2021年8月13日 (金)

姫路城の耐震補強

これらは昭和の大修理時の補強だ。補強設計は天才構造学者・棚橋(たなばし)諒だった。

修理前に天守閣は東南に50センチほど傾いていた。これは江戸時代から傾むき始めていたようで「東傾く姫路の城は花のお江戸が恋しいか」と言われていたそうだ。

傾いた原因は地盤、木材の腐朽、木材の変形などだった。木材の変形にはたわみとめり込みのふたつがあった。めり込みとは荷重があまりに重いので柱がそれを受ける横材にめり込むのである。最大で6センチあったという。

棚橋は基礎をコンクリート造りとし、腐朽した木材は取り換え、変形の起こりそうな木材は大きな断面のものと取り換えた。そのうえで江戸時代に付加されたおびただしい補強材を一切取り除いて建設当初の姿に復元したのである。

写真1枚目には材を繋ぐ帯金と水平筋交いの端部が写っている。いずれも材のつなぎ目の動きを止めるのが目的だろう。再建工事中は重しとなる上層階がないので建物が風で揺れやすい。それを防ぐのが主目的ではないか。

2枚目は材のめり込みを防ぐための金物だ。これは他では見たことがない。天守閣傾斜の原因のひとつに材のめり込みがあったから、そのことへの対応だろう。

棚橋の修理は350年間の変化を読み込んでそのことへの細やかな対応を行っている。そして目立たぬように補強しながら天守閣当初の姿を復元することに成功した。天守閣を建設した先人への敬意を感じさせる修理であろう。

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2021.07.23、姫路城

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