永保寺庭園は月の庭だった(7)
ランマが水なら扉の飾り格子は月かもしれない。観音堂の別名・水月場にちなんだのだろう。飾り格子は真円なので、それが月なら満月だ。満月の月光が水に反射して観音堂の天井を照らす。だから観音堂の天井は板張りなのだろう。
これは臥竜山荘(愛媛県)の不老庵と同じ月光反射装置なのではないか。不老庵は肱川に迫り出した崖造りの茶室だ。仲秋の名月のころ町の人は河原に集まって「いもたき」をするという。サトイモを大鍋で煮るようだ。丸くて白いサトイモは金気の象徴なのだろう。それを食すことで金気を克し木気を援ける呪術と思われる。
肱川は渓谷なので月のでは遅い。いもたきしているとようやく山端から満月が昇り渓谷は月光に包まれる。不老庵は肱川に反射した月光で天井を照らす工夫がされている。天井はかまぼこ型となってる。これは凹型反射板の形だ。天井を照らした月光をは床の間へ集める仕組みである。おそらく月見の夜の床の間には木気を象徴するようなものが依り代として置かれたことであろう。
水面に反射した光は水気を帯びると考えられたのではないか。水気を帯びた光で木気を照らすことで木気を盛んにするという意味だろう。木気を盛んにして不老を得るというのが不老庵の意味だと考えられる。それと同じことが永保寺観音堂でも行われていたと推測できる。
元来、長瀬山には月待信仰をこととする巫女集団があったのだろう。梵音巌は彼女らが祀る子安神の磐座だったのだ。夢窓はその信仰をベースとして永保寺庭園を作庭した。作庭を通して子安信仰を禅宗風にとらえ直したわけだ。ここでは夢窓によって聖地の上書きが行われたのであろう。
2023.04.28、岐阜県多治見市、永保寺庭園「観音堂(水月場)」
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