日本のタイル100年(4)つばき窯の和風タイルを見よ
かねてから名古屋市役所2階ホールの窯変タイルはただものではないと思っていた。それを作ったのが山茶(つばき)窯の小森忍だったという。作例とともにタイル裏のツバキ刻印も展示していたのはさすがイナックスライブミュージアムである。タイルは裏を見るまで誰の作品か分からないからだ。
説明書きによれば小森は一風変わった経歴の持ち主だ。
1911年に京都市陶磁器試験場の技師となり、中国古陶磁器の研究をする。1917年満州にわたり満鉄中央試験場窯業課主任となり中国古陶磁器の研究を進める。1921年独立して大連に小森陶磁器研究所を開設。1928年に愛知県瀬戸に研究所を移して山茶窯を名乗った。
さて、武田五一はかねてから京都市陶磁器研究所に協力していた。年譜によれば京都陶磁器組合主催の奨励会の審査委員を1910年、1911年と続けてつとめている。武田は小森を知っていたわけだ。武田が大連の都市計画を作ったのは1916年で小森の渡航の1年前に当たる。これも偶然ではなかろう。武田は小森とともに新しい和風タイルをつくろうとしていたのではないか。
京都市陶磁器試験場は1919年に国立へ移管されるが、1928年に新築された試験場建物を設計したのは当然ながら武田である。その年に小森は瀬戸へ移り新しい窯を立ち上げた。
小森が出るまでは国産タイルの開発に意を注いでいた武田だが、小森登場以降は洋風をまねるだけではなく和風タイルの開発へと研究が転換したのだろう。つばき窯の窯変タイルはその転回点の記念碑的存在であるといえよう。
2022.04.23、愛知県常滑市、イナックスライブミュージアム
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