2024年2月22日 (木)

裏千家住宅(1)割れた敷石と3つの玉石

文化財の裏千家住宅を見学した。天明大火後の再建だそうだ。裏千家住宅の風水的な意味について気づいたことがあるのでメモしておく。

増築を重ねた屋敷の狭い中庭に梅の井と呼ばれる井戸があった。梅の花の形の滑車が名の由来との説明だったが逆だろう。梅の井という名前だから滑車が梅鉢型なのだと思う。

井戸と縁側との間に菊花石の手水鉢があった。尾張徳川家から拝領した名石だそうだ。菊花石は菊形の模様の浮き出た石のこと。実際に直径5センチほどの菊模様が点々と浮き出ていた。

菊花石の前の敷石が不思議な配置をしていた。図にあるように短冊形の敷石をふたつに割って、その間に3つの玉石を置いている。最近になって置かれたように見えるが、当初からこのままだったのかもしれない。

この意味は分かりやすい。石を割るとは金気を克す(=減らす)こと。3は木気を表す数字だ。つまり木気が嫌う金気を割ることによって木気を盛んにするという意味だろう。木気は生命誕生を象徴する。石が丸いのは卵をかたどったのだろう。

これは菊花石と梅の井との関係を示している。梅は木気を、菊は水気を象徴する。木気は水気から誕生するから、水気の菊水石を供えれば木気の梅の井は盛んとなるのだ。菊花石は梅の井の木気を盛んにするための供物であろう。

菊花石を据えたのは11代家元玄々斎(1810‐1877)だそうだ。ウイッキによれば、玄々斎は愛知県岡崎市の奥殿藩(幕末に大給藩と改名)藩主である松平家の息子として生まれ9歳のころ10代家元の養子となった。19歳で襲名し、20歳で尾張徳川家に茶道伝授したという。菊花石はそのときの拝領かもしれない。裏千家住宅は玄々斎の代にほぼ現在の形となったという。

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