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2023年4月

2023年4月30日 (日)

永保寺庭園は月の庭だった(7)

ランマが水なら扉の飾り格子は月かもしれない。観音堂の別名・水月場にちなんだのだろう。飾り格子は真円なので、それが月なら満月だ。満月の月光が水に反射して観音堂の天井を照らす。だから観音堂の天井は板張りなのだろう。

これは臥竜山荘(愛媛県)の不老庵と同じ月光反射装置なのではないか。不老庵は肱川に迫り出した崖造りの茶室だ。仲秋の名月のころ町の人は河原に集まって「いもたき」をするという。サトイモを大鍋で煮るようだ。丸くて白いサトイモは金気の象徴なのだろう。それを食すことで金気を克し木気を援ける呪術と思われる。

肱川は渓谷なので月のでは遅い。いもたきしているとようやく山端から満月が昇り渓谷は月光に包まれる。不老庵は肱川に反射した月光で天井を照らす工夫がされている。天井はかまぼこ型となってる。これは凹型反射板の形だ。天井を照らした月光をは床の間へ集める仕組みである。おそらく月見の夜の床の間には木気を象徴するようなものが依り代として置かれたことであろう。

水面に反射した光は水気を帯びると考えられたのではないか。水気を帯びた光で木気を照らすことで木気を盛んにするという意味だろう。木気を盛んにして不老を得るというのが不老庵の意味だと考えられる。それと同じことが永保寺観音堂でも行われていたと推測できる。

元来、長瀬山には月待信仰をこととする巫女集団があったのだろう。梵音巌は彼女らが祀る子安神の磐座だったのだ。夢窓はその信仰をベースとして永保寺庭園を作庭した。作庭を通して子安信仰を禅宗風にとらえ直したわけだ。ここでは夢窓によって聖地の上書きが行われたのであろう。

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2023.04.28、岐阜県多治見市、永保寺庭園「観音堂(水月場)」
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2023年4月29日 (土)

永保寺庭園は月の庭だった(6)

手前が亀島で奥が鶴島と言われている。まったいらな鶴亀島は珍しい。文化遺産オンラインで「石組や護岸などの作庭細部の技法には見るべきものはない」とけなされる所以である。わたしは石組みが無いことを非難するのは当たらないと思う。まったいらなのは島の上に祠があったからであろう。

さて、橋上から亀島がまじかに見える。水中に亀の手足があるのが見える。鶴島には脇に三角石が浮かんでいる。三角形は火気を象徴する。鶴島は朱雀、亀島は玄武でもある。朱雀は火気、玄武は水気だ。したがって火気たる鶴島が鶴島であることを示すために三角石を備えることが多い。

かようにふたつの島が鶴島亀島であることは間違いない。鶴島亀島は蓬莱島の左右に置く。左右に置くことで蓬莱島の陰陽が正しく調整されていることをしますのだ。ここの場合、ふたつの島にはさまれた梵音巌が蓬莱島なのだろう。

おかしいのは鶴島亀島の位置が逆であることだ。通常なら陽気の領域である東側に鶴島、陰気の領域である西側に亀島を置く。陰陽正しく配置することで蓬莱島の気を調えるのである。狛犬の陰陽配置と同じことだ。ところがここでは陽気である東側に亀島、陰気である西側に鶴島がある。なぜか。

結論から言えば、陰陽をわざと逆にするのは陰陽混合を強調するときだ。陽気側の陰気は陰気側へ戻ろうとする。同様に陰気側の陽気も陽気側へ戻ろうとする。東西のものが引き合うように出会い中央で渦を巻いて混じりあう。陰陽混合は子宝を祈願するときに使われる呪術である。

陰陽混合の事例をいくつか挙げておく。

1 京都鞍馬の由岐神社の狛犬
狛犬が左右逆である。由紀神社は木気の聖地であることは以前に述べた。ここが子安の霊地であることは公式HPにある。

由紀神社拝殿の謎(4) http://www.tukitanu.net/2019/06/post-5adff9.html

2 出雲大社八足門のウサギ
門の上のウサギが左右逆である。ここが縁結びの霊地であることは知られている。

不思議の国の出雲03、出雲大社のウサギ http://tanuki.la.coocan.jp/strangeworld/2008-15.html

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2023.04.28、岐阜県多治見市、永保寺庭園「亀島」と「鶴島」
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亀島
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鶴島

