だから虎のはずだが、なにかポケモン的な物の怪のように見える。うっかりして製作年を確かめるのを忘れた。また見てくる。

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2024.05.05、京都市東山区、建仁寺

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2024年5月 7日 (火)

旧日銀京都支店の天井の模様張り

いつも見上げる。天井板の模様張りがとてもきれいだ。

話は変わるが、この建物の最大の謎は天井が不必要に高いことだ。天井が高すぎるのでレンガ壁が大きくなり、横ラインを入れたくなる。赤レンガに横ラインの辰野式の発生した原因は、ひとえにこの天井高さのせいではないかと私は思う。

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2024.05.05、京都文化博物館

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2024年5月 6日 (月)

京都国際写真展がおもしろいのだが

内外の写真家を招いて開かれている。美術館外で臨時に開かれた会場がおもしろい。禅寺の塔頭や今は使っていない印刷工場跡など。場所が展示施設にあざやかに変身した姿に驚く。わたしとしては、そこのところに注目したいと思って歩き始めたのだが、見ていくうちに写真の迫力に魅入られてしまった。そのことをメモしておきたい。

大きく分けてアート系とジャーナル系のふたつがある。わたしがおもしろかったのは主にジャーナル系だ。

スフェラでは、数年前のイランの大規模なデモで亡くなった者の生前のビデオを集めた作品があった。ビデオのなかの彼らは笑っていたり踊っていたり楽しそうだ。もう死んでいるとは信じられない。これらはSNSの投稿された抗議ビデオを再編集したものだそうだ。ふーんと思ったのが魅入られた最初だった。

文博はアマゾン奥地の原住民の生活を撮ったドキュメンタリーだった。体中に赤土を塗り、顔に葦の管を突き刺している。そんな写真や映像が流れる背後に彼らの不思議な音楽が流れ続ける。赤土は疫病除けの呪術だろう。葦の管は女の子たちがしているのでイニシエーション儀礼なのだろう。そうしたこどもたちの真剣な目つきがおもしろい。カメラが怖いのかもしれないが、むしろ身体ひとつで自然の脅威と向き合っている真剣さを感じた。

嶋臺ギャラリーはジプシーの写真だった。写真家はすでに故人で、60年代にセンセーショナルなヌード写真で有名になった人だそうだ。ジプシーが年に一度集まって祭礼を行うアルルという町の出身で若いときから彼らと交流があったそうだ。

写真家は音楽家でもあったので、祭祀でバイオリンを弾いたりしたそうだ。作家の履歴がジプシーを撮り続けた作品の一部となっている。アマゾンにせよジプシーにせよ、その写真を撮らせてもらうまで、どれほどの時間を費やしたのだろう。写真は一瞬だが一朝一夕には撮れない。

会場が適度な間隔で配置されているので、ついつい歩き過ぎる。それもこの写真展の特徴だし楽しさの元だと思う。インターバルはクールダウンのために役立つし、歩き疲れた脳には作品がすっと入ってくる。

日暮れ時、くたくたになりながらたどり着いた旧明倫小学校の展示にもっとも感動した。「こどのたちの眠る場所」という作品だ。世界中のこどもたちの寝場所を撮った写真が大きなパネルとなっている。その脇にそのこどもの名前と写真と略歴が書かれている。そのパネルが40人分ほどあった。

寝場所はぬいぐるみで飾られたベッドであったり、難民キャンプのテントの土間であったりする。こどもたちは難民であったり、ストリートチルドレンであったり、病気であったり、ドラァグクイーンであったりとひとつとして同じものがない。こどもらは見た目普通なのだが、その環境が多用でそのことが寝場所に如実に表れていて感動した。

それは写真が切り取った現実というようなあいまいなものではなく、写真でしか表せない真実なのだと思う。そのこどもらの境遇を私はほとんど理解できない。おめかしして真剣なまなざしで立っている目の前の彼らと私とのあいだに遠い距離がある。この距離感こそ大事なのではないか。それは遠くても必ず会いに行ける距離なのだ。この距離感が写真のリアリティなのだと感じた。

思い返せばイラクもアマゾンもジプシーも距離感が明瞭だ。これがなければ平板な作品に終わってしまうだろう。距離感を際立たせるために写真家は膨大な時間を積み重ねるのだろう。好きでなければできない仕事だ。写真はおもしろい。

京都国際写真展 5月12日(日)まで 各会場有料
https://www.kyotographie.jp/

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2024.05.05、京都芸術センター(旧明倫小学校)

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2024年5月 5日 (日)

大崎上島の建築(5)木造3階建て

旧花街の近くの石垣の上に木造3階建てがあった。ほぼ竣工時の状態を保っている。適切なメンテナンスとよい普請のたまものだ。造船所の社員寮だった時期もあるそうだが、現在は住宅として使われている。

