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2024年4月

2024年4月30日 (火)

天命反転芸術を体験した

天命反転芸術をモデルにしたワークショップがあった。郡さんが出展なさったので参加してきた。

天命反転芸術は、ニューヨークを拠点に活躍した現代芸術家・荒川修作の造った公園「養老天命反転地」で知られている。
大地をでこぼこにして平衡感覚を狂わせる体験型の芸術だ。

郡さんの「蜃気楼階段」は、大きな階段をボックスだった。全体が万華鏡になっていて、上から覗いたり中に入ったりできる楽しい作品だった。階段のまわりの床に居間や食堂などの文字や記号が散りばめられていて、建築のなかで階段だけ特別な存在であることが強調されていたのもおもしろかった。

荒川の作品紹介ビデオを見たので天命反転芸術がよく分かった。平衡感覚を養うことで、人間の野生の感性を取り戻し、大地との絆を取り戻そうとするのがテーマだと思う。太極拳に似ている。

東洋的であること、芸術が美術館の外に出ること、最終的にラブ&ピースに至るあたりは時代なのだろう。その説教臭さを取り除いたあと何が残るのかが分からなかった。

『空間と身体感覚の相互作用にもとづく空間デザインの研究ー 荒川修作+マドリン ・ ギンズ「手続き型建築」の形態を探るー』

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2024.04.27、大阪市北区、大工大

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2024年4月28日 (日)

BS「大阪モダン」再放送決定!

昨年放送された「大阪モダン」が再放送される。10個のエピソードの4番目に登場する。私の案内する「まいまい京都」ツアーのようすや生駒ビルの探索など。

「新日本風土記 大阪モダン 旅する昭和
BS2024429(月・祝)16:0016:59

https://www.nhk.jp/p/fudoki/ts/X8R36PYLX3/episode/te/11RVGP2PPG/

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2023.09.17、大阪市、NHK新日本風土記サイトより

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2024年4月27日 (土)

時空の広場へ至る大きな穴がある

大阪駅のコンコースの上に時空(とき)の広場という展望スペースがある。そこへ上がるための大穴がこれだ。このあたりは原さんのスカイビルのまねっこだが、なかなかおもしろい。上手に撮れないのがもどかしい。

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2024.04.10、大阪駅

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2024年4月26日 (金)

ヤンマー本社ビルの外部階段

茶屋町のヤンマー本社ビルの角に地下へ降りる不思議な階段がある。とてもきれいで写真をよく撮る。昼もきれいだが夜は格別だ。この日は雨が降っていて、さざめく雨音が不思議さを引き立てていた。HPによれば設計は日建設計、施工は竹中工務店、2014年竣工。

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2024.04.24、大阪市北区茶屋町

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2024年4月25日 (木)

ピンクの円形手洗い

すっきりとした良いかたちをしている。銅の水栓に真ちゅう色のカランもおもしろい。タイル貼りは名人芸の域に達しており、四角いタイルを丸く貼りながら破綻がない。1960年代のものに見える。この時代の小学校には同じように見事なタイル貼りの手洗い場があった。数が少なくなりつつあるタイルの名品のひとつであろう。

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2024.04.20、京都市二条城

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2024年4月24日 (水)

明治時代の門灯ここにあり

たぶんおそらく二条城が離宮だった時代のものと思う。けっこう大きなブラケット照明で今でも使われているようだ。チューリップのつぼみのようなホヤガラスがかわいい。ホヤを受ける金具の唐草模様もよい。

二条城が離宮だったのは明治17年から昭和14年まで。京都疏水が開通して電気が使えるようになったのは明治23年なので、そのころのものではないかと思う。

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2024.04.20、京都市二条城

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2024年4月22日 (月)

小矢部市の洋館

能登半島へ行く途中で見つけた。元診療所のような建物だが詳細不明。昭和初期に見える。正面の屋根頂部を少し折った半切妻屋根だが、そこから旧勾配の袖壁状のものを取り付けてマンサード屋根に見えるようにしている。こうしたデザインはほかでは見たことがない。屋根は大きいけれど、マンサード屋根風に見せることでこじんまりとした愛らしさと軽やかさを醸し出している。ただならないデザイン手腕と言えよう。

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2024.04.18、富山県小矢部市

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2024年4月21日 (日)

本づくりイベント三富中立売書店へ行ってきた

開催不定期の自作本フリマである三条中立売書店が、大垣書店のギャラリーでイベントを打つというので行ってきた。アート系や町歩き系など充実している。わたしは大武千明さんの自作本をゲットした。読むのが楽しみ。

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2024.04.20、京都市上京区、堀川新文化ビルヂング

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2024年4月18日 (木)

大河原発電所(1919)