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2023年4月28日 (金)

永保寺庭園は月の庭だった(5)

ウイッキに夢窓が聖観音と出会う話が紹介されている。「虎渓山略縁起一人案内」(1806)にあるという。

夢窓国師は友人の御家人・土岐頼貞の父親の33回忌を行うために多治見を土岐を訪れていた。隠棲生活を送るための場所を頼貞の領内で探していた。長瀬山の近くで道に迷い白馬に乗った女人と出会った。道を尋ねたところ答えない。そこで夢窓は和歌を詠んだ。

空蝉(うつせみ)のもぬけのからか事問えど山路をだにも教えざりけり
(ものを尋ねてもセミのぬけがらのように山道さえも教えてくれない)

空蝉は現(うつつ)の身とをかけている。すると黙っていた女人が返歌した。

教ゆとも誠の道はよもゆかじ我をみてだに迷うその身は
(我が誰であるかさえ見分けのつかないようなら本当の道を教えても迷うであろう。 )

そして女人は忽然と消え近くの補陀岩に1寸8分の小さな仏像がかかっていた。夢窓はそれを本尊として補陀岩の横に観音堂を建てた。

この縁起がいつ作られたものか分からないが、いくつか重要な情報が含まれているので永保寺ができた当初のものである可能性は高いと思う。

重要な情報とは次のとおり。

1 聖観音の本地としてのククリ姫
白馬に乗った女人とはだれか。これは聖観音を本地とする神であろう。白山の女神・ククリ姫は聖観音を本地とするから白馬に乗った女人とはククリ姫のことであろう。土岐や多治見など美濃一帯は白山信仰がさかんだ。観音堂が白山信仰を背景としていることを示す説話と考えられる。

2 補陀岩という名称
補陀岩とはいまの梵音巌であろうが、なぜ補陀岩というのか。補陀は補陀落山の略称だ。補陀落山は観音が治める聖地である。観音が出てきた岩だから補陀岩というわけだ。おそらく長瀬山全体が岩山で、そこは観音の治める聖地だったのだろう。

3 胎内仏
現在のご本尊には胎内仏が納められている。それが夢窓が岩で得た仏像なのだろう。永保寺公式HPによれば胎内に仏があることから孕み観音と呼ばれ子宝・安産に利益があるという。結婚祈願も子安信仰の重要な一部である。

1寸8分という寸法は京都六角堂のご本尊と同じである。1は水気を8は木気を象徴する。したがって18は水生木の相生の関係を示す。六角堂の供える仏花として始まった華道・未生流も水の上に植物を立てるものだから水生木を表すのだろう。そして六角堂の如意輪観音には縁結びの利益が備わっている。18という数字はやはり子安に結びついていると考えてよいだろう。

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2023.04.28、岐阜県多治見市、永保寺庭園「梵音巌」と「観音堂」

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2023年4月27日 (木)

永保寺庭園は月の庭だった(4)

檜皮葺きの優しいお姿のお堂である。前面に回廊があるのは、そこから月を眺めるためであろう。観音堂には「水月場(すいげつじょう)」という名がある。やはり「月」が関係している。しかもご丁寧にも「水」が添えられている。

軒先が見たことがないほど反り返っている。総じて禅宗様は軒が反るが円覚寺舎利殿もかほど反らないだろう。なぜこれほど反っているのか。謎である。

ご本尊が聖観音である。説明版にあるように岩窟状の厨子に納められている。岩窟状の厨子とはたいそう珍しい形式である。これは聖観音が梵音巌から生まれたことを示すのだろう。

回廊に面した建具の飾り格子が美しくて見とれる。波型のランマは湯屋に使われることが多い。波型は「水」を表すのだろうと思っている。扉の斜め格子に円形を重ねた格子は他所で見たことがない。

