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2022年4月

2022年4月30日 (土)

日本のタイル100年(4)つばき窯の和風タイルを見よ

かねてから名古屋市役所2階ホールの窯変タイルはただものではないと思っていた。それを作ったのが山茶(つばき)窯の小森忍だったという。作例とともにタイル裏のツバキ刻印も展示していたのはさすがイナックスライブミュージアムである。タイルは裏を見るまで誰の作品か分からないからだ。

説明書きによれば小森は一風変わった経歴の持ち主だ。

1911年に京都市陶磁器試験場の技師となり、中国古陶磁器の研究をする。1917年満州にわたり満鉄中央試験場窯業課主任となり中国古陶磁器の研究を進める。1921年独立して大連に小森陶磁器研究所を開設。1928年に愛知県瀬戸に研究所を移して山茶窯を名乗った。

さて、武田五一はかねてから京都市陶磁器研究所に協力していた。年譜によれば京都陶磁器組合主催の奨励会の審査委員を1910年、1911年と続けてつとめている。武田は小森を知っていたわけだ。武田が大連の都市計画を作ったのは1916年で小森の渡航の1年前に当たる。これも偶然ではなかろう。武田は小森とともに新しい和風タイルをつくろうとしていたのではないか。

京都市陶磁器試験場は1919年に国立へ移管されるが、1928年に新築された試験場建物を設計したのは当然ながら武田である。その年に小森は瀬戸へ移り新しい窯を立ち上げた。

小森が出るまでは国産タイルの開発に意を注いでいた武田だが、小森登場以降は洋風をまねるだけではなく和風タイルの開発へと研究が転換したのだろう。つばき窯の窯変タイルはその転回点の記念碑的存在であるといえよう。

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2022.04.23、愛知県常滑市、イナックスライブミュージアム

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2022年4月29日 (金)

今年度最初のスケッチ授業をした

天気がよくて気持ちよかった。みんなも楽しめたかな。わずか1時間ほどだが各自おもいおもいにスケッチに取り組んでいた。なかなか個性的な作品が集まった。次回講評してみる。わたしも1枚描いた。これで45分。

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2022.04.28、京都建築専門学校

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2022年4月28日 (木)

日本のタイル100年(3)ラグランモザイクタイルを見よ

ラグランモザイクという名前を初めて知った。1960年代から作っているらしい。わたしが設計実務についた1980年代後半ではあまり使われていなかった。見覚えのあるタイルだが今まであまり注意していなかった。まだ実例がたくさん残っているだろうから、気をつけて写真を集めてみる。

キャプションにある万博とは70年大阪万博のことで、そのころ関西は建築ラッシュに沸いた。東京ではいち早く64年の東京オリンピックが都市開発の契機となっている。ラグランモザイクは高度成長を背景としたヒット作だったのだろう。ちなみにラグランとはラグラン袖の弓状の縫い付け形状と似ていることによる命名だろう。いかにも繊維業全盛のころのめーみんぐである。

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2022.04.23、愛知県常滑市、イナックスライブミュージアム

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2022年4月27日 (水)

日本のタイル100年(2)初期国産モザイクタイルを見よ

最初に国産モザイクの本格的な生産に踏み切ったのは伊奈製陶(現イナックス)だった。これがその現物だろうと言われている。矢橋賢吉設計の旧岐阜県庁床モザイク(1924)である。

先日六角モザイクを三重県の旧上野市役所で見たと報告したところ、小径さんから旧岐阜県庁にあったことを教えられた。展示されているのは旧岐阜県庁が正面を残して解体されたときにはがしてきたもののようだ。

おもしろいのはタイルの切断面が見えることだ。旧上野市役所のものよりブ厚い。説明書きにあるようにこれは陶器なのだろう。いまのモザイクタイルは磁器だ。陶器は磁器より焼成温度が低いので多少割れやすい。だから厚くすることで強度を増したのだと思う。実際100年経ってもなんともない。いかに伊奈製陶の技術が優秀だったのかが分かる。

さて、武田五一が名古屋高等工業学校へ転任したのは1918年だった。同年、武田は臨時議院建築局の技師となる。建築局は大蔵省内に設置された国会議事堂の設計チームだ。チーフ格の工営部長に就いたのは武田の3年先輩の矢橋賢吉だった。岐阜県庁の設計者である。

1918年に国会議事堂の設計コンペの公募が発表された。翌年コンペ結果が発表され、1等当選案をもとに矢橋チームが設計にとりかかった。岐阜県庁は国会議事堂設計のための試験ケースを兼ねたと言われている。