南山城村まで行ったのでレンガの発電所を見てきた。建物後ろに2つの水門が見える。そこまで水路で水を引いているらしい。レンガ壁の上から2メートルくらいのところに水平に補強が入っているのは、そこに天井クレーンのレールが取りついているのではなかろうか。

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2024.04.12、京都府南山城村

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2024年4月17日 (水)

高島屋東別館(1928‐1940)2

元エレベータホールの箱型照明がおもしろい。願わくば、もっとよく見えるようにしてほしい。

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2024.04.14、大阪市浪速区日本橋

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2024年4月16日 (火)

高島屋東別館(1928‐1940)

見事なアールデコだ。黒枠のなかに金色の飾り格子が潜み、その上にガラス製のインジケータが浮かぶ。なんと幻想的なデザインだろうか。これほど黒を使いこなすとは、さすが鈴木禎次(1870‐1941)である。

1928年に南側の第1期が完成している。このエレベータホールは第2期の1934年のものだろう。彼が54才のときの設計である。

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2024.04.14、大阪市浪速区日本橋

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2024年4月15日 (月)

椅子展(3)アイリーン・グレイは自由だ

彼女の作品が3つ出ていた。いずれも動く家具だ。

・寝椅子のトランサット・チェア ヘッドレストが動く
・自邸E‐1027用のサイドテーブル 円形ガラスのテーブルが上下する
・ロアティーノ フロアランプ 首が回ってライトの向きを変更できる

動きを楽しむという点ではマルセル・ブロイヤーと同じだ。彼女の場合、フロアランプのS字支柱のように可動部がデザインの契機となっているのがおもしろい。

自邸であるE‐1027は白い直方体の部分を切り離したり、ずらしたりする携帯操作で窓やコーナーを作りだしている。動くわけではないが、まるで動くかのように見える。技術的に可能ならば、きっと彼女は動く建築を作ったろう。環境変化に応じてメタモルフォゼ(形態変化)する建築。そんな自由さが彼女の作品にはある。

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2024.04.10、なんば高島屋「椅子とめぐる20世紀のデザイン展」

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2024年4月14日 (日)

養父市の養蚕農家をスケッチした

養蚕農家と書いて「ようざんのうか」と読む。土蔵作り2~3階建ての民家で1階は人間、2階はお蚕が棲む。黄色い土壁の美しい民家で、わたしの理想の建築のひとつである。伝建地区(重要伝統的建築物群保存地区)の大杉地区が有名だが、養父市内ならいたるところにある。関宮地区も2階建ての養蚕農家集落だった。酒造家の安木家住宅をスケッチした。軒下の小さな頬杖がかっこいい。

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2024.04.14、兵庫県養父市

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2024年4月13日 (土)

なんば高島屋のレリーフの鋲(びょう)

なんば高島屋の正面には見事なレリーフ飾りがあって、いつも見とれている。これはテラコッタだろうと思う。下面にも花飾りがついているが、そのパネルを留める鋲(びょう)の頭隠しも花飾りになっていることに気づいた。芸が細かい。

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2024.04.13、大阪市難波

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2024年4月12日 (金)

椅子展(2)マルセル・ブロイヤーがおもしろ過ぎる

20世紀のデザインの主流のなかでブロイヤーだけ孤立しているのがよく分かった。それはブロイヤーのせいではなく展覧会の考える20世紀のほうの問題だと思う。それはさておき、彼のワシリーチェアがいきなり出てくる。世界で初めて作られた鉄パイプ製の椅子だ。直後から名だたる建築家やデザイナ―たちがこぞって彼のまねをし始める。こうして鉄パイプ椅子全盛の時代が唐突に幕をあげた。

この展覧会のおもしろさ、というより織田コレクションのおもしろさは、ブロイヤーの自転車寝椅子が出ていることだ。これがたいへんおもしろい。

木陰にこの寝椅子を置いて昼寝をするのだろう。日差しが動けば日陰を追って寝椅子を動かすことができる。おそらく、まんなかの車輪を手で回して寝椅子を動かすのだ。前後にしか動かないというが、体重のかけかた次第で、少しは進路を曲げることもできるだろう。だからといって、この寝椅子を機能的だとは言えないと思う。この自転車寝椅子には機能性では語れないおもしろさある。

彼は自転車が好きだったそうだ。そこにヒントを得て軽量で量産可能なワシリーチェアをデザインしたというわけだ。その結果、20世紀のデザインは機能美と大量生産性を備えたものへと脱皮した、というのが20世紀デザインの筋書きである。けれど、それでは自転車寝椅子を説明できない。むしろ彼は純粋に自転車が好きで、それをデザインに取り込みたかっただけではないのか。機能性や工業生産性よりも、動くデザインの楽しさこそ真髄だったのではないか。20世紀のデザインは思っている以上に「楽しい」のである。