五行説に従えば円は金気を示す。ご本尊が金気であることを示すのかもしれない。観音は木気であることが多いのだが、ここでは金気の大岩から生まれたので聖観音も金気なのかも知れない。

朝のお勤めの時間だったようで若いお坊様が扉を開けてくださった。ひとしきりお経を唱える間、ご本尊を拝することができたのは幸運だった。ありがたし。

夢窓国師と聖観音の関係を示すエピソードが残っている。そのご紹介は次回に。

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2023.04.23、岐阜県多治見市、永保寺庭園「観音堂」

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2023年4月26日 (水)

永保寺庭園は月の庭だった(3)

大岩には「梵音巌(ぼんのんがん)」という名がつけられている。梵音とは梵天の声という意味だそうだ。そこにひとすじの滝があり、その水音が梵音というわけなのだろう。

滝は岩の上まで水を引いて流している。これは金生水の相乗の関係を示そうとしたと考えてよい。岩上に六角堂があることが傍証となる。なぜなら6は水気を象徴する数字だからだ。六角堂には地蔵が納められているという。それは石地蔵なのだろう。石は金気なので金生水の関係を表現する。

梵天は聖観音の脇侍であるが、この永保寺庭園にも聖観音が祀られているのだ。それが観音堂である。これがまた見たこともないような特異な形式のお堂だった。その紹介は次回に。

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2023.04.23、岐阜県多治見市、永保寺庭園「梵音巌」

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2023年4月25日 (火)

永保寺庭園は月の庭だった(2)

無際橋は弓なりの太鼓橋の頂上に檜皮葺きの切妻屋根をかけた東屋を載せたもので、東屋にはベンチがしつらえられている。遠目に見ても近くで見てもかっこよい。これほど美しい橋があったとは……。ここまで来たかいがあったというものだ。

さて、これはどう見ても月見台だろう。京都の高台寺にある観月台とよく似ている。この橋は観音堂の参道として説明されるだけで、なぜ橋の中央に屋根付き休憩所があるのか説明がない。これは見たまますなおに月見台としておけば、この庭園のテーマが見えてくる。

月待ち信仰は、埼玉県浦和の調(つき)神社にあることは以前書いた。関東には女性が月に安産祈願をする信仰があったらしい。ここにもそれに近い子安(こやす)の信仰があったのではないか。子安とは安産と子の成長を願う信仰をいう。月見台は子安もしくは女体保護を祈るための装置であろうと思われる。

月待ち信仰とウサギ http://tanuki.la.coocan.jp/strangeworld/2009-12.html

子安神は大岩に宿ることがある。出産は五行でいえば木気だが、木気を発動させるためには十分な水気が必要となる。その水気を生み出すのが大岩のような金気なのだ。子安信仰は金気が水気を生む「金生水(きんじょうすい)」、水気が木気を生む「水生木(すいしょうもく)」のふたつの相生(そうじょう)関係のコンボで形成されることが多い。そしてこの庭には水を生む大岩があった。それは次回にご紹介しよう。

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2023.04.23、岐阜県多治見市、永保寺庭園「無際橋」
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2019.07.30、京都市、高台寺「観月台」

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2023年4月24日 (月)

永保寺庭園は月の庭だった

岐阜県多治見市の永保寺(えいほうじ)庭園を拝見した。考えたことをメモしておく。

永保寺庭園は夢窓国師の作庭とされる。作庭時期は庭内の観音堂創建と同じ1314年とされている。ただし現在の観音堂は様式的には南北朝時代なのだそうだ。

しかし、夢窓国師が土岐氏に招かれて1313年にこの地に至り庵を結び観音堂と庭園を作ったことは確からしい。それは現在の姿とさほど違わないだろうと言われている。建物は入れ替わっているが作庭のテーマは受け継がれているわけだ。

では、この庭は何をテーマとしているのか。それを解くためにはまずこの特異な形をした橋をよく観察したい。それは次回に。

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2023.04.23、岐阜県多治見市、永保寺庭園「無際橋」

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2023年4月21日 (金)

