天理商店街の洋館(2)
以前ご紹介した天理市の洋館だが、これは天理教の出版社「養徳社」の旧社屋ではなかろうか。正面の看板跡がそう読める。いまの養徳社は2軒隣りだ。養徳社は昭和19年設立なので、そのころの建物だろう。木造だと思う。
天理商店街の洋館(1)http://www.tukitanu.net/2023/06/post-ad6d55.html
2023.06.23、奈良県天理市
2024.01.21、奈良県天理市
以前ご紹介した天理市の洋館だが、これは天理教の出版社「養徳社」の旧社屋ではなかろうか。正面の看板跡がそう読める。いまの養徳社は2軒隣りだ。養徳社は昭和19年設立なので、そのころの建物だろう。木造だと思う。
天理商店街の洋館(1)http://www.tukitanu.net/2023/06/post-ad6d55.html
2023.06.23、奈良県天理市
2024.01.21、奈良県天理市
神父さんのブログに小教区1947年設立、献堂1957年とネットにある。いまは福知山カトリック教会に統合されたそうだ。しばらくレストランとして使われていたようだが今は閉まっている。レストランのブログを見ると内部は新興木構造でなかなかかっこいい。
みちあき神父のふぉと日記
綾部カトリック教会のこと https://blog.goo.ne.jp/andrew-john/e/e7d91ce2957fdb5939e02a4d9cba9fa1
2023.11.18、京都府綾部市
北大路の洋間付き住宅だが、建物だけではなく塀もドイツ壁だった。以前、岸和田のドイツ壁の塀を紹介したがそれとほぼ同じである。左官さんの用語でいえば「ササラ掃き付け仕上げ」となる。ササラは竹の先をホウキ状にしたもので、これでコテ台に乗せたモルタルを掃き出すようにして壁面へ付着させる。武田は青柳邸(T11、解体)をドイツ壁で仕上げている。さてこれは本当にササラ掃き付け仕上げなのだろうか。
結果的に言えばまだ分からない。「リシン掻き落とし仕上げ」かもしれないと思い始めている。ここで挙げた2例は比較的デコボコが大きいので掃き付け仕上げのような気もする。そもそもドイツ壁とはリシン掻き落とし仕上げをいったようだ。大正中頃に輸入され始めたリシンがドイツ製だったことからそう呼んだそうだ。
掃き付けと掻き落としでは表面の状況がだいぶ違うような気もする。これからはもっと丹念に観察してみる。
2023.11.11、京都市上京区
2023.05.04、大阪府岸和田市
大きな目玉が光を遠くまで飛ばすプリズムとなっている。まるで「アタゴール物語」に出てくる妖怪のようだ。伊勢湾の入り口にある神島灯台の回転レンズで、これが日本で最初の電化灯台だそうだ。回転台は球を使ったベアリングではなく、水銀に浮かせて摩擦を少なくする工夫をしている。水銀槽式回転機械というらしい。
2023.11.19、岐阜県犬山市、明治村
新しいほうは16年後に建てられた。よく似ているが、こちらは国産だと言われている。すべてが国産なのか部分的に輸入品も使ったのか見ただけでは分からない。
下弦材は1本から2本に変更されている。これは強度的に英国製に及ばなかったからか。もしくは積雪に備えて屋根を強く作る必要があったからか。部材寸法も小さく分割されている。英国製のような長いものが作れなかったからなのだろうか。
下弦材の継手には束材と斜材も同時にはめこまれてボルトで締められている。部材が増えてトラスは複雑にはなったが、それでも軽やかな美しさは失っていない。その軽やかさは、このボルト1本の継手のシンプルさに起因すると思う。
2023.11.19、岐阜県犬山市
ゆえあって初期鉄道のことを調べている。明治村に日本最初の鉄道整備工場である新橋工場が移築されているので見てきた。ひとつは明治6年、もうひとつは明治22年の竣工でふたつともよく似ている。
明治6年のものはイギリスから輸入したプレハブ式の鉄骨造だ。下見板張りに見えるのは鉄板を折り曲げたもので、これもプレハブ部品のひとつらしい。窓や扉などすべてがセットされて輸出されたのだろう。植民地仕様というものが当時の大英帝国には存在していたことが分かる。
トラスは存在を感じさせないくらい軽やかだった。独特の美しさがある。下弦材とキングポストが丸鋼で上現在と斜材は断面がL型のアングル材である。丸鋼が引っ張り力を、アングル材は圧縮力を受けもつことが私のような構造力学落第者にもよく分かる。
これと似たトラスをわたしは大阪天保山の旧住友倉庫(築港赤レンガ倉庫、大正12年)でも見たことがあるが、あれよりも軽やかだろう。
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