イヨビルディング(1965)
地下鉄本町駅を上がったところにある。ステンレス製の出窓がかっこよい。出窓の角が丸いので滑らかな美しさがある。船場倶楽部のHP(https://sembaclub.com/)によれば設計施工は清水建設、1965年竣工。
2022.10.30、大阪市中央区本町
地下鉄本町駅を上がったところにある。ステンレス製の出窓がかっこよい。出窓の角が丸いので滑らかな美しさがある。船場倶楽部のHP(https://sembaclub.com/)によれば設計施工は清水建設、1965年竣工。
2022.10.30、大阪市中央区本町
これほどきれいだとは思わなかった。五重塔は1934年の室戸台風で倒れ1940年に再建するも1945年の大阪大空襲で焼失した。今度こそ風害にも火災にも負けないものを建てたいと鉄骨鉄筋コンクリート造りで再建された。
伝統的な木造としなかったことを未だに非難する向きもある。わたしは当時の人たちが二度と都市型火災のなか寺宝を抱えて逃げ惑うようなことをしたくないという気持ちを理解するし、その結果鉄骨鉄筋コンクリート造となったことにも歴史的な必然があると思う。
そうは思っても、鉄骨鉄筋コンクリート造りは伝統的な木造よりは一段劣るという偏見にとらわれていた。今回改めて見直してみて、鉄骨鉄筋コンクリート造りには伝統的な木造とは違う美しさがあることに気がついた。鉄骨鉄筋コンクリート造で伝統的な形を復元しようとするひたむきな努力の成果がここにある。
2022.10.23、大阪市、四天王寺
初層が完成したときに楠木正成が戦死したので工事が止まったと説明されるが、それは建築的に考えてあり得ない。実際にはすべての木材の加工が終わってから建てるので初層が完成しているのならば、残りの2層分の建材もできあがっている。しかも塔は最初に中心の心柱を立てるが、建てかけ塔に心柱は残っていない。つまり建てかけ塔は、ほぼ出来上がっていた3層分の建材のうち初層分だけを使って建てたお堂である。なぜ当初の予定とおり三重塔にせずに、わざわざ初層だけ使ってお堂を作ったのか。その謎は風水的に考えるとある程度は解ける。
建てかけ塔は首塚と関係付けられているのは境内を歩けばよく分かる。風水的に考えればこれは正成の再生を祈るかたちだ。もちろん現実的に生き返るわけではない。正成の霊の永続を願うように見える。
首塚のある東は太陽の登る方角なので再生を象徴する。五行で言えば木気に当たる。季節なら春、方角なら東、数字なら3と8で示される。首塚を観心寺の東側に置いたのは再生を願ってのことであろう。
また、初層のみというのは「1」を意識したからだと思う。1は水を象徴する数字だ。水を象徴する数字は1と6だが、1は生まれたての水でまだ水気としての役割を果たせない。ここに土を象徴する5が加えることで水は成長し木気を生み出す力を得る。成長した数字を象徴する数字が6である。
墓はもっとも強い土気だ。正成の首塚ならば最強の土気を発揮するだろう。つまり、建てかけ塔(1)と首塚(5)をセットにすれば水気の(6)を得て木気を育成することができる。
では観心寺の木気とはなにか。これは金堂に祀られる秘仏・如意輪観音であるとわたしは思う。観音は木気であることが多いが、とくに如意輪観音はその傾向が強い。観心寺が医療安全を功徳のひとつに上げるのもご本尊が木気だからだろう。正成の霊気によって強められた水気が木気である如意輪観音を育む。建てかけ塔はそのための風水的装置だったと考えられる。だから1層しかないのである。
ではその再生装置を誰が何のための作ったのか。首塚は足利尊氏が造らせたと観心寺のパンプにあった。それは正成の盟友として彼の菩提を弔うためであったろう。楠木家は観心寺を菩提寺としていたからだ。
それでは建てかけ塔は誰が何のために建てたのか。
もし建てかけ塔が風水装置であるならば、建てたのか後醍醐天皇しか考えられない。正成の霊力を引き出しながら如意輪観音の力を高めその結果再生されるのは、後醍醐天皇の帝王としての身体そのものだろう。そこに南朝の再生と永続への願いが掛けられていることも間違いない。
建てかけ塔の珍妙な姿は建設途上である日本国の姿を表している。ここで反転攻勢し、いずれ2層目3層目を完成させるという決意を読み取ることもできる。後醍醐天皇の南朝方は世にいわれるような悲壮感よりも明るい未来へのまなざしを私は感じる。
大工大梅田キャンパス18階は眺めがよい。よく晴れていたので、いつもなら水蒸気にはばまれて眺めることのできない遠くの山々がよく見えた。比叡山や大峰山が見えることは先にご紹介したとおりだ。
西側には大阪湾が光っている。海面に浮かぶ淡路島もよく見えた。でもよく見ると淡路島にしては山が高い。あわててグーグルマップを起動すると、どうやら石鎚山(1982m)らしい。
比叡山、大峰山、石鎚山と名だたる霊峰が居ながらにして眺められるとは梅田キャンパスは岩倉のようだ。ほかにも見えないか天気の良い日にまた探してみる。
梅田から見える比叡山
http://www.tukitanu.net/2021/07/post-fc9d86.html
梅田から吉野の大峰山が見えた
http://www.tukitanu.net/2021/07/post-b34e06.html
2022.10.06、大阪市北区梅田
大きな鉄骨アーチがクロスしている。ダイナミックで気持ちのよい場所を作りだしている。鉄骨自体はボードで覆われて見えない。
裏から見ると屋根はホーム側(南側)への片流れだった。北側の正面と東西側面には壁が立ち上がっていて屋根を見せないようにしている。ホール内から見上げると天井は東西へ階段状に下がっている。屋根も同様に東西側面へ流れる切妻屋根とするのが自然だ。
聞くところによれば、いずれ路線は北へ延長する計画があったとか。ならばこの鉄骨は阪急三宮駅のような長いカマボコ屋根に化ける予定だったのだろう。ならば東西に流れる切妻屋根がふさわしい。将来を見据えたデザインとなっているわけだ。
ホール内には元の出札窓口が残っていた。天井板の継ぎ目には数珠玉のような飾り棒が使われているのもおもしろい。こうしたディテールは今後も大切にしてほしい。ホール内にトイレなどが増築されて少し狭くなっているが、これはもちろん無いほうがよろしい。元の姿に戻せば大阪を代表する駅舎のひとつとなるだろう。
ホール内の説明書きによれば1956年竣工。
2022.10.01、大阪市、汐見橋駅
プラットフォームを前にして一点パース風に描いてみた。奥へ吸い込まれるような放射状線が一点に集まるのが一点パース。パースには規則があるので、そのとおり描くとスケッチの周辺部分がゆがんでしまう。パース通りなのは中央部だけなのだ。そのことを理解しておれば、ある程度はパース法はスケッチの参考になると思う。
2022.10.01、大阪市、汐見橋駅
今回は1点パースの実演をした。スケッチはパースとは別物だが、描きあぐねたときの参考になると思っている。師匠が言っていたがスケッチは描く者の存在証明なので失敗はない。心を愉しませることが大切だと教わった。わたしもそう思う。できあがったスケッチはどれも個性的で楽しい。
近代建築を描くスケッチお散歩教室 https://culture-house.com/course/61e4c7e8a9defb00291ef6a2
2022.10.01、大阪市浪速区、汐見橋駅
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