モザイク文字を見つけた

モザイク文字はドット絵のようにかくかくしておもしろい。「東」の裾の部分は微妙に巾を変えて自然に見えるよう工夫している。枠の青タイルの発色がきれいでみとれてしまう。その内側にひも飾り状のボーダータイルを仕込んでいるあたり芸が細かい。

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2022.04.18、京都市五条坂

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2023年4月20日 (木)

無量寿堂は隠れた名建築だと思う

大谷本廟の無量寿堂は名建築だと思う。中庭を挟んで納骨堂と礼拝堂とが向かい合う。周囲の喧騒と隔絶された静かな祈りの場がここにある。吉田勇設計、清水建設施工、 1968年竣工。

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2023.04.18、大谷本廟無量寿堂

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2023年4月19日 (水)

心斎橋筋で木造アーケードの古い路地を見つけた

心斎橋筋を歩いていて見慣れない路地を見つけた。木造アーケードがかかっている。見たところ1950年代の感じ。途中で分岐するが突き当りになっていた。

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2023.03.08、大阪市中央区心斎橋

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2023年4月18日 (火)

京セラ美術館の吹き抜けで振り返って写真を撮ること

ツイッターで正面階段の踊り場から振り返って撮った写真が流れてきて「おお!」と思ったので自分も撮ってみた。自分で撮ってみて「おお!」となっている。

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2023.03.26、京都市京セラ美術館

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2023年4月17日 (月)

ダイヤ形色付き型ガラスを見つけた

西本願寺前の仏具屋さんのランマに緑色の型ガラスを見つけた。ステンドグラスに使うような型ガラスを町家で見るのは珍しいと思う。とてもきれいだ。

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2023.04.16、京都市下京区

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2023年4月16日 (日)

旧山口家住宅のまっすぐな梁組み

大きな土間にまっすぐな梁が並んで迫力がある。まるで桃山期の城郭建築のようだと思ったら、ここは江戸時代初期の建物だそうだ。このまっすぐな梁も城作りに使うような当時の規格材なのだろう。束柱やそれをつなぐ貫材の表面がチョウナ掛け仕上げなので手彫りの跡が残っていて味わい深い。

建築研究 まっすぐな梁 http://www.tukitanu.net/2021/10/post-ff4f2c.html

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2023.03.31、大阪府堺市、旧山口家住宅

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2023年4月15日 (土)

人力車の記念碑がある

明治8年に大阪で人力車を作った和佐清吉を記念する石碑がある。コリント式オーダーを3本束ねているのがかっこいいじゃないか。天王寺区の一心寺境内に立つ。ここから坂を下ったあたりに工場があったらしい。明治35年建立。設計者不詳。

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2023.03.31、大阪市天王寺区

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2023年4月14日 (金)

西陣カトリック教会のアーチがテラゾーだった

石だと思い込んでいたが、よく見るとテラゾー(人造石研ぎ出し)だった。「人造石研ぎ出し仕上げ」とは大理石のかけらを混ぜたセメントをコテで塗って、固まったら表面を研ぎ出し器で磨き上げる仕上げだ。大理石のかけらが良い色を出して石のように見えるので人造石とか人研ぎなどという。工場で作って現場で組み立てることが多いが、このアーチは目地が見えないので現場研ぎかもしれない。から草に囲まれた十字架のレリーフなど見事な出来栄えでほれぼれする。

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2023.04.08、京都市上京区

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2023年4月13日 (木)

堺の山口家住宅で見つけた白タイル

きれいに貫入(ひびわれ)が入っている。大正から昭和初期のタイルだろう。角ばったボーダータイルもかっこいい。

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2023.03.31、大阪府堺市

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2023年4月12日 (水)

石製の押し板は珍しいのか

吉田理容所のドアの押し板が石製だった。今まで気づかなかった。石の押し板はこれまで見た覚えがない。珍しいと思う。ただ、この石そのものは見たことがある。名前は知らない。

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2023.04.09、大阪市中央区

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2023年4月11日 (火)

さくらをかいた 2

右は実演で描いたもの。着彩まで15分くらい。左は房になっているところを観察して描いた。花びらの付け根が赤くなっている。描くと花の形や色がよく分かる。こどものころのアサガオの観察日記を思い出した。

