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2022年8月

2022年8月29日 (月)

永平寺は何段なのか

永平寺は斜面をひな壇造成して作られている。なぜこんな面倒なことをしたのだろうか。まだよく分からないが、とりあえず絵に起こしてみると6段なのが分かる。それじゃあ易じゃないか。と思い至り、これを易で読めば離為火(りいか)となる。火がいっぱいあるというシンプルな卦である。火は土を生む。土用を盛んにして水の霊地から木気を生もうとしているように読める。木気は再生を象徴する。永平寺の伽藍配置は再生をテーマにしているように私には見える。
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2022.08.29

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2022年8月28日 (日)

粟津演舞場をスケッチした

40分くらい描いて時間切れとなった。師匠はよくどこでやめても絵になるようにスケッチしろと言っていたことを思い出す。昭和初期の木造劇場。有志により修理され使えるようになったという。設計は小松出身の建築家・安井禎夫。登録文化財。
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2022.08.24/ヴァフアール紙粗目F6、グラフィックペン0.5、固形透明水彩 /石川県小松市粟津温泉

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2022年8月27日 (土)

永平寺大工の木彫を見よ

全山こうした楽しい木彫にあふれていて見飽きない。いずれも永平寺大工の作品である。コモの工匠がフィレンツェの花の大聖堂を作ったように永平寺大工は永平寺伽藍の荘厳を作り続けたのだろう。

ここにあげたのは扉のパネル(鏡板)の模様彫り。1枚目の網代風のものは初めて見た。2枚目は飛騨高山の千光寺のもの(3枚目)と作りかたがよく似ている。というより同じだろう。実は永平寺から高山までは高速で2時間ほどで行ける。永平寺大工は飛騨の匠の系統なのではないか。

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2022.08.23、福井県、永平寺
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2021.08.19、岐阜県高山市、千光寺

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2022年8月26日 (金)

永平寺法堂に和風照明があった

古い照明器具が残っていた。武田が永平寺に入ったのが昭和初期なのでそのころのものだと思う。武田設計の建物が一棟あるが、そのために赴いたのではなかろう。永平寺の文化財修理の過程でなにか問題があって呼ばれたのだと思う。そのうち調べてみたい。

各堂内には戦前の和風照明や天井付けサーキュレーター(扇風機)などが残っていた。こういった設備系にも武田は関わったのではないかと思わせるデザインだ。ほかに要所に防火扉が設置されている。全山的に防火体制の構築にも武田は関係しているのかも知れない。

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2022.08.23、福井県永平寺町、永平寺

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2022年8月25日 (木)

木気の霊地・永平寺へ行ってきた

高校生のころに来て以来だ。これほど水の豊かな場所だとは知らなかった。いたるところに湧水があり、それが階段回廊沿いの水路を流れ落ちるので、どこにいても絶えず水の音が聴こえる。あらゆるものが苔むしていてここが水気に満ちた木気の霊地であることがよく分かる。

斜面をひな壇造成した立体的な境内なのもおもしろかった。山門、中雀門、仏堂、法堂(はっとう)と一直線に並ぶが、その中央軸に道はない。道がないのはほかの禅宗寺院もそうなのだが、ここでは境内が立体化することで中央軸が空中回廊のような仏の道であることが視覚的に迫る。

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2022.08.23、福井県、永平寺

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2022年8月24日 (水)

JR新大阪駅(1964)

あしざまに言われることの多い新幹線駅舎だがわたしはよくできていると思う。京都駅などは何度も改修されてその良さは失われたが、新大阪駅は当初デザインをよく保持している。ステンレス製サッシュの外壁やアルミ製天井など素材の使いかたがていねいだ。天井高さを必要以上に高くして見通しを確保している。そのことで単調になりがちなまっすぐなロビーを魅力的な場所にしている。2階を一般乗降客用、1階を大型バス用に分けた計画もうまい。「大阪の建築ガイドブック」(1982第三版)によれば設計は国鉄大阪幹線工事局建築課、鉄道会館一級建築士事務所、施工は大林組、1964年竣工。

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2017.09.20、JR新大阪駅

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2022年8月23日 (火)

