仁和寺霊宝館と藤井厚二について
片岡の設計した仁和寺霊宝館(1926)で片岡展を見てきた。仁和寺に残っていた図面類を大工大が調査したそうだ。ちなみに大工大は片岡が創立した関西工学専修学校が前身で今年100周年だ。展覧会はその記念事業として開かれた。
霊宝館はコンクリート和風・高床式通風・中庭式採光の3つが特徴だろう。校倉造り風の外観はコンクリートの壁にV字型のプレキャスト板を取り付けることで実現している。これは展示されていた図面でよく分かった。
考えたことがふたつあるのでメモしておく。
ひとつめは構造が日比忠彦(1873-1921)的であること。霊宝館は床・壁・屋根のコンクリートボックスに見える。ボックス構造の初めはライトの帝国ホテル(1923)と言われるが、わたしは日比の藤田美術館収蔵庫(1911)が最初ではないかと思う。日比と武田と片岡は友人どうしだった。3人でよってたかって鉄筋コンクリート造を導入しようとした時代の初期作品として霊宝館は興味深い。
ふたつめは通風と自然採光の工夫が藤井厚二的であること。霊宝館とよく似た収蔵庫に清水組設計施工の豊国神社宝物館(1925)がある。豊国神社宝物館は武田五一の関与もとりざたされている。中庭を使った自然採光の工夫はたしかに武田的だ。
当時、武田が教えていた京大建築学科で設備講座を担当していたのは藤井厚二だった。もし豊国神社宝物館の設計に武田が関与したのであれば、通風や採光などの設備的な工夫は藤井が担当したろう。片岡は武田や藤井の研究を応用して霊宝館の設計を仕上げたのではないか。
藤井は同時期に大覚寺心経殿(1925)を設計している。鉄筋コンクリート造の八角堂だが、高床式であることや校倉造り風の外観が霊宝館とよく似ている。このことも片岡や藤井が情報共有していたことを思わせる。
片岡が大工大の前身である関西工学専修学校を開いたのは1922年だった。日比や武田や藤井も開校に協力したのであれば、卒業生たちが片岡や武田たちのコンクリート建築の導入の仕事を引き継いだといえよう。導入期の作品である霊宝館は100周年記念のテーマとしてふさわしいかろう。
2022.11.17、京都市、仁和寺霊宝館
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