武田は以前より矢橋に協力して議事堂設計にかかわってきた。武田設計の旧山口県庁(1916)も岐阜県庁同様、試験ケースと言われている。試されたのはデザインだけではない。

議事堂は国産建材でつくることが義務付けられたから、議事堂建築に合わせて建材の国産化がすすめられた。伊奈製陶のモザイクタイルもその一環であったろうとわたしは思う。

おそらく久田吉之助のテラコッタ開発も当初から議事堂建築を視野に入れたものだったろう。1918年になって武田が名古屋へ赴任するのも常滑や多治見を中心としてタイルの国産化を進めることが目的だったのではないだろうか。

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2022.04.23、愛知県常滑市、イナックスライブミュージアム

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2022年4月26日 (火)

日本のタイル100年(1)武田のテラコッタを見よ

イナックスライブミュージアムの展覧会「日本のタイル100年」を観てきた。ミュージアムの磯崎さんありがとうございました。撮影可だったので気付いたことをメモしておく。

最初に目に入ったのはこのでっかいテラコッタ。京都府立図書館(1909)の装飾と説明があって驚いた。武田五一デザインのテラコッタ装飾が常設展示にあるのは見ていたが、そのほかにも収蔵なさっていたとは知らなかった。武田マニアとしてはとてもうれしい。舐めるように見ていると磯崎さんが寄ってきて「さすが、まっさきに武田五一ですね」と言われた。

キャプションに久田吉之助工場製とあった。久田のことは20年ほど前にタイル復元家の太田さんから教えられた。久田はライト設計の帝国ホテルの外壁テラコッタを開発したが、その後ホテル側とけんか別れして受注は別工場が請けたという。

武田と久田との出会いは古い。武田は京都の伝統工芸の近代化のために京都高等工芸学校へ1903年に赴任した。伝統工芸の近代化のテーマには織りや染めのほかに陶芸も含まれる。輸入にたよっていたタイルやテラコッタの国産化を武田は目指した。

武田の設計した岐阜の名和昆虫館は1907年に竣工し、ここで久田は国産最初と言われるテラコッタを製作した。武田と久田とによる陶芸の近代化のための試みはそのころ始まったと考えてよいだろう。続いて府立図書館ではさらに大型のテラコッタを製作した。そのテラコッタを建物全体に貼りまわしたのが帝国ホテル(1923)だった。

ライトと久田を引き合わせたのは帝国ホテル重役の大倉喜八郎だったとされている。ライトは黄色いテラコッタでホテル全面を覆うことを提案していた。大倉は京都の長楽館(1909、村井別邸)が黄色いことを知っていたので、そこからたどって長楽館の外壁タイルを製作した久田のもとへ依頼が舞い込んだという。

長楽館の外壁タイルはテラコッタだったろうか。テラコッタとは一般的に立体的な装飾焼き物をいう。今度行ったら確かめてみるが、長楽館の外壁は名和昆虫館と同じ釉薬がけのタイルだったと思う。

久田まわりのネット情報では「黄色いレンガ」という言い方がされてるが、そうした用語をわたしは聞いたことがない。黄色いレンガと言うと化粧レンガの一種のように聞こえるが、久田が作ったのはレンガではなくテラコッタだ。「黄色」は昆虫館や府立図書館ですでに実現させている。難しかったのは土練り、成形と乾燥だったのでないかとわたしは思う。

久田と武田とはコンビを組んでいたし、武田はライトとも友人だった。わたしはライトと久田を引き合わせたのは武田だったろうと思っている。1918年、武田が突如として名古屋高等工業学校へ転任させられたのも陶芸の近代化のための一環だったのではないか。武田が目指していたのは「京都」の工芸近代化ではなく「日本」の工芸近代化だったと考え始めている。
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2022.04.23、イナックスライブミュージアム

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2022年4月25日 (月)

半田の旧カブトビール工場をスケッチした

アユミギャラリーの「近代建築史への旅スケッチ展」の公募作品で見たのを覚えている。ギャラリー主の建築家・鈴木喜一さんのスケッチも見たような気がするが、それはわたしの脳内創作かも知れない。

ここ数年スケッチする時に鈴木先生のスケッチがまぶたによく浮かぶ。先生が亡くなって11年になるが今でもわたしは先生に教えられているわけだ。今回も鈴木風になった。

保存が決まったとき半分解体されたところだったそうだ。そのころにスケッチ展にも出ていたのだろう。解体途中のレンガ壁が中世教会の廃墟のようでおもしろかった。

展示室も充実していて勉強になった。大規模な耐震補強を施したようだが、濃尾震災以後の建物なので耐震レンガ造だろう。大がかりな補強は必要なかったのではないかとわたしは思う。
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2022.04.24/ヴァフアール紙粗目F4、グラフィックペン0.3、透明水彩/愛知県半田市