日銀大阪支店をスケッチした

前から描きたかった。向いの市役所のフェンスに腰掛けて描いた。これで30分。

描いてみて水平が強調されていることがよく分かった。パラペットから上が銅張りで、その下が白御影石貼りのきれいなツートンになっている。そのためにすっきりとした印象を与えてくれる。同時に壁面にタテのラインがほとんどない。水平を強調するのは武田五一の特徴だが、それは師匠ゆずりだったことがよく分かった。

外壁保存で中央ドーム下の貴賓室だけ復元されている。ここまで残すなら内部を解体する必要はなかったろうと思う。

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2022.08.20/ヴァフアール紙粗目F6、グラフィックペン0.5、固形透明水彩 /大阪市

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2022年8月22日 (月)

スケッチは2枚目がよいという謎

スケッチは2枚目がよいと思う。1枚目は初めて描くものなので、どうしても恐る恐る探りながら描いている。2枚目は一度描いて形を覚えているので絵に勢いが出る。3枚目は2枚目とさほど変わらない。こうやって描いた順にならべいぇみるとそれがよく分かると思う。まあ、1枚目のびびりながら描いているのもおもしろいけど。

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2022.08.20/ワトソン紙はがきサイズ、グラフィックペン0.5、固形透明水彩/大阪市中央区北浜レトロビル

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2022年8月21日 (日)

スケッチ教室で北浜レトロを描いた

最初に建物の前で観察解説をした。何度も紹介している建物だが改めて見るととてもおもしろい。道路を渡ったところから1時間ほどスケッチした。スケッチするとまた建物の情報が流れ込んできておもしろかった。受講生らの絵もそれぞれ個性化しておもしろい。個性化しながらなお建物のロンドンカフェのような個性が共通するのもおもしろい。

近代建築を描くお散歩スケッチ教室
https://culture-house.com/course/61e4c7e8a9defb00291ef6a2

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2022.08.20、大阪市中央区北浜レトロ

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2022年8月20日 (土)

JR天満橋通架道橋(1932)

柱の下が人形の球体間接のような留め方になっているのがおもしろい。昭和初期の高架鉄橋ではよく見かける。しかも逆三角三連マークがある。このマークをわたしはJR神戸三宮駅と近鉄布施駅のあたりで見た。おそらく立体交差と電化による鉄道高速化の組織があって、そのマークではないかと思う。橋げたの財産プレートによれば1932年竣工。

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2016.04.26、大阪市北区中崎町

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2022年8月19日 (金)

あみだ池ハイツ(1981)

3階分にひとつ廊下が走っている。3階ごとに同じ表情が繰り返されるのでリズムがあっておもしろい。丹下や坂倉がよくやっていた手法だ。いまはエレベーターの各階停止があたりまえになったので、こういうタイプのマンションはあまり見かけない。

これはユニテダビタシオンと同じだ。ユニテだと共用中廊下から左右の住戸に入り内部に階段がある。ここでは共用階段室があって、そこから各階住戸にアプローチする。そのほうが階段面積は小さくなり建設費が下がるからだろう。不動産情報によれば鹿島建設の設計施工で1981年竣工。もう少し古いかと思った。
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2016.04.19、大阪市西区

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2022年8月18日 (木)

土佐稲荷神社本殿(1993)

戦後すぐかと思っていたが、ウイッキによれば1993年竣工。鉄筋コンクリート製の唐破風や千鳥破風に手慣れた感じがする。市立中央図書館の裏にあり境内が広い。調べものに飽きたらよく散策したものだ。

旧土佐藩邸のお稲荷さんで、岩崎家が譲り受けて守ってきたそうだ。いまは地域によくなじんだお宮さんという風情である。岩崎家寄贈の銅製狛犬や、石製のウサギ玉など見どころ多し。設計施工不詳。
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2016.04.19、大阪市西区土佐稲荷神社

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2022年8月17日 (水)

JR鶴橋駅プラットフォーム上屋(1932)

