興福寺中金堂の謎(2)
なぜか屋根の勾配が緩い。隣接する東金堂(室町時代再建)や南圓堂(江戸時代再建)と比べるとその緩さが際立つ。
奈良時代の寄棟屋根といえば唐招提寺金堂がある。基本的に唐招提寺をベースにして設計したように見えるが、屋根勾配は唐招提寺よりも緩い。わたしはこの緩さにどうもなじめない。
勾配が緩いので屋根トップの金色の鴟尾(しび)の間隔が狭くなる。この狭さは東大寺大仏殿に似ている。けれどもあれは再建時に大仏殿の巾を3分の2に縮めたからああなっているのであって、本来の間隔はもっと広いはずだ。
鴟尾の大きさは出土物から決めたのかも知れない。もしそうならば、この勾配だと視覚的に違和感がある。こうした違和感は多分にセンスの問題なので学術的な正しさとは基本的に無関係だ。
しかし建築は技術とセンスのかけ合わせだ。学術的な正しさだけでは建築にならない。伝統技能とセンスを兼ね備えた棟梁衆の意見がもっと反映されておれば、こうはならなかったろう。
2023.11.28、奈良市
| 固定リンク
「建築研究」カテゴリの記事
- 旧山邑邸を描いてみた(2015.02.06)
- ベネティア・サンマルコ広場のドゥカーレ宮殿を描いてみた(2013.07.17)
コメント