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2023.04.01/京都市岡崎公園


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2023年4月 9日 (日)

さくらをかいた

ブランジール社のデザイン鉛筆4Bで線描きした。カステルのような粘っこさのある鉛筆だ。ペンと違って線に濃淡が出しやすいのがおもしろい。時間がなかったので幹は着彩せずに白抜きにした。そのほうがおもしろくなった。2枚目はいつものペンで描いたもの。絵がかたい。

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2023.04.01/ワトソン紙はがきサイズ、ブランジール社デザイン鉛筆4B、固形透明水彩/京都市岡崎公園
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2023.04.01/ワトソン紙はがきサイズ、グラフィックペン0.3、固形透明水彩/京都市岡崎公園

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2023年4月 8日 (土)

旧堺湊郵便局の面格子

愛らしい面格子があった。帯鉄を上手に加工している。タテのバーは途中で90度ひねって飾りを取り付けやすくしている。よくできている。こうした面格子なら今でも作れるだろう、というか作ってみたい。

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2023.03.31、旧堺湊郵便局
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2023年4月 7日 (金)

旧堺湊郵便局の郵便マーク窓

入口の両脇に郵便マークを表現した窓があった。シャレが利いていて楽しい。こうした遊び心があると建物との距離が縮まる。郵便マーク窓は旧京都嵯峨郵便局(T10)にもあった。大正時代の郵便局建築で流行ったのかもしれない。このことからも旧堺湊郵便局は大正時代のものにわたしには見える。

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2023.03.31、旧堺湊郵便局
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2019.12.22、旧京都嵯峨郵便局(大正10年)

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2023年4月 6日 (木)

旧堺湊郵便局のひさし飾り

軒飾りの細工が見事だ。これほど当初の姿が残っているのも珍しい。よくメンテナンスされていたのだろう。見た感じ大正7-8年といったところだが「大阪府の近代化遺産」(2007)には昭和8年とある。調べ直したほうがよくないか。

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2023.03.31、旧堺湊郵便局

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2023年4月 5日 (水)

鶴橋駅の白タイルは古いのか

JR環状線鶴橋駅の柱に貼られている。初期の大量生産品で色がベージュがかっていて温かみがある。コーナーの役物や一番上のボーダータイルもシンプルで美しい。先日ご紹介した阪急中津駅の白タイル(1926年)とよく似ている。この高架駅は1932年開業だそうだから、そのころのものかもしれないが、戦後のもののようにも見える。

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2023.03.31、大阪市

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2023年4月 4日 (火)

保存された昔の駅名書きを見てきた

2015年の改修時に古い駅名書きが出てきた。ニュースを聴いてぜひ遺してほしいと願っていたところ本当に遺してくださった。とてもうれしい。板壁に直接書いている。手書きの趣きが深くて思った以上によかった。

説明書きをよく読んだところ右書きの駅名を左書きに書き直した跡がうっすら見えるという。つまり駅名は駅開業の昭和7年よりも新しいというわけだ。写真を見直すと確かに残っている。現場で気づかなかったのがくやしい。

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2023.03.31、大阪市天王寺区

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2023年4月 3日 (月)

兵庫県庁のタイル

見たことのない模様が表面についていた。型押しなのか、それともスクラッチタイルのようなひっかきなのか。表面の凹凸に影が落ちて柔らかくて暖かい質感に仕上がっている。さらに、焼きムラによる色違いが表情に深みを加えている。県内の焼き物なのだろうか。すばらしい。

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2023.03.21、兵庫県庁

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2023年4月 2日 (日)

曽根崎公西市場は残っている

曽根崎市場再開発の波に呑まれたと思っていたが公西市場は残っていた。コンクリート製のモダンな上屋があいかわらずかっこいい。石敷きの床もなにげによい。このまま使い続けてほしい。

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2023.04.01、大阪市北区

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2023年4月 1日 (土)

千代田ビル別館あえなく解体

写真を撮りにいったら解体中だった。評価される前に消えていく。おもしろいビルだったのに惜しい。1971年竣工、1975年増築、2023年解体。

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2023.03.31、大阪市北区
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2022.11.10、大阪市北区