改造はされているがほぼそのまま残っている。両サイドのホームをまたぐコの字型アーチの上屋だ。流線形が美しい。おもしろいのはレールを加工して作っていること。コの字型アーチをつなぐ大梁もレールを加工している。とても珍しい。

東側の柱の根本がボルトナットになっているのは、やはり東側がオリジナルなのだろう。西側はホーム下の鉄骨を取り換えたときにボルトナットで留めるのをやめたのだろう。

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(大阪駅行きホーム)足もとのボルトナットが無くなっている。
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(天王寺駅行きホーム)
コの字型アーチの左側に鉄骨を溶接している。ホームを拡張したのだろう。
2016.03.29、大阪市生野区JR鶴橋駅

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2022年8月16日 (火)

JR鶴橋駅(1932)

鉄筋コンクリート製の高架の両側に鉄骨で駅を作っている。町のなかの突如むき出しの鉄骨が現れるのがこの上なくかっこいい。

なぜか東西で鉄骨が違う。東側は柱の上にレールで作ったトラスがかかっている。柱は細くてスマートだ。根元はボルトナットで留めている。あまり他所では見たことのない留め方である。

西側は逆L字型の鉄骨をかけて、柱のあいだをX字型の筋交いで補強している。プラットフォームの上屋はコの字を伏せたようなもので、これは東西両側の鉄骨の上に載っている。

さて、建築年代はどうなるか。わたしの考えは次のとおり。

  東側鉄骨(1932)→西側鉄骨およびプラットフォーム上屋(戦後)

理由はふたつ。ひとつは東側の鉄骨の下は店舗になっていること。西側は回廊になっている。権利関係の整理の早くすんだ西側から先にフォーム拡張の工事を進めたのではないか。西側は順次立ち退きが進んでいる状態に見える。

もうひとつはレールトラスの上に短い柱を並べてフォーム床を支えていること。これはフォームかさ上げ工事を行った跡だろう。西側にはかさあげ工事の跡がないから東側が古いということになる。

(西側鉄骨、新しい)
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(東側鉄骨、古い)
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2016.03.29、大阪市生野区、JR環状線鶴橋駅

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2022年8月15日 (月)

桃山駅プラットフォーム上屋(解体)

レールで作っている。細いレールの柱がカーブを描きながら林立するようすが美しい。他所ではあまり見たことのないシンプルな架構である。ウイッキよれば2019年に解体。解体する必要があったのか?

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2016.03.26、京都市伏見区JR桃山駅

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2022年8月14日 (日)

東海道線大阪駅高架(1936)

壁手すりがついているのがとてもよい。橋げたに番号が振られているのもおもしろい。建設年代の違う複数の高架がひとつに束ねられているので、この部分がいつのものか分かりにくい。コンクリート手すりが付いているので戦前だと思う。「大阪府の近代化遺産」2007にある「大阪駅高架橋、昭和11年」がこれではないか。
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2016.03.15、大阪市北区、東海道線大阪駅東高架

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2022年8月13日 (土)

北梅田ビル(1957)

サッシュは当初のままのようだが外装の金属板は後補ではないかと思う。最上階の窓割りだけ変えたクラシックな立面構成だ。左側の階段室の縦長の窓もおもしろい。外壁中央の柱型が4階でなくなっているのはなぜだろう。グーグルマップで見ると屋根がかかっているので4階は鉄骨造かも知れない。4階はホールだったのではないか。不動産情報によれば1957年竣工、設計施工不詳。
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2016.03.15、大阪市北区芝田

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2022年8月12日 (金)

嘉門氏頌徳碑(1953)

大阪市梅田の済生会病院の玄関前にある。シンプルで清楚な美しさがある。

済生会大阪府病院の移転改築費用を寄付したメリヤス商・嘉門長蔵氏とその妻コマ氏を顕彰する記念碑。元は銅像が立っていたようで、ブロンズ製の花輪のかけられた二つの台が元の銅像台座だったようだ。

嘉門夫妻の像を二枚のメダルとして扱うのはウイーン分離派のオットー・ワーグナー先生の教えだ。彼は権威的な銅像ではなく都市散策者のための楽しい施設として記念碑は構想されるべきと著書「近代建築」で主張した。

