諏訪立川流研究(13)善光寺仁王門(1918)
2024年になっていまも立川流のことを調べている。昨夏の立川流見学メモの続きを書いておきたい。
仁王門は1752年に建設されたが1847年の善光寺地震で焼失、大正7年に再建されたとある。軒下にハト除けの金網があるので彫刻がよく見えない。柱上の獅子頭は輪郭がふわふわしていて立川流に見える。1752年だと焼けた仁王門は大隅流だったはずだが、そこはかまわないのだろう。
仁王は高村光雲、米原雲海の作。大正7年当時、光雲は東京美術学校教授、雲海は光雲の高弟だった。光雲は伝統技法保持者として帝室技芸員でもあった。そのため焼失した仁王像の復元を依頼されたのかも知れない。まだよく分からないが立川流と東京美術学校の関係に注意しておきたい。
2023.08.30、長野市善光寺
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