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2022年4月23日 (土)

下京税務署(1965)

さきたかさんに教えられた。落ち着いた黒タイルの壁に大きな庇がさしかけられている。そのおかげで陰影が生まれて彫りの深い表情を得ている。前面に空地を置くことで町との接続もうまくいっているように思う。手慣れたモダニズムだ。詳細不詳。国交省の「官庁施設の耐震化に関わるリスト」(2008)によれば1965年竣工。

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2016.03.10、京都市下京区

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2022年4月22日 (金)

ファブカフェキョウト

木造3階建てでレンガの防火壁が付いている。土蔵造りなので普通の事務所建築ではなく蔵のように見える。1900年ころのものと言われるが、防火壁が当初のものだとすれば関東大震災以降の建物ではないか。見た感じでは大正8年くらい。詳細不明、近代化遺産リスト未掲載建築。

カフェ兼コワーキングスペースとして2016年にリノベーションされた。土蔵造りでありながら1階壁を大きく取りはらうリノベーションでは地震時に残された壁に力が集中するのではないかと思う。
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2016.03.10、京都市富小路五条下ル

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2022年4月21日 (木)

旧上野市役所の豆タイル

六角形の豆タイルをはじめて見た。遠目に見るとタイルと目地とが一体化して明るい赤色のカーペットを敷いたように見える。構築的な市役所の建物を豆タイルがよく引き立てている。

竣工した1964年ころには豆タイルを外壁に使った事例を見たことがあるが、床に使うのは珍しい。50年以上たってもあまり剥がれていない。モルタルを塗った上にタイルを置いて機械で押し付ける圧着張りだと思うが、けっこう耐久性がある。圧着することで下地のモルタルに隙間ができないので凍害に強いのだろう。

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2022.04.08、三重県伊賀市

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2022年4月20日 (水)

養父市の養蚕農家の土壁を見よ

このあたりの土は、少し柿色の入ったきれいな黄色だ。中塗り仕上げの表面が風化してやさしげな風合いをもつ。

大壁づくりなのは湿気避けのためだろう。壁の破れ目から細い丸竹が見えた。土蔵づくりのように柱の外側で小舞をかいている。こうした簡単な下地で100年くらいはもつのがすごい。こういう建築をわたしは作りたい。

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2022.04.16/ワトソン紙はがきサイズ、グラフィックペン0.3、固形透明水彩/兵庫県養父市大藪

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2022年4月19日 (火)

八鹿瓦の地蔵堂をスケッチした

六地蔵なのだが7体ある。ほかに小さな墓標のようなものなど入ってにぎやかだ。お地蔵さまには赤い前掛けが掛けられボタンサクラが供えられていた。どなたかが今でもお世話なさっているのだろう。だからお堂は生きているように見える。

赤い瓦は八鹿で焼いていた八鹿瓦だそうだ。焼きムラによる色の違いがとてもきれいだ。瓦葺きにしたおかげでお堂が長持ちしているのだろう。丁寧に造った大工さんの気持ちとお堂を守ってきた方たちの気持ちが染み込んだ建築であろう。

前面上部に見える梁の左右には渦巻模様が彫りこまれている。梁の真ん中にはカエル股が載っている。つまりこれは正式な虹梁なのだ。このお堂はけっこう正統派なのである。背面の板張りにすきまが開いてタテのストライプの光が入るところもおもしろい。わたしの理想の建築に近い。

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2022.04.16/ワトソン紙はがきサイズ、グラフィックペン0.3、固形透明水彩/兵庫県養父市大藪

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2022年4月18日 (月)

養父スケッチ教室はじまった

今年度最初は大藪へ行った。泉光寺は一面のコケが美しい。裏のお庭ではボタンサクラや山つつじが満開だった。よいお天気で気持ちよくスケッチできた。次回は町のほうも歩いてみたい。

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2022.04.16、兵庫県養父市大藪

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2022年4月17日 (日)

三宮神社拝殿

破風が3つ並んだようすがおもしろい。銅板葺きでよくこのように柔らかく造形できるものだと感心する。小さな拝殿だが均整のとれたポロポーションで見ていてあきない。前面が回廊風になっているので屋根が浮いて見え、軽やかでさわやかな印象を受ける。戦後の再建だと思うが詳細不明。

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2016.03.03、神戸市中央区

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2022年4月16日 (土)

諏訪山の洋館(2)

