裏千家住宅(3)茶室「咄咄(とつとつ)斎」
玄々斎(1810‐1877) は1856年に宗旦200年忌のために茶室・咄咄斎を作った。元からあった稽古の間を改造したという。稽古の間も、玄々斎が1839年に利休250年忌のために作ったとされる。咄咄斎とは利休の孫の千宗旦のことだそうだ。彼は千家を現在の3家に分けた人物である。玄々斎は、利休忌のための茶室の名を宗旦にちなんでつけたわけだ。
茶室咄咄斎を見学して一番驚いたのは薄暗がりのなかで怪しく光る野太い松の床柱だった。そもそも松の床柱が珍しいし、これほど太いものもあまり見ない。次に目に入ったのはタテヨコ交互に張られた市松模様の松材の天井である。これも珍しい。デザイン的にもおもしろい。ただしデザイン的に見れば太い床柱の主張が強すぎる。なぜか。
五葉松の床柱は茶室のための部品ではなく、床柱こそ茶室の主役なのだろう。結論から言えば、これは家の繁栄を願う生命の樹であろう。そう思って改めて茶室を見れば、太い床柱が松の巨木の幹であり、市松に張られた天井が空を覆う松の枝葉に見える。
この天井板と床柱の松は裏千家の庭園にあった「又玄斎(ゆうげんさい)お手植えの五葉松」だそうだ。又玄斎(1719-1771)は表千家と協力して茶の稽古法・七事式を作った。稽古法が定まり千家の茶道が町民のあいだで大流行した。又玄斎は裏千家中興の祖と呼ばれる宗匠である。
その手植えの松を主役に玄々斎は茶室を開いた。それは又玄斎の遺風を受け継ぐ意思表明であった。同時にデザイン的にみれば又玄斎の五葉松は今でも茶室となって生きているという表現となっている。おもしろい。
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