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永保寺庭園は月の庭だった(8)

永保寺庭園の梵音巌は千体仏で覆われている。祈願するものが石地蔵を持ち帰り、願いがかなうともう一体加えて返すという。観音堂のご本尊が孕み観音なのだから祈願というのはおもに安産祈願であろう。安産祈願のために何かを持ち帰り、願いがかなうと倍にして返すというのは北野天満宮の東向観音寺と同じだ。ご本尊は十一面観音で、持ち帰るものはマンジュウ喰いの土人形である。

こう考えてくると観音堂の聖観音は木気なのではないかと思われてくる。ただし岩窟のなかにいる限り木気は金気に克されてしまうだろう。でも、岩窟を金気だと固定的に考えないほうがよいのかもしれない。梵音巌は補陀落山なのだから観音の浄土、つまり木気の領域であるのは間違いない。観音堂の聖観音は六角堂の如意輪観音や清水寺の十一面観音と同じく木気の観音なのだろう。木気は生命誕生の象徴だ。だから聖観音は胎内に小仏を宿し、孕み観音と呼ばれたのである。

ククリ姫は白馬に乗った女人として奈良時代の泰澄の前に現れ白山を開くよう指図したという。白馬に乗った女神というところで夢窓は、それはククリ姫だと気づくべきであった。おそらくそれは公案なのだろう。公案とは禅問答のことだ。その公案は白馬に乗った女神に道を問う、というようなところか。あきれてものも言えない、というのが夢窓の答えである。

ククリ姫を祀る白山の白山比咩神社のご利益はやはり安産だそうだ。やはり永保寺庭園はククリ姫を祀る子安の霊地であったのだろう。夢窓の作庭はその信仰を下敷きとしている。

わたしが永保寺を訪れた目的は、今は原型の失われた京都桂の西芳寺(苔寺)庭園の元の姿を知りたかったからだ。西芳寺庭園も永保寺庭園と同じ考えのもとに作庭されたのではないか。西芳寺庭園には観音堂があり、そこへ渡る橋がかけられていたという。永保寺庭園と同じである。

夢窓を招いた摂津親秀は松尾大社宮司の家柄であったという。西芳寺と桂川との中間に松尾大社の摂社・月読み
神社がある。やはり桂にも月待をこととした巫女集団があったのだろう。夢窓は永保寺でしたと同様に桂の地でも子安の霊地を浄土庭園として整備したのではないか。聖地の上書きがここでも行われた可能性がある。

足利義政は希代のマザコンであった。西芳寺庭園に感動した義政はそれを母親に見せるために同じかたちの庭園を高倉御所に作ったという。西芳寺庭園には女人が入れなかったのだろうか。義政は自身で泥にまみれて作庭するほどの作庭マニアだったが、西芳寺の再現を行うときには一草一木まで同じかたちにするようこだわったとある。常軌を逸していよう。それほど母親を愛していたのだ。子安の霊地は女体保護の利益もある。義政の作庭は母親の不老を願ったものと思われる。義政は夢窓の作庭理念を一番よく理解していたのかもしれない。

高倉御所の観音堂は移築されて銀閣寺庭園の観音堂、つまり銀閣となったという説がある。銀閣寺修理にたずさわった建築史家の論文にそうあったように記憶しているが書庫が荒れていて探す気が起きない。見つかればご報告するとしてわたしも同意見だ。なぜなら銀閣寺庭園も有名な月の庭だからだ。

今回の永保寺訪問はわたしにとって格別の収穫があった。何気に書いているようだが、なぜか風水は造園史や建築史では無視されている。この文章もそれなりの証拠を示して述べてきたつもりだ。風水思想は明治維新で迷信として否定され、太平洋戦争敗戦により封建的と否定された。二重に否定された風水思想だが、もうそろそろ解禁されてよいのではないか。風水が当たり前だった時代の作庭や建築を語るときに風水をさけては通れまい。これからも作庭の風水読み解きを続けていきたい。乞うご期待!である。

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2023.04.28、岐阜県多治見市、永保寺庭園

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