2024年4月 1日 (月)

現役最古の駅舎・亀崎駅を見てきた

愛知県の知多半島の半田市にある明治19年の亀崎駅を見てきた。昨年明治21年の牟礼駅を見たので、その参考とするためである。

結論を言えば牟礼駅とよく似ていた。ふたつとも同じひな型を元に建てられたのだろう。明治19年の時点で標準設計ができあがっており、それを元にしてそれぞれの地域で駅舎が作られていた可能性が高い。

(焼失説)
ウイッキによれば「鉄道局年報、明治27年度版」に明治28年(1895)3月に駅舎・官舎の焼失記事があり仮建物で駅業したという。翌年の年報に駅舎・官舎の再建記事がある。そのため現在の駅舎は再建後のものだとする説がある。ただし当時の扶桑新聞に「亀崎停車場官舎の焼失」の見出しで「官舎より発火し(中略)全戸焼失」とあり駅舎については触れられていない。

官舎がどこにあったのか分からないので断言はできないが、駅舎は燃え残ったのではないかと思う。多少類焼したところを修理して使い続けたと考えれば、ふたつの記事は矛盾なく読めるだろう。よく調べれば火災修理の痕跡があるだろう。それが見つかれば明治19年竣工でよい。

(昭和4年の増改築)
ウイッキには増改築の記載もある。「武豊線物語」によれば昭和4年に駅舎を増改築したという。

(牟礼駅との比較)
牟礼駅と比較してみる。当時の駅舎は半分が駅務、貨物取扱、半分が待合なので、平面計画的には違いはない。構造的には3間×8間ほどの母屋の3方に庇がまわっている。柱は布石の上に直接建て、柱どうしをつなぐ地覆(じふく)があった。これは伝統的な工法であり牟礼駅と同じだ。

屋根は軒桁にトラスを架けて、その上から鼻母屋で押さえている。おそらく金物で締めつけているのだろう。金物で締めているとすれば耐震木構造となる。明治24年に濃尾震災があったので、火災修理の際にこうしたのかも知れない。もしくは昭和4年の増改築の際の改造かもしれない。

ちなみに牟礼駅は柱の上にトラスを直接乗せる折り置き組みという工法だった。これは信越線沿線のやりかたなのかもしれない。標準設計は間取りだけで、上部構造は各地の工法にゆだねていたと思う。

牟礼駅と違うのは、待合の入り口が妻側にあること。駅前広場が妻側にあるからこうなるのだが、駅舎と広場の並列するタイプは当時の駅舎であまり見たことがない。広場を広げるために曳家をしたようにも見える。これは古地図を見れば分かるだろう。

ほかには本体に直角に下屋が突き出ていること。これも標準設計ではない。

現在の待合は庇部分を取り込んで広くなっている。もとの壁面は柱だけになって方杖で補強している。このあたりは昭和4年の増改築なのだろう。直角に突き出た下屋もそのときの増築だと思う。さらにプラットフォーム側の庇の柱も方杖補強されているが、これも昭和4年の補強に見える。基本的には原型をよくとどめている。

※ もうひとつの現役最古の駅舎(牟礼駅)http://www.tukitanu.net/2024/02/post-477a2c.html

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2023.03.29、愛知県半田市

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