2022年1月11日 (火)

薬師寺の塔の謎を解く(7)平城京の守護神

龍田大神は風神であると同時に疫神であった。そのことは7年前のブログに書いていた。

法隆寺の謎を解く(2013.11.14) http://www.tukitanu.net/2013/11/post-e6ef.html

法隆寺の再建が平城京建設と同時に進められていたことは着目してよい。どちらにも裳階が付けられていることは平城京守護のために法隆寺を調整した形跡ではないかとわたしは思う。調整の詳しい中身については再度検討したいと思っているが、とりあえず平城京の防疫のために金気の神様である龍田大神を祀りなおした点は動かないだろう。それは薬師寺が防疫目的の寺であることと共通している。

7年ー5年前の連載は自分でいうのも何だが、いま読み返してみてもおもしろい。とくに雲形ひじきを風、手すりの崩し卍を雷と読んで風雷益の易を導き出した推理はよくできている。なぜなら益は「国を遷すに利あり」と易経にあるからだ。まさに遷都のために法隆寺を祀りなおした状況証拠のひとつといえよう。

法隆寺の謎を解く(2)(2015.6.14) http://www.tukitanu.net/2015/06/post-5c61.html

連載の(3)では法隆寺金堂の仏像配置から聖徳太子信仰のはじまりと新国家建設との関係を推理している。書いてから5年も経っているので自分でも内容をすっかり忘れていた。おもしろいな。

法隆寺の謎を解く(3)(2016.6.26) http://www.tukitanu.net/2015/06/post-59af.html

横道にそれた。法隆寺と薬師寺のどちらもが平城京の防疫を担当するために整備されたとすれば、薬師寺の薬師如来も金気の神・龍田大神と習合していると考えてよいのではないか。薬師寺は法隆寺の出先機関として用意されたようにも見える。

法隆寺は都の南西にある。先天図によれば易の8つのイメージのうち南西に配当されるのは風である。ぴったりだ。というより龍田大神が風の位置になるように都は造られたと考えるべきだろう。つまり風の位置に風神を祀ったのではなく、既存の風神が風の位置になるように都を計画したのだ。つまり龍田大社(=法隆寺)の北東に都を置いたわけだ。平城京の立地はこうして決められたと推定できる。

龍田大神は竜田姫神でもある。それと対になるのは佐保姫神だ。竜田姫が秋を象徴するのに対して佐保姫は春を象徴する。つまり木気の神様なのだ。薬師寺が竜田姫の聖地であるならば大安寺は佐保姫の聖地であろう。やはり大安寺は木気の聖地として整備されていると考えてよい。

佐保山は都の北東にある丘陵地だ。先に見た通り先天図によれば北東には雷が配置される。雷は木気であり妊娠を示すイメージであった。竜田姫により疫病を防ぎ、佐保姫により子安を願う。これが平城京のコンセプトであろう。それはそのまま新しい律令国家体制による国家鎮護の祈りの形式そのままであろう。下に図示しておいた。

しかし、そうまでして防疫と子安の呪術を織り込んだにも関わらず平城京は疫病に襲われ、また皇室には男子がなかなか生まれなかった。そして疫病と内部抗争によって平城京は内部から崩れていった。それが奈良時代という時代であったと思う。
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これで今回の連載を終える。薬師寺の塔の謎を解くうちに平城京の計画コンセプトが分かったのが今連載の収穫であった。「京都の風水地理学」を書いたのは2017年だった。その後で提出した「奈良の風水地理学」の企画は採用されなかったが、今ならもっとおもしろく書くことができよう。ちなみに前著はアマゾンでいまでも売れ続けているようだ。こんなことを書くものが他にいないので少しずつ売れ続けているのだろう。新本の版元を募集したい。

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