裏千家住宅(5)満ちる3と5と8
連載にするつもりはなかったが、つい長くなっている。書いているうちに気がつくことも多いのでつい長くなる。松の絵を描いてみた。茶室が松の巨木の木陰の風景に見える。釜の湯が湧く音を松籟(しょうらい)という。風になびく巨松の音が聴こえるようだ。
(おさらい)
裏千家の御祖堂に隣接する茶室・咄咄斎に土気の5と木気の3と8が満ちていることを書いてきた。五気は次のように巡回する。
木気→火気→土気→金気→水気→木気
五葉松の土用によって茶の火気が発動する。その火気によって御祖堂の利休の土気が強くなる。御祖が強くなればその子孫も盛んになる。そうした先祖礼拝の儀礼が行われたのが茶室・咄咄斎だったろう。
茶室の名の由来である咄咄斎は千家3代目の宗旦だった。五葉松を植えたのは8代目又玄斎(ゆうげんさい)だ。ここにも3と8が出てくる。このふたりを持ち出した時点で3と5と8のコンボはなりたっている。
3+5=8
この数式は、未活性である木気の3に土用の5が加えられて活性化された木気の8になるという意味だ。活性化された木気は誕生と再生を司る重要な気となる。3や8が縁起がよいと言われる所以はここにある。
咄咄斎を示す3は五葉松の5が加えられて活性化した木気の8となる。この茶室は茶を点てなくとも再生と誕生を予祝する装置となっている。
1788年、天明の大火。京都の市街地の8割を焼いた史上最大級の都市型火災と言われている。このときに裏千家住宅(今日庵)も焼失したという。このとき又玄斎手植えの五葉松も焼けたのだろう。その古材で咄咄斎は編まれたわけだ。
又玄斎(1719-1771)が家元となったのは1733年、1758年には宗旦100年忌を行っている。そのころに五葉松を植えたとすれば天明大火時で樹齢30年となる。咄咄斎の床柱の松は直径20㎝くらいなので30年くらいに見える。この床柱は天明大火で焼けたものを切り出したのかもしれない。
大火後すぐに裏千家住宅は再建されたという。 年表をメモしておく。
1733 8代又玄斎が裏千家家元となる
1771 9代不見斎が裏千家家元となる
1788 天明大火
1789 裏千家住宅(今日庵)の再建
1839 利休250年忌に咄咄斎の前身である稽古の間を作る
1856 宗旦200年忌に稽古の間を咄咄斎に改造する
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