まるでトトロの家だ。平屋建ての和館に洋間が付いているように見えるが、洋瓦の屋根が2棟見えるので、洋間部分がけっこう大きいのかもしれない。修理しながら大切にお住まいなさっているご様子である。

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2016.03.03、神戸市中央区

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2022年4月15日 (金)

伊賀上野城(1935)

大江新太郎設計だそうだ。とても軸組がシンプルで美しいと思った。最上階の弓矢の欄間など細部もおもしろい。

彦根城とよく似ている。姫路城のような芯柱はないが、それも彦根城と同じだ。芯柱のない形式のほうが古いのかもしれない。

地元出身の代議士川崎克が伊賀文化産業館として寄贈したという。川崎は俳聖殿の芭蕉像の伊賀焼の作者だというので伊賀焼の窯元なのだろう。

文化産業館は伊賀焼を中心とした郷土の産品が展示されたのだと思う。伝統のうえにこそ発展があるという考え方に賛成だ。そのために私財をなげうつ姿勢もいさぎよい。

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2022.04.08、三重県伊賀市

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2022年4月14日 (木)

俳聖殿門

俳聖殿の門もとてもいい。民家風の茅葺屋根を丸太の柱梁が支える。壁のようすも美しい。天井は細い白竹を並べたもので温かみがある。軒下はアシだと思うが、白竹よりも細かい管状の植物を並べていて、それが軒先のカヤとよく馴染んでいる。さすが、たくみの国である。

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2022.04.08、三重県伊賀市

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2022年4月13日 (水)

伊賀上野城(1611)

大阪の陣に備えて徳川方が大阪城並みの城石垣を伊賀上野に設けた。藤堂高虎の築城である。西側と南側に石垣が残っており、とくに西側は日本一の高さとも言われる。実際目の当たりにするとものすごくでかい。角のラインがほぼまっすぐなのはすごい。部分的に膨らんでいるところ(崩れはじめている)があるが全体として形をよく保っている。さすが石垣の高虎である。よいものを見せてもらった。

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2022.04.08、三重県伊賀市

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2022年4月12日 (火)

旧上野市 庁舎(1964)

とてもよい。バルコニーや回廊、吹き抜けが縦横に組み合わさってワクワクする世界を作り出している。わたしは回廊が好きだが、久しぶりにドキドキした。話には聞いていたが、これほどのものだとは思わなかった。設計した坂倉準三は戦前にパリにあるコルビュジェの事務所で実務を学んだ。バルコニーや回廊が組み合わさる作風はコルビュジェ譲りだ。

わたしはかねがねコルビュジェは中世主義者だと思っている。コミュニティの器として建築を考えているように見えるからだ。だから彼の作品には中世都市の市場のような活気や修道院のような静寂がよく似合う。この回廊に立っていると市場の喧騒とこどもたちの歓声が聞こえてくる気がする。

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2022.04.08、三重県伊賀市

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2022年4月11日 (月)

俳聖殿(1942)

地元出身の代議士・川崎克氏の発案で建てられた。芭蕉を祀ったお堂である。なかに伊賀焼の芭蕉像が納められている。建物は芭蕉の旅姿をモチーフにしているという。なかなか楽しい建物である。

1層目が八角形、2層目が円形なので、構造としては多宝塔を参照していることが分かる。驚いたのは材がすべて丸太であることだ。柱や梁から垂木に至るまで円形断面の部材を使っている。

断面が丸いと部材どうしのつなぎ目の加工が面倒になる。それをこともなげに仕上げて半世紀たったいまも少しのゆるみもない。伊賀は飛騨と同じようなたくみの国だったと改めて気づかされた。

もうひとつ驚いたのは内陣の柱が内側に傾斜していることだ。大きな木造建築はそうすると話には聞いていたが、実際に目にするのは初めてだった。柱が斜めだと梁とのつなぎ目はさらに難しくなる。よっぽど名のある棟梁の作品なのだろう。

礎石に水抜きがあるのも初めて見た。普通は礎石の上に柱がのるが、ここでは礎石に浅い円形の穴を作ってそこに柱をはめ込んでいた。これも他所では見たことがない。おそらく構造的な工夫なのだろう。この建物には随所にこうした工夫がこらされているのだろう。たいへん興味深い。

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2022.04.08、三重県伊賀市

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2022年4月10日 (日)