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2024.04.10、なんば高島屋「椅子とめぐる20世紀のデザイン展」

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2024年4月11日 (木)

椅子展(1)ガウディのイスの裏を見よ

なんば高島屋で開催中の「椅子とめぐる20世紀のデザイン展」を観てきた。10世紀末から現代までのデザインを俯瞰できる展覧会で勉強になった。

わたしは最初のほうのガウディやホフマン先生のイスがおもしろかった。なかでもガウディのカーザ・カルベットのアームチェアーがとてもかわいい。あまりにかわいいので、しゃがみこんで裏も確かめておいた。撮影可だったのでここにあげておく。

この展覧会は北海道東川町に寄贈された織田コレクションのイス1350点のなかから100点ほどを選んで構成している。織田憲嗣氏(1947‐)は高島屋デザイン部出身のデザイナーで現在は東川町在住。東川町は木工の町だそうだ。

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2024.04.10、椅子とめぐる20世紀のデザイン展にて

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2024年4月10日 (水)

上京区の洋間付き住宅

丁寧にお使いの洋間だ。サッシを入れ替えて屋根を改修し外壁を塗り直している。シンプルで端正なファサードに手入れのされた松がよく映えて上品な美しさがある。三条通りのSACRAビル(1916)に似ているので同時期だろうと思う。「京都市の近代化遺産」には大賞から昭和初期とある。

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2024.03.09、京都市上京区

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2024年4月 9日 (火)

上京区の元散髪屋さん

「ぷっくりタイル」とはこれだ。粘土ではなく粉を固めたものを焼いた乾式タイルだ。ふくらんだ内側がえぐられていて厚みが均一になっていることが多い。

窓下、壁、タイル壁頂部に3色を使っている。端正なプロポーションの立面を華やかに引き立てている。窓下の茶色いタイルが青く窯変しているのが美しい。壁のベージュ色のものはマーブル模様となっている。

ちなみに「ぷっくりタイル」は25年ほど前にわたしが付けた名前である。

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2024.04.08、京都市上京区

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2024年4月 8日 (月)

桜まんかい

きょう一日で満開になった。スパークリングワインの泡が音を立てて弾けるように咲き誇っている。

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2024.04.06,京都府向日市

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2024年4月 6日 (土)

大崎上島の建築(2)古民家のかたち

平屋建ての古民家はいずれも軸組み(骨組みのこと)がシンプルでとてもきれいだった。こうした木組みが作れるようになりたい。旧長谷川邸、小笠原邸、大望月邸を見たがいずれも軸組みは同じだった。特徴は次のとおり。

1.土間と土蔵は繋がっている。おそらくミカンの熟成蔵なのだろう。
2.土間の上は梁を三段重ねにしている。
3.旧長谷川邸は大黒柱が蔵側にあった(これはイレギュラーな事例かもしれない)。
4.座敷側に式台玄関のあった。
5.梁は柱の上に載る折り置き組みである。
6.梁と直交する長い材が梁どうしを繋いでいる。
7.建物の中央部分の柱を挿し鴨居で緊結している。

建物の重心が高いのは固有振動を伸ばすためかもしれない。地震動に対して全体がゆるやかに変形しながら柱の上の桁や梁が壊れない仕組みとなっている。船の構造と似ているようにも思う。

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Img_0079旧長谷川邸の小屋裏
Img_0088大望月邸の三段重ね梁
Img_0140小笠原邸の外観、折り置き組みであることが分かる

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2024年4月 5日 (金)

大崎上島の建築(1)木造5階建てを見てきた

この島には5階建ての旅館の建ち並ぶ風景があったが、ここへきて次々と解体されている。島内の有志で風景を守ろうとする機運があり再生活用が模索している。構造復旧について要請あり文化財修復構造技術支援機構のメンバー7名で現場を訪れた。再生の始まる前の尾道と同じような状況で、空き地が増えつつあるが魅力的な建物がいくつも残っていた。ぜひ応援したい。

< 木江(きのえ)の5階建て >
外観のみ見学。大正6年竣工。造船業長尾家が施主の接待所を兼ねた料理店として建築した。大正6年は造船の全盛期で全島の工員数は1500名だったという。古写真によれば、当初は道路側の2~4階が縁側だった。当初4階建てとして工事を始めたが、風害があり4は縁起が悪いからと5階建てに変更したという。建築時はすぐ海に面していた。正面に3つの破風を見せるのは、3が陽気の木気を示すからだろう。4階の階高が高く三重の入母屋屋根とあいまって軽やかで端正な美しさがある。

