2021年8月17日 (火)

姫路城の心柱

東西2本ある心柱のうち西側のものは昭和の大修理で取り換えたものだ。その継ぎ目があった。ここで上下2本を継いでいるのである。

「追っかけ大栓継かな」
「先生、そんな単純なもんですか」

たしかにこれだけじゃ追っかけ大栓継なのか金輪継なのかそれ以外なのか分からない。金輪継かもしれない。

さて24メートルもある柱(2本なので12メートルずつだが)をどうやって立てたのか。当時どうやったのか謎だった。

昭和の大修理のときには巨大な素屋根(現場を覆う小屋)を建てたので、その頂上にクレーンを取り付けて引っ張り上げればよいのではないか。わたしはそう思うが、どうやら建設当時と同じように人力で立てたらしい。復元したのは形だけではなく城づくりの技術全般にわたっていたようだ。さすが棚橋先生である。

心柱をひっぱりあげるために長さ200メートルの傾斜路を作った。天守閣の2階から三の丸を飛び越してその下の三の丸公園の半ば以上まで達した。ちょうど桟橋をかける余地があったわけなので、当時もこうやって立てたのだと思う。天守閣の前面広場の大きさはこの傾斜路の長さで決まるのだろう。

2階までというのはなぜか。それは傾斜路の先端から突き出た柱が自重で傾いたところを下へ落とすのだと思う。もちろんロープで吊って徐々に落とし込むわけだ。心柱が2分割されたので、2本目は落とし込んだあとクレーンで釣り上げるしかなかっただろう。用材不足のため仕方なく2本継となったが、本来は1本だった。1本ものならクレーンなど使わずに人力だけで立てられたわけだ。よく考えられていると思う。

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2021.07.23、姫路城

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