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富士ラビットのディテール(6)
最後にプロペラの謎についてメモしておきたい。これは本当に自動車のラジエーターファンなのだろうか。
辻野さんがおもしろいことを教えてくれた。フォードは20年代後半に飛行機を販売したのでブロンズレリーフのプロペラは飛行機を示すという。ネット検索するとたしかにフォードは1925年に航空機メーカーのスタウト航空機を買収し1926年から量産型の小型機「トライモーター」を発売している。フォードは自動車だけでなく飛行機も供給して世界の産業構造を変えようとしたようだ。
ところが富士ラビットは1923年ころの竣工なのでトライモーター構想はまだ存在しない。なのでレリーフのプロペラはトライモーターとは関係がない。富士ラビットの前身の中島飛行機を引き合いに出す説もあるが、富士ラビットがここを買ったのは戦後のことだからこれも関係がない。
実はフォードが買収したリンカーンは飛行機メーカーとして創業しアメリカの軍用機を作っていた。第1次大戦後に自動車メーカーに衣替えしたという。リンカーン買収の目的は高級車ブランドを手に入れたかっただけではなく飛行機づくりのノウハウも欲しかったのではないか。もしそうならば富士ラビット竣工の1923年ころには、近い将来にフォードが飛行機も作ることが言われていたのかも知れない。
自動車のみならず飛行機まで作るという近未来的なイメージの宣伝をフォードが1923年ころに行っていたとすればレリーフのプロペラは飛行機のものと考えてよさそうだ。そうすればなぜアポロンのかたわらにヘルメスを描き添えたのかが分かる。ギリシャ神話でふたりは空を飛ぶ神の代表格だからだ。ヘルメスは富の象徴としてではなくアポロン同様に空飛ぶ神として登場したと考えるほうが自然だろう。
さて、ここで終わってもよいのだが、わたしにはまだ解けない謎がふたつある。富士ラビットの竣工年と坂根一郎の建築事務所開業年だ。
竣工年が1923年ころと分かったのは1999年度から2002年度にかけて行われた京都市近代化遺産調査のときである。それまでは1925年ころと言われていたのがこのとき改められた。
決め手となったのは固定資産税の課税資料だったと報告書にある。固定資産税は戦後にできた税制なので課税資料は固定資産税の前身のひとつである家屋税の資料だろう。家屋税は建物の種類、構造、面積によって課税する仕組みなので、その資料に鉄筋コンクリート3階建てとあれば間違いない。その資料がどんなものか知らないので何ともいえない。
課税資料の発見と同時に貴重な証言を得たという。工事中に関東大震災が起こり足場が揺れたというのだ。関東大震災は1923年の9月1日だ。そのとき足場がかかっていたのなら竣工は1923年かおそくとも翌年の1924年だろうと推定したという。だから1923年「ころ」と竣工年に幅ができた。逆に言えば課税資料には鉄筋コンクリート3階建てと明記してあったが何年の課税資料なのかはわからなかったのだろう。
はたして関東大震災の揺れで京都の足場が揺れるだろうか。ウイッキによればそのときの京都の震度は2である。揺れないことはないけれど語り継がれるほどのものではなかろう。わたしは足場が揺れたのは1925年5月23日の北但馬地震ではなかったかと思う。このとき京都市中京区の震度は4だ。証言がこのふたつの地震を混同しているとすれば竣工年の推定をミスリードしたことになる。
もうひとつの謎は設計者である坂尻一郎の開業年だ。坂尻のことは知られていなかったが2021年に京セラ美術館で開かれた「モダン建築の京都」の図録に略歴が載った。1899年生まれ1975年没だという。1919年に立命館大学法律科入学、京大建築学科の聴講生となり1921年に愛仁建築事務所を開いたとある。おかしくないか。
武田五一が京大に建築学科を開いたのは1920年である。1920年に建築を学びはじめたとして1921年に建築事務所を開業できるだろうか。本当に1921年に開業したのだとすれば京大に来るまえに他校で建築を学んでいたことになる。18才くらいで京都高等工芸学校などに通っていたのなら22才で開業することもできるだろう。でも略歴にはそのような記載はない。
京大建築学科の一期生の大倉三郎は1920年入学1923年卒業。ただちに大阪の宗建築事務所に入り1925年には鉄筋コンクリート造の万年社京都支店(解体)を設計している。坂尻が大倉と同期だったとすれば1925年ころには大倉同様に鉄筋コンクリート建物の設計ができたろう。1925年7月の北但馬地震のときに工事中だったとすれば、これが彼の初仕事だったのではないか。坂尻は1924年に開業してただちに富士ラビットの設計を始め、1925年着工、同年竣工というあたりがありそうな線である。
フォードは1925年にスタウト航空を買収しトライモーター製造に乗り出した。建設中に坂尻はそのことを聞いて感動しただろう。自動車による田園生活と産業の近代化という輝かしい未来像を彼はステンドグラスで表現した。それだけではなく、これからは自由に空を行き来する時代がやってくるというのだ。そこで彼はブロンズレリーフの1枚にプロペラを描き加えた。だからあのプロペラは自動車のラジエーターファンなどではなく世界初の量産型民間機トライモーターのプロペラだったのではないか。いまのところそうわたしは推理している。
2022.12.27、京都市七条通り
2023年1月 7日 (土)
富士ラビットのディテール(5)
右側のショーウインドウのステンドグラスは荷物を運ぶトラックの図だ。おもしろいのはトラックの先に工場が描き込まれていることだ。2棟のかまぼこ屋根の近代的な工場でその間に赤い煙突が煙を吐いている。
かまぼこ屋根の近代工場と言えばペーター・ベーレンスのAEGタービン工場が有名だ。富士ラビットの建築家もAEGタービン工場が好きだったのだろう。
「モダン建築の京都100」に富士ラビットが収録されている。設計した建築家・坂尻一郎の図面が載っている。立面図にこのステンドグラスも描き込まれている。絵柄は今と違うが、田園風景のなかを走る自動車だ。実施設計のさいに施主と相談していまの図案を決めたのだと思う。
同本に戦前の写真がある。建物の側面の壁に大きな英語の看板が描かれている。いわゆるビルボードだ。フォードのマークの右にフォードソン、左にリンカーンとある。フォードソンは1919年から製造販売したトラックのブランド、リンカーンは1922年にフォードが買収した高級車ブランドである。つまりステンドグラスはこの左右のブランドを示していると私には見える。
1923年当時のフォードソンのモデルはT T型というピックアップトラックだった。坂尻はこれを元にデザインしたのだろう。
モデルT T https://www.barrett-jackson.com/Events/Event/Details/1922-FORD-MODEL-TT-TRUCK-178651
左のステンドグラスはドライブを楽しむ田園生活を、右のステンドグラスは自動車の大量輸送による近代産業の興隆をテーマとしている。それはフォード社の理念をよく表している。坂尻一郎はそれを理解したうえで建物をデザインしている。
2022.12.27、京都市七条通り
2023年1月 6日 (金)
富士ラビットのディテール(4)
左側のショーウインドーの上には田園風景を走る車の図柄だ。フォードの輸入代理店らしいモチーフである。フォードは1921年にリンカーンを買収し高級車Lシリーズの販売を始めた。これはLシリーズのリムジンと考えてよかろう。
1921年型リンカーンLシリーズ、リムジン https://www.pinterest.jp/pin/814025701368261040/
2022.12.27、京都市七条通り
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