その考えを武田五一が移入し佐久間象山碑などで実践している。この記念碑が噴水を囲んだ休憩所としてデザインされているのはその考えに賛同したからだろう。設計施工は不詳。

記念碑の説明書きによれば経緯は次のとおり。
1934 済生会病院が梅田へ移転落成
1935 嘉門氏の銅像建立
1943 銅像を金属供出
1950 銅像台座にブロンズ製花輪を設置
1953 記念碑竣工
1960 銅製説明書き盗難により石製として設置

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Img_68001950年とあり
Img_6794銅像の説明書き
Img_6795記念碑の説明書き
2016.03.15、大阪市北区済生会病院

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2022年8月11日 (木)

芝田町換気所

窓の庇のデザインに特徴がある。ご覧のように西陽の差す場所だから雨避けの庇と陽除けのルーバーを兼ねているのだろう。この庇があるおかげで武骨な四角い箱がちょっとおもしろくなっている。検索したら「アホげ」さんのエントリーがあった。さすがである。

ここは地下鉄トンネルの換気を行っているそうだ。当時は列車が通過する勢いで排気する自然換気方式が主流だったがそうだが、ここは機械搬入口があるので換気用の機械があるのだろう。市の財産一覧を見たが竣工年は載っていなかった。地下鉄中津駅の開業が1964年なのでそのときの建物かも知れないが、見た感じでは1970年前後のような気もする。

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2016.03.15、大阪市北区

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2022年8月10日 (水)

西田ビル(1969)

外壁から突き出した持ち送りの梁を強調する丹下風モダニズムの佳品だ。妻壁のタイルも美しい。ほぼ竣工当時のままで保存状態もよい。

建設会社・西田工業の本社ビルだが賃貸マンションと貸しオフィスとが複合体。最近はビール工房やコワーキングスペースを設けるなと中津のまちづくり拠点となりつつある。今度行ったら中も見せてもらおう。

今ならガイドブックに入れたと思う。この写真はガイドブック改訂版の取材時のものだが、当時はまだ戦後ビルに関しては、まんぜんと写真を撮っているだけできっちりとした評価ができなかった。

西田ビル公式サイト https://nishidabld.com/

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2016.03.15、大阪市北区中津

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2022年8月 9日 (火)

南蛮文化館(1966)

外装をやりかえている。正面左右の柱型のような部分は、もとは外壁と同じタイルが貼られていたのでもっと力強い姿だった。浦辺鎮太郎流のモダニズムの佳品でなかなかおもしろい。「大阪の建築ガイドブック」(第三版1982)によれば大林組の設計施工で1966年竣工。

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2016.03.15、大阪市北区

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2022年8月 8日 (月)

浪速ビル東館西館(1960‐62)

窓下のタイルの色を濃くして疑似的に窓面積を増やしている。こうすることで壁を軽く見せている。おもしろいデザイン手法だ。サッシュはスチール製からアルミ製に入れ替えられていると思う。スチール製のほうが枠の見た目が細いから、もっと軽やかな印象だったのではないか。

屋上の外壁沿いのフレームはこのころのビルでよく見る。これが何なのか、どう使ったのか知らない。同じデザインで東西の2棟がある。不動産情報が混乱していて1959、1960、1962の3種類ある。東西の建設年のずれが混乱の元なのだろう。
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2016.03.13、大阪市北区万歳町


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2022年8月 7日 (日)

新宇治電ビル(2017解体)

軒下のアルミ製パネルはもとのままだと思う。大型のアルミサッシュも元のままだろう。庇先端の金属カバーが新しくなっている。元はもっとシンプルかつ表情のある素材だったのではないか。庇を出して大型サッシュでシンプルに納める構成は竣工当初と変わるまい。庇の影が水平に落ちて伸びやかな印象を与える。庇先端のパネルを取り換えるならば、私だったらタテ筋の入ったものにして水平性を強調するだろう。不動産情報によれば1965年竣工、2010年耐震改修、設計施工不詳。

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2016.03.13、大阪市北区曽根崎

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2022年8月 6日 (土)

