2022年9月12日 (月)

鳳凰堂は舞台装置だった

鳳凰堂を建てた藤原頼通は死に際して極楽往生を願うため阿弥陀と自分とを糸でむすんだという。おそらく頼通は池のこちら側に寝かされて糸を握りながら夕闇に沈みゆく鳳凰堂を見たのだろう。日が鳳凰堂の裏側へ没し鳳凰堂は夕映えの朱に染まる。回廊には天女に扮した楽士がならび妙なる楽曲を奏でた。鳳凰堂は阿弥陀の来迎のイベントのための舞台装置だったわけだ。

わたしは池の水位を上げて左右の翼廊の足元を水没させたと思う。2階の床が高いのは、厳島神社の海中回廊のように水中に立ち上がる形式なのではないか。そのあたりが闇に沈みかがり火に照らしだされた鳳凰堂は水面に映った鏡像と一体になって、まるで宙に浮いたように見えたと思う。

武田五一が尾廊は鳳凰の尾を模したのではないと言ったが、それは尾廊が裏側で見えないからだろう。あくまで鳳凰堂は池の側から見える部分が重要なのであって、尾廊は裏通路としての役割を担ったのだろう。

いずれにしても、一夜のイベントのための施設がその後1000年残るとはだれも思わなかったのではないか。

Img_39063
2022.09.02、平等院鳳凰堂(京都府宇治市)

|

建築研究」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。