建築的な特徴は次のとおり
・4層の主屋の前後に巾3尺の濡れ縁を取り付け、大屋根上の望楼を備える。
・4階まで料理を運ぶためのリフトが備え付けられていたという。
・4階の階高が高いので大座敷だろう。
・わずかな変形があるが、よくメンテナンスされており健全な状態が保たれている。
・各層で庇を回しているため外壁への雨がかりが少なく建物の状態がよい。
・大屋根の梁を柱が直接受ける折り置き組みとなっている。周辺古民家もほぼ折り置き組みだったので島内の建築様式なのだろう。

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2024.04.02、広島県大崎上島木江

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2024年4月 4日 (木)

ゆえあって瀬戸内海の島にきた

木造5階建て旅館の調査のために広島県大崎上島にきた。木造3階建ての旧松本旅館に投宿した。旅館廃業ののち島内の有志が購入して再生なさっている。その取り組みのようすも聞かせていただいた。地域再生の動きがここにはある。
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2024.04.03、広島県大崎上島、旧松本旅館

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2024年4月 2日 (火)

フォーチュンガーデンの白い階段室

カルチャーハウスの大人の遠足でフォーチュンガーデンへ行った。ここは階段室が見どころのひとつだ。型ガラスの窓の拡散的光線が白い壁によく映える。荒川義夫設計、武田五一設計顧問、清水組施工、1927年竣工、旧島津製作所本社。今は結婚式場となっている。

大人の遠足 https://culture-house.com/excursion/

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2024.03.28、京都市中京区、旧島津製作所本社

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2024年4月 1日 (月)

現役最古の駅舎・亀崎駅を見てきた

愛知県の知多半島の半田市にある明治19年の亀崎駅を見てきた。昨年明治21年の牟礼駅を見たので、その参考とするためである。

結論を言えば牟礼駅とよく似ていた。ふたつとも同じひな型を元に建てられたのだろう。明治19年の時点で標準設計ができあがっており、それを元にしてそれぞれの地域で駅舎が作られていた可能性が高い。

(焼失説)
ウイッキによれば「鉄道局年報、明治27年度版」に明治28年(1895)3月に駅舎・官舎の焼失記事があり仮建物で駅業したという。翌年の年報に駅舎・官舎の再建記事がある。そのため現在の駅舎は再建後のものだとする説がある。ただし当時の扶桑新聞に「亀崎停車場官舎の焼失」の見出しで「官舎より発火し(中略)全戸焼失」とあり駅舎については触れられていない。

官舎がどこにあったのか分からないので断言はできないが、駅舎は燃え残ったのではないかと思う。多少類焼したところを修理して使い続けたと考えれば、ふたつの記事は矛盾なく読めるだろう。よく調べれば火災修理の痕跡があるだろう。それが見つかれば明治19年竣工でよい。

(昭和4年の増改築)
ウイッキには増改築の記載もある。「武豊線物語」によれば昭和4年に駅舎を増改築したという。

(牟礼駅との比較)
牟礼駅と比較してみる。当時の駅舎は半分が駅務、貨物取扱、半分が待合なので、平面計画的には違いはない。構造的には3間×8間ほどの母屋の3方に庇がまわっている。柱は布石の上に直接建て、柱どうしをつなぐ地覆(じふく)があった。これは伝統的な工法であり牟礼駅と同じだ。

屋根は軒桁にトラスを架けて、その上から鼻母屋で押さえている。おそらく金物で締めつけているのだろう。金物で締めているとすれば耐震木構造となる。明治24年に濃尾震災があったので、火災修理の際にこうしたのかも知れない。もしくは昭和4年の増改築の際の改造かもしれない。

ちなみに牟礼駅は柱の上にトラスを直接乗せる折り置き組みという工法だった。これは信越線沿線のやりかたなのかもしれない。標準設計は間取りだけで、上部構造は各地の工法にゆだねていたと思う。

牟礼駅と違うのは、待合の入り口が妻側にあること。駅前広場が妻側にあるからこうなるのだが、駅舎と広場の並列するタイプは当時の駅舎であまり見たことがない。広場を広げるために曳家をしたようにも見える。これは古地図を見れば分かるだろう。

ほかには本体に直角に下屋が突き出ていること。これも標準設計ではない。

現在の待合は庇部分を取り込んで広くなっている。もとの壁面は柱だけになって方杖で補強している。このあたりは昭和4年の増改築なのだろう。直角に突き出た下屋もそのときの増築だと思う。さらにプラットフォーム側の庇の柱も方杖補強されているが、これも昭和4年の補強に見える。基本的には原型をよくとどめている。

※ もうひとつの現役最古の駅舎(牟礼駅)http://www.tukitanu.net/2024/02/post-477a2c.html

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2023.03.29、愛知県半田市

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