2023年3月
2023年3月31日 (金)
2023年3月30日 (木)
2023年3月29日 (水)
2023年3月28日 (火)
2023年3月27日 (月)
2023年3月26日 (日)
2023年3月25日 (土)
このタイルはいつのものか?
地下カフェの床タイル。これは古いぞ! パーティの始まる前からテンションあがるね。さてこれはいつの時代か? ヒントはふたつ。黄色いタイルが2種類あること。白いタイルに黒の粒が入っていること。
黄色いタイルが2種類あるのは、施工時期が違うのだろう。よく見ると大きさも違う。地下カフェは間仕切り壁を撤去して2室を1室に改造している。写真は2室をつなぐ扉の跡だ。わたしの推理では、後から2室をつなぐ扉を設けたときに明るい色のほうを足したと思う。暗い色のほうが古い。
ならば古いほうは公会堂竣工時である大正7年かと言えばそうとも言えない。なぜなら白いタイルがバリ土タイルだからだ。なかに入っている黒い粒は粘土の攪拌度合を調整して作る。撹拌機が普及してからのタイルなので昭和初期だと思う。
そういえば、この地下には今と違うホテル直営のレストランが入っていた。レストランが入ったのが昭和初期だったのかもしれない。手許に資料がないので推理はここまで。
2023.03.22、大阪、中央公会堂
2023年3月24日 (金)
2023年3月23日 (木)
2023年3月22日 (水)
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2023年3月10日 (金)
2023年3月 9日 (木)
東金堂の整数比分割について(3)
山水蒙とはなにか。易では山と水とが揃うと蒙という答えが出る。蒙は愚かなというほど意味で決してよい漢字ではない。しかし易経は蒙について次のように説明する。
蒙は亨(とお)る。我より童蒙に求むるにあらず。童蒙より我に求む。初筮(しょぜい)には告ぐ。再三すれば瀆(けが)る。瀆るれば告げず。貞(ただ)しきに利(よ)ろし。
蒙は亨るとある。亨るとは願いがかなうという意味だ。易は64通りの答えが用意されているが、そのうち39通りは亨る。蒙はその39通りのうちのひとつなのでさほど悪い卦ではない。
その次の「我」とは易経を編纂した孔子のこととされる。「我より童蒙に求むるにあらず」とは孔子が愚かなこどもを教えるのではないという意味。「童蒙より我に求む」とはおろかなこどものほうから孔子に問いかけるいう意味。最良の教育は先生が弟子を教えるのではなく、弟子が自発的に先生に尋ねるかたちがよいというイメージを示している。
「初筮には告ぐ。再三すれば瀆る」とは、占いは1回きりのもので何度も尋ねるものではない。それは神を冒涜することになる。そして何度も聞けば神は答えなくなるという。蒙が亨るとは、幼児の純真さをもって祈れば神はそれに応えるという意味にもとれる。その祈りとは聖武帝が母とも慕う元正上皇の病気平癒だというわけである。
とりあえずその解釈で間違いとは言えないが多分にこじつけの感が残る。いまのところ五行説にしたがって水を示すというのは説明がつくが、それと山を組み合わせるというのはピンとこない。病気平癒の願いをかけるのに山水蒙は不適切であろう。
しかしながら、ひとつ気になるのは山水蒙が興福寺の地形と対応することだ。山水蒙とは山の下に泉があって朦朧とした水蒸気が立ちのぼるイメージである。なかなかに幽玄の趣きがある。実はそれは興福寺の立地そのものだ。興福寺は段丘上にあるが、がけ下に猿沢の池がある。池水は春日山から流れ落ちる卒河(そつかわ)をせき止めたものだが、上に山、下に水という形となる。つまり蒙とは興福寺の立地そのもの示す。
泉は神泉なのだろう。その水は薬師が左手にかかげる細首の容器に入った薬水なのだろう。薬師堂が水を示すのならば、その水が育むものは薬師如来であると同時に病床の元正上皇の命なのではなかったか。
2023年3月 8日 (水)
東金堂の整数比分割について(2)
東金堂の整数比を易で読むとどうなるか。
まず水平方向だが、中央の扉のある部分とその左右とで3分割されている。