村野藤吾の羊さん

新ダイビルの公開空地に羊さんがいた。懐かしかった。解体された先代の新ダイビルの角にいたやつだ。まじかで見るとけっこう大きい。雨がかからないようにしてやりたいものだ。

新ダイビル(新大阪ビル)1958年竣工、村野・森建築事務所設計、大林組施工、2015年建て替え

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2016.03.13、大阪市北区堂島

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2022年8月 5日 (金)

写真のツバメヤ

入口まわりがモダンでかっこよい。出入口の左右がアールになっていて扉が少し斜めになっている。このほうが扉を押したとき室内を見渡しやすいだろう。昭和初期の建物に見えるが詳細不詳。グーグルアースで見ると木造2階建ての看板建築らしい。まったく気づかなかった。

店名が5ヶ所に入っているのがお分かりだろうか。扉とその上の欄間に金文字で店名が入る。ショーケースの上も摺りガラスで店名を入れる。さらに庇の先端にもローマ字で店名が入っている。そして扉の左側の壁に金属銘板がある。それが壁の曲率に合わせて曲がっているのが芸が深い。

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2016.03.13、大阪市中央区東心斎橋

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2022年8月 4日 (木)

三光神社拝殿(1971)

優美で伸びやかな唐破風が美しい。空襲によって境内が燃え抜けたそうだ。氏子も被災したが再建に着手し三十六年かけてずべてを復興した。二度と燃えないように本殿社伝とも鉄筋コンクリート造り。このころのコンクリート社寺には大空襲の記憶が透けて見える。境内の丘は真田幸村が守備した大阪城の出城・真田山として有名。境内の由緒略記裏面によ れば、1971年竣工、宮田建築設計事務所設計、金剛組施工。

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2016.03.13、大阪市天王寺区玉造

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2022年8月 3日 (水)

KDX烏丸ビル(1982)

学生のころ友人がこのビルがおもしろいと言っていて、そのときは何言ってんだ、と思ったが今なら分かる。これはおもしろい。

ピロティの低層部+主要外壁+最上階の3部構成は個展的だが、それぞれの部分が個性的だ。ピロティは大胆な柱張りの構成で外壁部の村野藤吾風の窓と対照的だ。最上階の大きな庇のようなデザインも珍しい。

不動産情報の平面図によればセンターコア方式なので驚いた(参照)。外壁がカーテンウォールであることは外から見ても分からなかった。デザインのおもしろさと構造の明快さが響きあった作品と言えよう。

ちなみに低層部右側のガラスボックスは改修した部分だったと思う。KDXのHPによれば1982年竣工、設計は松田平田坂本設計事務所、施工は竹中工務店。松平坂本事務所はあまり知られていないが商業ビルや公共建築を多く手掛けた中堅設計事務所。

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2016.03.13、京都市中京区

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2022年8月 2日 (火)

旧たち吉本店ビル(1975年定礎)

白い箱にガラスを埋め込んだようなシンプルな美しさがある。3階の窓がタテに長いことがアクセントになっている。イタリアの未来派のようでもある。サッシュまわりのディテールや少しベージュ色っぽい外装石材の選びかたなど玄人である。富家建築事務所設計、施工者不詳、1975年定礎。

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2016.03.10、京都市下京区

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2022年8月 1日 (月)

釣りたぬき 小島漁港(2022.07.30)

11時半到着、漁協のみなと茶屋でカップラーメンをすすったあと防波堤へ。12時ごろから釣り始める。見たこともないほど潮が引いていて驚いた。土曜日だけどなぜか空いていた。

最初はサビキに2枝のキス釣り仕掛けをつけて落としたがエサが取られるばかりなので、みなと茶屋で買った2枝の五目釣り用仕掛けに交換。それからはコンスタントに釣れて楽しかった。

3時ごろ雷雨があり早々に納竿。釣果はスズメダイ10.5-12.5センチ12尾、ササノハベラ10.5センチ1尾、ベラ10センチ2尾、計15尾。カワハギ5~6尾の群れの回遊がよく見えた。次回はカワハギ狙いでいきたい。

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2022.07.30、大阪府岬町小島漁港

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