諏訪立川流研究(3)
神仏分離までは楼門と呼んでいたようだが、いまは拝殿という。春宮、秋宮ともまったく同じものが建っている。秋宮拝殿は1781年、春宮拝殿は1780年の竣工。秋宮は初代立川和四郎富棟、春宮は地元の宮大工棟梁・柴宮長左衛門の作品。
木彫細部を見る前に整理しておきたい。
ひとつは18世紀後半に木工事から木彫工事が独立したということ。この事象は兵庫県但馬地方でも見た。おそらく全国的な動きだったのだろう。なぜこうした事象が起こったのかは不明。おそらく材木流通と請負制度の変化が関係している。
もうひとつは木彫の名手は諏訪立川流だけではなかったこと。それまで長野県全域でさかんに木彫が行われており大隅流を名乗っていたそうだ。そのなかから諏訪立川流は幕府小普請組系の立川流を名乗って頭目を表したとみるべきだろう。春宮担当の柴宮は大隅流の名手として知られていたそうだ。秋宮拝殿
春宮拝殿
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