大崎上島の建築(1)木造5階建てを見てきた
この島には5階建ての旅館の建ち並ぶ風景があったが、ここへきて次々と解体されている。島内の有志で風景を守ろうとする機運があり再生活用が模索している。構造復旧について要請あり文化財修復構造技術支援機構のメンバー7名で現場を訪れた。再生の始まる前の尾道と同じような状況で、空き地が増えつつあるが魅力的な建物がいくつも残っていた。ぜひ応援したい。
< 木江(きのえ)の5階建て >
外観のみ見学。大正6年竣工。造船業長尾家が施主の接待所を兼ねた料理店として建築した。大正6年は造船の全盛期で全島の工員数は1500名だったという。古写真によれば、当初は道路側の2~4階が縁側だった。当初4階建てとして工事を始めたが、風害があり4は縁起が悪いからと5階建てに変更したという。建築時はすぐ海に面していた。正面に3つの破風を見せるのは、3が陽気の木気を示すからだろう。4階の階高が高く三重の入母屋屋根とあいまって軽やかで端正な美しさがある。
建築的な特徴は次のとおり
・4層の主屋の前後に巾3尺の濡れ縁を取り付け、大屋根上の望楼を備える。
・4階まで料理を運ぶためのリフトが備え付けられていたという。
・4階の階高が高いので大座敷だろう。
・わずかな変形があるが、よくメンテナンスされており健全な状態が保たれている。
・各層で庇を回しているため外壁への雨がかりが少なく建物の状態がよい。
・大屋根の梁を柱が直接受ける折り置き組みとなっている。周辺古民家もほぼ折り置き組みだったので島内の建築様式なのだろう。
2024.04.02、広島県大崎上島木江
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