扉のある3間は仏像を安置する場所なので陰陽で言えば陽気だろう。そうすれば残りの左右は仏座でないので陰気となる。つまり陰-陽-陰とつらなる。これを易で読めば「水」となる。
東金堂は聖武天皇が先代の元正上皇の病気平癒を祈って建てた薬師堂だ。堂内に祀られていたのは薬師三尊だった。薬師は東方瑠璃浄土に現れる如来だ。方角は東方であり、東方は木気の領域である。水気は木気を育てる。したがって東金堂が「水」を示すとすれば木器である薬師に供える水気としてふさわしい。
垂直方向は、上の3分の1が垂れ壁で陽気、下の3分の2が回廊部分で空洞なので陰気、したがって下から陰-陰-陽となる。これを易で読むと「山」となる。山は土気なので土気の作用(土用)が働く。土気は他の4つの気を活性化さえる触媒の働きをする。この場合は、水平方向の示す「水気」を活性化させて木気を育てようとする願いだろう。
さて、分からないことがひとつある。「山」と「水」とが揃ったので「山水蒙」という卦が成り立つ。この意味が分からない。
長くなったので、その検討は次回に。
2023年3月 7日 (火)
東金堂の整数比分割について
2023.03.05、奈良市、興福寺東金堂
興福寺の東金堂はちょっと不思議なお堂だ。まず背が高いので迫力がある。加えて軒下にピンのように挿しこまれた尾垂木が髪飾りの笄(こうがい)のようで華やかだ。優美でありながら風格がある。夜会に遅れて登場した美しい貴婦人のようだ。脇堂でありながら金堂よりも目立っている。新築の金堂も東金堂にならえばよかったのに。
さて、東金堂の比率を考えてみたのでメモしておく。きれいな整数比になっているのは偶然ではなかろう。
1.まず屋根の幅の3分の2がお堂になっている。
2.さらに中央の扉の部分は屋根の幅のほぼ3分の1である。
3.軒の高さは中央の扉の部分の幅の3分の2である。
4.回廊の高さは軒の高さの3分の2である。
なぜ3分割ばかりなのか。これは易経に基づいていると考えるのがよかろう。易は天地人の3つの陰陽で構成されているからだ。
では、どこが易で読めるのか。それは次回に。
2023年3月 6日 (月)
2023年3月 5日 (日)
2023年3月 4日 (土)
2023年3月 3日 (金)
2023年3月 2日 (木)
2023年3月 1日 (水)
30年前の町が残っている
旭区を歩いて気づいたことがあるのでメモしておく。
1 商店街の活気
古い用品店や荒物屋がいまも営業している。店主も客筋も高齢者が多いがまだ活気が残っている。これは無人化の進む大正区とは対照的だ。旭区は大正区よりも30年遅れで過疎化が進んでいる。つまり30年前の風景が残っている。
2 大宮八幡宮の玉垣
玉垣に書かれた企業は鉄工所や製紙場などさまざまな業種の中小企業が名を連ねる。玉垣を新しくしたときの氏子エリアに存在した企業一覧が作れるだろう。旭区は中小企業の工員町だったのだ。
3 残った人々
町工場の多くはもう操業していないかも知れない。操業をやめたとき若い工員は転職しただろう。年金生活のできる熟練工はそのまま町に残っただろう。いま大宮の商店街を歩いている70~80代の高齢者はそうした人々ではなかろうか。そうだとすれば町工場が閉鎖されたのは10ねんから20年ほど前だといえよう。
4 想定される年表
旭区 | 大正区 | |
1960年代 |
開発が進み多数の町工場が操業する。 |
高度成長期に入り、戦前に創業していた大手メーカーと下請けの町工場が再稼働する。 |
1970年代 | 中小企業は海外移転もできず経営難に陥る。 | オイルショックを契機に大手のメーカーは生産基盤を海外へ移した。 大手の下請けをしていた町工場の閉鎖が続く。 これは経営者の高齢化が原因のひとつかもしれない。 若年工員が転職し町には年金生活者が残る。 |
2000年代 | 工場主の多くが70才を超える。 |
年金生活者が減り街の無人化が進む。 借家街が崩壊し商店街が役目を終える。 長屋がマンションに建て替わる。 |
2020年代 | 元行員の年金生活者の高齢化が進む。 借家街の無人化が進み、長屋がマンションに建て替わる。 |
転入するマンション住民が増え始める。 |
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