俳聖殿をスケッチした

ボランティアの方々が掃除をなさっていた。大切に守られている幸せな建物だ。ちょうど30分で描いた。桜の花びらがパレットに舞い散った。

俳聖殿は伊藤忠太の設計で1942年に竣工した。俳聖とは芭蕉のことで、お堂のなかに伊賀焼の芭蕉像が祀られている。

建物は笠をかぶった芭蕉の旅姿をかたどったそうだ。とてもおもしろい形をしている。それを木造で作ってしまうところがおもしろい。伊賀も飛騨のような木の匠(たくみ)の国なのだろう。

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2022.04.08/ヴァフアール紙粗目F4、油性ペン極細、固形透明水彩/伊賀上野

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2022年4月 8日 (金)

諏訪山の洋館

東亜筋線からよく見える。ふたつ仲良く並んだようすが微笑ましい。右側の住宅は丸窓のある下屋が特徴だ。建物の角を丸くして国際様式風に仕上げているのもおもしろい。よく見ると屋根の上にバルコニーがあるようだ。さぞかし見晴らしがよくて気持ちがよいだろう。

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2016.03.03、神戸市中央区

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2022年4月 7日 (木)

本町橋をスケッチした

こんなに良い橋だったとは知らなかった。大正2年と親柱にある。本町通りは大手門へつながる大阪のメインストリートだから気合が入っているのだろう。リベット打ちの鉄橋も元のままだと思う。水面と道路面とが近いのでアーチが扁平になっている。そこまでしてアーチを橋下に隠したかったのは、橋上からの眺望を守りたかったからだろう。

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2022.04.02/ワトソン紙はがきサイズ、油性ペン極細、透明水彩 /大阪市本町橋

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2022年4月 6日 (水)

第1回若手建築家から実例から学ぶ(京都府建築士会)

公園施設「ベータ本町橋」の見学会があった。設計したおふたりの建築家(高橋勝氏、井上真彦氏)により丁寧にご案内いただいた。大阪市のウオーターフロント再生政策の一環として、地元の本町橋かいわいの方々が中心となって親水公園として開発されたことがよく分かった。公園内の建物は軽やかな耐火木造建築物で、夜になると照明に照らされた天井が反射板となって川面を照らす仕掛けがおもしろい。

興味深かったのは、おふたりの設計思想だった。井上氏はインテリアデザインからイベント会場や公園の設計へ手を広げてきた。すきまのような場所でも、なんらかの装置を加えることで場が生まれる楽しさを語ってくれた。

高橋氏は、森林再生のための木造建築の復興をめざしている。間伐材利用のための木材テントを開発したことから今回の耐火木造の実践へとつながった。自然環境が工法を、暮らしが間取りを決めるという分析もおもしろかった。

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2022.04.06、大阪市中央区本町

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2022年4月 5日 (火)

近代建築を描くハガキスケッチ教室をはじめた

毎月第1土曜日の午前10時から12時まで。

初日は京都の岡崎公園へ行った。京都市美術館を見学したあと博覧会場門柱をスケッチした。満開の桜のなかで少し寒かったが、楽しくスケッチした。初心者が多かったが、最初からけっこう個性化していて驚いた。次回も楽しみである。

次回からは大阪の中之島公園近辺で描く。最初、近代建築を見歩いて、そのあと小1時間ほどスケッチする。道具はわたしが持っていくので手ぶらでも参加できる。初心者大歓迎。詳しくはカルチャーハウスのHPまで。

近代建築を描くお散歩スケッチ https://culture-house.com/course/61e4c7e8a9defb00291ef6a2

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2022.04.02/ワトソン紙はがきサイズ、4Bホルダー、透明水彩 /京都市岡崎公園
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2022年4月 2日 (土)

聖ミカエル国際学校

見よ、この日本人離れした美しき国際様式を。改修されているがよく旧状を保っている。大切にされているのだろう。

敗戦後に設立された英国聖公会系の外国人学校。神戸聖ミカエル教会が開校に尽力したのでこの名がある。校舎に関する詳細は不詳。聖ミカエル教会(1959年築)と雰囲気が似ているので同じ設計者だと思う。竣工も教会堂と同じころだろう。

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2016.03.03、神戸市中央区

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2022年4月 1日 (金)

永和ビル

この2面だけタイル貼りだ。タイル壁を取り囲むように巾15㎝ほどのモルタル仕上げの枠があるのがお分かりか。左の面は上下と左端にある枠がタイル壁から20㎝ほど飛び出している。ところが右面は枠の先端とタイル壁とが同じ面だ。つまり右面では2階以上の壁が1階よりも20㎝ほどせり出しているのだ。単純な四角いボックスなのだが、こうした操作によって角に影ができて形が浮かび上がる。けっこう上手い。1階のステーキ青山が1963年創業だそうなので、そのころの建物だと思う。

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2016.03.03、神戸市中央区

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