中を見せていただいた。2~3階が中廊下式で両側に床の間を備えた座敷が続く。元は貸し座敷(揚屋)か旅館だろう。瀬戸内海が望める気持ちのよい造りだ。木江地区が造船でにぎわったのは大正期らしい。そのころの建物だと思う。

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2024.04.02、広島県大崎上島木江

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2024年5月 4日 (土)

ヤンマー本社ビルの外部階段(2)

ヤンマー本社ビルは本格的なエコビルとして知られている。公開はされていないが中間層から上層へ気流をつくるための吹き抜けがあるらしい。HPに赤いらせん階段の写真があり、ガウディのサグラダファミリアを思い出した。ビルが環境型であることと曲線を活かした有機的なデザインであることとが響きあっている。この外部階段もそうした考えが背景にあるようだ。

ヤンマー新本社ビル https://www.yanmar.com/jp/about/ymedia/article/flyingy_building.html

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2024.04.24、大阪市北区茶屋町

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2024年5月 3日 (金)

釣りたぬき 小島漁港(2024.05.02)

ことし初めての釣行は、いつもの小島漁港へ行ってきた。風もなくおだやかな一日でのんびりできた。連休中ではあるが平日なので空いていて釣りやすかった。漁協の売店は閉まっていたが、釣具屋さんと食堂は開いていたので助かった。11時から17時半まで竿を出した。午後1時ごろカサゴ(ガシラ)が続けて釣れた。

東側岸壁だけ15㎝級のアジがサビキでコンスタントに釣れていた。わたしは西側突堤の港側に場所を占めた。水質がよいので魚影がよく見えて楽しい。表層にスズメダイとフグの混群とほんの小さな何かの稚魚の群れ、それとボラ。中層にウマヅラハギが見えた。底まで3メートルほどだが少し濁っていたので底は見えない。海藻の散在する砂場のようで一度だけ根掛かりした。

釣れたのはカサゴ18.5㎝と16㎝、ベラ12㎝、スズメダイ13㎝と12㎝。スズメダイはコンスタントに釣れたが今回はほぼリリースした。カサゴの18.5㎝は私の新記録だ。幸先のよい初釣りとなった。

ほかにリリースしたのは毒のあるハオコゼ、25㎝ほどあるヒガンフグ。こんな大きなフグを釣ったのも初めてだ。ちなみにヒガンフグは毒を持ち、食すと彼岸(あの世)に至るのでこの名があるという。

隣りのグループに若いタイ人がいて私が釣り上げるたびに見に来た。スズメダイを指さして「アジ、アジ」というので「スズメダイ、スズメダイ」と教えた。エサが欲しいというのでオキアミを少し分けたが釣れているようすはなかった。楽しそうだったので釣れなくてもよろしいと思う。

帰りのコミュニティバスの運転手さんとずっと話をしていた。どこでなにが釣れるかなど楽しく聞かせてもらった。小島漁港へまた行きたい。

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2024.05.02、大阪府岬町、小島(こしま)漁港

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2024年5月 2日 (木)

大崎上島の建築(4)花街の跡

道をはさんで2棟立っている。長屋建てだ。海側3戸、陸側4戸の計7戸。花街閉鎖後は旅館として使われていたようだ。すでに営業していないが宿屋の看板が2戸ほど残っていた。花街時代も各戸別々に営業していたのだろう。遊郭と聞いていたが揚屋に見える。揚屋とは芸妓を呼んで宴会をする貸し座敷のことで遊郭ではない。

屋根は木造トラスだった。裏の納屋もトラスだったので、造船所専属の棟梁の仕事なのだろう。海側陸側とも中央の1戸が3階建てとなっている。階高が高くて堂々とした建築だ。屋根が壊れているが骨組みはいまだしっかりしている。きれいに直せば相当よい風情を取り戻すだろう。修理してやりたいが、ここは残るかどうか分からない。

ちなみに、7戸のうち2戸が3階建てなのは7と2が火を示す数字だからだろう。陰陽五行説によれば火は土を生む。人体は土気なので、火気を供えることで健康を得ることができるという予祝だ。
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2024.04.02、広島県大崎上島

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2024年5月 1日 (水)

大崎上島の建築(3)造船所の建物

大崎上島の木江地区には今でもいくつか造船所が残っている。ここは今は使われていない造船所の建物で鉄工所だったという。木造トラスの大型建築だ。ほぼ完全な状態で遺っていて迫力がある。

軒下の窓の下に見えるトラスは天井クレーン用のレールを載せるものだ。天井クレーン用の柱と建物の柱が抱き合わせになっていて、期せずして耐震木構造となっている。だから骨組みに歪みが出ていないのであろう。

こうした産業遺産は、気に留められることもなく消えていくことが多い。ぜひ再生したい。

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2024.04.02、広島県大崎上島木江

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